雑記

2009年10月25日 (日)

新潟出張

先週は、木・金と1泊2日で新潟へ出張。

そもそもぼくは、齢42にしてさえも、これまで本州では埼玉より北へ行ったことがない。
より厳密に言うと、越谷より北へ行ったことがない。
学生のときに、友達の家へ泊めてもらいに行った。
それが越谷だった。
北海道は、公私において何度か行ったことがあるけれども、それはやはり飛行機で行くのであって、本州の地面は、越谷より北を踏んだことがない。

だから、仕事とは言え、新潟に行けるのはちょっと楽しみだった。
出張の前後はめちゃくちゃに忙しくなるのだけれども、出張している2日間はほとんどが移動であって、実に楽な日程だ。

朝9時に名古屋を発つ。
東海道新幹線で、11時前に東京に着く。
そこからすぐに上越新幹線に乗り換える。

おお、これが上越新幹線か。
10両編成だ。
ビジネスマンが少ない。
乗ってる人、7割くらいが観光っぽい。
昼間っからビール飲んでる人も多い。
みなのんびりしている。

外の景色がすごい。
越後湯沢を過ぎると、特にすごい。
新幹線の駅なのに、周りが緑ばっかりだ。
駅前にスキー場があったりする。
誰も降りない。
誰も乗ってこない。

2時間弱で、初日の目的地である長岡に到着。
立派な駅だ。
でも、人が少ない。
構内も、駅の周りも、ほとんど人が歩いていない。
田中角栄ワインなるものが売られている。さすが。

夕方に仕事を終えて、すぐにまた上越線で新潟まで移動。
駅前のビジネスホテルに投宿。

新潟人はどんな言葉を話すのだろうかと興味津々だったのだけれども、仕事の相手も、ホテルの人も、みな普通に標準語を話す。
まるでおもしろくない。

荷物を置いたら、同行の2名といっしょにすぐ外に出て、6時前、あらかじめ調査してあった居酒屋へ。
新潟と言えば、何をおいても酒、魚だろう。

のどぐろ(赤ムツ)の刺身と焼き、鮭の白子焼き、柿の素(食用菊のおひたし)、女ガニなどを次々と注文し、ふだん飲めないような銘柄の地酒を片っ端から順に持ってきてもらう。
さすがにどれも美味い。
酒、それぞれ味は全く違うのだけれども、どれも美味い。
なんちゅうか、味は違えど、どれも一様に味が澄んでいる気がする。

のどぐろの刺身、めちゃうま
ちょっとタタキみたいにしてある。
その香ばしさ、そして身はトロのようにとろける。
焼いても味が濃い。

いちおう興味をそそるメニューは全て網羅したが、お代は1人5000円程度であった。
安い。
ネットでリサーチした店だったので不安だったけれども、正解だったようだ。

そのまま2軒目へ。
2軒目はリサーチしてなかった。
同行2名と相談して、その辺で適当に入る。

また刺身。
最後に寿司も少々。

新潟は、魚が美味くて米も美味いのだから、寿司も美味くてしかるべきだ。
しかし、そうでもなかった。
魚は美味いのだけれども、寿司を握る技術は、この店にはなかったようだ。

さらにホテルに戻ってからも、テレビ観ながら1人で缶ビールと缶チューハイ飲んじゃって、すっかりべろんべろんになって寝る。

2日目。
朝ゆっくりなので助かった。
なんとか宿酔いから立ち直った状態で仕事に向かうことが出来た。

9時過ぎにホテルを出て、昼前には仕事終了。
新潟駅周辺の寿司屋に入って昼食。
昨夜の2軒目で食べた寿司に納得いかなかったので、リベンジのつもりだったけれども、やはり感想は同じだった。
魚は美味しいんだけれども、寿司としてはどうも……。
どこかに美味い寿司屋が絶対にあると思うのだけれども、2日間ではたどり着けなかったらしい。

酒と土産少々買って、午後イチの上越新幹線で東京へ。
酒は、昨夜1軒目で飲んだ「〆張鶴」と「麒麟山」というのを買った。
もちろん自分用。
土産は笹だんご。

帰りの上越新幹線は、Max っていうんだったか、とにかく2階建ての車輌だった。
爆睡。
東京まで2時間強。
そこからまた名古屋まで2時間弱。
名古屋からうちまで1時間。

肩がめちゃくちゃに凝った。
まっすぐ家に帰らず、荷物持ったまま、うちの近所のいきつけの居酒屋にまた寄って、生ビールと焼酎飲んでから帰る。

翌日、土曜なのに出勤。

でもまあ楽しかった。
のどぐろの刺身が忘れられない。
またいつか食べに行けるといいなあと思う。

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2009年10月 6日 (火)

ホッピーとキンミヤ焼酎

今年の夏もホッピーをよく飲んだ。

ホッピーというのは首都圏あたりの文化らしく、学生で上京したばかりの頃は、ホッピーの看板をそこいら中の飲み屋の店先で見かけても何のことだかよくわからなかった。
結局、東京にいた間もほとんど飲んだことがなくて、地元に戻ってからはなおさら見かけることすらなくなっていたのだけれども、ここ数年、このあたりのスーパーでもちらほら売られるようになってきた。
プリン体ゼロ、というのにもちょっと惹かれて、2~3年前から家でも夏場はよく飲んでいる。
居酒屋では、まだこの辺でホッピーを飲ませる店は見たことがない。

そして、いつの間にやら、ホッピーはキンミヤ焼酎との組み合わせがベストであるというのが定説になったようで、この夏は、このあたりのどこのスーパーに行っても、大々的にホッピーとキンミヤ焼酎が並べて売られていた。
キンミヤ焼酎は、地元の酒造メーカーの酒だ。
甲類焼酎にそれほど繊細な味の差があるのかどうかよくわからないし、ましてやホッピーで割ってしまえば微妙な誤差は吹き飛んでしまうような気もするけれども、まあホッピー本社も認めているらしいから、そうなのだろうと思う。
確かにキンミヤ焼酎は、甲類の割にはレトロなラベルがいい感じで、少なくとも並べた感じの見た目の雰囲気はホッピーにとてもよく合う。

ネットでちらっと検索してみたところ、全国各地のみなさんは、このキンミヤ焼酎を入手するのにわりと苦労されているようだ。
ここいらでは逆で、キンミヤ焼酎はたいていどこのスーパーにでも売っている。
むしろ、ホッピーの方に苦労する。

ぼくは黒ホッピーが好きなのだけれども、それがなかなか売っていない。
世間には、55ホッピーなるものもあるそうだけれども、そんなのは飲んだことすらない。
あと、東京の居酒屋なんかで出てくる業務用のホッピーなんかも関東圏では普通に売っていて、しかも割安だという。
うちの近辺で売っているのは、黄色いラベルのホッピー330というやつばっかりで、しかもそれが1本120円とか130円とかする。
首都圏では100円以下が当たり前らしい。
低価格であるというのは、ホッピーにとってとても大事な要素であって、それが1本130円もしたら、買う気がなくなる。

ホッピーは、焼酎もグラスも冷やしておいて、氷を入れずに割ってかき混ぜずに飲む、というのが正しい飲み方らしい。
それも今年まで知らなかった。
やってみると、なるほどこれも一理あるっていう感じ。
確かに、ビールの代用品として飲むならこれが正しいのかもしれないけれども、もっと違う飲み方があるような気もする。

いずれにせよ、ここ数日急に涼しくなって、もう今年はホッピーは出番はなくなったと思う。
余ったキンミヤ焼酎をどうやって飲もうか思案中。

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2009年8月21日 (金)

子供手当

子供が3人いる。
今年小5、小1と1歳。

民主党が政権を取ると、初年度である来年度は、子ども手当が月々26,000円×3人÷2=39,000円。1年で468,000円。
本格実施になる2011年度からは、月々78,000円で、年間936,000円(!)。
小5の長男が中3になる13年度まで3年間これが続く。
この時期はウハウハですな。

14年度からは2人分になって、月々52,000円、年間624,000円で、これが17年度まで4年間もらえる。また、長男の高校の学費も無料だ。
ここもまだまだウハウハ、かな。

その後18年度から23年度までの6年間は、月々26,000円、年間312,000円。
この間、真ん中の娘の高校の授業料は無料だけども、長男が大学に進学しているとしても、そちらは手当がない。
すると、ここは微妙。
長男が国公立大学に進学するというのはなんとなく想像しにくいので、都会の私立大を想定すると、むしろかなりきついに違いない。
特に、続いて真ん中の娘も大学に進学する21年度は相当きついと思われる。

うーむ。

そもそもこれから当面の5~6年、ちょっともらいすぎじゃない?(笑)
いや、完全1馬力で、乳幼児も抱えるために嫁がパートにも出られない我が家にとっては、これでやっと月々の工面に心を痛める生活が和らぎそうだけれども。
だから、我が家のことだけ考える分には、ありがたいんだけども。
でも、これ、現行の児童手当と同様、3期に分けて、4ヶ月分まとめて支給されるのよね。
30万とか一気にもらったら、間違った使い方するだろうな、おれは、絶対。

で、所得制限、ないんだよな。
年収2000万クラスのエリートサラリーマンでも、子供3人いたら、さらに100万上乗せでしょ。
大和総研の試算では1000万クラスの高所得層の手取りが大きく増えるっていうニュースがあったけど、確かに冷静に計算してみると、これでいいのかなあ、と。

おそらく、財源確保のために、我々公僕の給与は相当カットされると覚悟もせねばなるまい。
それに、扶養控除や配偶者控除の廃止も、多少は影響するはず。
すると、当面はまあよくても、子供たちが次々に大学に進学して、いちばん金の必要なときにいちばん困窮しそうだなあ。

ま、その頃まで民主党政権が続いているというのも想像しにくいけど。

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2009年8月20日 (木)

ST上昇

若い頃から心臓に自信がない。
そもそも心肺機能が弱くて、小学校の頃から長距離走が苦手だった。
中学校ではバスケをやってそれなりに訓練になっていたはずだけれども、高校でスポーツをしなかったのもよくなかったかもしれない。
若い頃の鍛錬は重要だと、いまになって思う。

20代初め頃には、既に徹夜がきつかった。
睡眠時間が短いと、翌日、胸がどきどきして仕方がない。
無理するとどうにかなってしまうんではないかという気がする。

コーヒーを飲むと、やはりどきどきしてくることが多い。
飲みながらタバコ吸ったりすると、急に身体が冷えるのが実感できる。

キューピーコーワゴールドとかアリナミンAとかの栄養剤みたいなのもあまり合わない。
やっぱり心臓がどきどきしてくる。
学生の頃は、そういう錠剤を通常の倍の量服用して徹夜する、というようなことをときどきやったけれども、確実にどきどきした。

職場での定期健康診断では、1年目から心電図でひっかかった。
最初のうちは、「不完全右脚ブロック」というのがよく出て、「要経過観察」と書かれた。
説明を求めると、別に何の異常もなくてもよく出る所見なので気にすることはないだろうとのことだったので、さほど気にしてなかった。
だいたい毎年この「不完全右脚ブロック」が出るのだけれども、「異常なし」の年もあった。

30代に入ってからだと思うのだけれども、今度は「右軸偏位」という所見で「要指導」と書かれるようになった。
が、これもよくある所見とのことだし、異常なしの年もあるので、特に気に留めていない。

ところが今年は、初めて「ST上昇」という所見が出て、しかも判定は「要精密検査」を通り越していきなり「要医療」と来た。
もともと心臓には自信がないところへ、「要医療」というのはショックが大きい。
この判定を見ただけで心臓がどうにかなりそうな気がする。

毎年気にしていたのは、心電図ではなくて尿酸値だ。
例年、7.2~7.6くらいの間をうろうろしていて、ここ数年はずっと「要指導」になっていた。
それが今年は、日々の自転車通勤が奏功したか、ついに基準値内の6.8を達成した。
去年引っかかっていたLDLコレステロールも基準値内に戻っている。
飲酒量は以前よりもむしろ増えているし、タバコもやめていないけれども、肝機能も脂質も完全に基準値におさまっている。
心電図の「要医療」には、これらの好結果を台無しにして余りあるインパクトがある。

そもそも「ST上昇」とは何か。
すぐにネットで調べてみたが、どれも専門的すぎていまいちよくわからない。
心筋梗塞とか狭心症とか、恐ろしいことばかりが書いてある。
そう言われれば、ここ半年か1年くらいの間に、夜中、動悸で目が覚めたことが2~3回あった。
不意に目が覚めると、なんだか無性に心臓がどきどきしている。
すぐにおさまるのだけれども、いやーな感じだった。
不整脈みたいなのも、ときどきある。
激しい運動をしているわけでもないのに、ドックンと強い脈が1発来て、その前後に一瞬脈が飛ぶ。
それだけのことなので、特に気にしていなかったのだけれども、STが上昇しているとなると、今更ながら気持ちが悪い。
うーん、何だよ、STって。
下降してるのも嫌だけど、上昇もしてもらいたくない。

だいたい、うちの親父の家系は心臓が弱い。
ばあちゃんは、ある朝、突然発作を起こして、布団で突っ伏して死んでいた。
親父がちょっと歩いただけですぐにしんどいと言って休むのも、心臓が弱いからだろう。
おれのSTが上昇するのは、その血を受け継いでいるからに違いない。

そういうわけなので、早速今日は午前中休みを取って(精密検査は特別休暇が取れる)病院へ。
心電図をまたとりなおしてからエコー検査を受け、診察に進む。
心電図のとき、看護師が「うーん、確かにそんな感じかも……」と、やはりSTが上昇しているらしき発言をもらす。
ということは、やっぱりたまたま健診のときの測定が変だったというわけでもないらしい。
どきどきしながら診察室へ入る。
心臓に悪い。

が、結果的に医者はえらく軽いノリであった。
「ま、大丈夫でしょ。心電図の結果の異常と心臓の異常は別だからねー。はははー」てなもんであった。
要するに、原因はわからないけれども、特に異常がなくても「ST上昇」と判定される人は間々いる、ということらしい。

たぶん大丈夫だろうけど動悸もちょっとあるみたいだから、一応ホルター心電図検査もやりましょうとのことで、24時間心電図を記録し続ける機器を身体に貼り付けられた。
いま、電極4個と万歩計くらいのサイズの心電計をぶら下げてます。
これ、そう言えばうちの親父も何度かやらされてたわ。

とりあえずはひと安心だけれども、24時間風呂に入れないのはつらい。
電極と心電計は付け心地が悪く、仕事に身が入らない。
それに、今日の診察だけで、8千円以上かかった。
このホルター検査にもさらにまたかかるはずだ。

これ、来年もSTが上昇してたら、また同じように再検査させられるんだろうか。
今度はそっちの方が気になってきた。

健康診断は結果的にあまり心臓によくないのではないかと思う。

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2009年4月21日 (火)

週末のDIY

先週末、キッチン壁面に簡単なDIY。

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製作時間3時間。
端材も使ったので、材料費は1000円くらいでした。

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2009年4月15日 (水)

食あたり

日曜早朝。
早朝ソフトボールの新シーズン開幕。2番ファーストで先発出場。最終回はリリーフとして登板し、1失点。
バッティングは4打数1安打だったが、安打にならなかった打席も当たりは悪くなく、好感触だ。
開幕戦としてはまずまずの出来か。

午後。
今度は子供のソフトボールチームの当番で小学校のグラウンドへ。
今年は世話役ではないので、基本的には立って見てて誰かがケガでもすればバンドエイド貼ってやればいいだけなのだけれども、監督さんたちが一所懸命に教えてくれてる横でぼーっと突っ立っているわけにもいかない。
結局はずっとノックの補助をしたりキャッチボールの欠員を埋めたり等、半日グラウンドを走り回ることになる。

夕方。
1日走り回っていい汗をかいた。
家族を連れて回転寿司へ。
初夏のように暑かったこともあって、ビールが実に美味い。
1リットルほどゴクゴクと飲む。

深夜1時半。
ぐっすり寝込んだところ、真ん中の娘(6)が布団にゲロ吐いたと愚妻が起こしにくる。
結局娘は朝までに都合8回のゲロ。

ゲロの始末をしながら、愚妻も吐き気がする、悪寒がひどいと不調を訴えている。
2日前に娘と行った病院で胃腸風邪をもらってきたに違いない、と言う。

翌朝。
いつもの時間どおりに息子(10)が起きてきたが、動きが鈍い。
気持ち悪いと言ってぐったりしている。
熱はないようなので、娘の不調に便乗した仮病ではないかと最初は疑ったが、どうやら本当に吐きそうらしい。
仕方なく娘といっしょに学校を休ませる。
結局息子は昼頃に1発、大量のゲロを吐いたとのこと。
愚妻も38℃の熱で全く動けず。

昼。
自分は何ともないと思っていたら、だんだん胸がムカムカしてきた。
午後になると強力な下痢が始まり、どうやら熱も出てきた感じ。
しかし仕事が忙しく、帰るに帰れない。
この時点でようやく、これは食中毒に違いないと確信する。

夜。
帰宅して熱をはかると38.0℃。
昨日のソフトボールで筋肉痛まで出てきて、だるいやら痛いやら苦しいやらで、もはや何もできない。
ポカリスエットだけ飲んで寝るしかない。
娘は1日でほぼ回復していてもう元気。
息子はまだぐったりして寝ている。
愚妻は完全にダウン。
下の娘(0)は寿司食ってないからまるで元気だけれども、誰も世話できないから放置されている。
地獄絵図のようになってきた。

だんだん腹が立ってきたので、○○○寿司に電話。
自分の感触としては、95%寿司が原因だと思っているけれども、もちろん決めつけるわけにはいかない。
マイルドにこちらの状況をお伝えする。
わかってはいたけれども、当然ながら電話してどうなるわけもない。
食中毒を認定させるには実に面倒なステップを踏まなければならないことは、事前にネットをちらほら見ただけでわかった。
こっちはフラフラで、そんなことしてる余裕などとてもないのだ。

世の中にはきっとたくさんの食中毒が発生していて、明るみに出るものなど、ほんの氷山の一角なのであろうということを思い知る。

2日目。
娘は完全に回復して普通に登校。
息子もほぼ回復しているようだけれども、全然食えずに寝てばかりいたこともあってか、頭がクラクラして動けないと言うので、もう1日休み。
愚妻と自分は、熱はひいたものの、体の異様なだるさがつづく。
もちろん下痢もおさまらない。
もともと自分は下痢症だけれども、愚妻は鉄の胃腸を持つ女であって、下痢など数年に1度くらいしかしない。
その鉄の胃腸をも下してしまうのだから、やはりこれは異常な事態であるとわかる。

3日目の今日になって、やっと体のだるさがなくなり、仕事も普通にできるようになってきた。
が、まだ腹の調子はすっきりしない。

おかげで3日もアルコールを抜くことができました。
食中毒、恐るべし。
それと、やっぱり子供は早いな、回復。
ぴゅーぴゅーぴゅーぴゅーと、噴水のように、いや、水芸のようにゲロ吐くけど。

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2009年3月 2日 (月)

日曜大工途中経過

年明けすぐからとりかかっている、リビング壁面への収納棚の造り付け。
どうにかこうにかやっと大枠ができあがりました。

3人目が生まれてもういよいよ家の中がえらいことになってきて、効率的な収納を考えざるを得なくなり、考え出したこのプラン。
リビングの西側の壁面全体を、床から天井まで全部収納にしてしまおうという大がかりなアイデアですけれども、一度に全部やるのは作業的に無理なので、3分の1ずつに分けて徐々に取り組んでいます。
まずは北西の角から作業開始。
幅は約120cm、高さは220cmほどのものになります。
before はこの状態(↓)

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しかし、このプランをやたらと困難にしているのが、この壁面の、腰くらいの高さにある段差。
拡大写真でご覧下さい。

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この出っ張りのせいで、板材を複雑な形状にカットせねば、壁面ぴったりには仕上がりません。

で、まる2ヶ月がかりでやっと組み上げた状態がこちら。


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どえらい苦労しました。
部材のカットは、誤差1mm以内に精度を心がけました。
それくらいでないと、まとまりません。

そもそも、精密に測定してみると、うちのマンション自体が歪んでいて、床も真っ直ぐじゃないし、部屋のコーナーも直角じゃない。
天井は梁が出ているので、その梁までの高さに合わせて作っておりますが、位置によって高さがかなり違います。
5mmくらいは平気で違う。
腰高の段差も、微妙に水平ではありませんでした。
それらに合わせて作らないといけないわけです。

しかし、苦労の甲斐あって、見よ、この精度!

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板のカットは基本的にはホームセンターでやってもらいますが、四角に切ってくれるだけで、こんな複雑な形には切ってもらえません。
仕方なしに、今回は、自らの手で切りましたよ。

ちなみに、この複雑なカットがあるため、一度は諦めかけたこのプランを、いや、やってみようと踏ん切らせてくれたのは、「ソーガイド」なる製品。
これがあっても、25mm厚の板を正確にカットするのはかなり難しかったですが、ちゃんと直角に切れました。

また、更に厄介だったのは、向かって右側のコーナーのところの段差の処理。
段差も角に沿って続いているので、このような作りになっております。

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ともあれ、大枠はこれで完成。
つや消しニスも塗装済み。
塗装はなしの方が見た目はいいんだけども、やっぱり実用上問題が多いと判断して、面倒だけど塗りました。
2~3回は塗らないといけないので、本当に大変。
でも、塗らないと、反りも出るだろうし、すぐキズもつくし、食器類も入れるので、耐水性も必要だし。

もう一度、正面から見たところ。

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あとはこれに扉をつけます。
向かって左の下半分は、引き出しにします。
それぞれの棚の内側には、棚受けダボが仕込んであるので、可動棚を入れます。

ここまでで、材料費はおそらく5万は下らないと思う。
板はパインの集成材。
ニスや、引き出しのスライドレールや、棚受けダボや、扉の蝶番等、木材以外の小物が結構高くつく。

でも、プロに頼んだら、おそらく10万でもやってもらえないはず。
て言うか、こんな段差のある壁面だから、そもそも引き受けてもらえないかもしれない。

無事完成しますように。

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2009年2月18日 (水)

落花生

昔から落花生には目がなくて、あれば際限なく食べてしまう。
独り暮らしのときなんかでも、よくスーパーで買ってきては酒のツマミにしていたのだけれども、食べ始めると止まらないので、あっと言う間に巨大な殻の山ができた。
ビールにも、日本酒にも、焼酎にも、何にでも合う。

普段食べていたのは、もちろん中国産だ。
国産は高い。
よく千葉産のも売ってるけど、ちょっとしか入っていないのに、中国産の倍以上の値段がついている。
1粒に換算すれば、5倍も10倍もするんじゃないだろうかと思う。

しかし、やっぱり国産は美味い。
同じ食べ物だとは思えないくらい、味が濃厚で深い。
国産を食べてしまうと、もう中国産なんか食べる気になれない。
どうにかならないものか。

と、常々思っていたら、田舎の伯父母が、数年前から落花生を栽培し始めた。

収穫は秋のはずだけれども、落花生はまず土を落として洗って干して、と、収穫してからがやたらと面倒くさいらしく、そうやって世話しているうちに忘れてしまうのか、毎年今頃の季節になってやっとお裾分けが手に入る。

この、伯父母産の落花生というのが、もうめちゃくちゃに美味い。
こんな美味いものがあるかというくらいに美味い。

見栄えはあまりよくない。
1つ1つが小粒で、売り物にはなりそうにない。
しかし、小粒ながらも、中身はぎっしり詰まっている。
それをナマでもらって、家で煎って、煎りたてを食う。
この煎りたてというのが、最大のポイントだと思われる。
千葉産の高級種でも、スーパーでは煎りたては買えない。
やや煎りすぎて、焦げかかったやつがいちばん美味い。

煎りたてと言っても、フライパンやなんかで煎るのは難しいので、もっぱら電子レンジで温めるだけだ。
それがいちばん確実に塩梅よく調理できる。
ちゃんと火で煎る技術があれば、そっちの方がさらに美味いのかもしれない。

平素は、どんな美味いものでも、子供が欲しがればすぐに譲ってやるのだけれども、この伯父母の落花生だけは、子供たちにも譲らない。
子供は殻を割るのが遅いので、もたもたしている間にどんどん食う。
1粒も分けてやらない。
ちょっと焦げ目のついてそうなやつを選んで優先的に食う。
ビールを飲むのさえ忘れそうになる。

おそらくカロリーがものすごいのではないかとも思うのだけれども、それは考えないようにしている。

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2009年1月 3日 (土)

あけましておめでとうございます

新年あけましておめでとうございます。

大晦日は、前日からうちに泊まっていた「3」がいて、うちの家族といっしょに買い物に出かけて、また夕方いっしょに戻ってきて、夜はみんなで紅白とダウンタウンのガキ使の両方をチラチラ見ながら、北海道から送ってもらったジンギスカンを食す。
「3」は夜中に怪しい待ち合わせがあるとのことで、9時半頃に帰って行った。
その後は年越し蕎麦。今回はざるにした。

0時になって年が明けたら近くの神社にお参りに行こうと言っていたので、子供たちも張り切っていたけれども、真ん中の娘は11時半頃に力尽きて床に寝転がったまま眠ってしまった。
ので、息子と2人で初詣。
こういう夜中の初詣は、今の土地に住むようになってからは初めてだったのだけれども、神社の混雑ぶりに驚いた。
ずいぶん並んでお参りをして、御神酒をご馳走になって帰る。

3時間ほど寝て、また6時半に起きて、息子と今度は海へ初日の出を見に行く。
海までは車で5分。
海岸はやはりえらい混雑で、駐車に少し手間取った。
初日の出ももう何年も見ていないけれども、初めて行ったのは約30年前、たぶん小学校2年生か3年生のときで、その頃は今よりももっと海の近くに住んでいたので、友達と2人で自転車で見に行った。
当時は初日の出なんちゅうのは大したイベントとは見なされていなかったのか、砂浜にもほんとにまばらにしか人はいなかった。
ごく近所のおじさんやおばさんが、散歩がてらに眺めている程度だった。
それからはほぼ毎年、天気がよければ必ず見に行っていたのだけれども、年を追うごとに人が増えてきて、今年実に久しぶりに行ってみたら、今では最早祭りのようなにぎわいになっている。
水平線に沿って幅の薄い雲がずーっとかかっていたので、予定時間より15分くらい遅れたけれども、雲の上から、まあなんとか日の出らしい日の出が見られたのでよかった。
息子も満足した様子だ。

帰ってまた少し寝て、昼前に、今度は家族5人で、また同じ神社に初詣。(て言うか、自分と息子は既に2回目だけど)
恒例のおみくじをひいたら、半吉。
あまりいいことが書いてないので、神社の木の枝に結びつけてきた。
今年は、後厄だ。
去年の本厄は、きちんと厄払いをしてもらったおかげか、大過なく過ごして、むしろとてもいい年だった。
今年も油断してはいけないと思う。
夜中のお参りのときに行列に並んでいたら、前にいた人が、糖尿病で42才の誕生日に入院して数日間生死の境をさまよった、去年はさんざんな年だった、というような話を隣の人にしていた。
そう、本厄は終わったけれども、満年齢の42才というのも、やっぱりなんとなくイヤな感じがする。
今年も早めにお祓いをしてもらおうと思う。

その後は親戚を回って、ひたすら酒宴の連続。
元旦の昼と夜、今日も場所を変えて昼と夜、ひたすら飲み続けた。
まだ明日3日と、おそらく明後日も続くだろう。
今年はおかげさまで6日まで休みを取ったので、気分もついついゆるむ。

本年もよろしくお願いします。

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2008年12月28日 (日)

混合栓の交換

年末の生活環境整備第3弾。

愚妻が、風呂場のシャワーホースを交換しろと言う。
確かに黒いカビがかなり付着していて、どうこすっても落ちない。

よく見ると、シャワーホースだけではなく、カランにも亀裂が入っている。
そもそも拙宅の風呂の混合栓は、お湯と水を別々にひねる、ちょっと懐かしいタイプのものだ。
それならばいっそ、混合栓自体を交換しようと思い立った。

それで本日早速、ホームセンターで適当なものを購入。
工事をホームセンターに頼むと1万円以上取られるのだけれども、調べてみると、交換は意外と簡単であって、誰でも出来そうだ。

実際、簡単でした。
古いのを取り外すのにちょっと力がいったけれども、それ以外は何も難しい作業はない。
1時間もかからない。
これで1万円取れるのなら、半額でいいから、ぼく出張しますよ。

混合栓は、3万とか5万とか出せば、かなり立派な感じのがあったのだけれども、栓だけ立派でもしょうがないし、そんなところに金をかける余裕もないので、安いものにした。
なので、あんまり劇的に変わった感じはないけれども、使い勝手もよくなって、新年に向け、風呂場もちょっとすっきりしましたです。

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メモリの増設

年末の生活環境整備第2弾。

拙宅の常用PCは、7年前に買った DELL のデスクトップであって、もはやとても快適とは言い難い。
この7年間には、ハードディスクくのクラッシュが1回、OSの不具合による再インストールを2回経験した。
2年くらい前からは、ブーンという異音を発するようになったが、いつの間にか自然におさまった。

何と言っても最大の弱点は、メモリがいまどき256MBしかないことだ。
OSは XPの home edition なんだけれども、このOSをドライブするにはギリギリ最低限のメモリサイズではないだろうか。

近頃はメモリもそんな大層な値段がするわけでもなし、さっさと増設してしまえばいいのだけれども、以前、ノンブランドのメモリを差し込んでみたところうまくいかず、あわや3回目のOS崩壊寸前のところまでいったという苦い経験があり、それがトラウマになって、ずっと臆病になっていた。

が、さすがにもう辛抱たまらんということで、この機会に再挑戦。
もはや型が古いので、メモリの選択肢もあまりないのだけれども、トランセンドの256MBをネットで2千数百円で購入。
どきどきしながらスロットに差し込んでみたところ……あっさり認識。
これで無事、256+256=512MB に!
それでも512かよ、っていう話だけれども、うちのマシンはこれでめいっぱいなんです。
いやいや、Photoshop だってこれまで 256 で動かしてきたんだから、512 は贅沢なほどにありがたい。
安心感ある(笑)。

新年に向け、非常にすっきりした気分になりました。
まだまだこのPCには頑張ってもらうぞ。
ちなみにモニターも、うちはまだブラウン管です。しかも Samsung 製。

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Google Chrome

年末の大掃除の一環として、周辺環境をあれこれ再点検中。
ついでに、普段から何かと不便に思っていることの多い自宅PCの環境も、少し整理することに。

まずは、ブラウザ。
ここ数年はずーっと Sleipnir を使っていて、その使い勝手と言うか、装備されている機能には非常に満足していたのだけれども、何せこのソフトは重い。
て言うか、少なくともうちの非力なPCには重すぎるらしく、しばしば不具合を起こす。

それで、噂の Google Chrome を試してみることに。
思い立ったらすぐダウンロード。

うーん、速い。
起動も速い。ページ開くのも速い。
これは快適かも。
というのが取りあえずの第一印象。

ただし、デメリットもある。
数日使ってみて気になってきたことは、何と言っても、マウスジェスチャーが使えないことだ。
タブ型でマウスジェスチャーが装備されていないというのは、結構致命的かもしれない。
これまで Sleipnir ではマウスジェスチャーでサクサク戻ったり進んだり再読込したり新しいタブを開いたりしていたので、その操作が体に染み付いている。(この4つの操作だけでいいんだけども)
いちいち矢印ボタンをクリックしにいったり、右クリックでプルダウンメニュー選んだりするのは何ともかったるい。

あとは、タブが最上段にあるのがちょっと趣味に合わない(カスタマイズ可?)のと、Sleipnir からブックマークを直接インポートできないことくらい、か。

逆に言えば、それ以外は、全く不満がない。
とにかく速いのがいい。

うーん、総合力ではやっぱり Google Chrome かなあ。
この速さは捨てがたい。
なんとかマウスジェスチャーだけ搭載してくれるといいのだけれども……。

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2008年12月25日 (木)

年末

1年のうちで、この年末の1週間くらいというのが、たぶんいちばん好きな時期だ。
特に今年は現場に復帰して、この時期だけはたっぷりと休めるので、久しぶりに年末らしい年末を過ごせる。

クリスマス……はもう独身の頃のような楽しみはないし、むしろ子供たちのあれやこれやにつき合うのが煩わしいくらいだけれども、それでもまあちょっとした非日常の空気になって、家でご馳走を作ったりするのは嬉しい。
6才の娘はサンタクロースに、「たのしみにしていましたよ」と、何故か少し上から目線で、なおかつ過去形の手紙を書いた。
上の息子はもう小4だけれども、サンタの存在を、まだ6:4くらいで信じている様子。しっかりしろ。いいかげん気付よ。
0才児へのプレゼントは紙おむつだ。

クリスマスが終わってから大晦日までが、特に楽しい。

少しずつ大掃除をする。
子供たちに手がかかるのでそれほど大がかりなことは出来ないけれども、1年に1回しか掃除しないようなところばかりをやる。
滅多に磨かないところを磨く。

銀行へ行ってお金を多めにおろしておくのも大事。
親戚の子供たちへのお年玉用に、新札を準備しておかなければならない。

年賀状を作る。
毎年忙しくてあまり時間をかけられないのだけれども、出来る限りデザインも頑張る。

田舎へ餅つきに行く。
毎年たいていは午前中で搗き上がって、午後は搗きたての餅を食いながらだらだらと過ごす。

お正月の飾り付けをする。
しめ縄を買ってきて玄関や車につけたり、鏡餅を飾ったり。

そうやって、諸々の準備を、ばたばたと、なんとか大晦日の夕方までには済ませて、平常よりも少し小綺麗になった家で、あとはのんびり紅白でも見て、蕎麦を食べて、お酒飲んで……っていう、この時間がいちばん好きなんだよなあ。
今年は息子が年越しの0時まで起きていられたら、近くの氏神さんまで初詣も行ってみようかな。

お正月も、特に何をするわけでもなく、親戚を回って、朝から晩までお酒飲んで、2日までくらいは幸せそのもの。
3日頃になると、少し仕事のことが頭をかすめ始めるけれども、7日に神社へしめ縄焼きに行って七草がゆを食べるまでは、まだまだお正月と位置づける。

日本の年越しはやっぱりいいなあ。

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2008年12月18日 (木)

県職員の喫煙

今日読んだネットのニュースによると、神奈川県の職員は、勤務中に2本しかタバコを吸ってはいけなくなったらしい。
午前中に1本、午後に1本だそうだ(笑)。

コーヒーは1日何杯まで飲んでいいんだろうか。
うんこは何回行けるんだろう。
おやつはいくら分まで持っていっていいんだろう。
バナナはおやつに含まれるのか。

大阪のあの知事も、庁内全面禁煙とか、勤務時間中は禁煙とか言ってるようだし、今ぱらぱらっと調べてみたら、長野県などは既に2年前から禁煙だったらしい(あの知事ですな)。

「県民の税金で働いているのに、喫煙者だけが勤務時間中に何度も休息するのはおかしい」
「非喫煙者はずっと座ってるのに不公平だ」
「頻繁な離席は県民の不信を招く」
「1日に何度もタバコで仕事を中断するのは非効率だ」……

なるほど。

でも、そういうこと言われると、今度は喫煙者側が、それこそ「コーヒーは何杯までいいんだ」とか、「ジュース買いに行くのはよくてタバコ吸いに行くのが何故悪いのか」とか、「じゃあ非喫煙者は勤務時間中ずっと脇目もふらず仕事してて、それ以外のことは一切していないんだな?」とか……

こういう人たちは、ほんとに真剣にこんなくだらないことを議論しようとしているのだろうか。
どう見てもこれは、「ガキのケンカ」だ。
大人ならこう言うだろう。
「くだらねえごとごちゃごちゃ言ってないで、もっと仕事のこと考えろ」
「どうでもいいだろ、そんなこと。タバコでもジュースでも、何でも好きにしとけ」

確かに役所というのは、けったいなところではある。
市役所に行くと、窓口の人なんかは目が回るくらいバタバタ忙しそうにしてんのに、奥の方ではお茶飲みながらべちゃべちゃしゃべってるだけのおばちゃん職員がいたりして、他人事ながら「手伝ってあげりゃいいのに」などと思ってしまうことがよくある。
しかし、あれはあれで恐らく役所特有の論理があるのであって、あのような様子になっているのは、それなりの、妙ちくりんな、しかしなんとなく筋道は通った、そしてなかなか簡単には変えることの出来ない、システム上の理由があるのだと思う。

役所のめんどくさいところは、やはり公僕として、市民、県民への説明責任を第一に考慮しなければならないところだ。
だから、とにかくスジを通しておかなければならない。
どうなってるんだ、と問いただされれば、それはこれこれこのようなことでして……とすぐに返答できないといけない。
だから、しばしば、効率や実効性よりも、そのような筋道が優先される。

そういう体質の組織に、「喫煙問題」を放り込んでみると、それは結局ガキのケンカになってしまうんである。
勤務時間内に離席して休息してるじゃないか……なんちゅう話になるわけである。
すると今度は、タバコ吸って仕事のこと考えてるのはダメだけど自席に座って5分ぼーっとしてるのはいいの? なんちゅうことも言い出すわけである。
言ってる本人たちは、もはや自分の言ってることの馬鹿馬鹿しさが見えなくなっているのだろう。

タバコ、吸いたきゃ吸えばいいじゃないの。
周囲に迷惑だったら、迷惑にならない場所で吸わせればいいじゃないの。
タバコばっかり吸って全然仕事しない奴は、叱ってやればいいじゃないの。
タバコ吸ってても人よりずっとよく働く人には、どんどん吸わせてあげればいいじゃないの。
それだけのことに、いちいち大仰なルール決めなきゃ対応できなくなっているんだとしたら、そっちの方こそ余程問題の根が深いと思う。

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2008年12月16日 (火)

電気ポットの表記について

電気ポットは、誤ってボタンに触れて急に熱湯がどぼどぼと出ては危険なので、通常は「ロック解除」的なものを押してから、実際にお湯を出すための操作をする仕組みになっているのと思うのだけれども、その、お湯を出すためのボタンには、ぼくの知るところ、2種類の表記パターンがある。
一方は「給湯」と表記されているパターンで、もう一方は「出湯」と表記されているものだ。

拙宅にあるのは、「給湯」のタイプで、これは特にどうということはない。
ただ、以前、電気屋に行ったときに、店員がこれを「きゅうゆ」と読んでいたのは気になった。
「給湯」を「きゅうゆ」と読んでしまってはいわゆる重箱読みであって、て言うか、「きゅうゆ」というのは、通常、「給油」のことだろう。
「きゅうゆ」と言われると、ポットからガソリンが出てきそうな気がする。

さて、問題は「出湯」だ。
今の職場に置いてあるポットがこのパターンである。

「出湯」は、いったい何て読むんだろう?
漢字の力は偉大であって、この表記を見れば誰でも、「ああ、これを押せば湯が出るのだな」とわかる。
だから、実用上は何も問題ない。
しかし、実際問題、「出湯」は何と読むのか。

音で読むなら、「しゅっとう」だろうか?
いや、「しゅっとう」からは、やっぱり「出頭」しか連想できない。

結論的には、ぼくはこれをどうしても、「いでゆ」と読んでしまう。
「いでゆ」というのは通常は温泉のことを指すのだと思うけれども、どうにもそうとしか読めない。
それ以外に読み方を思いつかない。

そして、職場のポットの「出湯」ボタンを押すとき、心の中でいつも必ず、「出でよ、湯!」と念じずにはいられない。
このボタンの表記ゆえである。

どなたか、「出湯」の正しい読み方をご存じでしたらご教示願います。

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2008年12月15日 (月)

暴飲、二日酔い

昨夜は、地元の早朝ソフトボールチームの今季の納会に出席。
今シーズン、うちのチームは最下位であったけれども、個人成績表などももらい、ビールと焼酎をがぶがぶ飲みながら、来シーズンへ向けての計画などを語らう。
メンバーは50代、60代も多く、自分はまだまだ若手だ。
会場は、地元老舗の鰻屋さん。
店の若大将もチームのメンバーなので毎年ここでお世話になるのが恒例とのこと。
近頃はこのあたりの鰻屋ではメニューからすっかり消えてしまったキモ焼きを特別にたんまりと出してもらって興奮。
ビールのつまみにこれほど好適なものはない。

2次会は、やはりこちらも大将がメンバーであるところの焼き肉屋へ。
ここも地元では誰もが知る名店だ。
もはや肉を焼く余力は誰にも残っていないので、火は使わないのだけれども、カクテキ類に加えて、これまた特別隠れメニューのタン刺しを出してもらい、狂喜。
初めて食いました、タン刺しって。
焼酎が進む進む。

それで終わりのはずが、さらに鰻屋の若ダンさんに誘われて、楽器屋の主人といっしょにご自宅へ。
このあたりでは「鰻御殿」と呼ばれる豪邸である。
毎日前を通ってはいるが、中に入るのは初めて。
いつもは店のカウンターにでんと座っている女将さんに迎えられ、AVルームと思しき部屋へと案内される。
壁にはスクリーンが仕込んである。
高級オーディオがずらりと並んでいる。
高そうな酒もどっさり並べてある。
クラクラしながら、濁り酒をいただく。

気付いたら日付が変わっていた。
家に帰るとそのままバタンと寝て、今朝は6時半起床。
二日酔い、と言うよりも、まだ普通に酔っぱらっている感じだ。
今日が仕事とわかっていながら、何故こうまで飲んでしまうのか。

たいていの二日酔いは、昼ご飯を食べる頃にはなおるのだけれども、今日のはきつかった。
夕方になってもまだムカムカして、体がだるい。
結局、夜になって帰宅後もムカムカがおさまらず、晩酌を差し控えることに。

高熱が出ているわけでもなく(微熱なら飲む)、ひどい下痢をしているわけでもないのに(軽い下痢なら飲む)、酒を抜くのは、いったい何年ぶりだろうか。
飲酒しないと、夜が長い。
このようにして久しぶりにブログを更新しているのも、そのおかげだ。
まだちょっとムカムカは続いているけれども。

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2008年12月 5日 (金)

DIY下駄箱

完成しました。DIY下駄箱。
081204_003

写真に見えております中段の白い引き出しより下の部分が、もとからあった造り付け。
中段引き出しより上を、DIYで増設しました。

もとからあった部分は表面のシートがはげてきていたので、全部ひっぺがして貼り直し。
もとはウォルナット系の木目だったんだけれども、増設部分とあわせて全部黒にしました。

天井は、梁が出ているので、その形に合わせてカット。
最上段の白い横長の扉は、傘が入るようになっております。

扉と引き出しの作成は今回が初挑戦。
特に引き出しは精度が求められるので緊張したけれども、上手くいきました。
中はこんな感じに(↓)。
081204_006

安くあげるため、また、mm単位の精度が求められるため、増設部分の素材はラワンの合板。
それでもなんだかんだで材料費に3万以上はかかったと思います。
表面には粘着シートを貼っているのだけれども、それだけで1万円以上になりました。

粘着シートを貼るのが難しい。
写真ではわからないけれども、実物はじっくり見るとアラがあります。
それと、最上段の白の扉と中段の引き出しのツマミが、いいのが見つからなくて、妥協したらやっぱり不本意な仕上がりに。
黒にこだわったのが失敗だった。

ちょっと自信がついたので、次はリビングに更なる対策を画策中。
家族にも喜ばれているから、ののちゃんのお父さんよりはマシなはず。

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2008年12月 3日 (水)

生キャラメル

北海道土産に、例の田中義剛の生キャラメルをもらう。
いまだに簡単には買えないらしく、どえらい行列だったけれども、偶然入荷したばかりの店の前を通りかかり、入手したとのこと。
ちっちゃくて高い。

早速、子供たちと試食。
うーん、確かに美味しいけど……。
おれは森永のミルクキャラメルでいいや。
て言うか、普通のコーヒーキャラメルがあったら、そっちを選ぶな。

いっしょにもらった、ロイズのポテトチップスチョコレート。
おれはこっちの方が大好きなんだ。

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2008年12月 1日 (月)

遅読

本を読むのが遅いので常々困っている。
読みたい本はどんどん溜まっているのに、そもそも読む時間がなかなか取れない上に、読んでもやたらと遅い。

昨日は出先で奇跡的に1時間半ほどまとめて読書に集中できる時間がとれた。
そういうときのために、たいて文庫本を持ち歩いていて、昨日は養老孟司の『からだの見方』を持っていたので、それを読んだ。
1時間半、みっちり集中して読めたつもりだったのだけれども、あとで数えてみたら、50ページしか進んでいない。
この本は、250ページ以上あるので、このペースでは読了するのに7時間半以上かかる計算になる。
養老孟司は文章もたいへん達者だけれども、この時期の著作は、文系の人間にとってはなかなか難しい箇所もあり、確かに同じところを読み返すことも多かったが、それにしても遅すぎる。

世間の人々は、新書なんかだと、それこそ1時間半とか2時間とかで読んでしまうらしいけれども、自分の場合は、新書1冊を2時間で読めた経験など、ほとんどないに等しい。

その分、よく内容を覚えてるのでは? とか、理解が深いのでは? などといったこともよく言われるけれども、決してそんなこともない。
むしろ、読んだ本の内容の記憶については、絶対に読むのが速い人の方が優れていると思う。
だらだら読んでいると、面白い本でも、最後の方は惰性で読む感じになってくる。
引き込まれているうちにさっと読み切った方が、印象は鮮烈に残ると思う。

マンガを読むスピードも人と比べるとずいぶん遅いらしく、一般の読み方といったい何が違っているのか、ほんとうに困る。

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2008年11月20日 (木)

防寒対策?

自転車で通勤しているので、急に寒くなって、職場の人々等に、「まだ自転車? 寒いでしょー」などという声をよくかけてもらうのだけれども、そうした中で、「防寒対策はどうしてるの?」という言い方を何人かにされて、それがひっかかった。

「対策」というのは、辞書を引いてみると、

相手の出方、事件の様子などに応じて立てる処理の手段。

とある。
だから、犯罪対策、とか、アスベスト対策、とかいうのなら、「犯罪」や「アスベスト」に対して策を講じるということであろうから、もちろん理解できる。
しかし、「防寒」に対策してしまってはいけないのではないか。
それではアンチ防寒の意になってしまわないのか?

誰かがおれの寒さを防ごうと密かに狙っている。
うかうかしているとニット帽をかぶされ、分厚い手袋をはめられ、あったかいコートまで着せられてしまうかもしれない。
そのような謀略から、お前はいかにして身を守っているのか?
……というようなことを訊きたいわけではあるまい。

しかし、そうやって考えてみると、他にも「防犯対策」とか「省エネ対策」とか、同様の用例は日常的に頻繁に見かけるように思う。
防犯対策や省エネ対策は、防寒対策に比べるとやや抵抗感は薄い気がするのだけれども、それは恐らく単にもう聞き慣れてしまっているというだけの理由であって、やっぱりこれらの言葉も、じっくり吟味してみると誤用のように感じられる。
それともおれの理解が間違っているのか。

「防寒のための対策」とか、いや、せめて「防寒対策」と、「」だけでも入れてくれれば、「防寒」と「対策」は同格であるように感じられて、安心できるのだけれど。

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2008年11月11日 (火)

とりあえず

えー、気がつけばもう1ヶ月も更新してないので、とりあえず何か書きます。

ここのところ、またDIY熱が再発して、目下、下駄箱の増設に取り組んでおります。
とは言うものの、子育てに追われる上に週末も何かと忙しく、まとまった時間がほとんど取れないので、日々、夜中に少しずつこつこつやってる状態で、なかなかブログのケアにまで気が回りません。

でも、モノ作ってるときは幸せ。
今回は初めて扉や引き出しにも挑戦してて、わりと簡単だということがわかってきたので、これが出来たら次はあれもこれもと構想はふくらむばかり。
できれば、壁をぶち抜いたり床を張り替えたりとかの簡易リフォームもDIYでやってやろうかなどという大胆なアイデアも検討中。

いや、時間ないよな、絶対。
おれ、今すぐ定年退職しても絶対退屈しない自信あるのにな。

子育てで必要に迫られて料理もやってたら、そっちも面白くなってきて、時間さえあればいろいろ作ってみたいんだけどな。
あと、レザークラフトとかもやってみたいんだよなあ。

ブログのネタも溜まり放題に溜まってますので、ぼちぼち書きます。

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2008年10月10日 (金)

金融不安

金融不安の広がりは予想以上で、ネットでは、預金封鎖の噂まで出ているようだ。
そこまでいってしまったらもはや足掻きようもないけれども、個人でも、とりあえず株や為替でえらい目にあってる人は多いことだろうと思う。
ここ1~2週間の急激な株安と円高の進行は、近年見たこともない異様な状況だ。
預金封鎖で取り付け騒ぎが起こるなんちゅう噂も、一笑に付すわけにはいかないような気になってくる。

自分の場合は、これまで余剰資金の大半を為替につっこんできていて、ある程度は今の状況を察知して売り逃げた分もあるけれども、やっぱりえらい目に遭った。
持っていたポジションはとっくにロスカットされて、今はノーポジションなので、この先どこまで行くのか興味深く見てるだけだけど、なんだか落ち着かないのは、まだまだそれなりの額の株式投信を抱えているからだ。

まあ、預金も封鎖になって、株も為替も先物も全ての金融取引が停止されて、国民全員がすっからかんになる、なんちゅうのも、ひとつの破滅願望としてあるような気もするけど。
株や為替で儲けた金には有り難みがないし、そもそも失って困るような金をそういうところに突っ込んじゃいかんですわね、やっぱり。

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2008年9月12日 (金)

生まれました

ご無沙汰しております。
8月19日に、3人目の子供が生まれました。
それでずっとバタバタしておりました。
まだバタバタしてます。
017

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2008年8月11日 (月)

ホッピーの夏

この酷暑、さすがに夏バテしてきた。
食欲は落ちないけど。

これだけ暑いと、もはやビールですらなまぬるく、何か氷の浮かんだものが飲みたい。
例年はよくダークラムをソーダで割って飲んだりしていたのだけれども、ラム酒はどうも高い。
がぶがぶ飲むので、不経済だ。
焼酎をソーダで割ってもいいのだけれども、これはあまりおいしくないし、何より清涼感に欠ける。

そこで、今年はホッピーでいくことにした。
そんなにおいしいわけでもないけど。
色合いも、ダークラムっぽいし。
夏って感じするし。
わざわざビンにも「甲類焼酎で」って書いてあるくらいだから、安物の焼酎でいいみたいだし。

寝る前は、梅酒をソーダで割ります。

こんなことばっかりしてるから、胃腸が弱って夏バテするんだろうな。

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海辺の花火

今日は地元の花火大会で、子供2人を連れて自転車で会場の海へ。
例年は開始時間ギリギリにしか行かないので、なかなか浜までは辿り着かずに、少し離れた場所から見ることが多いのだけれども、今年はちょっと意識して早めに出て、砂浜まで出た。

堤防の手前までは、正に立錐の余地なき人混みなのだけれども、砂浜まで出てしまえば、意外とまばらな感じ。
こんなのなら毎年来ればよかった。
ビーチに寝転がって、のんびり見物。

規模としてはまあ中くらいの、それほど豪華なものでもないのだけれども、浜辺で見る花火大会は、5割増しの魅力。
実に気分がいい。
夜は必ず気持ちのいい海風が吹くので、あとでベタベタはするけど、とにかく涼しいし、ゆったり寝転がって見れる。

対岸の造船所の方からこちらに向かって打ち上げるので、花火が海の向こうからこっちに飛んでくるのもいい。
特に今日は海風が強かったので、火の粉が頭にふりかかってくるのではないかと思うくらいにすぐ近くまで来る感じ。
実際、燃えかすみたいなのがパラパラ落ちてきた。

走る船から落として水面で爆発させるのも、海ならでは。
熊野の花火なんかでもおなじみのやつ。
これも大好き。
だんだん近づいてくるのがいい。

娘は後半だれてきたけど、息子は最後までよく見てた。
みんなでビール飲みながらみたら、絶対楽しいです。
みなさん、来年どう?

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2008年8月 9日 (土)

先月の自転車通勤

……は、走行距離222.1km、走行時間11時間10分32秒、平均速度20.3km/h。
瞬間最高速度は200km/h という数値をたたき出したのだけれども、これはもちろん誤作動。
盗難防止に、自転車を離れるときはメーターも取り外して持ち歩いているのだけれども、カバンの中では家の鍵などと同じポケットに入れている。
どうも、他の金属類の影響で、持ち歩いている間に誤作動してしまうらしい。
もしくは、雨の日に誤作動が多いので、水にも弱いのかもしれない。
いずれにせよ、たかだが3千円くらいのメーターなので、少なくとも速度に関してはかなり精度が低いみたい。
ま、走行距離が合ってればいいやと割り切る。

今年の定期検診の結果では、体重が昨年比で2kgほど、腹囲も2cm減少した。
自転車通勤の効果か、それとも単に現場復帰して夏場は汗をたくさんかくようになったからなのか。

それにしても毎日暑い。
自転車に乗るのも、ほんとに暑い。
でも、スピード出して風を切るのはなかなか悪くない。
汗まみれになって、エアコンの効いた部屋に戻ってからビール飲むのはこの上ない幸せ。

ここのところ毎日比較的時間には余裕があるので、たまっている古新聞をまとめて読んでいるのだけれども、今日読んだのは、ちょうど1年前くらい、去年の8月の新聞が多かった。
8月17日付けの新聞には、その前日、多治見市と熊谷市で、史上最高気温を更新する40.9℃を記録した、とある。
今年もこんな調子でいけば、お盆頃には更新してしまうんじゃないかと思う。

それでも去年はずっと、夜はエアコンのない自分の部屋でなんとか寝ていた。
今年はもう無理で、毎日、子供たちと川の字になって寝ている。
弱くエアコンをかけたままで寝るのだけれども、それでも子供は暑がって盛んに動き回り、夜中に何度も横腹や頭に蹴りや頭突きで攻めてくるので、結局よく眠れないことに変わりはない。

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2008年8月 8日 (金)

浮島自然水族館

しばらく更新が滞っておりましたのは、暑いからです。
部屋にエアコンがないので、パソコンの前に座っていられません。
夏を満喫中です。

さて、先週末金曜は、休みを取って、子供2人を連れて「浮島自然水族館」というイベントに参加。うちのじいさんばあさんも同行。

鳥羽市の佐田浜港から定期船で答志島に渡り、桃取の定期船桟橋に集合する。
参加者は40~50人くらいか。
そこから渡船で5分ほどの無人島に順次渡してもらう。
渡船はただのボートにエンジン付けただけのようなほんとに小さいもので、8人くらいしか乗れないのだけれども、それだけに野趣あふれると言うか、離島ののんびり感が早くも堪能できて、非常に楽しい。
現地案内人も、答志島の島民らしく、たいへんおおらかで感じがよい。
答志島は、「寝屋子」の風習が残ることでよくとりあげられる鳥羽市の離島だ。

無人島に着くと、早速探索開始。
浮島自然水族館というのは、この無人島で期間限定で開催されるイベントで、大潮の干潮時に出現する磯場で海の生き物を捕まえて遊ぶっていう、まあそれだけと言えばそれだけなんだけれども、人数制限してるし、磯場には人の手が入っていないので、なかなかワイルドな喜びがある。
危機管理上、突っ込みどころ満載のような気もするけれども、それがこのイベントのよいところ。
ライフジャケット着せてるし、まあいいだろ的な島民のおおらかさが素晴らしい。

生き物には、正直それほど期待していなかったのだけれども、岩をひっくり返せば、蟹、ウニ、ヒトデ、ウミウシ等はうじゃうじゃいる。
その他、「ナベカ」という小魚もそこいら中に。
息子はイカの赤ちゃんを見つけ、捕獲にも成功。
あと、ウツボの小ちゃいの(?)も見つけた。

水着は着ていないのだけれども、息子、すぐに首まで浸かる。
ライフジャケットでぷかぷか浮かんで遊んでいる。
娘もすぐに腰まで入ってしまった。

サンダル不可と事前に聞いていたにもかかわらず、大丈夫だろとなめてかかったのが間違いで、終盤、左足の親指にウニのとげがぶすりと突き刺さる。
息子もスポーツサンダルで足の指の一部が露出していたために、血を流している。
娘だけは長靴を履かせていたので無事だった。やはりこれが正解のようだ。

最後は参加者みんなが捕まえた生き物を全部集めて観察会。
スタッフの島民がひとつひとつ子供向けに解説してくれる。
捕まえた生き物は、全部海にかえします。持ち帰りは禁止。

無人島での滞在時間は2時間くらいだったけれども、磯場はそんなに広くないので、十分だった。
でも、できれば弁当でも持ってきて、半日くらいのんびりしたい感じ。

やっぱり離島はいいなあ。
時間が実にゆったり流れている。
答志島自体にもあまり来たことがないので、また今度ゆっくり泊まりに来たいと思う。
この辺には有人の離島がたくさんあるから、順番に全部泊まってみたい。

昼過ぎにはまた定期船で本土に戻って、午後は鳥羽水族館へ。
娘、大喜び。
あとで聞いたら、無人島よりもこっちの方が楽しかったらしい。

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2008年7月 8日 (火)

夏が来た!

週末、土曜日。
じめじめした梅雨空が続いていたと思ったら、途端にかーっと暑くなったので、急に思い立って、午後イチで息子(9)と娘(5)を連れて市営プールへ。
今季初プール。
子供たちはそれぞれ小学校と幼稚園で毎日のようにプールに浸かってるはずなのだけれども、外のプールはまた格別らしく、嬉々としてはしゃぎ回る。
1時間も相手をしたらぐったり疲れて、プールサイドで寝そべっていたら、少し居眠りしてしまった。
娘は足のつかないところでも、腰に筒状の発泡スチロールみたいなのを2巻きほどつけておいたら何となく顔は浮かび上がるらしく、ケタケタ笑ってどんどん進んでいく。
息子がいっしょについてるからまあいいかと思って放っておいたんだけれども、居眠りしてる間に何事もなくてよかった。
結局、子供たちは2時間以上水に浸かりっぱなし。
夜は近所の神社の夏祭りに行く。

翌日曜。
息子は朝から1日中ソフトボールの練習。
この暑さの中、外にいるだけでくらくらするのに、ずっと走り回っててよく平気だなあと思う。

家でのんびりしようと思っていたのだけれども、娘がせがむので、午後遅めの時間に2人で出て海へ。
うちから車で5分走ればもう海で、ヨットハーバーがある。
お金持ちの人たちがヨットで遊んでいる。
もう3時を少し過ぎていたけれども、海に入って遊んでいる家族連れなどもまだまだちらほら。
ウインドサーフィンしてるのが3人。
それから、カイトサーフィンしてる人が1人いる。これは初めて見た。

この辺は、春先は潮干狩り客でごった返すのだけれども、素晴らしく遠浅の海で、昔は海水浴にも最適だったらしい。
今はすっかり汚れてしまっているので、泳いでる人たちもいるけれど、あんまり入りたいとは思えない。

堤防の近くに「交通公園」というのがあって、小さい道路に、ミニチュアの信号や踏切も作ってある。
土日の昼間だけはちゃんと信号が点灯して、踏切もときどき鳴る。
子供用の自転車や、足でこぐ4輪のカートが置いてあって、無料で貸し出してくれる。
娘はここを、その4輪カートで走り回るのがお気に入りだ。

娘を走り回らせておいて、堤防に腰かけてずっとカイトサーフィンを見物する。
いい具合に風が吹いていて、びゅんびゅんとよく走る。
気持ちよさそうだ。
カイトは何度も落ちてきて海面に接触しそうになるんだけれども、やってる人が上手なのか、それともそういうものなのか、またすぐに首尾よく上昇していく。
落ちたらどうやって復旧するんだろうかと思って見てたら、とうとう落ちた。
しばらくはラインを引っ張ったりしてもう一度浮かび上がらせようとしている様子だったけれども、そのうちに諦めたのか、砂浜まで上がってきた。
カイトを海水で洗って、草の生えたところまで運び、水気を切っている。
どうやら今日はもうお仕舞いにするらしい。

空に上がっているときはそうも思わなかったのだけれども、下に落ちてみるとカイトはいかにも巨大であって、これはなかなか準備が大変そうだなあと思った。
折りたたむとどれくらいのサイズになるんだろうか。
普通の乗用車には積めそうもない気がする。
それに、いくら海水で洗っても、砂がたくさんついたりしてて、じゃりじゃりするに違いない。
車の中は砂だらけになるだろう。
家に持ち帰っても、海水で流しただけではべたべたするから、もう一度水道水で洗うに違いない。
風呂場では絶対無理だ。
広い庭がいる。
そういう諸々の手間を考えると、これは割に合わないスポーツではないか。

というようなことを考えるでもなしに考えながら、涼しくなりかけてきた夕方の海でぼんやり座ってるのは実に気持ちがいいなあと思っていたら、交通公園の信号が消灯の時間になって、娘がアイスを買いに行こうと言いに来た。
帰りは少し夕立が来て、それも気持ちよかった。

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2008年6月30日 (月)

今月の自転車通勤

走行距離約250km。
雨の日もレインコートで頑張って、仕事でどうしても必要なとき以外は車を一切使わなかった。
年間3000kmペース、か。

最高速度は、45.5kmをマーク。
これだけ出すと、さすがにちょっと怖い。
子どもが飛び出してきたら……などと考えると、本当に危ない。
ヘルメットもかぶってないし。

後輪のブレーキが全く効かなくなってきたので、調整を試みた。
ちょっとした匙加減で、効きが激変する。
あんまり効きすぎるのも危ない。
急にグイッと握ると、簡単に横滑りする。
タイヤが細めだし、雨の日なんかはすぐにドリフト状態になって、何度も転びそうになった。
前輪ブレーキを調整しすぎると、つんのめって前に飛んでっちゃうらしい。
その辺を、ああでもないこうでもないといぢっているのも楽しい。

ギヤのポジションも、日に日にトップ寄りになってきている。
乗り始めた頃は、前の3段は常時ミドルに入れっぱなしで、後ろの8段も滅多にトップに入れることはなかった。
それが今では、前はアウターギアに固定で、それでも後ろを頻繁にトップに入れる。
下り坂だと、もっと速いギアがあればいいのにとさえ感じる。(だからついついスピードも出る)
痩せないけれど、脚力は確実についてきているらしい。

日本の競輪選手なんかは恐ろしくぶっとい太腿をしてるから、あんなふうにはなりたくないと思うけれども、英語では、引き締まった筋肉のついた美しい脚を bike leg という。
あんまり重いギアばかり使ってスピードに執着していると、競輪選手の方になりそうだから、そういう意味でもやっぱり飛ばしすぎに注意しようと思う。

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2008年6月22日 (日)

橋下知事

大阪府の橋下知事について、「人件費削減巡り組合と交渉11時間、決裂」というニュースをネットで読む。
府職員の給与引き下げについて、知事はどうもまだまだ諦める気はなさそうな雰囲気だ。

橋下徹という人は、知事になる前からテレビで見る度にイケ好かないヤツだと思っていたけれども、知事になってからはますますイケ好かない。
内田樹がしばらく前のブログで、「金の話しかしない」人だとばっさり切り捨てていたが、なるほど知事としてのダメさ加減はその一言に尽きるのかもしれない。

公務員っていうのは、ものすごく頑張って仕事しても大して褒めてもらえなかったりするし、ましてやそれが昇給や昇進や報奨金などに直接つながったりすることはほとんどないかわりに、逆にひとたび失敗すればえらいこと叩かれてしまったりする職業である。
そういう環境に置かれると、人は、実質よりも体裁を整えることに心血を注ぎ、周到なエクスキューズを準備することに長けるようになる。
熟練した公務員の、表向きの建て前を一分の隙もないように整える技術、や、自分に余計な仕事が降りかかるのを避ける技術、といったようなものは実に大したもので、まったくもって知性の無駄遣いと言うほかない。
もちろん、公僕としての崇高な使命感を持つ誇り高き公務員だっているにはいるに違いない。
しかし、そうした立派な公務員のモチベーションを、「公に対する使命感」とか、「府民のみなさまの血税を預かる責任感」とかいったものだけで支えさせようというのは、もはや到底無理な話ではないかと思う。

真の府政改革というのは結局、そういったお役所体質からいかに脱却するかという、その一点に尽きるのではないか。
府職員の職務に対する志気をいかに高めるか。
それこそが、最も重要で最も難しい問題ではないのか。

橋下知事のように民間からぽんと知事になると、自身の意識としては、府政を立て直すために府民の代表として「腐った府庁」に乗り込んで改革するのが使命だと思っているのではないかと思う。
だから、府民の皆様の貴重な税金を無駄遣いはさせない、いらないものは全部ばっさり切る、と、まずはそういう発想になっていく。
もちろんそのような期待を受けて選出されているのだから、そういう意識も大切ではある。
しかし、当たり前だけれども、知事というのは、同時に行政府の長であり、府職員を統率して府庁全体のパフォーマンスを向上させるのがその第一義の職責であって、悪い府職員をこらしめるだけが仕事ではない。
橋下知事という人は、その辺に根本的な勘違いがあるのではないかと思う。

自分なりに誠実に府民の暮らしを考えて長年こつこつと努力を続けてきた、という生真面目な職員だって、大阪府庁にはたくさんいるはずだ。
いや、もともと生真面目なタイプの多い職種であるからして、そのような人は、外部の人間が想像しているよりも意外と多いかもしれない。
そのような人も、そうでない人も、一律に給与をカットされる、とする。
そうか、まだまだ俺は努力が足りなかったんだな、これを機にもう一度これまでの自分をじっくり反省して、心機一転、明日からまた府民の皆様のために頑張ろう! とか思う職員は果たして何人いるのか。

平成大不況と言われ始め、リストラが横行していた頃、吉本隆明は、「もし傾いてきた企業の経営者だったら、自分の会社を建て直すために何をするか」と聞かれて、「まず社員の給料を上げます」と答えていた。
当たり前だけれども、組織は1人1人の人で動く。
組織のパフォーマンスをアップさせようと思ったら、1人1人の志気を高めることが基本だろう。
人件費の削減で一時的に収支のバランスを整えても、それは結局、5年後、10年後に更に悪い結果をもたらすのではないかと思う。
事実、今年度の府職員の採用試験は、志願者が激減したとかいうニュースも見た。

「その頃にはもう自分の任期は終わってるから」という確信犯であるとしたら、それこそまさに見事なお役所仕事であると言うほかないけれども。

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2008年5月10日 (土)

小ネタ3題

●サイクルメーター
通勤用のクロスバイクにサイクルメーターを取り付けた。
ワイヤレスにしようかとも思ったのだけれども、ワイヤレスは、周辺の電波状況によっては精度が安定しないとかいう噂(デマ?)などをネットでちらほら見かける。
折角速度や走行距離を測るのだから、精度が甘いのは気分が悪いし、そもそもワイヤレスはやはり値段がちょっと高めなので、迷った末に、ワイヤードに。
取り付けてみたら、ワイヤーが邪魔で、思っていた以上に見た目がゴテゴテする。
どうせ見た目重視なんだから、やっぱりワイヤレスにすればよかった。

とは言え、実際に付けてみると、これは想像以上に毎日自転車に乗る励みになる。
職場との往復で毎日の走行距離が10km弱、時間にして30分近くは確実に走る。
月に20日は乗るとして、200km、10時間くらい走ることになる。
冷静に計算してみると結構な運動量のような気がしてきた。
さらに励みにするために、毎日の走行状況をパソコンに記録することに。
年間5000kmくらい走りたいなあと思う。

●夢
半眠半覚の状態で、自分がいびきをかいていることに自分で気づくことがたまにある。
半分は眠ってて何かの夢を見ているんだけど、半分は何となく目が覚めてて、自分が夢を見ていることを自覚しながら、なおかつ同時にいびきをかいていることも自覚している。
それで、「ああ、これはなかなか不思議な状態だなあ」などと半分眠った頭でぼんやりと考えている。
……というような状態に自分がいるという夢を見た。
要するに、夢の中でさらに半分眠りながら夢を見ていびきをかいている。
えー、言い換えると、“今自分は半眠半覚で夢見ながらいびきかいてるなあって思ってる自分”をさらに夢で見たわけです。
しかも、そのとき、たぶん実際にいびきかいてたような気がする。
まことにややこしい話ですいません。

●新調
金に困っている上に、親戚などからのお下がりがたくさんあるので、普段、子供の衣類や身の周りのものを買うことが非常に少ない。
上の息子のものはさすがにもうもらえなくなってきたので、近頃はそうでもないのだけれども、5歳の娘に関しては、姪っ子だけでなく、近所の人や愚妻の友達などからも上等なお下がりが次々と支給されるので、お陰様で衣類などきわめて潤沢にある。
ほとんど何も買わずにすむので、実際、娘のための買い物というのを、日常、全くすることがない。
それ故だろう、娘は稀にモノを買ってもらうことがあると非常に喜ぶ。

こないだは、毎日幼稚園に持って行く水筒がダメになってきたので、買い換えようということになった。
そうしたら、3日前からウキウキし始めて、「あと2回寝たら水筒買う日だ」などと言っている。
で、いざ買ったら、家でもずっと首からぶら下げて、水を飲むのもいったん水筒に入れてから飲んでいる。
また、何ていうモノなのか知らないけど、スイミングの後で濡れた頭にそのまま被るタオル地の帽子状のものがありますね。
あれを買ってやったら、これまた異常に喜んで、毎日寝るとき布団の中でも被っている。

第三者からすれば、モノの有り難みがわかっていい、とか、モノを大事にするのはいいことだ、とかいうことなのかもしれないけれども、自分としては、どうも貧乏くさいような情けないような気もして、ちょっと微妙な気分になっている。

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2008年4月25日 (金)

自転車通勤

新しい職場は交通の不便な場所にあるので、ほぼ全ての職員が車で通勤している。
うちにだって車はあるけれども、昼間、愚妻がどうしても使わなければならない日が少なくないので、常に自分が乗って行くわけにはいかない。
かといって、ただでさえ家計が逼迫している中、もう1台買う余裕などとてもない。
車自体は何とかなっても、マンション住まい故に駐車スペースがなく、しかもうちの近所は駐車場代が市内でも最も高い地域になっている。
そういうわけで、ここはひとつ、昨今流行りの自転車通勤で行くしかないと腹を決めた。

自宅から職場まで、距離にしておそらく4~5km。
自転車でも十分通勤可能、て言うか、本格的な「自転車通勤」にしては物足りないくらいの距離だろう。
が、しかし、今度の職場は、丘(と言うか、山)のてっぺんにあるのであって、その4~5kmの間の高低差は並大抵ではない。
10代の頃は、同じ道程を、変速ギアもないママチャリで平気でのぼっていたのだけれども、40超えてからはさすがに辛いかもしれない。
試しに走ってみたところ、まず最初の2~3kmは、そのほとんどが田んぼの中の吹きっさらしの農道であり、朝はおそらく1年を通じて山から吹き下ろしてくる向かい風にまともにさらされる。
この時点で相当に体力を消耗することが判明した。
もとよりこのあたりは強い風が吹く土地柄だ。冬の厳しさは想像するに余りある。
さらに最後の1km余りは延々と上り坂が続き、山のてっぺんまでのぼる。
20分弱で着くには着いたが、息は切れ切れ、汗まみれで、脚もガクガクする。死ぬかと思った。

これはいけない。
すぐにくじけそうな気がする。
しかし、この行程を毎日こなせば、3年間のデスクワークで衰えきった体力の回復にもつながるかもしれない。
あわよくばダイエットにもなるかもしれない。
何より、どのみち2台目の車の購入は考えられない。
やるしかない。

とすれば、毎日自転車で出勤するモチベーションを維持するための装置が必要だ。
自転車に乗るのが嬉しくなるような状況を作り出す必要がある。

そういうわけで、以前からほしいと思っていた新しい自転車を買うことに決めた。
この際、自転車を趣味にして、毎日の通勤を「趣味の遂行」と捉えるのがよい。

ほんとはマウンテンバイクが欲しい気がするのだけれども、大したことない距離の街乗り専門だし、買ってもあまり意味がない。
ロードバイクに乗るにも、通勤経路の路面状況は悪すぎる。
いや、そもそも、ちゃんとしたマウンテンバイクやロードバイクを買うほどの余裕もないし、そんな贅沢をする必要性もない。
やはりここはおとなしくクロスバイクというジャンルでおさめておくのが大人の対応であろう。

悩んだ挙げ句、GIANTのESCAPE R3というモデルに決めた。色は白。
自転車屋からのにわか仕込みの知識によると、GIANTというのは台湾のメーカーで、規模としては世界最大。
OEMで実績を重ねてきたメーカーらしく、技術力には全く問題ないし、コストパフォーマンスの高さは業界随一とのこと。
ただし、基本はOEMメーカーとしてのB級イメージがやはり強く、独自の企画力は弱い。
基本的に後追いであって、シーンの流れを生み出すようなメーカーではない、と。
オーディオの世界にたとえるなら、ブランドイメージとしては、AIWAが巨大になったような感じか。
だから、ほんとはTREKとかGARY FISHERとかのオリジネーター的メーカーの製品が欲しかったのだけれども、スペック等を検討すると、やはりGIANTのコストパフォーマンスの高さは群を抜いている。
そもそも自分の場合は、登り坂への対応を重点的に考えるべきであるので、クロスバイクの中でもなるべく車体の軽い、ロード寄りのモデルにしたい。
その点でもGIANT ESCAPE R3は最も適している。
この価格帯で10.9kgという車体重量は他には見あたらない。
TREKやGARY FISHERで同様のスペックを求めると何万も高くなるし、しょせんクロスバイクである。かっこつける必要もあるまい。
見かけよりも実を取るべきだと判断した。

GIANTは、最近郊外にぼこぼこ出現してきたスポーツ量販店なんかでも扱っているし、そういうところの方がやはり少し安い。
が、前の職場の近くに気に入った自転車があるので、そっちへ行ってみることにした。
今まで乗っていた古い自転車の修理を何度か持ち込んだことがあるのだけれども、その仕上がりが実によかったし、いろいろ丁寧に教えてくれる。
また、いつ行っても自転車マニアの客がたむろしていて、店主とああでもないこうでもないと話し込んでいる。
異常に自転車が好きそうな人々だ。
聞いてみると量販店よりも少し売値は高いけども、店の場所も仕事帰りに立ち寄りやすいところにあるし、後々のメンテや指導を受けるにも都合が良さそうだ。
注文して取り寄せてもらい、3日ほどで届いた。

入荷してから引き渡しまで少し時間がかかると言うので、何かと思ったら、いったん全てのパーツをバラして、店主が自らの手で再度組み直すとのことだった。
工場のラインでのアセンブルは精度が低いので、適正トルクでやり直してくれるらしい。
普段は競技用の自転車のメンテなどを主にやっているようなので、そのようなシステムにしているのだろうと思う。
そこまでしてもらうほど厳密な乗り方ができるのかどうかわからないし、そもそも5万円を切るクロスバイクでそんなことまでして採算合うのかどうか知らないけど、やっぱり気分はよい。
ここで買ってよかった。

さて、早速乗ってみる。
こういう自転車に乗るのは初めてなので、そもそもこちらの基準も低いのだろうけれども、いやはや圧倒的に走りやすい。感動。これは楽しい。
登り坂も楽々に……とは決していかないけれども、格段に楽になったのは確か。
平地でも、視界のよい農道はぐんぐんスピードが出せる。速い。気持ちいい。(とは言え、ほんとのロードバイクの人には一瞬で追い抜かされていく)
毎日自転車にまたがるのが楽しい。

かくして、自転車が新しい趣味となった。
これからは、パーツいぢりという奥深い世界が待っている。
さしあたっては、ハンドルバーやシートポストがシルバーなのがあまり気に入らないので、黒に換えてみたい。
調べてみると、パーツをいぢる余地は無限にありそうだ。

自転車は、もちろん奥は限りなく深いのだろうけれども、そもそもの構造がそんなに複雑なものではないので、トータルで自分で管理できるのがいい。
自動車のように、自分ではどうにもできないというような箇所がない。
覚えれば、ある程度のレベルまでは全部自分で出来るような気がする。
そこがいい。

カバンもメッセンジャーバッグに買い換えた。
これも思いの外、乗り心地に大きな影響があった。
もうこの季節から朝はTシャツ1枚で出るのだけれども、最後の登り坂のせいで、職場に着くと汗だらけになる。
だから、カバンには着替えを入れておいて、職場に着くとまずは更衣室に直行する。
そのためにもカバンの容量は大きくなくてはいけない。

雨の日も、基本的にはレインコートを着て自転車に乗る。
面倒ではあるけれども、今のところそれほど嫌ではない。
脚も3日目ぐらいからはガクガクしなくなった。
3週間ほど経過したけれども、体重も1kgくらいは落ちたみたい。

雨にも負けず、風にも負けず、夏の暑さにも、冬の寒さにも負けない。そういう自転車乗りに、私はなるのである。

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2008年4月22日 (火)

松本紀行

N井が結婚するというので、週末は松本市へ行くことになった。

考えてみれば、N井は中学のときに転校してきて、3年生の時に1年間同じクラスになって意気投合し、共に愚行の限りを尽くしたのであるけれども、いっしょだったのはその1年間だけであって、その後は高校も別だし大学も別で、どのようにして25年ものつきあいが続いているのかよくわからない。
何年かに1度、思い出したように連絡が来たり、こちらから連絡してみたりで、そう言えば20代の頃には2人で東欧を旅行したこともあった。
自分の結婚式にはN井は呼んでないのだけれども、今回も突然携帯にごく簡単なメールが届いて、ごく簡単なメールを返したところ、招待状が送られてきて出席することになった。

土曜日、名古屋からJRの「ワイドビューしなの」に2時間乗って松本へ。12時着。
駅前で適当に蕎麦屋に入って昼食。値段は高かったが味は特にどうっていうことない。失敗。
路線バスに20分ほど乗って、式場のお寺へ。

2時から結婚式。
仏式は初めてだったので、興味深く見る。
指輪ではなく数珠の交換をするのが見どころ。
簡単に終わるのもいい。

披露宴の会場は、お寺から歩いていける距離にある浅間温泉の旅館。
5時スタートで、お泊まり招待つき。
披露宴の後、温泉に入れて、なおかつ帰らなくてもいいというのは実によい趣向だ。

新郎側の友人関係の出席者は自分を含めて4人だけれども、他の3人は高校時代の友人とのこと。
うち1人は同じ中学出身、現在は同業者になっているO田であった。
中学時代はあまり交流はなかったけれども、同業であるので、どこかで10年くらい前に話したことがある。
友人関係の4人は相部屋だけれども、O田がいたおかげですんなり馴染めた。

5時まで部屋でのんびりした後、披露宴開始。
温泉旅館の大広間なので、床座であり、進行などは確かに普通の披露宴なんだけれども、雰囲気は忘年会か何かのよう。
お気楽な感じでくつろげるので、これもなかなかよい。
安心してビールと地酒をがぶがぶと飲む。
新婦に続いて、新郎のお色直しもあるというので何かと思ったら、N井が海パン一丁になって出てきた。
シャイで口数が少ないのに突如として破滅的な愚行に出る癖は、40を超えても変わらないらしい。
新婦はひとまわりも下の若い娘であって、その友人も皆若いので、少なくともその層にはたいへんウケていた様子でよかった。

披露宴の後は、だらだらと温泉に浸かり、部屋に戻って相部屋の人々と麻雀が始まった。
麻雀はおそらくここ10年ほどやっていなかったので、たいへん楽しい。
幸い皆自分と同じようなレベルなので、その点でも気楽に楽しめる。
追って新郎のN井も加わり、ビールと泡盛を飲みながら深夜にまで及ぶ。

翌日曜日。
再び温泉に浸かり、朝食の後、10時にチェックアウト。
相部屋の人々といっしょに4人で蕎麦の名店「浅田」へ。
焼味噌を肴に地酒の大吟醸をちびちびと飲みながら、ざるそばと十割そばを1枚ずつ食べる。
非常に美味い。

他の3人は午後イチの電車で帰るとのことだったので、食後に別れて、1人でぶらぶらと松本城まで歩く。
松本はまだどこも桜が満開で、天気もいいので、そこいら中でお花見をしている。
松本城もたいへんな人出だった。

1人なので、好きなペースで見られる。
本来、こういうところへ来ると、パンフレットも全部読んで、隅から隅までじっくり見たいタイプなのだけれども、大抵は家族や友人といっしょであって、なかなかそうもいかない。
今回は勝手気ままに2時間もかけて国宝の天守閣をじっくり見ることができて、すっかり満足した。
松本城はたいへんおもしろい。

おみやげを買って、3時前のワイドビューしなので名古屋へ。
夕方6時半頃帰着。
往復の電車で橋本治「日本の行く道」を読む。
帰りはほとんど寝て過ごしたので、少し読み残した。

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2008年4月13日 (日)

週末

「現場」に戻って早10日余。
年度始めのバタバタで慌ただしいながらも、ストレスゼロ、今のところ実に快適に過ごしております。
3年のブランクはどうかとも思っていたのだけれども、いざ戻ってみると、もう「現場」に出るのが楽しくて仕方ない。
久しぶりで緊張するかと思ったら、全くそんなこともありませんでした。

とは言え、3年間ほとんど座りっぱなしのデスクワークに慣れて余分な脂肪もついた体は、現場の喧噪にはさすがにまだ対応できていないのか、家に帰ると、夜はえらく健康的な時間帯から眠気に耐えきれず、朝は遠足の日の小学生のように、目覚ましがなる前にバチッと目を覚ます。
気分はよいのだけれども、体は疲れているのかもしれない。

そういうわけで、週末くらいはゆっくりしたいのだけれども、しばらくは予定がてんこ盛りで、なかなかそうもいかない。

イギリス人の義弟の父母が日本に遊びに来ていて、先週末は、こっちへやって来るというので、お付き合い。
土曜の午前中にうちの田舎を案内し、昼は市内に戻って中華料理。
午後からは、義弟父母とうちの父母、愚妹夫妻、うちの子供2人が伊勢神宮へ。
ほんとはこれに同行する予定だったのだけれども、職場の歓送迎会が入ったのでキャンセル。
伊勢へ向かった一行はそのまま鳥羽まで行ってホテル泊。
その間、歓送迎会は2次会のカラオケが深夜まで及ぶ。
翌日曜朝、一行に合流すべく、早起きして電車で鳥羽へ。
車で拾ってもらって、賢島まで走り、みんなで英虞湾の遊覧船に乗る。
これはぼくも初めて乗ったのだけれども、湾内の島々の間を小1時間回るコースで、遊覧船と言ってもたいして大きな船ではない。
真珠の養殖や海苔の筏なんかを眺めながら、波のない穏やかな海をゆったりと進む。
気がつくと、ガイドを兼ねる船長が、面白がってうちの息子に船を操舵させている。
最近、スチュワーデスに操縦桿を持たせて処分されたパイロットがいたけれども、この船にもうちの一行以外にたくさんのお客さんが乗っているわけで、厳密に言うとかなり問題な行動であるような気もする。
が、そういう厳密なことを一切気にしないのがこの辺の人々の素晴らしいところであって、この英虞湾を取り囲む志摩の漁村一帯は、ぼくの最も好きな場所である。
外国人にはちょっとこの良さは伝わりにくいのかもしれないけれども。

船を降りた辺りで簡単に昼食を済ませ、再び車で鳥羽に戻って、今度はミキモト真珠島へ。
外国人はだいたい日本人のようなせかせかした観光はしないものであろうし、義弟の父母はもう70を超える高齢であるので、さらに動きものんびりしている。
真珠島も2時間以上かけてのんびり見て、鳥羽駅近くの赤福に立ち寄ったら、この日のメニューは終了。
義弟父母と愚妹夫妻は鳥羽駅から近鉄特急で名古屋へ向かった。
翌日からは、義弟父母2人だけで、広島と倉敷をまわるとの由。
外国人の老夫妻のガイドというのは、なかなか気を遣うものであった。

今週末。
昨日土曜は、息子の子供会のソフトボールチームの練習。
6月の大会に向けて、これから毎週末、練習がある。
指導者は引き受けてくれた人が別にいるのだけれども、一応「監督者」という役職を割り当てられているので、予定が空いていれば出なければならない。
我々の時代は、各地区の子供会ごとに1チームずつ編成して、一大トーナメントが行われたものだけれども、今どきは少子化と野球人口の減少で、4つの子供会が合同でやっと1チームぎりぎり。
しかも、昔は4年生以上でないと入れてもらえないくらいだったけれども、今は1年生まで駆り出してやっと9人という状態なので、そのレベルの低さは言うまでもない。
練習だって、我々の時代は大人の指導者なんかいなくて、全部自分たちでやっていたけれども、今は大人なしでは何も進まない。
それでもまだ大会を続けているだけでもうちの校区はまだマシらしい。

今日、日曜は、地域のおっさん達の早朝ソフトボール。
昨年度、助っ人として何試合かに出場した流れから、今年度は登録メンバーとなってしまった。
朝6時半起床で小学校のグラウンドへ。
これでもまだ第2試合なのであって、第1試合に当たると5時半に集合らしい。
何が哀しくて日曜の朝に5時起きしなければならないのか。
いや、まあソフトボール自体は楽しいんだけれども。
昨年度の実績からか、ぼくの実力が過大評価されているようで、監督に3番ショートという大役を命じられるが、起き抜けで体がまるで反応せず、3つのエラーにヒットなしとダメダメな結果に。

8時40分に試合を終えた後、今度は子供会の廃品回収。
廃品回収も、子供が少ないから作業がたいへんで、やめようかという話もあったらしいんだけれども、この頃はまた古紙の値段が高騰していて、面白いように儲かるので、やめるにやめられないらしい。
昨年度までは愚妻が出ていたのだけれども、妊娠ももう6ヶ月に入り、さすがに荷物運んだりはできないので、ここのところはずっと自分が働いている。
ソフトボールで引きつった筋肉に鞭打って古新聞などを運ぶ。
よい出物はないか、いつもちらちらチェックしながら運ぶのだけれども、少し離れたところで本の束を担いでいた息子から、「とうちゃんの好きそうなのがある」との情報。
あまり期待せずに行ってみると、おお、何やらインテリ系の出物がざくざく。
吉本隆明「ハイ・イメージ論」(単行本)や岩波文庫の寺田寅彦随筆集、その他単行本、新書、文庫各十数冊をゲットする。
早起きは三文の徳と申します。

そういうわけで、毎日早寝早起きであまりに健康的な日々。
完全に「地域のおっさん」になってきております。

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2008年3月31日 (月)

異動になりました

身辺いろいろバタバタで、ネタはたまっているのですが、無沙汰しております。
この春の人事で異動になりました。
明日から現場復帰します。

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2008年3月 5日 (水)

週末

公私ともにばたばたと忙しく、ここのところ更新を怠けています。
今日は先週末の覚え書きを。

金曜夜。
久しぶりに「3」と飲み。
前の週末、「3」は大阪で教祖と飲み、教祖をゲイバーへと連れ回したとのこと。
そこでのおぞましい展開については、教祖のブログを参照してください。
完全な「ちりとてちん」フリークと化している近頃の「3」は、NHK大阪に通い詰めている。
前週は最後の収録があったとのことで、出待ちして和久井映見と握手したと自慢気であった。

1軒目に入った居酒屋で焼酎のボトルを入れるが、2人ですぐに飲み干してしまい、ひどく酔っぱらう。
2軒目、いつもの店に入ったらすぐに「3」は爆睡。
メールで「ともや」を呼び出してあって、ちゃんと来たんだけれども、「3」は既に寝てしまっていて、翌日聞いても何も覚えていなかった。
12時過ぎまで飲んで帰宅。
いつものごとく「3」はうちに泊。

土曜日。
朝、うちの子ども達が起きて騒ぎ始めても、「3」はずっと居間に敷いた布団で寝たまま。
10時を過ぎてむっくり起きたが、結局昼前まで布団の上でごろごろしている。
昼はうちの家族もいっしょにみんなで外へ出てカレーを食べる。
「3」、ご馳走してくれた。

午後、息子をバスケットボールの練習に連れて行き、その足で娘をくもんに連れて行く。
少しブラブラしてから娘を迎えに行き、また息子を迎えに行く。
その間、「3」はうちで愚妻とだらだらしゃべっている。
家に帰ると眠くなってきたのでしばしコタツで昼寝。
気がつくと愚妻もとなりでコタツにもぐって昼寝してる。
その間ずーっと「3」は子供2人の相手をさせられていたらしい。
起きると夕方。
愚妻が夕食に鍋をつくり、「3」もいっしょに食べる。
酒を飲ませたので次第に「3」の動きが緩慢になる。
食後、「3」は、娘とトランプしたり絵本を読んだりしていたようだが、遊んでいるうちに、5歳の娘よりも先に居眠りを始め、そのまま就寝。
昨夜からずっと「3」のために敷きっぱなしの布団に顔だけのっけて、下半身はコタツに突っ込んだまま寝てしまった。

日曜朝。
9時から子供会の廃品回収に息子を連れて行く。
その間、「3」は愚妻とだらだらおしゃべりしている。
田舎のばあちゃんの命日で、墓参りに行かなければならないので、昼前に家族で家を出る。
さすがにここで「3」も帰宅。駅まで送る。
これだけだらだらすればもう気が済んだだろうと思う。

墓参りの後、午後は田舎でゆずやきんかんをとったり、大根をぬいたりして、夕方まで子供達を遊ばせる。
夕食は息子のリクエストにより親のおごりで焼き肉。
久しぶりに焼き肉食った。

まあ悪くない週末だ。

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2008年2月25日 (月)

ムーディー勝山とダイノジのエアギター

地域振興のための音楽祭というのを地元が今年から始めて、その音楽祭のイメージキャラクター募集に愚息が応募したところ、入賞もしていないのに、協賛企業の駄菓子の詰め合わせと図書カード、それに、音楽祭当日の入場券2名分が送られてきた。
せっかくの休日をアマチュア・バンド観て過ごすつもりもないけれども、ゲストに勝山梶、審査員にはダイノジも来るとあっては、やはり行ってみたい。
愚息も「ムーディーが見れる!」と楽しみにしている。
そういうわけで、車で30分ほど走って、行ってきました。

まずはアマチュア・バンドを10組、2時間半。
全国から100組近い応募があったそうで、まあまあそれなりのレベルのバンドがそろってはいるけれども、これで優勝賞金100万円(!)というのはおいしすぎる。
審査員も、長岡成貢はじめしっかりとした顔ぶれで、主催者側が意図したレベルにまで出場バンドが達していないというのが正直な印象。
全国アマチュア・バンドの皆さん、このイベントはおいしいかも。

さて、アマチュア演奏の間の過半を寝て過ごした愚息も、いよいよゲストライブの時間となり、俄然前のめりになってきた。
席は前から6列目。絶好のポジショニングだ。

まずは勝山梶。
パンフレットにはムーディー名義ではなくコンビ名で出ていたので、もしかするとムーディー芸は見られないのかとも思っていたのだけれど、杞憂だった。
勝山の方は最初からムーディーの衣装で登場。
しばし2人でネタの後、相方の梶に振られる形でムーディー勝山のムード歌謡へ突入。
考えてみりゃ音楽祭のゲストに呼ばれてるんだから、そりゃ当然やるよな。
それともこれが通常の営業スタイルなのか。
いずれにせよ、ブッキングした主催者の慧眼を賞賛したい。
例の「右から左」のロング・バージョンをたっぷり堪能。
これまで見たことのあったパターンに更に改良が加えられており、生ムーディーに大満足。
愚息も大喜び。

続いてダイノジ。
これもネタの後に、大地の世界一のエアギター芸が見られるというおいしい構成。
大地のエアギターは、Youtube とかで断片的にしか見たことがなかったので、その完成された芸にこれまた大満足。
ワンコーラスくらいしかやらなかったのは残念だったけれども、なるほど、世界レベルでウケるのもよく理解できた。
相方のからみもあったので、いつもこういうパターンでやっているのだろうか。

会場は、過疎の村が市町村合併で吸収される前に無理矢理建てたようなホールで、新しくてきれいだけれども、鹿や猪が出そうな(て言うか、間違いなく出ると思う)山中の、なんでこんなところに?っていうロケーションにある。
そんなところで期せずしてムーディーとダイノジがを観ることができた、よくわからない休日でした。

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2008年1月23日 (水)

北海道に行ってきました

Photo_3

職場関係のツアーに抽選で当たったので、家族で行ってきました。札幌に3泊4日。
木曜出発の日曜帰着なので、上の子は木・金と2日小学校を休まさなければならず、ちょっと心苦しかったけれどもやむを得まい。
当の子供たちは、出発の2日も前から眠れないほど興奮している。

雪まつりの開催前で、その制作もまだ始まっていないという極めて中途半端なオフシーズンだけれども、それだからか、たいへんリーズナブルな価格設定になっている。
それでも我が家にとってはいっぱいいっぱいですが。

初日。
新千歳空港から貸切バスで札幌グランドホテルへ。13時過ぎチェックイン。
すぐに外に出て、徒歩で札幌駅に向かう。
札幌は寒波襲来中で、最高気温が-5℃とかそんな感じ。
2年ぶりの低気温だそうだけれども、風がないので体感的にはそれほど寒いとも思わない。ちなみに雪は例年の半分以下ではないかとのこと。
それでも子供たちは歩道に積もった雪がおもしろくて堪らず、すぐに遊び始めるのでなかなか前へ進まない。

「らーめん共和国」で遅めの昼食。
平日で時間もはずれているので、行列なし。札幌ラーメンの「けやき」に入店。こってりした味噌ラーメンに思わず唸る。
JR札幌駅で、明日の動物園行きの切符を購入して、次はタクシーでサッポロファクトリーへ。
自分は札幌は4回目くらいだけれども、子供たちと愚妻は初めてなので、とりあえず代表的なスポットも回る。
後のスケジュールを考えるとほとんど土産物を買う時間が取れない感じなので、愚妻はここでロイズのチョコをはじめ、集中的に土産購入。
子供の小学校や幼稚園のつき合いがどうのこうので、異常な量になっている。

夕刻、歩いてテレビ塔へ。
日没後すぐに展望台にのぼってホワイト・イルミネーションを見る。
子供はむしろ降りてからの大通公園で発奮。
うひょーとか奇声を発して雪の中を転がりまくる。
そのまますすきのまで歩き、炉端焼と寿司の店「炙屋」で夕食。刺身、ホッケ、八角等、魚を中心に食す。
まあこんなもんか。ややお高め。

タクシーでホテルに戻り、子供と愚妻が風呂に入っている間に1人で少し外に出て、近くの寿司屋で握りを少々と熱燗1本。
「花まる」という回転寿司のチェーンだけれども、この日入った時計台店は、回転しておらず、ちゃんと板さんがカウンターで注文を受けてくれる。
30分ほどで切り上げて、早めに就寝。
子連れ旅行は宴会がないので夜が早く、睡眠時間が十分取れます。

2日目。
6時半起床。
ホテル内のレストランで洋食バイキングの朝食後、徒歩でJR札幌駅へ。
8時発の特急に乗り、1時間20分で旭川着。更にバスに乗ること30~40分で、旭山動物園に到着。
少し並んで、10時半の開園と同時に入園。
オフシーズンで平日だから、混んでません。子供がいません。
ペンギンのお散歩も楽に見れました。
動物園自体は、まあ事前に聞いていたとおりの印象。
意外としょぼい、でもまあおもしろい、こんなもんか、と。
うちの子供はここでも雪に埋もれて遊ぶ。
気温は-9℃とかだけど、よく晴れていて、それほど寒さは感じなかった。

15時半の閉園までのんびり見て回って、またバスとJRを乗り継ぎ札幌に戻る。
夕刻から雪。かなり降ってる感じ。
駅からタクシーでサッポロビール園へ。
生ラムのジンギスカン食べ放題コース。ビールをがぶがぶ飲む。

ジンギスカンは、すすきのの名店「だるま」へ行くべきなのかどうか迷ったけれども、自分はこれまで3回行ったことがあるし、カウンターしかないから子連れは面倒だし、行列だったりしたらゆっくりできなくて嫌だから、愚妻は「だるま」に行きたがったけれども、説得してビール園に決定。
こっちの方が子供は楽しいはず。

食後、店の周囲でまた子供たちが雪遊び。
豊富な新雪の中に、文字どおり埋もれている。
ほどほどでやめさせて、タクシーでホテル帰着。
9時とかに就寝。

3日目。
6時半起床。
ホテル内のレストランで和定食の朝食後、地下鉄南北線で真駒内へ。バスに乗り継ぎ、40分ほどで滝野すずらん丘陵公園へ。
この日は1日雪遊び。
息子にはスキーをさせるという選択肢もあったのだけれども、諸々の事情で結局やめにして、ソリ中心。
ここはソリゲレンデがあって、ドーナツ状のゴムソリを無料で貸してくれる。
ロープで引っ張り上げてくれて、コースを一気に滑り降りる。
これが予想以上のスピードで、非常に楽しい。
朝イチの空いている時間帯に、集中的に滑る。
あとはかまくらの中でモチ焼いたり、雪だるま作ったり。
土曜日なので混んでるかと思ったら、結構がらがら。
気温は相変わらず低いけれども、天気は快晴でたいへん気分がよかった。
やっぱり北海道は雪質が全然違うなあ。
公園発の最終バスが15時半なので、ぎりぎりそれに乗ってまた地下鉄でホテルへ。

夕食は、初日に1人で行った寿司チェーンの「花まる」へ。
雪遊びでどろどろに疲れてもはや遠くへ出かける気力がみんななかったのと、子供が寿司を要求したため。
お安いチェーン店とは言え、子供が大トロだのアワビだの、高いネタをがんがん注文するため、結構なことになってしまった。
普段なら「トロ禁止令」が発布されるところだけれども、旅行中くらいはよかろうということで大目に見た。
チェーン店でもさすがは北海道。ネタがいいし、握り方もそうそう捨てたものではないから、子供には十分だ。
たらふく食ったらホテルに戻ってすぐ就寝。

最終日。
7時起床。
ホテル内のレストランで和食バイキングの朝食後、タクシーで二条市場へ。
愚妻が人に頼まれたカニだの鮭だのを買うのに付き合う。
息子は、店のおっちゃんが試食させてくれるカニに食らいつく。
予定より早く買い物が終わったので、ぼちぼち歩いてホテルに戻り、10時頃チェックアウト。
子供たちは最後の最後まで雪遊び。

貸切バスで空港に向かい、昼過ぎのフライトで夕刻帰着。
疲れたけど充実しました。
特に子供は「北海道に住みたい」と言い出すくらいに堪能した様子。
オフシーズンだからなのか、札幌は都会なのに人が少なくて過ごしやすかったです。
あと、タクシーの運ちゃんも飲食店の人も土産物屋の人もそこら辺の人も、札幌の人はみんな人当たりが柔らかくていいなあと思いました。

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2008年1月11日 (金)

謹賀新年

しばらく更新を怠っていましたのでたいへん遅くなりましたが、皆様あけましておめでとうございます。

今年は、息子が小島よしおのマネするのをやめますように。
あと、ザブングルの、「見ろやこの筋肉。カッチカチやぞ」もやめますように。
にしおかすみこの「あ”ーっ」っていうのもやめますように。

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2007年12月25日 (火)

胃腸風邪

先週木曜日昼。
買い物中に下の娘が「気持ち悪い」と言い出し、数分後、ショッピングセンターの通路でいきなり大ゲロとのこと。

自分は当然勤務中だったのだけれども、その前日から拙宅に滞在していた「3」が、例によって「1日お父さん(お母さん?)」として愚妻と娘の買い物に同行していた。
こういうときの「3」は、本当のお父さんよりもずっと甲斐甲斐しくて頼りになる。
娘のゲロ処理にも機敏に対応したとの由。

帰宅後も娘のゲロは止まらず。
水を飲ませただけでも、数分後には水芸のようにぴゅーともどす。
熱も出てきた。
タイミングの悪いことに、その日は幼稚園のクリスマスページェントの日。
今年はセリフもある役だというので、本人も張り切っており、自分もビデオ撮影班として2時間休みをとって夕方早々に帰宅したが、これではさすがに無理だということで断念。

後で聞いたところによると、この日、娘の幼稚園では同じ症状の子供が続出し、ページェントも、舞台袖で次から次へとゲロのオンパレード。
劇が終わる頃には、人数が3分の2くらいに減っていたという。

娘は翌日夜にはほぼ完治したが、その次の日の土曜夜。
じいさんばあさんに連れられて、クリスマスイルミネーションのイベントに遊びに行っていた上の息子が、夜、帰宅するなり大量ゲロ。
いったん寝付いたものの、夜中に目を覚まして布団でまたゲロ。
熱が出て、日曜は1日寝たきり。

同じ日曜には、愚妻も「胸がムカムカする」と言い出した。
愚妻は胃腸が鉄で出来ているので、ゲロも下痢もしないが、発熱で1日ダウン。

月曜、クリスマスイブには、愚妻も息子もほぼ回復したが、案の定、今度は自分が吐き気と発熱。
ぼくは逆流しにくいタチらしく、もう何十年もゲロを吐いたことがないのだけれども、腸が弱いので、腹は頻繁に下す。
今回も下に来た。
そして、胃腸風邪にやられると、必ず高い熱が出る。
今日は仕事も休んでしまった。

流行っているとは聞いていたけれども、恐るべき感染力。
て言うか、こんなに毎日周りでゲロゲロやられたらそりゃうつるわな。
汚い話ですいません。
今年の胃腸風邪はひどいです。
でもだいたい24時間くらいで治ります。

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2007年12月 4日 (火)

雑感

通勤手段は、自転車・電車・バスの3つのオプションがあるのだけれども、昨日は朝から雨だったので、バスで出勤。
電車にするかバスにするかは家を出る時間によって決める。

午後は晴れ上がった。
定時に仕事を終えて、本屋に寄った後、何となく思いつきで帰りは歩くことに。
1日中なま暖かいオフィスでデスクワークしているので、ひんやりした外気が顔に触れるのが気持ちよくて、そのまま歩くことにした。
自転車だと10分くらい、徒歩では25分くらいかかる。

気持ちいいのは最初だけで、すぐに汗が出る。
近頃は階段をのぼっただけで息が切れることが多く、足腰がはっきりと弱っているのがわかる。
自宅ではなるべくエレベータを使わずに、階段を使うようにしている。
40になって、いよいよ本格的におっさんになってきたのを痛感。
多少間食をやめたくらいでは増えた体重が全く戻らないのも、代謝が悪くなってきているということなんだろうと思う。

本屋では、新潮45、SIGHT、ビッグコミックスピリッツと、息子に頼まれた本を買う。

こういう雑誌類はなるべく買いたくない。
もともとモノが捨てられないタチで、雑誌類も、買うとひととおり目を通すまではどうも捨てられない。
文春とか現代とかの週刊誌でさえも、ひととおり見てないとなかなか捨てない。
もちろん全部のページを読破するわけでは決してないのだけれども、読む価値のないページも、ぱらぱらっと目を通して読む価値がないと確認する作業を終えていないと気分が片づかない。
だって、もしかするとおもしろいかもしれないし。

さらに厄介なのは、特別におもしろい記事が掲載されていた場合であって、そうなるといよいよ取っておきたい。
かといって、ほんの数頁の記事のために雑誌まるごと取っておくのもかさばるし、そもそもしばらくすれば何故その雑誌が残してあるのかを忘れてしまう。
必要なところだけ切り取ってファイルにでもすればいいんだろうけれども、そんな面倒なことはとてもじゃないけれどもやってられない。
世間の人々はこういう場合、どうしているんでしょう?

マンガもひととおり全部読む。
スピリッツはもう20年くらい惰性で買い続けていて、よく考えるともはやそれほど執着しているマンガがあるわけでもないんだけれども、なんとなくやめるタイミングがない。
むしろ気に入らないマンガが多い気もする。
最近のスピリッツで気に入らないマンガ、ベスト3は、「ひとりずもう」さくらももこ、「チェリー」窪之内英策、「ギャラクシー銀座」長尾謙一郎なんだけれども、ここ2週間くらいで、「ひとりずもう」と「チェリー」が相次いで最終回を迎えたので安心した。

「ひとりずもう」は、なんで自分のことそんなに平気でかわいらしく描けるの?って感じでキモス。
「チェリー」は、この漫画家の全作品について言えることだけれども、なんかもう生理的にギザキモス。このふにゃふにゃっぷりは何なんだ。浜田省吾とか尾崎豊とかが好きな人の気持ちが全く理解できないのと恐らく同様の理由で、この漫画家の作品は根本的に受け入れられない。
「ギャラクシー銀座」は、唾棄すべき不条理ぶりっこであまりにセンスに欠ける。下品なモノやシモネタは、どちらかと言うと好きなほうだけれども、下品なマンガには下品なマンガなりの品格が必要だ(よくわからんな)。マンガ誌もひととおり全部読むと書いたばかりだけれども、このマンガは例外で、毎週とばしてます。

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2007年10月31日 (水)

考え中です

「考え中」という言葉がどうも気に入らない。
いや、まだ日本語が未熟な幼児なんかが言ってるとかわいい感じがして、そういう意味では好きなのだけれども、いい大人が何の躊躇もなく普通に「考え中です」とか言うのを見ると、それはちょっといかがなものかと思う。

初めて気になったのは、小学校3年生の時だったと思う。
どういうわけかかなり鮮明に覚えている。
授業中、先生の発問に対して、指名された女の子が、「考え中です」と答えた。
それはヘンだろ、と思った。「まだ考えてます」とか「考えてるところです」ならわかるけど、「考え中です」はおかしい。
そんじゃあ、「食べているところ」は「食べ中」か? 「向かっているところ」は「向かい中」か?

その後、かなりの同級生達が「考え中です」という言葉を使うのに気付いた。
当然先生は訂正するものと思ったのだけれども、直そうとしない。
でも、少なくとも当時、大人の口からその言葉を聞くことはなかったと思う。

長じて自分自身が大人になった。
われわれ世代がそのまま使い続けたのか、いつの間にやら「考え中」は、かなり普通に耳にする言い方になっているように思う。
最初はわざとふざけて使っているのかと思ったけど、どうやら違うらしい。

グーグルで「考え中」を検索すると、1,670,000件のヒット。
うーむ。

あ、それとも、ナニか? 「考え中」の「考え」は、動詞の連用形じゃなくて、名詞の thought であって、「食事中」とか「準備中」とかと同じ使い方だ、とでも言うのだろうか。
「食事の途中」や「準備の最中」というのはわかるけど、「考え」の最中っていうのはおかしくないか?
それなら「思案中」ではないのか?

おれ、間違ってます?

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2007年10月24日 (水)

東京48時間3本勝負

18日(金)。
休みを取って、午後から上京。
このタイミングであるからして手土産には「赤福」しかあるまいと探すが、手に入らない。
前日までなら売っていたらしい。無念。
あまり早く買いすぎると固くなると思ったのだけれども、冷凍して日付を書き換えておけば何ら問題はないというところまでは気が回らなかった。
仕方がないので、虎屋のういろうにする。
そっちのが美味しいし。

1週間くらい前に子供から風邪をうつされ、ずっと喉の痛みがあった。
上京する頃にはちょうど治るだろうとタカをくくっていたら、出発前日から水っ洟がひどくなり、微熱が出た。
当日は水っ洟が青洟に変わり、喉の痛みが強くなっている。
熱はあるのかどうか微妙な感じだけれども、計測すると意識してしまうので、敢えて体温計は用いず、熱は出ていないものと自分に言い聞かせて出発。
これから48時間3本勝負が始まる。熱など出している場合ではない。

こだまに乗ってのんびり上京。
たっぷり読書できると思っていたのに、車中ほとんど眠ってしまった。
同じ風邪で愚妻が処方された漢方薬を適当かつでたらめに飲んでいるせいか。

1本目。
7時半に都内某所のフレンチで、磯崎さん、chinsan と待ち合わせ。
磯崎さんというのは、学生時代のサークルの先輩なのだけれども、この度、なんと河出書房新社の「文藝賞」を受賞された。
古くは田中康夫「なんとなくクリスタル」とか、最近では綿矢りさ「インストール」とかの、あの「文藝賞」である。
今発売中の「文藝」に掲載されていますから、みなさん是非お買い求めを。
いや、来月単行本になるそうなので、そちらを是非。
『肝心の子供』磯崎憲一郎、です。

前の週に受賞の事実を知って、じゃあ土曜日に上京の予定があるからせっかくなので1日出発日を早めてぜひ一献、という具合にアポイントが進んだ。
chinsan もぼくも、磯崎さんが文章を書いているのは知っていたけれども、そこまで真剣に書いておられるとは知らなかったから、いやあたまげました、ははは、というような話をする。
かつてはこの3人で、頻繁にメールで議論を交わし合ったりもしていたし、また、磯崎さんは当ブログもよくのぞきに来てくれていたのだけれども、最近音沙汰ないと思っていたら、小説を書いておられたのであった。
延々5時間に渡り、今回の作品を執筆されるに至った顛末やら、授賞式の様子やら、授賞式に集まった大勢の著名人とのやりとりやら、ご近所に住む横尾忠則との邂逅やら等について、興味深い話を聞かせてもらったのだけれども、磯崎さんは相変わらずの強烈なキャラであって、それは常にどのような場においても(たとえ文藝賞の授賞式においても)そうなのだということがよくわかって大変楽しかった。
とにかくキャラが立っているから、考えてみれば、有名人になるには向いていらっしゃると思う。

「思春期にロックを聴いてない奴はダメだ」というのが磯崎さんの持論である。
磯崎さんはこのように小説家になってしまったし、chinsanは編集者だし、お粗末ながら私も売文業にかかわっていた時期がある。しかし、我々が所属していたのは、文芸サークルではなくて、音楽サークルなのであります。
最後は「ボルヘスとガルシア・マルケスを読め」とのご指導を賜り、深夜過ぎにお開き。
磯崎さんは酒を飲まないが、chinsan と私は、ビール、シャンパン、ワインと順調に進んで、すっかり風邪のことも忘れていたのだけれども、気がついたらやはり喉が痛い。
夜は、chinsan宅に泊めていただく。

19日(土)、2本目。
お昼から、京王プラザにて同僚のケニア人の結婚披露宴。
最後にコブクロの「永遠にともに」を歌うからギターを弾いてほしい、という話はずいぶん前から聞いていた。
しかし、その曲を初めて聴いたのは1週間前である。(コブクロという名前は知ってたけど、コミックバンドか何かだと思ってた)
練習したのは3日前に1度、1時間程度やっただけで、しかも、そのときになって初めて、サビでハモってほしいと言われた。
また、スピーチをやらされるということもずいぶん前から聞いていた。
しかし、それが乾杯前のトップバッター、すなわち主賓挨拶であるということを知ったのは2日前である。

chinsan宅ではいつもながら快適な環境と快適な朝食を与えていただいたのだけれども(chinsann、いつも本当にすいません)、スピーチのことが気になってよく眠れなかった。
幸い鼻水はかなりおさまっているものの、喉の痛みは相変わらず。
どきどきしながら10時過ぎに会場へ。

新郎が写真撮影に入る前に、会場で歌のリハーサル。
これが最後の練習のチャンスだったのだけれども、結局サウンドチェックに時間がかかりすぎて、かろうじて1回合わせただけで時間切れ。
いや、歌はまあなんとかなるだろう。
問題はスピーチだ。

12時開演。
席は(主賓だから)新郎新婦の目の前。
新郎のケニア人は、日本国内にも幅広い人脈を持つ。
隣りに座っている人は、地方のとある航空会社の社長である。
その隣は、都内に数十軒の店を持つ実業家らしい。
そういうVIP達を差し置いて、このおれが主賓スピーチ。
「若輩者」という言葉が頭を縦横無尽に駆け巡る。
今のおれにこれほど相応しい言葉もあるまい、と。

披露宴でスピーチした経験は何度もあるけれども、しらふの段階でやるのは初めてだ。
たいていは「友人代表」とかいう立場だから、周りには一緒に来ている友人達ががやがやいてくつろいでいるし、話す頃には、会場にも一定のノリができている。
しかし、今回は違う。
会場には、新郎以外に1人の知り合いもおらず、トップバッターである故、場のノリもつかめない。
て言うか、自分のスピーチによってノリを作り出さねばならないのだろう。
どの程度フォーマルにやるべきなのか、どの程度までカジュアルであっても許されるのか、その辺が全く計り知れない。
というような事を考えていたら、案の定ガチガチに緊張して、肝心なことを1つ言い忘れる。
尻上がりに緊張が増し、最後の方は脚まで少し震えているような気がした。
出番が早く終わるからあとは気楽だけれども、後味が悪くてなかなかくつろげなかった。

その後は、シャンパン、ビール、白ワイン、赤ワインと順調に進んで、次第にいい気分に。
結婚式は先月ケニアですまされていて、そのときの様子がDVDで会場に映される。
ケニア人の友人のスピーチや新婦の親族の言葉なども非常によくて、たいへん感じのいい披露宴だ。

最後、新婦から両親への手紙、新郎からのお礼の言葉といったクライマックスの直前。て言うか、そのクライマックスの入り口として、新郎の歌「永遠にともに」が披露される。
そこでギターを弾き、サビをハモるのが私の次のミッションである。
ギター伴奏までする主賓っていうのもどうなの?っていう気もよく考えたらするが、この頃にはもうお酒が進んで、すっかりいい気分になっている。
緊張ゼロ。
音響も、新郎が準備してくれたオベーションのエレアコも、非常に具合がよくて、たいへん気持ちよく演奏できた。
ただし、ハモりは完全に失敗。
もともと自分には無理のあるキーで、ただでさえ裏声を出さなければならないのに、風邪で声がちゃんと出ない上に、酔っぱらっている。
最初の1音を見失ったら、全てがとんでしまった。
酔った頭で瞬時に、これは無理に声を出してはいけない、と判断し、悪いけど新郎1人で歌ってもらうことにした。
あと、たぶんテンポもちょっと遅かったな。
緊張するとテンポはたいてい速くなるんだけども、酔ってると遅くなるのかもしれない。
でも、ギター自体はたいへん気持ちよく弾けたから、おれ的にはまあよしとする。
3時半にお開き。

そのまま徒歩で、予約してあったビジネスホテルへ。
披露宴の式場は新宿西口のホテルで、宿泊先のビジネスは厚生年金会館の近く。
学生時代、厚生年金ホールへ行くには、何の躊躇もなく新宿駅から歩いていたので、そんなに遠くないイメージがあった。
だから、当然歩いていくものだと考えて、靖国通りをぼちぼち歩き始めたが、いつまで経っても着かない。
結局30分も歩く羽目になり、風邪ひきの酔っぱらいでもある故、ぼろぼろに疲れ、ここで体力を使い果たす。

しばし休憩の後、再び新宿東口に戻り、6時に「社長」及び「バロちゃん」と待ち合わせ。

3本目スタート。

バロちゃんはこの10月から生駒を離れ、東京に転勤になった。
その連絡を受け、それじゃあ土曜日に上京の予定があるので、せっかくだから異動祝いに是非一献、という具合で飲むことになった。
東京にいる人々全員に声をかけたが、直前に「さんぽん」さんもキャンセルになり、なんだかんだで結局この3人。
適当な居酒屋を見つけ、披露宴の酔いもさめぬまま、とりあえずビールでスタート。
スピーチと演奏のストレスからも解放され、気遣い不要の気楽なメンツでもあり、風邪と疲れも忘れて、また酒を進める。

そこでふと気がついた。
社長とは割と頻繁に会っている。
先々月も東京で会ったばかりだ。
バロちゃんとも、結構会っている。
年に1度や2度は必ず顔を合わせる。
しかし、この3人だけで飲むというのは、相当に懐かしい感じがする。
そして、よくよく考えると、この3人が東京で飲むというシチュエーションは、実に20年ぶりなのであった。

20年前、すなわち我々が20歳のとき。
奇しくもあの時も新宿東口であった。

社長はその時入った店も覚えていた。
「オランダ屋敷」というチェーンの居酒屋だったらしい。
靖国通りに面した雑居ビルの、6階とか7階とか、かなり上の方にあった。ような気がする。
まだ酒の飲み方もよく心得ていない若造3人は、そこで熱燗をしこたま飲んでいい感じに出来上がり、当時、落合に住んでいたぼくのアパートへ、西武新宿線に乗って帰ったのであった。
帰る道すがら、泥酔した社長は、我々の前を歩いていたサラリーマンのカバンをいきなりぐいっとつかんだ。
バロちゃんとぼくは、すいませんすいません、と代わりに謝ったが、その謝っている2人もヘラヘラヘラヘラ笑っている。
サラリーマンは、酔っぱらい学生3人の愚行に怒りもせず、「楽しそうだねえ」と笑ってすませてくれた。
時代はバブル前夜である。
社長はぼくのアパートに着くと、冷蔵庫の製氷皿から氷を出して、花咲じじいのように床にばらまき始めたのだった。

そのようなことがあったのが、ちょうど20年前なのである。
その時は、ぼくが東京に住んでいて、社長とバロちゃんは京都にいたのだ。
今は、社長とバロちゃんが東京在住で、自分がおのぼりさんになっている。

そうした巡り合わせの妙に3人で少し感動しながら、旧交を温める。
次にこのメンツがここで飲むのは60歳になったときではないか、という話になったら、社長は、60まで生きる自信がない、と言った。
しかし生きていたらお金持ちになっているだろう、とも。
社長は、社長になって以来、週に14回くらい飲み会があるそうだ。
今週は、われわれとこういう臨時の飲みが入ったので、15回になったかもしれない。

結局、1時半まで、延々7時間半飲み続ける。
昼の披露宴から考えるなら、13時間半だ。

2時にホテル帰着。
寝る前に、余っていた漢方薬を水で飲んだら、横になった途端、キリキリとくる胃痛に襲われる。
自分は腸が弱く下痢症ではあるが、胃が痛むことは滅多にない。
疲れ切った胃に、自分が処方されたわけでもない適当な漢方薬を変なタイミングで流し込んだのがいけなかったのか、それとも激しい飲酒後に飲んだのがいけなかったのか、薬は関係なく単に暴飲暴食の因果応報なのか、とにかく2時間ほど痛みに悩まされ、明け方近くまで眠れず。

翌朝は8時起床、9時チェックアウト。
胃痛はおさまっているが、さすがに全身がだるい。
風邪もまだぬけない。

帰りもこだまで爆睡しつつ家に向かい、午後3時頃帰着。
家では息子が1人で留守番していて、自分の帰りを待っていた。
2日も留守にした負い目もあり、また、たいへんいい天気でもあったので、風邪と疲労でかなりきつかったけれども、息子の求めに応じて公園で小一時間ほどキャッチボール。
夜はさすがに酒を抜いた。
何ヶ月ぶりかの休肝日。

かくして東京48時間3本勝負、無事こなしたのであります。

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2007年10月18日 (木)

貧乏論(3)

前回書いた、「貧乏とは何か」についての内田樹の見識は、貧乏についての明快な理解は与えてくれるものの、結局のところ、おのれの「貧乏コンシャスネス」とどのように付き合っていけばよいのかという実際的な指針は与えてはくれなかった。
われわれが求めているのは、実際に貧乏と上手に付き合って生きていくための現実的な処方箋である。
そのためには、内田樹を超える論理が必要になる。

「正しい」論理は必要ではない。
必要なのは、自分を幸福にしてくれる論理だ。
常々、内田樹は、現在において自分をもっとも幸福にしてくれる論客の一人であると思っているのだけれども、その内田樹をしても、貧乏問題についてははっきりとした道筋を示してはくれない。
ここはひとつ、”内田”つながりということで、大正~昭和に渡る貧乏のプロフェッショナル、借金王にして「錬金術」の達人とうたわれた内田百閒先生のお言葉から啓示を得るしかあるまい。

まずは代表作『百鬼園随筆』所収「百鬼苑新装」より。

百鬼園先生思へらく、金は物質ではなくて、現象である。物の本体ではなく、ただ吾人の主観に映る相(すがた)に過ぎない。或は、更に考へて行くと、金は単なる観念である。決して実在する物でなく、従つて吾人がこれを所有すると云ふ事は、一種の空想であり、観念上の錯誤である。
 実際に就いて考へるに、吾人は決して金を持つてゐない。少くとも自分は、金を持たない。金とは、常に、受取る前か、又はつかつた後かの観念である。受取る前には、まだ受取つてゐないから持つてゐない。しかし、金に対する憧憬がある。費(つか)つた後には、つかつてしまつたから、もう持つてゐない。後に残つてゐるものは悔恨である。さうして、この悔恨は、直接に憧憬から続いてゐるのが普通である。それは丁度、時の認識と相似する。過去は直接に未来につながり、現在と云ふものは存在しない。一瞬の間に、その前は過去となりその次ぎは未来である。その一瞬にも、時の長さはなくて、過去と未来はすぐに続いてゐる。幾何学の線のやうな、幅のない一筋を想像して、それが現在だと思つてゐる。Time is money. 金は時の現在の如きものである。そんなものは世の中に存在しない。吾人は所有しない。所有する事は不可能である。

ご覧のとおり、百閒先生の貨幣観は、マルクスのそれに近いと思うのだがどうか。
曰く、金とは観念であり、所有することは不可能である。それは一連の憧憬と悔恨に過ぎない。
百閒読みの間では余りに有名なこの一節のみにおいても、すでに十分な啓示を与えられた気がするが、結論を急ぐことはない。更にいましばらく百閒先生のお言葉に耳を傾けよう。
同じく『百鬼園随筆』の「無恒債者無恒心」より。

抑(そもそ)も、貧乏とは何ぞやと小生は思索する。貧乏とは、お金の足りない状態である。単にそれ丈に過ぎない。何を人人は珍しがるのだらう。世間の人を大別して、二種とする。第一種はお金の足りない人人である。第二種はお金の有り余つてゐる人人である。その外には決して何物も存在しない。第三種、過不足なき人人なんか云ふものは、想像上にも存在し得ないのである。自分でそんな事を云ひたがる連中は、すべて第一種に編入しておけばいいので、又実際に彼等は第一種の末流に過ぎないのである。
 ……(中略)……お金が余れば、お金の値打がなくなり、足りなければ、有難くなり、もつと足りなければ借金するし、借金も出来なければ、性分によつては泥棒になる。泥棒が成功すれば第二種に編入せられ、お金が余り過ぎて、値打がなくなると、澤山つかはなければ納得出来ないから、費(つか)ひ過ぎて足りなくなつて、第一種に返る。あつても無くつても、おんなじ事であり、無ければ無くてすみ、又ない方が普通の状態であるから、従つて穏やかである。多数をたのむ貧乏が、格別横暴にもならないのは、貧乏と云ふ状態の本質が平和なものだからなのである。

金はあってもなくても同じ。無ければ無くてすむのなら、無い方が穏やかであって、貧乏という状態の本質は平和なものである……。
非常によくわかるような気がする一方で、さっぱりわからないような気もする。
もう少し研究が必要なようだ。
続いて『随筆億劫帳』所収「百閒座談」より。

貧乏と云ふ事はただ一つの状態にすぎないね。
私は電車賃のない事は始終で、電車賃がない為に毎日人力車で学校へ出勤した。それで、貴方は田舎に金があるからそんな贅澤が出来るんだと、羨ましさうに云はれた。何、その頃はもう田舎も金もありやしない。目白臺から士官学校に通つた時代です。
それよりもつと以前は、何しろ坊ちやん育ちなのでね、家にお金もまだ少しは残つてゐたから、学費やお小遣は友達よりずつと澤山貰つてゐた。しかし、私が一番貧乏してゐましたよ。貧乏と云ふ事はお金がないと云ふ事ではありませんね。薄給の人で豊かな明け暮れを過ごしてゐる人も随分ありますからね。
 清貧と云ふのはどう云ふのですかね。嘘でせうね。人の眼にさう映るだけの話であつて、俺は清貧に甘んずるなんて云ふ君子はゐない筈だ。

もはや何を言っておられるのかよくわからない。
しかし、ここは慎重に行間を読まなくてはいけない。
言外の意図をすくい取らなければならない。
きっと百閒先生のことであるからして、そうそう一筋縄ではいかないだけである。

先生は清貧を否定している。
借金を重ねる身でありながらも、電車を使わず、借りた金で人力車や自動車を呼んだりして周囲に非難されるエピソードは、著作に繰り返し出てくる。
それは、単に坊ちゃん育ちで贅沢が抜けないだけではない。
その裏には、揺るぎない論理(或いは非論理か)がある。

 借金で一番いけないのは恩借と云ふ奴ですね。利子の附く金はいいが、証文のない借金、それが困る。金高の少いのは一番困る。自分の境遇が変はつてお金があつても、返す事が相手に失礼になつて返せない。つまり、結局有り難く頂戴してその恩を着る。こいつは全く貧乏の産物です。僕の話ではありませんよ。

 貧乏人とは附き合ふものではない。僕は金が出来たら絶交しようと思ふ。格言に、「金を友に貸せば、金を失ひ友を失ふ」と云ふのがある。お金を貸した為に失ふ位の友ならば、先に捨てた方が早手廻しである。……(中略)……
 先づ友達にお金を借りて見る事ですね。さうすれば、相手の人の気持がよく分かります。尤もこちらの気持もお金に対してすなほでなければいけない。僕は此間、貯金の話をした。貯金をしてゐると大概は人に隠す。打ち明ける様な事を云つても実は自分の溜めてゐる額より少く話す。或はありもしないのに澤山溜めてゐる様な事を云ふ。先づそのどつちかですね。ありもしない貯金をある様に云ふのは勿論腹に一物あるからだ。相当溜めてゐる癖に、俺は貯金してゐない、そんな身分ぢゃないなんて云ふ手合ひは、心事の陋劣唾棄すべし。隠し事はいけませんね。

 お金のある貧乏人はつらい。随分古い話ですが、僕には年収六千円以上の時代があつた。三つの学校の俸給を合はせるとその額になつたので、三十歳を出たばかりの当時です。その間ぢゆう苦しかつた。三十四五からはもう貧乏期に這入り掛けた。お金が這入ると人間は貧乏しますね。

……ますますもってよくわからない。
しかし、少なくともどうやらおれは間違っていたようだ。

年収300万でも、「もうこれくらいでいいや」と思えれば勝ちではないか。前々回に書いたとおり、最初はそう考えた。
しかし、百閒先生は、どうもそうではないとおっしゃる。
清貧なんて嘘だ。お金は足りないか有り余っているかのいずれかでしかなく、過不足無いというのはあり得ない、と。
憧憬と悔恨の間には、幅のない1本の線しかないのだ。

百閒先生は、気まぐれでその都度適当に書いていて、それぞれの文章が平気で矛盾している……かのようにも見える。一見そのようにも思える。
単に訳の分からないことを言って面白がったり、対談相手を煙に巻いたりしているだけのようにも見える。
が、恐らくそうではない。
百閒に常に一貫しているのは、結局、「お金なんか大したことではない」という思想である。
お金がほしいという欲望も否定しないし、手にすれば使いたくなるのも当たり前、浪費してしまった後には当然悔恨が残る。しかし、そうしたことに拘泥することがない。また、そんなことではダメだと戒めたり説教したりすることも決してない。
そりゃあ誰だってなければ欲しいし、あれば使いたい。使ってしまった後は惜しくなる。けれども、金は、決して人の一生を賭すほどの何者かではない。百閒先生はそのように曰っておられるのではないか。
「これくらいで十分じゃないか」などという達観を目指すわけでもなく、清貧なんてのは嘘だと切り捨てながら、同時に、「これくらいで十分」という達観や清貧の聖者に等しいほどの心の平穏を、「貧乏」そのもの、「貧乏コンシャスネス」そのものの中に見いだす。
ある時はあるし、ない時はない。
それだけであって、それ以上でも以下でもない。

もったいないなどとケチケチしてお金を後生大事に抱え込み、したいことも我慢しているような生き方は、百閒先生にとっては、誠に愚かなことになる。
十円の金を調達するため、高価な人力車を仕立てて借りに行ったというのもよく知られるエピソードだ。車代に三十円かかっても、それは四週間後の月末払いだから、その時またあらためて考える。

百閒は実際に、借金取りから逃れるために身を潜めて暮らすほどの貧乏な時期も過ごしているし、大切にしてきた品々(師匠夏目漱石からの授かり物さえも)を借金の方に差し押さえられ、家には家財道具が何もないというような状況も経験している。
明日の朝飯どころか、今夕の食事を子ども達に食べさせるにも事欠いたような時代もある。
先の引用のように高給取りの時代もあったし、随筆ブームを巻き起こし人気作家となった晩年には印税収入もかなりあっただろうが、それでも借金との縁は切れなかったらしい。
「お金が這入ると人間は貧乏しますね」というのは、百閒先生の場合、逆説でも何でもない。

必要と感ずれば使いたいだけ使い、なければ借りてまで使い、その結果悔恨にさいなまれ、身の細るような思いもし……と、外から見ると百閒先生は、達観どころか、まるごと一生金に翻弄されているようにも見える。
しかし、それを屁理屈でもって楽々と(でもないだろうけど)かわしている。

他人に清貧や質素倹約を強いるような物言いをされるのは、何となく不愉快だ。
稼ぎが少ないのは努力が足りないからだ、頑張って働け、などと叱咤激励されるのも鬱陶しい。
百閒の言葉には、そのような抑圧が一切ない。
読むと救われた気分にさせられる。幸せになる。
そして驚くべきことに、百閒の方法ならば、内田樹の言う近代市民社会や市場経済の原理にも反することがない。

百閒先生は、現代の親鸞だったのではないか。

「金は時の現在の如きものである。そんなものは世の中に存在しない。吾人は所有しない。所有する事は不可能である。」

けだし至言。
歌の文句のようにリズムもよい。
座右の銘にしたい。

なければ欲しいと思う。どうしても足りなければ借金する。あれば使いたくなる。使ってしまうと惜しくなる。
それは、未来が、現在という幅のない線を通過して過去になっていくのと同じである。
金とは現象であって、それを所有しようというのは観念上の錯誤なのである、と。

最後に、百閒自身の言葉ではなく、弟子の中村武志による客観的な証言も引いておきます。
福武文庫『新・大貧帳』の巻末解説「百鬼園先生の錬金術」より。

昭和八年「百鬼園随筆」が売れに売れて、洛陽の紙価を貴からしめたのであった。印税の一部六百円が年末近くにはいった。その直後、京都の友人甘木さんが五百円を借りに来た時、先生は百円上乗せして、手許の六百円を全部貸して、ご自分は正月のおせち料理もなしに、元旦の祝盃をあげた。その六百円は、敗戦後の昭和二十二年に返済された。昭和八年の六百円と戦後では大変な貨幣価値のちがいがある。千分の一か数千分の一か知らないが、戦前では家一軒が建ち、戦後では日本酒一本が買えるくらいであっただろう。このことは、たまたまそれを目撃した人から直接聞いたのだが、先生はかつてそれを一度も話されたことはない。

 今にして思うが、百鬼園先生は、どんなに貧乏していても、露骨に悲しんだり、嘆いたり、グチをこぼしたことはなかった。淡々として借金の計画をし、自分のために、いくらを現象化し、その残りを多くの小債鬼にいかに配分して返済するか、と細心に配慮した。
 貧乏話には感傷的なところもない。人ごとのように書いておられるから、そういっては申訳ないが、読んでいて自然に笑いがこみあげて来る。
 昭和四十六年四月二十日夕、百鬼園先生が静かに息を引き取られた時、電話機の下に、千円札が四枚と硬貨が数枚あるだけで、借金はほとんど残されていなかった。

……こりゃあやっぱり私ごときが真似すんのは無理だな。

(おしまい)

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2007年10月16日 (火)

貧乏論(2)

貧乏の問題について、内田樹がしばらく前のブログで、非常に明快で、なおかつたいへん納得のいく定義をしていたので、以下、抜粋・要約。
「貧乏」と「貧困」はどう違うか。

 貧困は経済問題であるが、貧乏は心理問題である。数字で扱える問題とは次元が違う。
 日本ではおおざっぱに世帯の年間所得が200万円以下だと「貧困」に類別される。だが、年収2万ドル弱というのは、世界的に言うと、かなり「リッチ」な水準である。日給240円のニカラグアの小作農は年収87600円である。「絶望的な貧困」と申し上げてよろしいであろう。この場合は、どのような個人的努力を積み重ねても、どれほど才能があっても、小作農の家に生まれた子供はその境涯から脱出することがほとんど不可能だからである。
 一世帯年収200万円はその意味では「絶望的な貧困」とは言えない。その世帯の支出費目に教育費が含まれており、収入が主に企業内労働によって得られているなら、それは世帯構成員たちがこの先、個人的努力によって知的資質や芸術的才能を開発したり、業務上の能力を評価されて昇給昇進するチャンスが残されているということを意味するからである。
 だから、日本で社会問題になっているのは貧困ではなく、貧乏であると考えた方がよい。
 屋根のある家に住み、定職を持ち、教育機会や授産機会が提供されており、その上で相対的に金が少ないという状態は「貧困」とは言われない。あちらにはベンツに乗っている人がいるけれど、うちは軽四である。あちらにはGWにハワイに行く人がいるのに、うちは豊島園である。あちらにはシャトー・マルゴーを飲んでいる人がいるのに、うちは酎ハイであるという仕方で、所有物のうち「とりあえず同一カテゴリーに入るモノ」を比較したとき、相対劣位にあることから心理的な苦しみを受けることを「貧乏」と言うのである。

なるほど。非常に明快。
今後は、この定義に従って、「貧困」「貧乏」を使い分けることにする。

 近代以前には、この種の貧乏は存在しなかった。農民が大司教の衣装と自分の衣服を比較して恥じ入るとか、猟師が王侯貴族のような城館に住んでいないことを苦しむというようなことは起こらなかった。生物学の用語を用いていえば、「エコロジカル・ニッチ」(生態学的地位)が違っていたからである。鼠が象を見ても「あんなに大きくなりたい」とは思わないのと同様である。

 貧乏とは、私が端的に何かを所有していないという事実によってではなく、他人が所有しているもの(それは私にも等しく所有する権利があるはずのものである)を私が所有していないという比較を迂回してはじめて感知される欠如である。
 第二次世界大戦が終わったあとの敗戦後の日本はたいへんに貧しかったけれども、人々の顔は総じて明るかった。それは日本人全員が同程度に貧しかったからである。「共和的な貧しさ」(関川夏央)のうちに人々は安らいでいた。私は1950年の生まれであるけれど、50年代までの日本社会の穏やかな空気をまだ覚えている。
 そのあと日本は「貧困」から脱して豊かになったけれど、「貧乏人」はむしろ増えた。豊かさに差が生じたからである。
 1950年に六畳一間の貸間に住んでいる一家はまだ少なくなかった。だから、住人たちもそのことを深く恥じてはいなかった。それは偶有的な不運によって説明可能だったからである。だが、1960年には、そのような家に住むのは例外的な少数になり、親たちは自分の子どもがそのような家に足を向けることを禁じた。貧しいことは能力や意欲の欠如とみなされるようになったからである。そのようにして、貧乏は「共和的」であることを止めた。

 渡辺和博が『金魂巻』で「○金」「○ビ」という二分法で、「ビンボくさい」というのはどういうふるまいを指すのかを論じてベストセラーになったのはバブル直前の1984年のことである。このとき、もはや「貧困」は社会問題ではなくなっていた。問題なのは「貧乏」であり、人が「貧乏」であるかそうでないのかを識別することには、この時点ですでにかなり複雑な手続きを要するようになっていた。
 年収の多寡はもうここでは主要な識別指標ではなくなっている。「○ビ」の特質とされたのは、「他人の所有物を羨む」というメンタリティそれ自体だったからである。クリエイティヴでイノベーティヴな「○金」の人々は自分の規範に従い、自分の欲望に忠実である。一方、模倣的で追従的な「○ビ」の人々は他人の規範を模倣し、他人の欲望に感染する。

えー、ほとんどまるごと引用してますが、長くなったついでにもう少し。

 貧困はとりあえず前景から退いたが、貧乏は日を追って重大な社会問題となっている。それは貧乏が記号的なものだからである。
 貧乏は金の不足が生み出すのではない。貧乏は「貧乏コンシャスネス」が生み出すのである。誰でも他人の所有物を羨む限り、貧乏であることを止めることはできない。そして、たいへん困ったことに、資本主義市場経済とは、できるだけ多くの人が「私は貧乏だ」と思うことで繁昌するように構造化されたシステムなのである。

 当然ながら、どれほどものを買っても、「他人が有しているもの(それゆえ私にも所有権があると見なされているもの)」を買い尽くすことはできない。市場は消費者が「私は貧乏だ」と思えば思うほど栄える。外形的にはきわめて富裕でありながら、なお自分を貧乏だと思い込んでいる人間こそ市場にとって理想的な消費者である。だから、企業もメディアも、消費者に向かっては「あなたは当然所有してしかるべきものをまだ持っていない」という文型で(つまり、「あなたは貧乏人だ」と耳元でがなり立て続けることによって)欲望を喚起することを決して止めないのである。ナイーブな人々はそのアナウンスをそのままに信じて、おのれの財政状態にかかわらず、「私は貧乏だ」と考えて苦しむことを止めない。そのようにして資本主義は今日まで繁昌してきた。

 「私は貧乏だと思って苦しむこと」は(定義上からしても)人間をあまり幸福にはしない。できれば、「これだけ所有していれば、もう十分豊かであるので、苦しむのを止めようと考える」方が精神衛生上はよろしいかと思う。だが、「私はすでに十分に豊かである」と考える人はたいへん少ない。もちろん、それには理由があって、そんな人ばかりになったら、消費は一気に冷え込んでしまうからである。

 他者の欲望を模倣するのではなく、自分自身の中から浮かび上がってくる、「自前の欲望」の声に耳を傾けることのできる人は、それだけですでに豊かである。なぜなら、他者の欲望には想像の中でしか出会えないが、自前の欲望は具体的で、それゆえ有限だからだ。自分はいったいどのようなものを食べたいのか、どのような声で話しかけられたいのか、どのような肌触りの服を身にまといたいのか。そのような具体的な問いを一つ一つ立てることのできる人は求めるものの「欠如」を嘆くことはあっても、「貧乏」に苦しむことはない。

 貧乏コンシャスネスは「万人が平等」であるという市民社会の原理の「コスト」であり、市場経済の駆動力である。それゆえ、これから先も日本人はますます貧乏になり、資本主義はますます繁昌するであろうと私は思う。
 まあ、それも仕方がないか、というのが私の考えである。私たちの社会を住み易くするための原理として、とりあえず近代市民社会と市場経済以外の現実的選択肢を思いつけない以上、貧乏くらい我慢するしかあるまいと私は思っている。

このとおり内田樹の書いているのは、簡単にまとめると、「貧乏」とは金の不足ではなく「貧乏コンシャスネス」が生み出す心理問題である、ということになる。
そして、その論理的帰結として、内田樹は、『近代市民社会と市場経済以外の現実的選択肢を思いつけない以上、貧乏くらい我慢するしかあるまい』と結論づけているけれども、それは論理の流れとしてそうなってしまうということであって、恐らく本音のところは、『できれば、「これだけ所有していれば、もう十分豊かであるので、苦しむのを止めようと考える」方が精神衛生上はよろしいかと思う』という部分だと思う。
できればそのように生きる方が、理想としては美しい。

やり方は簡単であって、要は、「近代市民社会と市場経済」から「降りて」しまえばいいのである。
例えば、うちの田舎の伯父母などは、インターネットなど意味も分からないし、テレビもニュースとのど自慢くらいしか見ない。
毎日田んぼや畑の世話をするくらいで、世間にどのような「欲望」が流通しているかといった情報から限りなく疎外された生活なので、「他者の欲望」に極めて感染しにくい状況で暮らしている。
収入はわずかな年金のみだけれども、米も野菜も自前だから、喰うに困ることはない。
いや、現実にはそれでもかなりの「貧乏コンシャスネス」を抱いているようだけれども、つまりは、このような生活か、願わくば更に情報から隔離された環境に身を置けばいいのである。
理屈ではそうなる。

しかし、だ。
そんなことが可能か。
いや、そもそも、可能であったとしても、もはやそんなことを現実的にしたいと心から思えるか。
無理だ。
可能でもないし、したいとも思えない。

近代市民社会と市場経済から「降りる」ことなく、なおかつ「貧乏コンシャスネス」を持たずに生きる。
そんな風にはいかないものか。
内田樹の論理は明快で説得的だけれども、そのような方法までは教えてくれない。

そうした離れ業に挑むには、内田樹を超える論理的跳躍が必要と思われる。

(つづく)

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2007年10月15日 (月)

貧乏論(1)

うちは貧乏だ、金がない金がない、と、愚妻と2人して口癖のように言ってばかりいるので、いつの間にやら2人の子供達にも貧乏人の子供としての自覚を植え付けてしまったらしく、何かというとすぐに「うちはびんぼうだから」と言うようになった。

実際、我が家の家計は非常に厳しい。

愚妻は金がないのを苦にする割には、仕事をしようという気はないらしく、年収ゼロの専業主婦をもう8年も続けている。
月々の収支は、常に「少し赤」~「大幅に赤」であって、通帳の残金がマイナスにならない月はほとんどない。(銀行には、月々30万までは自動的に無担保で借金できるという便利なシステムがある)
マイナスになると、メールでアラートが来るようにしてあって、ボーナス時にストックしておいた「非常時用資金」から補填してしのぐ。
だから、ボーナスはその決して少なくない部分が「非常時用資金」のアカウントへ直行するのであって、6月も12月も、特に楽しいことは起こらない。

これからはさらにどんどん子供にも金がかかるようになるだろう。
この状況をどう打開していけばよいのか、というのは、それなりに大きな問題なのだけれども、かと言って、急に金持ちになれるわけでもない。

パートでもいいから愚妻が少しは働けば金銭的にはかなり違うとは思うけれども、そうすると、さらに家事の分担を要求されるのは必至であろうし(今でも少しはやってますよ。念のため)、忙しい忙しい等という愚痴の聞き役にもならねばなるまい。
本人が働きたいと思うのでなければ、無理に仕事してもらっても、それが幸福な状態を生み出すということは考えにくい。

かと言って、宮仕えの身であるからして、自分の収入が劇的に増えることはあり得ない。
世帯収入を増やす方策は、現実的には、ほぼないと言ってよい。

だとすれば、金のないことを嘆いたり、金持ちになろうとしたりするのではなく、貧乏を楽しめるようになる、貧乏でいいじゃないかと思えるようになる方向へ、意識を改革していくのが最もよりやり方ではないかと思う。

いや、貧乏だ貧乏だと自分では言っているけれども、実態として我が家は、決して世間様に向かって堂々と「貧乏」を名乗れるほどの低所得ではない。
世間一般の同年代との比較の上で見た自分自身の給与収入はもちろんのこと、世帯収入としても、(うちは私の給与所得=世帯の所得ですが)、世間全般からすれば、上中下の中、松竹梅の竹くらいのランクにはあるだろうと思う。
確かに、学歴だけはそれなりに高いせいか、学生時代の友人知人などはほとんど皆が高給取りになっていて、普段、そういう人々との比較においてしか自身の境遇を考察しないので、日常の意識としては、上中下の下、松竹梅の梅としての自覚が強いけれども、世の中全体に向かって胸を張って貧乏だなどと言ったら石が飛んでくるに違いない。

実際、金がない金がないと言いながらも、月々はちゃんと積立もしてるし、子供に習い事もさせているし、発泡酒じゃなくてビールしか飲まないし、4年前には新車も買った(もう新車じゃないな、それは)。
そんなに高望みしなくてもこれで十分じゃないかと言われれば、反論はできない。
いや、平均的な給与所得なのに、一馬力では妻一人子二人の4人家族でも月々赤字になってしまう日本社会ってどうなの?って気もするけど。

て言うか、そもそも貧乏とは何なのか。
客観的にはとても堂々と貧乏を名乗れる資格などない程度の収入はあるにもかかわらず金がない金がないと嘆いているのは、そもそも心構えが悪いのではないか。
いや、単純に持ち金が多い少ないの問題で言うのならば、いったいどのくらいの金があれば、「もっとほしい」と思わずにすむのか。
もうお金なんていらないや、って思えるほどのレベルにまで達することがどうせできないのならば、年収300万と年収2000万の差はどれほどのものなのか。

金持ちであることを楽しむのはたやすい。
しかし、真の金持ちというのは、もはや金のことを全く気にしていない状態であるのが本当であって、金がたくさんあることを喜んでいるうちは、「もっとほしい」という心理的な飢餓状態に常時移行可能であるという点で、貧乏人と大きな差がない。

逆に、貧乏であることを嘆くのもまたたやすい。
それは多くの人々が毎日やっていることだ。

であるならば、貧乏であることを楽しめるようになれば、それが勝ちなのではないか。
「もういいや、これくらいで十分だ」と思えれば、人生は穏やかで平和である。
負け惜しみでなく「もういらないや」と感じることができるのであれば、それはもはや金のことを全く意識する必要のない大金持ちとも大きな差がない。

年収300万の人が、「もういいや、これくらいで」と思えるようになるのは、年収2000万の人がそう思えるようになるのよりも、恐らくかなり難しい。
しかし、年収300万の人がそのように思えるようになるのであれば、その達観は、年収2000万の人の達観よりも、ずっと強靱で深みがあるはずである。
辿り着くのは大変かもしれないけれども、300万の方が、より高いところへ辿り着けるはずだ。
うーん、よかった、貧乏で。

(つづく)

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2007年10月 8日 (月)

連休

3連休突入前夜の金曜は、「3」、教祖とその上司及び同僚と飲み。
少し会わないうちに「3」は口ひげをはやしており、たいへんむさくるしい。とてもまともな社会生活を送っている人間には見えない。
しかも、はやし方が70年代風と言うか、往年のチャールズ・ブロンソン風と言うか、いんちきイタリア人風と言うか、何か間違っている。
要するにパッと見て誰もが思い浮かぶのはスーパーマリオであって、キャップまでかぶっているので、飲み屋でもみんなにマリオのテーマを歌われている。
12時過ぎまで飲み、いつものことながら、眠気で絵に描いたような見事な酔っぱらい風の千鳥足になっている「3」を何とか歩かせて、家まで連れて帰る。

土曜日。
土日の2日間はお祭り。
午前中に子供神輿があるので、二日酔いを我慢しながら早朝から近所の神社へ。
子供会の引率ではっぴを着て昼前まで延々練り歩く。
「3」も連れて行ったが、髭のせいであまりに見た目が怪しく、愚妻も知り合いと思われたくないのか、いくぶん距離を取って歩いている。
「3」は、さすがに全く縁もゆかりもない地域の子供会の神輿にも付き合いきれず、1時間ほどで離脱して帰った。

午後は少しだけ祭り見物。
あとは家で休息。少し昼寝。
夕方からは、親戚の関係で、車で30分ほどの温泉旅館へ。
温泉に入ってから親族で夕食。
他の皆は泊まりだけれども、我が家は泊まらずに夜遅くに帰宅。

日曜日。
朝6時半起床。7時半プレイボールの早朝ソフトボールの試合に出るため、小学校のグラウンドへ。
子供会がらみの付き合いで、人数が足りないからということで急遽助っ人を頼まれた。
ソフトボールやるのは全く問題ないけれども、朝早いのがきつい。
行ってみたら、やってるオヤジ達は半分以上が50代で、40はまだ若造。
レベルはほどほどに低いので、安心して楽しめた。

帰宅後、すぐに祭り見物へ。
年々人が増える。
どこからこんなに集まってくるのか。
2時間ほど適当に回って子供にいろいろ買い食いさせたり遊ばせたりしておしまいにする。
最後にやらせたヨーヨー釣り。
1回100円で、3個まで釣れる。
小3の息子は、不器用な上にバカ正直なので、普通に取り組んで1個釣り、2個目のときに糸が切れて終了。
5歳になったばかりの娘は、首尾よく3個釣り上げる。
小さいくせにえらく器用なもんだと感心していたら、どうもそうではないらしく、インチキしているとのこと。先っちょの金具のところを直接手に持って釣るという堂々たる反則技。しかも確信犯。
そりゃ何個でも釣れるわ。
娘は着実に狡猾なキャラへと育っている。女は怖い。

連日の深酒と睡眠不足で、午後はさすがに眠さに耐えきれず、しばし昼寝。
娘が最近「UNO」にハマっていて、枕元に執拗にカードを配ってくるのを何度も無視しながら、何とか2時間ほど寝る。

毎年書いているけれども、拙宅は祭りのメイン会場から道をはさんですぐのところにあるので、朝から晩まで、12時間以上YOSAKOIの騒音地獄が続く。
毎年書いているけれども、あのYOSAKOIっちゅうのだけはほんとにもう……。
音楽自体も騒音でしかないけれども、YOSAKOIのチームって、何か必ずMCみたいなことやってるリーダー格がいて、「そりゃー」とか「うらー」とか「そーれそれそれそれー」とか、常に吼えまくるのよな。
太鼓とかお囃子とかだけの、静かで穏やかな祭りはもう帰ってこないのだろうか。

いつも買い物しているスーパーの角の広場ではライブイベントをやっていて、看板を見ていたら、午後につボイノリオが1時間ほど出るのを発見。
これは見逃せまいと思っていたのだけれども、昼寝してて寝過ごす。
不覚。

夜は、手筒花火だけ見に行く。
市町村合併のおかげで、かつては遠くの山村であった地域が「市内」となり、その地域の伝統芸が見られるようになった。
初めて見たけど、たいへんよかった。
YOSAKOIを逃れて来ている見物客たちのノリも、はしゃぎすぎず、盛り上がるべきところはきっちり盛り上げ、実によい。
これだ。おれの求めていた祭りは、これだ。
火の粉のシャワーを浴びながら花火を抱えているおっさんを見ていたら、酔いも手伝って、たいへん気分がよくなってきた。
ついつい「ひゅーひゅー」とか大声を出し、愚妻にたしなめられた。

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2007年10月 5日 (金)

宵の危機

今日から天気予報では「宵のうち」という表現をやめて、「夜のはじめ頃」という言い方にするとのこと。
「宵のうち」は、「夜6時から9時頃」を表すために使っていたのだけれども、「もっと遅い時間帯を表す言葉だと理解されている」からだそうで。

なるほど、大辞林で引いてみますと、「宵」は、
①夜になってまだ間もない頃。夜がそれほどふけていない頃。初更。
というだけでなくて、
②よる。夜間。
というのも出ている。

確かに、「宵越しの金は持たねぇ」とか言われると、わりと深夜っぽい気もする。
うちの親は、夜更かしする奴を指してよく「宵っ張り」という言葉も使う。

でも、「まだ宵の口だ」とかも言うし、金星を「宵の明星」と言ったりもするわけで、本来はやはり「夜になってまだ間もない頃」なのだろうと思う。

紛らわしいのは認めます。
でも、「夜のはじめ頃」はちょっとどうかしら。

「宵のうちは雨が残りますが、遅くにはやんで……」とか言えば、文脈でだいたいわかるんじゃないでしょうか。
て言うか「……のうち」っていう言い方自体が、まだ序盤であるというムードを既にぷんぷんにおわせているのであって、それだけでもだいたいわかりそうなもんだ。

それに、天気予報でくらい頻繁に「宵のうちは……」とか言ってくれなきゃ、下手すりゃ「宵」という言葉自体が忘れ去られかねない。
テレビで使ってくれれば、「とうちゃん、ヨイノウチって何?」とか子供にも訊かれると思うんだけども、どうでしょう。

正確を期さねばならぬという気持ちはわかるけど、この言い換えは、大変遺憾に思います。

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2007年9月23日 (日)

運動会

今日は息子の小学校の運動会。
朝6時半に息子に起こされ、小学校のグラウンドまで自転車で走って場所取りに。
6時半でも既にほとんど好位置は残されていない。
今年は例年になくみな気合いが入っている様子だ。
ただし、「好位置」というのは、トラック周辺の最前線ではなく、運動場の隅っこの木陰。
昨年までの反省から、今年は絶対に日陰にシートを敷こうと決めていたのだけれども、さすがに今年の残暑の厳しさは皆に同じ事を考えさせたらしい。

実際、地獄のように暑かった。
やはり運動会というのは、秋晴れの爽やかな日にやりたい。
今日は大阪で観測史上最も遅い猛暑日(35.1℃)を記録したとのことだけれども、地球がそのようになってきたのであれば、運動会シーズンも考え直した方がいいんじゃないかと思う。
子供も、観てる方も、熱中症になりはしまいかと心配になる。

しかも、今年は愚妻がPTAの役員で広報担当なもんだから、写真撮影の任務を命じられている。
木陰の席はなんとかぎりぎり確保できたものの、自分はほとんど炎天下で写真撮りっ放し。
どうせ使われるのは数枚だと聞いているので、うちの小型のチャチなデジカメでポイントだけ撮っておけばいいだろうとタカをくくっていたのだけど、うちの実家の親が、デジタル一眼レフ、ソニー(て言うかミノルタだよな)α100を持ってきた。
それを使わせてもらうことになって、ちょっとやる気が出てしまい、ほぼ全競技撮影することに。

うーん、やっぱ圧倒的に使いやすいな、デジタル一眼。
ほしい。
とてもほしい。

お弁当の時間、炎天下の撮影で既にバテており、ビール1缶に、冷たいお茶をがぶがぶと摂取。
そのせいで、午後は腹を下す。

腹痛に耐えながら、午後も撮影。
午前中になまじっか気合い入れて撮りまくったため、他の広報担当者の手前、午後も引くに引けなくなってしまった。
結局250コマくらい撮影。
パン食い競走にも出場。

ちなみに、息子は、徒競走で、5人中5位。
いいよ、わかってたよ。
本人もさほど気にする様子もなく、ずっと前から、組体操とアトラクション競技に期待して今日の日を楽しみにしていた。
楽しけりゃいいよな、うん……。

しかし、いまどきの子供の運動能力の低下は、データを見るまでもなく、徒競走やリレーの様子を眺めているだけでも明らか。
リレーのバトンタッチとか、もっとちゃんと指導すりゃいいのに。
リレーも、少子化でクラス別対抗戦が成立しないため、全学年一斉の地区別のみ。
やっぱクラス対抗がないと盛り上がらんよね。

夕方帰宅すると、完全に夏バテ症状。
食欲がない、というようなことは普段はあり得ないのだけれども、久しぶりに体験できた。
脂っこいものが喰いたくない。
でも、ビール2缶飲んでほぼ復活。
まだ体の火照りはとれませんが、ブログ書ける程度には戻りました。

明日はお彼岸の墓参り。
その後はたぶん芋掘りします。
もしかすると栗ひろいも。
また暑いんだろうな。

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2007年9月 6日 (木)

味ごはん

うちの田舎では、味ごはん、と言う。
かしわめし、とも言う。
世間でよく聞くのは、かやくごはんとか、五目ごはんとか、炊き込みごはん、とかだけれども、それらが本当にみんな同じものを指しているのかどうかはよくわからない。
鶏肉を中心に、人参や牛蒡やしめじや、春なら筍なんかを炊き込んだりする、あれです。

一昔前は、少なくともうちの田舎では、年忌だの何だので村の人々を家に呼んでご馳走するとなると、飼っていた鶏を一羽絞めて、この味ごはんをふるまったらしい。
ごく最近にも、田舎の伯父が長らく飼っていた鶏を絞めて味ごはんにしたことがあった。
玉子を産まなくなったから絞めたのであって、若鶏ではないので、肉はガチガチに固かったけれども、皮からはいい按配の脂が出てつやつやとごはんが光り、味も濃厚で美味であった。

さすがに今どきはもう生きた鶏を自分ちで絞めるということは極めて稀だけれども、それでもいまだにうちの田舎の伯父宅の村落では、何かと言うと必ず味ごはんを炊く。
隣りが何回忌だっただの何だの、そういうので、よくお裾分けの味ごはんをもらう。
今年の盆に墓参りに行ったときも、夜になって盆踊りに出かけたら、会場では味ごはんが無差別にふるまわれていた。

そして、うちの伯父宅で作る味ごはんも、その隣家で炊く味ごはんも、そのまた向こうの家の味ごはんも、盆踊りでふるまわれる味ごはんも、全てだいたい皆同じ味である。
決して世間一般によくある味というわけでもない。
コンビニのおにぎりになってるやつや、外食で口にするものとはずいぶん違う味だ。
それなのに、うちの田舎の一帯では、どこの家が作ってもみな同じような味になる。
愚妻も、「何処の家のもみんな同じ味!」と最初は驚いた。

田舎では、村の人たちを呼んでご馳走するということになると、近所の女の人たちがみんなその家のお勝手を手伝いに集まる。
それでみんなで協力して味ごはんを作る。
そうやっているうちにレシピが共有され、多数の女性の手によって次第に改良・改善が加えられ、結果、ご馳走料理である味ごはんは、どこの家でもだいたい同じような味になったのだと思われる。
出来不出来、得手不得手は当然あるのだけれども、基本レシピはみな同じに違いない。

うちの母親は、その基本レシピに個人的な改良を加えたのか、何か特別なコツがあるのか、基本は同じ味なのだけれども、村一帯に共通した水準から頭ひとつ抜けた、ほんの少しレベルの高い味ごはんを作ることができる。
ごはんがべったりせず、つやつやと光って美味い。
自分が食べるのは嫌いらしいのだけれども、自他共に認める数少ない得意料理のひとつであって、それだけに子供の頃からうちの定番メニューだった。

うちの親父は、昔から、味ごはんを食うと、鶏肉だけ分けて食べ残した。
肉がいちばん美味いのに、と子供の頃は思っていたけれども、近年だんだんその気持ちがわかってきて、いつしか自分も鶏肉だけ残すようになった。
味ごはんの鶏肉はしょせんだしガラだ。

また、親父は、味ごはんをお茶漬けにする。
薄めにいれた熱いお茶を、冷めた味ごはんに注ぐ。
鶏の脂が表面に浮いて見栄えはあまりよろしくないし、いかにも下衆の食い物といった趣だけれども、美味い。

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2007年9月 3日 (月)

せざる・をえない?

いろいろバタバタしておりまして間が空きましたが、前回の流れで、またひとつ思いつきました。

「○○せざるを得ない」、という言い方がありますけれども、あれを、「せざる・をえない」と分節して発語する人、結構多くないですか?
その言い方を聞いていると、おそらく彼らは、「せざる・えない」、と勘違いしているのではないかと思われます。
そういう感じのイントネーションで発語してます。
「おえない」って何? 負えない? 終えない?

「○○せざるを得ない」というのは、無論、「せざる(=しない)」という状態「」、「得ない(=可としない)」の意であって、「しないわけにはいかない」という意味でしょう。
2つに分節するなら、「せざるを・得ない」であって、「せざる・を(お?)えない」ではたいへん気持ちが悪い。
日常の会話でも間々用いる表現なので、音から覚えた人が何か勘違いしてしまっているのだと思います。

もうひとつ思いつきました。
「どこからともなく」、という表現がありますが、あれを、「どこから/ともなく」と分節して発語する人、多くないですか?
「どこからともなく」、というのは、無論、「特にどこからというわけでもなく」、の意であって、敢えて2分節するならば、「どこからとも・なく」でしょう。

いや、「どこからともなく」というのは通常一息に発語しますから、「どこから」と「ともなく」の間にブレスが入るわけではないですし、「どこからともなく」は完全にひとかたまりのセットフレーズ化してますから、逆に「どこからとも・なく」と理屈どおりのイントネーションで発語することの方がむしろ不自然に感じられるのもわかります。
でも、発語者の微妙なイントネーションから、このセットフレーズが、「どこからとも/なく」であるということを正しく理解している人と、何も考えずに「どこから/ともなく」というミーニングレスな分節を行っている人の違いは、やっぱりわかってしまいます。
具体的に言うと、「どこからともなく」を、 ̄___ ̄___ (高低低低高低低低)というイントネーションで発語する感じがどうも好きではありません。
これは恐らくわかっていない人のイントネーションでしょう。
願わくば、 ̄___ ̄_ ̄_ と発語していただきたい。もしくは、_ ̄ ̄ ̄ ̄_ ̄_、か。

それでまたもう一つ思い出しましたけれども、「(モノなどが)なくなる」というのを、本来の構造どおりに、「なく・なる」、つまり、 ̄_ ̄_ と発語する人が年配の人にはときどきいて、そういうのを聞くと少し嬉しい気分になります。
「なくなる」という言葉は、それでひとつの自動詞のように意識されていることが多いですが、よく考えると、(て言うかそれほど考えるまでもなく)、これは「無いように・なる」の意であって、例えば「暗くなる」とか「赤くなる」とかと同様に、「無く・なる」と発語されてしかるべきだろうと思うわけです。
そして、実際にそのように発語する人がたまにいます。
「かくなる上は」っていうのは、「このようになった以上は」の意でしょうけれども、その「かくなる」と同じイントネーションで「なくなる」を発語するおじさんおばさんが好きです。

でも、だんだんそういう味わい深い日本語を話す世代も、前線からは退去しつつあるようで、寂しい限りであります。

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2007年8月21日 (火)

それはちょっとうなづけません

前回のエントリーから派生しました、「うなづく」or「うなずく」、の問題について、その後、つらつらとネットを検索しておりましたところ、意外な事実がわかってきましたので、報告します。

結論から言うと、国は、内閣告示「現代仮名遣い」(昭和61年7月1日)なるものによって、「ジ」「ズ」と発音するものは、原則的に「じ」「ず」と表記すると決めちゃっているとのこと。
つまり、何でも「じ」「ず」と書くのが基本
ただし、例外として、「ぢ」「づ」を用いる場合として、以下のようなパターンを挙げている。

(1)同音の連呼によって生じた「ぢ」「づ」
例)  ちぢみ(縮)、ちぢむ、ちぢれる、ちぢこまる、つづみ(鼓)、つづら、つづく、つづめる、つづる、
[注意] 「いちじく」「いちじるしい」は,この例にあたらない。

なるほど。まずは納得。
次。

(2)二語の連合によって生じた「ぢ」「づ」
例)  はなぢ(鼻血)、そえぢ(添乳)、もらいぢち、そこぢから(底力)、ひぢりめん、いれぢえ(入知恵)、ちゃのみぢゃわん、まぢか(間近)、こぢんまり、ちかぢか(近々)、ちりぢり、みかづき(三日月)、たけづつ(竹筒)、たづな(手綱)、ともづな、にいづま(新妻)、けづめ、ひづめ、ひげづら、おこづかい(小遣)、あいそづかし、わしづかみ、こころづくし(心尽)、てづくり(手作)、こづつみ(小包)、ことづて、はこづめ(箱詰)、はたらきづめ、みちづれ(道連)、かたづく、こづく(小突)、どくづく、もとづく、うらづける、ゆきづまる、ねばりづよい、つねづね、常々)、つくづく、つれづれ

ふむふむ。これも特に異議なし。
「はな+ち」=「はなぢ」等々、前回のエントリーで書いたとおり、どれも2語の連合による音便化の例として納得できる。
問題はこのあと。
(2)にはまだ続きがあるのだ。

なお,次のような語については,現代語の意識では一般に二語に分解しにくいもの等として,それぞれ「じ」「ず」を用いて書くことを本則とし,「せかいぢゅう」「いなづま」のように「ぢ」「づ」を用いて書くこともできるものとする。
例)  せかいじゅう(世界中)、いなずま(稲妻)、かたず(固唾*)、きずな(絆*)、さかずき(杯)、ときわず、ほおずき、みみずく、うなずく、おとずれる(訪)、かしずく、つまずく、ぬかずく、ひざまずく、あせみずく、くんずほぐれつ、さしずめ、でずっぱり、なかんずく、うでずく、くろずくめ、ひとりずつ、ゆうずう(融通)
[注意] 次のような語の中の「じ」「ず」は,漢字の音読みでもともと濁っているものであって,上記(1) ,(2)のいずれにもあたらず,「じ」「ず」を用いて書く。
例)  じめん(地面)、ぬのじ(布地)、ずが(図画)、りゃくず(略図)

おいおい、それでいいのか。

要するに、ほんとは2語の連合なんだけども、「現代語の意識では一般に二語に分解しにくい」から、「じ」「ず」と表記することを本則とする、と。
でも、なんだったら別に「ぢ」とか「づ」とか書けば?、みたいな。
みなさん疑問をお持ちであった、「うなづく」も「ひざまずく」も「ひとりずつ」も、みなこの範疇に分類されている。
つまり、このブログにコメントを書き込んでくださる皆さんは、例外的に「一般の現代語の意識」よりも高いレベルの知性を持ってしまった方々だということになる。
そして、そのような知性を持ってしまった人々は、残念ながらそのような知性を持ち合わせなかった「一般の」人々に合わせて、気持ち悪いかもしれないけれども「じ」「ず」と表記するのを「本則」としろ、と。
だけど、別に「ぢ」「づ」って書いたってかまわんよ、と。
そういうことになる。

いや、確かに前回のエントリーにコメントつけてくれた方々の知性が高いことは重々承知している。
しかし、「世界中」を「世界+中」に分解できることが「一般的な意識」ではないというのはいかがなものか。

ちなみに、やっぱり「うなづく」は、調べてみると、「項(うな:「うなじ」に同じ by 広辞苑)+肯く」、つまり「うな+つく」であって、この因数分解ができる知性を持った人にとっては、どうしても「うなづく」でなければならないだろうと思う。
「ひざまづく」のは、「ひざま+つく」なのか、「ひざ+ま+つく」なのか、「ま」の意味がアホやからわからへんが、とにかくどうやら膝をついているっぽいというのはアホだけどわかる。
「頷く」「跪く」という表記ができてしまっている以上、「現代語の意識では一般に二語に分解しにくい」というのもわかる気はするけれども、だからと言って『もうわかりにくいから「じ」と「ず」でいいじゃん』的な安易な妥協案というのはいかがなものか。

個人的には、「いなずま」とか「でずっぱり」とか「くろずくめ」とか「ゆうずう」とか、相当違和感ある。
いや、それ以前に、「じ」と「ず」が本則だけど別に書きたかったら「ぢ」とか「づ」とか書いてもいいよ、みたいなやる気のなさはそもそもどうなのよ。

「じ」なの? 「ぢ」なの? どうなの? と、こっちは何となく気持ちが片づかなくて騒ぎ立てて、こういう些末なことであーでもないこーでもないと言ってちょっと面白がったりもしているっちゅうのに、挙げ句に出された答えが「別にどっちでもいいです」ではしらけるではないか。

ともあれ、『「ぢ」「づ」を用いて書くこともできるものとする』というギリギリのお許しはいただけるようなので、私の知性の及ぶ範囲内においては、できる限りは「ぢ」「づ」で通してやろうと思う。

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2007年8月12日 (日)

世論、読本、地震

「世論」は、「よろん」と読むのであって、「せろん」ではない。
昔、そのように教わったので、「せろん」は間違いであるとずっと思っていたのだけれども、最近は「せろん」の方が多数派になってきたようで、テレビなんかでも「せろん」って言ってる奴がいるのが何となく気にくわない。
辞書で調べた限りでは、世論はもともと「輿論」であって、紛れもなく「よろん」なのだけれども、戦後の漢字制限で「世論」という表記が用いられるようになり、以後「よろん」と「せろん」があいまいになった、ということのように思われる。
してみると、「世論」が、「輿論」という語の表記方法だけを代替したものであると解釈するならば「せろん」は間違いだが、「輿」という漢字が使えなくなった際に、「世論」が「輿論」という語そのものを代替する別の語として発明されたというのならば、「せろん」という読みも必ずしも間違いとは言い切れなくなる。
そう言われれば、「世」を「セ」と読むのは音読みだが、「よ」と読めば訓読みになる。
「論(ロン)」は音読みだから、そういう意味では「セロン」が自然であって、「よロン」というのはいわゆる湯桶読みだ。
それでもやっぱり「せろん」が気にくわないのはおさまらない。

「文章読本」は「ぶんしょうとくほん」であって、「ぶんしょうどくほん」ではない。
しかし、身の回りの人々がみな口を揃えて「どくほん」と言うので(国語教師さえもが)、心配になって辞書で確認したことがある。
そしたらやっぱりこれはどうしたって「とくほん」であって、「どくほん」でも構わないという法はない。
にもかかわらず、これまで、「ぶんしょうとくほん」と正しく読む人に接することの方が逆にまれなくらいなのはどういうことか。
たまたまでしょうか。

いや、他人の誤読を責めることができるほど自分がしっかりしているわけでは決してないですよ。
実際、二十歳を過ぎるまで、「相殺」は「そうさつ」、「御用達」は「ごようたつ」だと思ってたし。
自分の間違いは気がつかないけれども、他人の間違いは気になるだけです。もちろん。

あと、ちょっと話は違うけれども、地震を平仮名では「じしん」と書くのが、昔から納得いかない。
「地」の読みは「ち」であって、それに濁点がついたら「ぢ」じゃないの?
「ぢしん」ぢゃないの?

本来、「じ」と「ぢ」は、音も違う。
しかし、日本人は、「じ」と「ぢ」の音の違いを、意識の上では区別していない。
音声学上のややこしい話は省略するけれども、「地震」と発語するときの「地」の音と、「大地震」と発語するときの「地」の音は、違っている。(敢えて言うなら前者が「ぢ」で、後者が「じ」)
その発音の違いによって「ぢ」と「じ」を区別するような仕組みに日本語はなっていないのだから、「ぢ」なのか「じ」なのかという問題は、「ち」に濁点なのか「し」に濁点なのかという方面からしか合理的な整理ができない。
「鼻血」は鼻から出る血(ち)だから「はなぢ」だし、「身近」は自身に近(ちか)いことだから「みぢか」である。
「お茶漬け」はお茶に漬(つ)けるから「おちゃづけ」だし、「片付け」は片を付(つ)けるから「かたづけ」だ。
なのに、「地震」は何故「じしん」なのか。

そう思って、今、念のためオンラインの漢和辞書で「地」を引いてみたら、音読みとして「チ・ジ」となっている!
あ、そうか、「ジ」はもしかして「チ」に濁点がついたわけではなくて、もともと「チ」と「ジ」の2種類の音読みがある、と……そういうことか!
そう言われれば、「はなぢ」は「はな+ち」の音便だし、「みぢか」も「み+ちか」の音便だけれども、「じしん」はそうじゃないもんな……。

すいません、これはこれにて解決、か。
やっぱり文章に書いて整理してみるっちゅうのは大事だな(笑)。
失礼しました。

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2007年6月30日 (土)

表記と発音

前回の橋本治『これで古典がよくわかる』の中で、気になった箇所がひとつだけあったのを思い出した。

ところで、古典の言葉は「言文一致」じゃありません。「てふてふ」と書いて「蝶々」と読む、「行きませう」と書いて「行きましょう」と読むのが、古文の書き方です。だから、藤壺の中宮の発音も、本来の彼女の発音どおりじゃないんです。一番身分の高い藤壺の中宮は、いたってリラックスなさって、《嬉しかべいこと》を「うれしかんべーこと」と発音したんです。……

果たしてそうなのか。
《嬉しかべいこと》を「うれしかんべーこと」と発音したのは、それはそうかもしれない。
B音は、じっくり発音すれば直前にM音がくっつく。
でも、「てふてふ」は、当時そのように発音したからそのように表記していたはずだ。……というのを何かで読んだように思う。

は行の音については、奈良時代以前は「パピプペポ」とP音で発音されており、平安の頃には「ファフィフゥフェフォ」とF音(音声学ではもっと厳密に区分しますが)。現在のような「ハヒフヘホ」というH音になったのは江戸初期だとされている。(例えば、http://www.asahi-net.or.jp/~hi5k-stu/nihongo/hagyou.htm とかを参照)
つまり、奈良時代以前は、「今日はいい天気だ」を「けふはよきひなり」と書いて、「けぷはよきぴなり」と発音していたはずだ……っていう例を何かで読んだ。
ん? でも奈良時代にはまだ平仮名ないよな……。おかしいな、この例……。

とにかく、このように、「今日」を「けふ」と書いたのは、そのように発音されていたからに他ならないわけで、そうでなければわざわざそんな表記にする理由はない。
「けふ」の発音は、ケプ → ケフゥ → ケウ → ケオ → キョウ と変遷したらしい。
つまり、そのレベルでは、「言文一致」であったはずだ。
「きょうこ」という名前も、奈良時代以前なら「けぷこ」だ。

実は、英語も同じである。
英語は綴り字と発音の関係がランダムであるので、世界の学習者にたいへん評判が悪い。
book  の「oo」は「u(ウ)」の発音なのに、root だと同じ「oo」でも「u:(ウー)」になる。
だから単語ひとつひとつ個別にスペルを覚えなければならない。
発音できても正確に書くことができるとは限らないのが英語の面倒なところだ。

しかし、英語も最初からそんなひねくれた表記をしていたわけではない。
昔は「book」と書いて、「ボオク」のように発音していたのである。
て言うか、「ボオク」と発音していたからこそ、「book」と表記したのだ。
その時点でスペルは定着したが、後に発音だけが変遷していった。

発音は時代と共に徐々に変わっていくけれども、印刷技術が出現し、辞書等が出回るようになってそこに単語がいったん収録されると、その時点でスペルは固定化されてしまう。
以後、綴り字は変化しないが、発音だけが途方もなく変わってしまったために、日本の中高生は今日も単語の暗記に苦労するのである。
特に「大母音推移(Great Vowel Shift)」と呼ばれる時代の存在がきつかった。
なぜ、どんな風に発音が変わっていったかについては、ウィキペディアでこの「大母音推移」を調べてみてください。

もちろん、発音と表記が一致しない理由はそれだけではない。
例えば guitar、guest、guess……等、g の後には発音しない「u」がよくくっつくけれども、これはフランス語の綴りのマネするのが流行ったからだそうだ。

それにしても、古代の日本人や昔のイギリス人は、いったいどんな話し方してたんだろうか。
きっと今よりもっとずーっとゆっくりで、1音1音ていねいに、歌うように話していたのではないかという気がなんとなくする。

今日はちょっと無理してアカデミックなネタに挑みましたので、補足・訂正等していただける方、みえましたら是非よろしく……。

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2007年6月12日 (火)

授業参観と珠算教室

小3の息子の授業参観。
昼に2時間休みを取り、仕事の合間に参観。
5限目、算数。

最初に割り算のプリントをやる。
毎時間やっているらしい。
2桁÷1桁の割り算が65問並んでいる。
先生が3分間計る。
よーいどんで開始。
3分で全部解ける子はタイムの短縮を目指す。
できたら「はいっ」と手を挙げて、先生が「○分○秒!」とタイムを教える。

3分でできない子は、前回よりも1問でも多く解くことを目指す。
3分経ったらみんなで答え合わせ。

今日、一番速い子は1分7秒。
さらに1分台が5人ほど続く。
息子のクラスは全部で25人くらい。
2分台に入ると続々と手が上がり、半分以上の子は3分以内に全て解ける。

さて、うちの子は……。

わかってる。
昨夜、家でもやってたから。
3分で35問しかできなかった。
今日、急にできるわけないよな。
でも、お前、「クラスで真ん中くらい」って言ってなかったか、おい。

やはり公文(くもん)に通っている子が強いらしい。

まあいいさ、速さだけが問題じゃない。
正確さの方が大事だ。
でも、速いこの方が確度も高いんだよな、えてして……。

そのような己の計算力に不安を抱いたわけでは絶対にないと思うが、先日、息子がソロバンを習いたいと言い出した。
どういう風の吹き回しかわからんが、習いたいと言うのなら習わせてみるかということになった。
公文よりはソロバンの方が好感が持てるし。

近所にある珠算教室は、ずーっと昔からやってる老舗だ。
うちの親父の代から名門である。
息子の友だちも何人か通っているらしい。
そこでいいだろう。
て言うか、いまどきはソロバンも流行らないようで、そこしか選択肢がない。

そういうわけで、今月からソロバン開始。

で、初日。
下の娘も連れて、愚妻が同行。
以下、愚妻と息子の話のポイントを要約。

・先生は80歳
・「あんたは何年生だ?」と20回は聞かれた
・「今は夏休みだからのう」と繰り返す。夏休み中だと思ってるらしい。
・で、もうすぐ夏が終わると思っているらしい。
・退屈そうにしていた4歳の娘を見て、「あんたもやるか?」とテキストをくれた
・でも、息子に渡したテキストより難しいやつだった
・て言うか、息子に渡したテキストが簡単すぎ
・おかげで約10日経過した現在、ようやく息子と娘、同レベルで並ぶ
・それでも娘に「追いついた!」と満足げな息子。それでいいのか、お前は
・て言うか、「ちょーかんたん!」とか言って、楽しいらしい、息子
・結果的には正解なのか……?

贅沢は言いません。
読み書きそろばん。
それだけきっちりできるようになってくれたらお父さんはそれでいいです。
何か得意なことがひとつくらいあると嬉しいけどなあ。

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2007年5月20日 (日)

南伊勢ツアー

去年まで観光開発関係の部署にいたうちのボスがレアなツアーを企画してくれたので、昨日は家族4人で参加。
ケニア人、ブラジル人、中国人、オーストラリア人のスタッフも全員参加で、職場の人々と総勢10人余で、県南部へ。
南伊勢町というところで、伊勢志摩からほど近いこの辺は、特にこれといった目玉になるような観光資源があるわけではないのだけれども、食べ物は美味いし、ただ車で走っているだけでも気持ちがいい漁村。
ほんとにいいところなんだけれども、かと言ってじゃあ何があるのかと言われると、特に目玉がないのでわかりやすい説明がしづらいという、微妙な感じの場所だ。
昔はこの辺の民宿に毎年泊まりに来ては、海産物を喰らい大酒を飲んだ。

午前中は、竹炭を焼いている民家にお邪魔して、竹炭石鹸づくりの体験。
石鹸の素みたいなのを火にかけて溶かし、そこにパウダー状にした竹炭を混ぜて、竹筒に流し込む。
固まったら竹筒を割って、真っ黒い石鹸を取り出します。
なかなか楽しい。

続いてお昼は、またまた別の民家に移動して、鯛の塩がま焼き体験。
まずは、30cmくらいの立派な鯛の、ワタとウロコを取り除きます。
そして、大葉と昆布で鯛をくるみ、卵白を混ぜた大量の塩でその鯛をまるごと包み込んで、オーブンで焼くこと約30分。
ほんとは炭火で焼くらしいけど、時間と手間の都合により今回はオーブンで。
卵白によってがちがちに固まった塩のコーティングを、木槌でたたき割って食べます。
大葉と昆布の出汁が実によく効いていて、美味。
同時進行で作った鯛飯も最高でした。
おかわりし続ける子ども達。

午後はいよいよ港に移動。
小さな漁船に乗せてもらって沖へ。
養殖している鯛にエサをやるツアー。
一応ライフベストは着るんだけれども、実にラフで無防備な感じ。
漁船も無防備だけれども、沖に出たら、船からそのまま養殖の筏に立って降りる。
幅30cmほどの板を踏み外せば、すぐ海に落ちます。
うち、4歳の娘もいるんすけど、お構いなし。
こんなの、大手の代理店とかがからんでいたら、120%許されない企画だと思います。
観光協会のおねえさんは、「落ちたら船長が拾いますから」とか言ってへらへら笑ってる。
さすが。漁村の人はそうでなくちゃ。大らかでいいなあ。
折からの強風でへっぴり腰になりながら、全員、養殖の鯛にエサを与える。
うひょー、とか嬌声をあげながら走り回る息子。
うーん、楽しい。

最後は、穴子と蛸の仕掛けの網を引き上げる。
それなりに重いから、うちの息子がやると今にも海に落ちそうになっているのだけれども、船長、平気で笑って見てます。
残念ながら穴子は不発だったけれども、蛸はでかいのを3匹ゲット。
なんと船長、3匹ともお土産にくれました。

少し湾内をクルージングしてもらい、最後は港に戻ってその蛸をぶちぶち皆に切り分けてもらう。
切り分けてもぐねぐね動き回り続ける蛸の各部位に、外国人は著しく動揺(笑)。
引き取り手が少ないので、取り分が多くなった。

以上でツアー終了。
これだけ充実して、費用は信じられないくらい安い。
ボス、ありがとうございました。

夕方、家に帰着して、早速もらった蛸を料理。
生で食べる、茹でて食べる、唐揚げにして食べる、最後はタコ焼きの蛸づくし。
連れて帰ったケニア人スタッフと Wii で盛り上がりながらビールがんがん飲んで、蛸、ほぼ食い尽くす。

充実しました。

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2007年5月12日 (土)

火事

昨夜、いつもより少し遅めの時間に自転車で帰宅して、家のすぐ近くまで来たところ、どうもきな臭い。
どころか、気がつけば辺りには折からの強風で西の方からどんどん煙が流れてきて、消防車と救急車が走り回っている。
空を見ると、西の方がぼんやり明るく、その上には真っ黒な煙が充満している。
かなり近そうだ。
ちょっと行ってみることにした。

自転車で5分も走ると、火事の現場であった。
既に野次馬が結構集まっている。
消防車はまだまだ足りないらしく、続々とやって来る。
出火した家はすごい勢いでめらめら燃えていて、全焼は免れ得ないであろう。
不幸中の幸いか、強い風は西から東に吹いていて、燃えている家の東側は道路である。
もし逆向きに風が吹いていたら、家が密集している側が風下になり、たいへんなことになっていたに違いない。
それでも、びっちりと隣接している西側と南側の2軒には、延焼しているように見えた。
南側の家には消防隊員が2階の窓から入っていく。
逃げ遅れている人がいないか見に行くのだろうか。

野次馬がどんどん集まってくる。
携帯で写真撮ってる奴も多いけれども、それはちょっとどうかと思った。
やがて地元のテレビ局も来た。
そのあたりでもう帰ることにしたのだけれども、後で聞いたら、老人が2人亡くなったとのこと。

まだ燃えさかっている火事の現場を目撃したのは、これが2回目だ。
初めて見たのは、学生で東京にいた頃だった。
何やら外が騒がしいと思ったら、住んでいたアパートから歩いて5分くらいのところで火事があり、冬の夜だったのだけれども、上着を着込んでわざわざ見に行った。

39年で2回というのは、火事との遭遇体験として多いのか少ないのか。

それにしても、やはり新建材のせいなのか、いまどきの家は、燃えると異臭がする。
近くにゴムの工場もあるので、最初はそこが燃えているのかとおもったくらい。
目の当たりにすると、やっぱり相当怖いです、火事は。

今日、息子のソフトボールの練習について行って、お昼に終わった後、昨夜の現場を改めて見に行ってみたら、現場検証か何かなのか、まだまだ消防や警察がたくさんいて、まだ煙が少しくすぶっていた。

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2007年5月 7日 (月)

今年のゴールデンウィークは

4月28日(土)
田植え。田舎の伯父母宅へヘルプに。
今年は減反がないので、朝から夕方までみっちりかかって植える。
一時的に雨も降ったが、まずまずのコンディション。
田植えの敵は、雨よりも風だ。
暑すぎず寒すぎず、気分よく作業できた。
田植機の操作力が年々向上しているのが自分でもわかる。
子ども達も苗箱を運んだり洗ったりして、少しは役に立った。
稲作も、籾まきと田植えと稲刈りを手伝うくらいなら、レジャーだ。
昼も夜もビール。
肉体労働の爽快さ、というのももちろんあるのだけれども、それ以上に、自分たちの食べるものを作るという、極めて明快な目的のために体を使って作業するということ自体、気分がいいのだと思う。
やはり労働は、その目的と結果がより単純で明快である方が、精神衛生上よい。

4月29日(日)
絶好のレジャー日和。
だが特に何もせず。
午前中は娘と、午後は息子と、自転車で近辺をぶらぶら走り回る。
娘とは公園へ、息子とは商店街巡り。
下手に出かけて渋滞に巻き込まれるよりもこの方が楽しいのだ。と自分及び家族に言い聞かせる。

4月30日(月)
またも絶好のレジャー日和。
だが特に何もせず。
午前中、息子はソフトボールの練習に。
その間、娘と近辺を散歩しながら、公園を3つはしごする。
4歳児にとって、公園とはかくも楽しいものなのか。
何がそんなにおもしろいのか、おとうさんにはわかりません。
午後は久しぶりに息子の宿題とピアノをみてやったら、あまりの不甲斐なさにだんだん腹が立ってきて、時間をかけてみっちり指導。
息子、半ベソ。すまん。

5月1日(火)
休み取った。
が、雨。
息子は小学校、娘は幼稚園なので、昼過ぎまではマンガ読んだりしてだらだら過ごす。
2時頃娘が、3時頃息子が帰ってくる。
家にいて、子どもが元気に学校から帰ってくるのを迎えるのが好きだ。
今日も1日元気に過ごせたか、ケガしたりしてないか、辛い目にあったりしてはいまいか、などとくだらない心配がやっぱり少しはどこかにあって、にこにこしながら帰ってくるのを見てほっとして嬉しくなる。
そういうときに、子どもがいるっていうのはいいなあと思う。

5月2日(水)
出勤。
トラブル発生中で、外へ出たりして、1日中バタバタしたけれども、何とか定時には仕事終える。
夜は、教祖、「3」と飲み。
近頃行きつけの店に18時から入り、24時過ぎまで延々飲む。
常連客や店員を続々と巻き込み、3人で飲み始めたはずが、最終的には10人近くで飲んでいる、という、ここ最近のパターン。
変な店だ。

5月3日(木)
快晴。
昼前にY先生一家が来訪。
昨夜からうちに泊まっている「3」も連れて、みんなで潮干狩りに。
天気がよすぎて暑いのではないかと思われたけれども、海の風はまだまだ涼しくて、実に快適。
最高の潮干狩り日和だ。
うちから車で5分も走れば、潮干狩りに好適な遠浅の海岸に着く。
観光客がバスで乗り付ける辺りにはアサリがばらまいてあると聞くけれども、その代わりに人もごった返すので、数百メートルポイントをずらす。
アサリはほとんど採れないけれども、バカ貝(青柳)は結構採れる。
周りを見ていると、マテ貝を採ってる人がいて、面白いように採れている。
砂の表面を鍬などでさっとかいてマテ貝の穴を見つけ、そこに塩を入れると、にゅっと顔を出す。その瞬間を逃さずにつかまえます。
たいへん楽しい。
マテ貝がこんなに採れるとは思わなかった。準備してくればよかった。
ぼくが子どもの頃は、天然のアサリがごく普通にいくらでも採れて、バカ貝なんぞには見向きもしなかったけれども、今はバカ貝でも採れればありがたい。
砂を吐かせるのが面倒なので、湯がいて身だけを取り出して、その湯の上澄みで1つ1つ砂袋を裏返して洗い、わさび醤油でいただきます。
おもったより美味しかった。

5月4日(金)
せっかくのゴールデンウィークなんだから1日くらいはどこかに連れて行け、というようなことで、朝から車で当てもなく出発。
なるべく渋滞のなさそうな方向へと考え、東紀州に狙いを定める。
狙い的中で、渋滞知らず。
紀勢自動車道が途中までだけどできているおかげで、うちから紀伊長島まで1時間で着く。
特に当てがないので、地図を見ながら適当な海岸の公園で止まって、子ども達を遊ばせる。
この辺りの海岸は砂浜じゃなくて砂利浜なので、嫁も子どももすぐ石拾いに夢中になる。
岩場を探索すると、イソギンチャクやウミウシなどもいるし、小さいウニをつかまえている子どももいた。
「道の駅」でサンマ寿司などを買って、海辺で昼食。
午後は更に南へ1時間強走って、熊野の鬼ヶ城へ。
よくわからないけれども、息子、興奮。
どうもこの奇観がスリリングらしい。
すみからすみまで歩くと相当な距離なのだけれども、4歳の娘も結局最後まで全部歩いて、帰りもまた同じ道を歩いて引き返した。
その後、七里御浜に移動して、こいのぼりを見て終了。
帰りは尾鷲の回転寿司で夕食(美味い)。
海山の古里温泉に浸かって、21時半帰着。
意外と充実した。

5月5日(土)
朝から娘の友だちとそのお母さんが遊びに来る。
家が幼児だらけになって大変なので、息子を連れて2人で外へ。
本屋や博物館や公園に行ったりして時間をつぶし、ラーメン食っていったん帰宅。
午後は息子のソフトボールの練習について行く。
子ども会のソフトボールチームなのだけれども、いまどきは子ども会に入っている子自体がまず圧倒的に少ないこともあって、いくつかの会が合併してやっと1チームできる状態になっている。
上手な子もいるけれども、数が全然足りない。
うちの息子は見ていてどきどきするくらい下手くそなんだけれども、頭数として重要なので、コーチはおだてて褒めたおして、何とかやる気を維持しようと努力してくれているのがわかる。
うーむ。
夜は、一昨日、Y先生にいただいた伊賀牛で、家で焼肉。
伊賀牛、美味い。
松阪より上か。

5月6日(日)
雨。
午前中は自分の部屋の片付け、掃除、衣替え。
午後は子どもの宿題につきあったり、スーパーマリオやったりしてだらだら過ごす。
明日から仕事。
いそがしくなる。
ゴールデンウィーク終了。

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2007年4月24日 (火)

今年もピアノ発表会

昨日は子ども達のピアノの発表会。
今年は息子と共演することに。
年賀状の一部に子ども達がベースとギターをそれぞれ抱えて写っている写真を使ったら、それをピアノの先生がめざとく見つけて、レッスンのときに、「この楽器は誰の? お父さんのなの? 発表会、出てもらって!」、ということになったらしい。
ぼくもそう言われるとまんざらでもないので、承諾。
息子のピアノと、ぼくのベース、それとギターの先生も加わって、トリオで「カントリー・ロード」(♪country road, take me home~ ってやつ)を演奏する。
選曲したのは先生です。
ポピュラー寄りの音楽教室なので、ピアノ以外にも、サックスやドラムやブルース・ハープやフルートや、いろんな先生がいる。
ドラムも入れようかという検討もなされたらしいが、見送りになったらしい。正しい判断だ。
リハは1回のみ。それも10分くらいで3回合わせただけだけれども、要は息子さえちゃんと弾ければそれでよいのだから、特に問題なし。
原曲はごく単純だけれども、多少ひねったコード進行にアレンジしてあって、弾いててもそれほど退屈じゃない。

そういうわけで、昼前に会場へ行って、簡単に音合わせ。
午後イチで発表会スタート。

まずは、プログラムの2番目で、4歳の娘が今回、発表会デビュー。
……のはずが、名前を呼ばれても舞台そでから全く出てこない。
もしや、と思って冷や汗が流れたその瞬間、「お母さん、舞台そでまで来てください」とのアナウンス。
案の定、そでで泣いている。
後で聞いたら、「おじぎするのが恥ずかしかった」とのこと。
やはりそででの待ち時間、ずっと1人にしておいたのがいけなかったか。

とりあえず娘の順番を飛ばしてもらって、プログラムが進行する間に、延々愚妻がなだめて説得を試みるも、泣きやまず。

そうこうしているうちに、プログラム27番、息子とぼくの出番に。
娘はやたらとセンシティブなんだけれども、逆に息子は、もう3回目ということもあってか、緊張感あまりになさすぎ。
出番直前までずーっと「ドラゴンボール」読みっぱなし。
そでに行く時間になって、「おいっ」と声をかけても「ん?」とか言っている。
そういう風なので、固くなることもまるでなく、テンポもばっちり、ミスタッチもゼロで、実に無難に演奏終了。
お気楽なのも、こういうときだけはうまく作用する。

次の難関は、プログラム34番、息子と娘の連弾「月夜」。
もちろん娘はまだ泣いている。
「どーでもいーや」って風の息子に愚妻が懸命に働きかけ、娘の説得を手伝わせる。
息子、あろうことか、成功報酬を要求。
しかし、こういうときはさすが子ども同士と言うべきか、兄の懐柔に、娘、すんなり応じる。

けろっとして、2人で舞台へ。
間違えることなく、落ち着いた弾きっぷりで無事演奏終了。

友だちに花束ももらって、娘、すっかりご機嫌に。
結局、いったん飛ばしてもらった娘のソロは、後半のトップに持っていくことになったのだけれども、待っている間、「わたしの順番、まだなの? 早く弾きたい」などと言っている。
「わたし、さっき上手に弾いたでしょ?」とも。
うーむ。
小学校5年生の出順に混ぜてもらって、無事出演。
ミスなし。最後のリタルダンドもきれいにキメた。
しかし、自分と愚妻はバタバタしっぱなしで、落ち着いて鑑賞する余裕なし。

全般的な印象としては、総じて昨年よりレベルが高かったような気がした。
下手な子がどんどんやめているのか、それとも全体がぐんぐん伸びているのか。

毎年注目している天才肌の兄妹がいて、今年も楽しみにしていたのだけれども、妹の方がいなくなっていた。
やめちゃったのか、それとももっとすごい先生に弟子入りしたのか。
兄が今年5年生で、妹は2年生ぐらいだったと思う。
去年は妹の早熟ぶりがすごくて、きっといつか兄を超えるだろうと思っていただけに、見れなくて残念。

しかし、兄ちゃんの方が、やっぱりすごかった。
去年はちょっと弾かされてる感じが出てきちゃってたんだけれども、今年は違った。
子ども、すげえ。
1年見ないと、えらいこと成長する。

指が速くまわるだけの子ならたくさんいるんだけれども、この兄ちゃんが別格なのは、この年齢にして曲想の理解がちゃんとできていることと、音楽を演奏する心構えみたいなものが既にしっかりとわかっているところだ。
なぜここでクレッシェンドなのか、なぜここでテンポを上げるのか、子どもは普通、指示されているからそのように弾いているだけであって、楽曲の中での必然性をちゃんと理解していない。
だから、曲が自分のモノにならない。
才能のある子は、そこのところが全然違う。
曲の意図をちゃんとわかっている。

兄ちゃんの今年の曲は「バウムクーヘン」。
ぼくはよく知らない曲だけれども、やはり難曲であった。
そでから出てきて、おじぎして、イスに座っても、この子だけはすぐに演奏を始めない。
時間をかけてイスの高さを調節し、何度も座り直して位置をじっくり定める。
鍵盤に手を置いてからも、すぐには始めない。
コンセントレーションを高めているのがわかる。
不機嫌そうな、気難しそうな表情も、なんかかっこいい。
グレン・グールドみたい。
うーむ、どうやったらこんな子に育つんだ。

聞けば、この兄ちゃん、ピアノだけでなく、勉強もスポーツも、何でもすごーくできるらしい。
むむむ。
そこまで行くともう悔しくもないです。

この兄ちゃんが演奏している頃、うちの息子は、すっかり発表会にも飽きて、会場の外で嬌声をあげながら、娘を従え、右手にロールケーキ、左手にピーナッツサンドを持って走り回っていたのである。

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2007年4月21日 (土)

少年法

14、15歳の子どもも刑事裁判にまわすことが可能になる「厳罰化」を骨子とした少年法改正案が衆院を通過した。
少年犯罪が「凶悪化」してきたから、「厳罰化」することによって対応すべきだ、ということらしい。

この厳罰化の法案が持ち上がってきた頃、吉本隆明は、それは逆だと言っていた。
少年犯罪が凶悪化しているとするならば、逆に、少年法の保護主義を更に拡大しなければならない、と。

内田樹も、昨日のブログでほぼ同じ事を書いている。
http://blog.tatsuru.com/2007/04/20_0936.php
たいへんわかりやすい。

少し考えれば誰でもわかることだと思う。
厳罰化で少年の「凶悪犯罪」が抑止されるわけがない。

話は変わるけれども、昨日の教育再生特別委員会での、安倍首相の「ゆとり教育」見直しについての発言。
「子どもの自主性を尊重するあまり、結果として学ぶ意欲の低下につながっている」

つまり、翻訳すると、「子どもに好き放題させてたら勉強なんかするわけねえんだから、もっとびしびし管理しろ」、と。
それも逆です。
今の子どもは、昔の子どもに比べて、明らかに「かまわれ過ぎ」なんである。
昔の子どもなんて、もっとずっとほったらかしだったでしょうに。
ゆとり教育を見直すこと自体はともかくとして、こんな認識で「見直し」てるんだとしたら、ろくなことにはならんだろうなあ……

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2007年4月16日 (月)

地震顛末記

昨日の地震、うちの辺りは震度5弱。
発生時、ぼくは子ども2人を乗せて車を運転中だったのだけれども、地震だということはわからなかった。
ただ、車が左側に沈み込むように、「ぐにゃっ」っていう感じでハンドルを取られたので、一瞬ひやっとした。
最初は道路が陥没していたのか等と思ったけれどもそのような様子もないので、パンクしたか何か、車の方の異常だと思った。

その足でスーパーマーケットへ。
店内は乱れた様子もないので最初はわからなかったけれども、たまたま耳に入ってきた店員同士の会話でどうやら地震があったらしいことがわかり、その時点で初めて、さっきの「ぐにゃっ」が地震であったことを悟る。

スーパーから出て、駐車してあった車の方へ歩いていくと、見知らぬおばさんが近づいてきて、「すみません、ぶつけちゃいました」、と。
よく見るとうちの車の前のバンパーが歪んでいる。
うーむ。

とりあえず警察に電話してくれと命ずるも、地震直後とあって、携帯はなかなかつながらない。
なんとかつながって、おばちゃんと近くの警察署へ。
警察署のおまわりは皆既に地震対応の初動に入っており、事故処理どころじゃない様子だけれども、まあテキパキと事故届けの処理完了。

帰宅すると、職場から非常参集の電話が入ったとのこと。
そうだった、県内で震度5強以上の地震が発生したときは、とにかく職場に行かなければならないのであった。
ちなみに拙宅での被害は、壁面にこしらえた棚からキューピー人形が3体と、洗面台から愚妻の化粧品1個が落ちたのみ。
以前、震度4のときはもっとずっと色んなモノが落ちたので、今回のはモノが落ちにくい揺れ方だったのかもしれない。

電車は当然止まっているので、出勤しようにもできない場合はやむを得ないのだけれども、そこは自転車で10分で行けてしまう立場上、大したことはないだろうと思いつつも、行かないわけにはいかない。
結局、うちのセクションは、たまたま休日出勤だった2人を除けば、「参集」したのは自分1人。
某国大使館からの問い合わせの電話を1件受けたのみで、2時間ほど待機して、参集解除。

夜は、家族と実家の祖父母で回転寿司へ。
混んでいたので、待っている間、近くの大型電気店で時間をつぶしていたところ、大きな余震発生。
この地域にはブラジル人がたくさん住んでいるのだけれども、たまたまこのときには店内にブラジル人が大勢来ていた。
ブラジル人、慌てる慌てる。
みんな一目散に店外へダッシュ。
それは余計あぶないよ。

その昔、Tレックスが初来日したときに比較的大きな地震があって、地震のない国イギリスから来たマーク・ボランは、「地面が割れる」とかよくわからないことを言ってショックで寝込んでしまい、コンサートが1日キャンセルになったそうだけれども、その話を思い出しました。

いやあ、やっぱり地震は怖いです。

ちなみに、前日からうちに遊びに来ていた「3」は、昼前に拙宅を出て、近辺を散策中に被災。
もはや引き返すにも中途半端な距離で、かと言って電車は全てストップ。
帰るに帰れず、ものすごい距離を踏破して何故か温泉に入る等、意味不明の紆余曲折を経た後、結局親に電話して車で迎えに来てもらうまで、実に10時間近く難民化していたそうです。

震災豆知識。
地震でガスが止まったマクドナルドでは、ドリンクしかオーダーできません。

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2007年4月 9日 (月)

マラカトゥ、春眠不覚暁

昨日は、職場の人に誘われて、ブラジルの民族音楽を演奏するグループに初参加。
打楽器ばっかりのアンサンブルで、一度演奏を見たことはあったのだけれども、楽しそうだったのでよくわからないまま誘われるがままに参加させてもらったら、「マラカトゥ」と呼ばれる、ブラジル北東部の音楽であるとのこと。
家に帰ってからネット等で調べてみると、元はアフリカのルーツで、ニューオーリンズのマルディグラみたく、集団で仮装してパレードしながら演奏するものらしい。が、資料が少なく、詳細不明。
CDも見当たらない。

とりあえず初めてなので、まずは覚えることに集中したのだけれども、同じパターンの繰り返しなので、個々のパートはさほど難しくはない。
16ビートのポリリズムなので、ハマってくると気持ちよく、延々同じことを繰り返すので、もっと上手くいくと、おそらくはトランス的な快楽がもたらされるタイプの音楽だろうと思う。
月イチペースで練習するとのことなので、今後も参加させてもらおうと思う。

その練習で疲れたわけでもないと思うのだけれども、夕食後、子どもを寝かしつけていたらそのまま寝ちゃって、結局朝まで13時間睡眠。
ここ数日はこのパターンが多かったのだけれども、さすがに13時間は今季最長記録。
春眠暁を覚えず。って、この時期になると毎年書いてる気がするな。
春~夏になると、髪や髭もよく伸びるようになる気がする。
体が単純にできているのかもしれない。

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2007年4月 5日 (木)

Sometimes It Snows in April

やけに冷えると思っていたら、東京では雪が降ったそうで。
4月の降雪は19年ぶりとのこと。

19年前の1988年は東京に住んでいて、4月に雪が降ったときのことは覚えている。
Prince の名作『Parade』のB面ラストに「Sometimes It Snows in April」というバラードがあって、「おお、歌の文句のとおりだ」と思った。

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教育改革

傾いてきた会社を立て直すにはどうすべきか?という問いに対して、吉本隆明は、「まず従業員の給料を上げます」というようなことを言っていた。気がする。
そして、仕事選びで大切なのは、まずその職場の環境であって、それは例えば日当たりがいいとか雰囲気が明るいとか机が広々としていてきれいであるとか、そういうことをとにかく重視すべきだ、とも言っていた。気がする。
働く環境や人間関係がよければ、仕事内容が多少きつかったり退屈だったりしても、続けられるものだ、と。言ってた、たぶん。

そうやって考えてみると、安倍内閣がやろうとしている教育改革は、正にそれとは真逆の方向に進んでいると言える。

問題を起こす教師が多い、教員の質を高める必要がある、というのは、まあ百歩譲って認めるとしてみる。
いや、ほんとはそう簡単に認めていいのかどうか、疑問です、もちろん。
全国に教員が何十万人いるのか知らないけれども、例えばそのうちの1人が「いじめに加担していた」というので、教員全体が著しく倫理感に欠けたけしからん奴らだとでもいうようなムードがあっという間に醸成されて、まずは教師をしっかり管理・監督しろといった方向に世論も誘導されていく。
そもそも、その「いじめに加担していた」というのも、現場の空気はもっと微妙だったかもしれないわけで、もしかするとそんな一言で言い切ってしまえるような単純な状況ではなかったのではないかという推測の余地はいくらでもある。
いじめというのは、通常、子ども同士であっても、被害者と加害者の境界が微妙であるケースが多々あるからだ。
でもまあいいですよ、はい。百歩譲って認めてみましょう。不的確教員、多いのも事実でしょう、ええ。ぼくもたくさん実例を知ってます。教員の質を高める必要はあります。
少なくとも低くする必要はないですから、高めましょう。

さて、教員の質を高めるにはどうすべきか。
もっとも確実で手っ取り早くて効果的なのは、おそらく、
①教員の給料を上げる。
②個々の教員の自由裁量をぐぐっと広げる。
この2点に尽きる。

安倍内閣は、まさにこの真逆をやろうとしている。
そうでなくとも、この10年ほどで、教員をめぐる環境は、おそろしく息苦しくなった。
今回の教育改革は、それにダメを押そうとしている。
教員免許を10年ごとに更新?
これだけ教員の時間的余裕がない中で、毎年、単純計算で教員の10人に1人が、「研修」のために、職場を離れることになるのだろう。
どんな「研修」をやってくれるのか知らないが、それが、ただでさえ人手の足りない現場にいかに負荷を与えるかは、想像に難くない。

いや、そもそも、こんなに教員免許を乱発行(そんな言葉あるのか知らないけど)してるのは一体誰だというのか。
大学でちょこちょこっと必要な単位を取ってたった2週間の実習さえこなせば、卒業と同時に免許がもらえる。
どう考えても、そっちを見直すのが順序として先だろうし、経費的にも軽いんじゃないだろうか。

そう言えば、教員免許を持っている文科省の若手職員を教員として公立学校に派遣して研修させる、なんちゅうプランも浮上しているらしい。
確かに、官僚に現場を直接体験してもらうのは実にいいことだ。
でも、そうやって誰でも彼でも簡単に教壇に立たせることの方が問題多いんじゃないの?
その前に、頼むから教育再生会議のメンバーに、1人でいいから現場の人間を入れてくれ。

今年の大学入試では、教員養成系の志願者が目に見えて減少している。
当たり前だ。
ただでさえ、「今どきの子どもたち」を相手にするのがたいへんにややこしい仕事であることは、誰もが気付いている。
その上に終身雇用も保証されず、待遇も悪くなる一方となれば、誰もなりたがらないわ、そりゃ。

免許更新制を実際にやってるのはアメリカだけだそうだけれども、それは、先進国の中でもアメリカの学校教師はとりわけ質が低いからだ。
生徒が解ける問題を解けないような教員がざらにいるような状況だからこそ、更新制が必要とされている。
同じ方法を日本に導入して、いったいどんな効果を狙っているのか。仮に真意が、「不適格教員の排除」以外の別のところにあるとしても、まるで理解できない。

そんなことより、教員の給料を、今の1.5倍にしてみてはどうでしょう。
すぐに優秀な人材が集まりますよ、それはもう。
いや、実際、70年代に田中角栄が教員の給料を上げたわけだけれども、その時期に採用された人々は、実感としても、優秀な人、多い気がします。ほんとに。

教員を締めつけても、その質が上がることは決してない。
そこは自信ある。
変な自信だけど。
別に教員に限らないでしょ、そんなこと。
当たり前だ。
締めつけて質が上がるなら、いかなる組織も恐怖政治をしくのがいちばんなはずだ。

例が適切でないかもしれないけれども、例えばグレた高校生を更生させるには、どんな方法がよいか?
校則をめちゃくちゃに厳しくし、自由を奪い、徹底的に管理する。
それでグレた高校生が真面目になるとお思いか。
仮になったとしても、それは、不本意なままで外面的な体裁を整えるだけだ。
恐怖政治は、「真面目なフリ」を横行させるだけで、ひとりひとりに、心の底から、「やっぱ真面目にやんなきゃな」と思わせるようなことはない。

教員も同じだ。
いや、大人は高校生よりも世知に長けている分、もっと狡猾だろう。
管理体制の強化は、悪を潜行させるだけで、決して淘汰しない。

ワルガキばかりで荒れまくった高校を更生するには、その高校を、誰もが入学したいと思うような魅力的な場に変えて、競争率を上げるのがいちばん手っ取り早い方法だ。

脅すわけではないですけども、教員ひとりひとりの気分というのは、ダイレクトに学校現場のムードに影響を与える。
生徒になったつもりで想像してみて下さい。
「けっ、こんな待遇で仕事なんかやってられっか」って顔していつも不機嫌な感じの教師と、「この仕事、最高っ。たのしー」ってノリの教師。どっちに教室に来てほしいでしょうか。
どっちも嫌な感じしますけど(笑)、少なくとも前者よりは後者のがましなはず。
多忙なのも問題だ。
もしも教師の仕事が授業だけなら、それだけで授業の質は飛躍的に向上するはずだ。

公立学校の教育の質が恐るべきスピードで低下しているのに対し、私立学校が経営努力によって実績をあげている……。一般はそのようなイメージで語られることが多いように思う。
だから公立学校は努力が足りないのだ、教員は何をやっているのだ、と。
しかし、それは違う。

私立学校は、この20年、特に何もしなかった。
だからこそ生き残れたのだ。
「ゆとり」だの「個の尊重」だのと、めまぐるしく学習指導要領やカリキュラムをいぢくりまわし、動き続けたのは、公立学校の方だ。
その結果、日本の子どもの学力は、激しく低下した。
それを指導したのは、もちろん文部科学省である。
教育委員会や学校現場を問題視する前に、まずやらなければならないのは、文部科学省にこの数十年の失政を認めさせることだ。
私立が伸びたのではない。
公立が勝手に沈んだだけだ。

公立学校は努力や工夫が足りない、という。
そういう面もあることはあるだろう。
しかし、個人的な実感で一般論を言えば、公立学校も、できる範囲内での努力は試みてきたと思う。
それがまるで努力してるように見えないのは、努力したくてもさせてもらえないからに他ならない。

学校現場で、ここをああすれば、こうすれば、といったようなアイデアなど、腐るほどある。
しかし、そのほとんどは、「認められない」。
カリキュラムも教科書も、文部科学省の定めた学習指導要領によってがんじがらめに制限されている以上、努力や工夫の余地は、そもそもごくごくマイナーなレベルでしか与えられていない。

よく、「公立学校でもここまでやれるんです」的な、ごく一部の成功例の報道も目にするけれども、フタをあけてみれば、そういうところには予算がどぼどぼ投入されていたりするらしい。
そりゃ人や金を要求どおりによこしてくれりゃ、努力も工夫もできますって。

過日大問題になった、高校での必履修科目の未履修問題。
あれは、「ズル」、「抜け駆け」という意味では、確かにとても誉められたもんではないけれども、見方を変えれば、「涙ぐましい努力」という一面もあるのではないか。
個々の学校は、独自の経営努力を許してもらえない状況で、「ズル」するしかなかったのではないか。
文科省は、まるで、自分たちが作ったカリキュラムには何も問題はなく、それをきっちり守って正確に運用しない現場と、その現場の「ズル」を看過してきた教育委員会に全ての問題があると言わんばかりだが、果たしてそうか。

公教育の未来は暗い。

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2007年4月 1日 (日)

籾まき

今日は籾まきの手伝いで、朝から田舎へ。
体調を崩した愚妻を家に残して、子ども2人を連れて行く。
昨年までは、子どもはかえって足手まといになるので連れていかなかったのだけれども、そろそろやらせるべきだと判断した。
家に置いておいてもどうせゲームやってるだけだし。
下の娘は従順なので基本的に指示どおりに動くけれども、問題は上の息子だ。
案の定、乗り気でなさそうなので、やむなく小遣いで釣る。
時給50円で契約成立。

今年は減反がなく作業量が多いので、1日仕事になると思っていたのだけれども、今日の天気を心配して田舎の伯父伯母が昨日のうちに苗床への土入れ作業を終えておいてくれたおかげで、昼過ぎには終わった。
娘は予定どおり指示どおりに動いたし、小遣いに釣られた息子も想像以上にしっかり働いた。
こうやってときどきは手伝って、稲が生育するプロセスをなんとなくでも理解させられればと思うのだけれども、まあそこまでは望むまい。

昼は、汗を流した後の美味いビールをたらふく飲んでごろごろ。
午後遅くに起き上がって、田んぼで息子とキャッチボール。
その間に、娘がばあさんと田んぼの畦に生えたツクシを山ほど採集していた。

夕刻、帰宅。
1日寝ていた愚妻は、娘が誇らしげに持ち帰った大量のツクシを捨てるわけにもいかず、仕方なく調理することに。
家族全員で1本ずつちまちまとハカマを取る。
頭の胞子の部分も、きっと不味いに違いないので取り払った。
佃煮にしても不味いのはわかりきっているので、今回は炒めることにする。
アクがあるのでまずはさっと湯がいてから、モヤシ炒めの要領で、中華味で濃いめに味付けて炒めた。
アタマも取ってあるので、パッと見はまさにモヤシのよう。
食べてみると、ほんのり苦みがあって、意外に美味かった。
しかし、子どもは1口2口、珍しげに食べてみただけで放置。

疲れたけれども、肉体労働の疲れは爽快感があって気持ちがいいです、やっぱり。

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2007年3月29日 (木)

スーパーマリオ64

Wiiのバーチャルコンソール(オンラインでゲームをダウンロードするシステム)でスーパーマリオ64を購入。
やばい。マリオ、おもしろすぎ。

春休みに入って毎日時間を持てあましている息子を愚妻が持てあましている。
今のところ、郊外のバカっ広い公園に連れて行って1日中放し飼いにしておく作戦を連日展開中のようだが、明日からはマリオ漬けになるかもしれない。

自分もちょっと集中的に読書しようかと思ってたんだけども、毎日マリオしてしまいそうでこわい。

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2007年3月27日 (火)

追記

前回の補足。
「だんない」は、古語辞典で引いたら普通に載ってました。
近世語で、「大事ない」の転、とのこと。
なるほど、そういうことか。

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ひやわい

家と家の間の、軒と軒がぶつかり合いそうな狭い路地のことを、うちの母親は「ひやわい」と言う。
この言葉が昔から気になっていて、調べようとしたこともあったのだけれども、わからなかった。
家と家の間だから、「ひやわい」は、おそらく本来「ひや・あい」であって、「あい」は「間」のことであろうと当たりをつけてみたのだけれども、「ひや」がわからない。
もちろんうちの大辞林にも載っていない。

それが、ふと思い立ってネットで検索してみたら、簡単にわかって拍子抜けした。

「ひやわい」は「ひや・あい」ではなく、「ひ・あわい」であった。
「ひ」は日、「あわい」は「間」。
「家と家の間の、狭くて日が通らないところ」の意らしい。
「間(あわい)」という古語を知らなかった、古文の教養のなさが敗因だ。
名張市には有名な「ひやわい」があるようです。

うちの親父の生家も過疎の農村なのだけれども、ここはなんでも平安時代の語彙が豊富に残されているとのことで、かつては方言の研究家なんかが老人の話を聞きに来たりしたこともあったらしい。
そうした言葉の一部なのかどうかは知らないけれども、確かに17年前に死んだばあちゃんは、耳慣れない語彙をたくさん持っていた。
今でも伯父伯母が部分的に受け継いでいる。

「No Problem、構わない、大丈夫大丈夫」等の意で、「だんない」と言う。
ググってみると、これは関西圏一円で結構広く使われているらしい。
指示内容から、「だん・ない」、つまり「だん」が「ない」のであって、「だん」は「差し障り、支障」等の意ではないかと勝手に思っていたのだけれども、根拠はない。

「始終、何度も何度も」の意で、「せんど」と言う。
これは、語義から、「千度」であろうと考えていた。
ネットでの調査によると、これも関西一円で結構使われている様子だけれども、指示内容に微妙に誤差がある。
京都弁の解説として、『「せんど」は「千度も」いうところから来ていて、量が多いことや時間が長いことを表してます。』というのを発見。「量が多いこと」というのはぼくにはピンと来ないが、まあ同じ言葉か。
しかし一方、高松の方言として、『長い間・たいへんに・大分(だいぶん)。「遷刻(せんどき)」のなまり。』との解説も見つけた。こうなってくると、たまたま同じ「せんど」だけれども、出自は別かという気がしてくる。
出雲弁で、「用例:せんどはほんねあーがとございした。(訳:先日は本当にありがとうございました)」というのもある。これだと、「先度」だろう。
あ、いや、それとも、「せんど」が「千度」で「何度も何度も」というのがそもそも実は自分の勝手な思いこみという可能性もあるか。
よく考えてみたら、正確に意味を確認したことがあるわけではなく、文脈から類推しているだけだから、ばあちゃんは「先だって」の意でしゃべっていたかもしれない。
「せんど」は奥が深いな。

いずれにせよ、このような語彙は、もう20~30年もすれば完全に消滅するのではないかと思う。
「家と家の間の日の当たらない狭い路地」を一言で表す言葉がなくなるのは、たいへん惜しいことだと思う。

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2007年3月 8日 (木)

わが家に Wii がやって来た!

息子はこの春で小学校3年生になるけれども、これまで本格的なゲーム機は与えずに乗り切ってきた。
それっぽいものは、たまごっち1個と、去年のクリスマスに買ってやったドラゴンボールの単体のテレビゲームだけだ。
そのドラゴンボールのゲームだけで、十分すぎるほどサル化することがよくわかったので、今後もしばらくは与えないつもりだった。

息子がうちに連れてくるガキどもは、ほぼ例外なくみんながDSやゲームボーイを持ってくる。
それにぴったりへばりついて、卑屈な態度で「やらせて、やらせて」と懇願する息子を見るのは、確かに情けない。
卑屈になるのではなく、脅して奪えと指導するのだけれども、どうもできないらしい。

息子が我々に対して何度も試みるのは、「自分だけゲーム持ってないから、みんなの話についていけない」などと言って、同情を引く作戦だ。
しかし、その手には乗らない。
そんなこと、実は大して気にしてないに決まってるからだ。

しかし。
じいさん(うちの親父)が、この作戦に引っ掛かった。
見事に引っ掛かった。
「それはかわいそうだ。今度の誕生日に Wii を買ってやる」と、すぐに約束してしまったらしい。
かくも孫に対しては盲目になるものか。

DSでないのは、まだよかった。
持ち歩いて、どこに行ってもゲームばかりされてはかなわない。
なぜプレステではなく Wii だったのかはよくわからないけれども、理由はおそらく、じいさんがたまたま Wii のことだけは知っていたということだと思われる。
値段の問題もあるかもしれないけれども、じいさんや息子がプレステと Wii の価格差を認識しているとも思えない。

ともあれ、以来、息子は誕生日を心待ちにし、始終じいさんに確認の電話を入れた。
そして、買うとは決めたものの、Wii はどこへ行っても品切れになっているのが通常で、そう簡単にいつでも買えるものではないということもわかってきた。

うちの親父は、モノを買ったり飯を食ったりするだけのために、行列に並んだりいくつもの店を探し回ったりするようなことが、絶対にできないタイプの人間だ。
買うとは約束したものの、実際に入手するのは難しいのではないかと思われた。

しかし、孫のこととなるとかくも必死になるものなのか、じいさんは、ぼくがこれまで一度も見たことのないような行動力を見せた。
大型電機店等を何軒も回り、結局どこにも売っていないとわかると、最後に行ったトイザらスで、入荷情報を連絡するようにと話をつけてきた。

愚妻が聞いてきた噂では、通常、毎週水曜とか木曜とかに入荷し、土曜の朝に店頭に並べるらしい。
そして、土曜のうちに全部売り切れてしまうそうだ。

じいさんの携帯には、金曜日にトイザらスから電話が入った。
「緊急入荷したのでお越し下さい」とのことだったらしい。
トイザらスのような大規模店が果たしてそんな細やかなサービスをやっているのか、ちょっと信じにくい話だけれども、うちの親父は、どんな店に行っても命令形で値切ったりするような人間なので、店員を脅したのかもしれない。
もともとコワモテで、ぼくが子どもの頃はうちに親父がいると友だちが遊びに来ないこともあったくらいだし、自分が商売人なので、相手の足元を見て退路を断つような追い込み方をするのも上手い。
昔は親父と一緒に買い物すると、たいへんに恥ずかしい思いをした。

ともあれ、そんなわけですんなりと Wii がわが家にやって来た。

ぼくのゲーム体験は、初代プレステの「パラッパラッパー」で止まっている。
Wii をセッティングしてみて、その高機能ぶりに愕然とした。
ネットにもつながるのか。
しかも、子機とか何にもつけなくても無線でつながったぞ。
早速マリオカートとぷよぷよ、ダウンロード。
リモコンの使い勝手のよさは、未来の国にやって来たようだ。
天気予報とニュース、すげえ。グーグルアースみたいに地球をぐりぐり回せる。
メールもできる。
Wii でこんなんだったら、プレステ3とかはどんなことになってるんだろうか。

拡張性もあるようだ。
Wii、すげえ。
これは楽しい。
見た目もいい。
かつての任天堂デザインからすると、ずいぶんアカ抜けた。
おまけに小さいから場所とらない。
なんてかわいい機械だ、Wii。

まだまだソフトが少ないけれども、今後のラインアップを見てみると、なかなか期待できそうだ。
マリオもそのうち出るに違いない。
周辺機器もいろいろ買いたいのだけれども、これまで頑なに禁止してきた手前、息子の前ではそうそうはしゃいでもいられないのがつらいところ。
とりあえずは2人で対戦できるように、コントローラをもう1つほしい。

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2007年2月23日 (金)

ヤ○ダ電機

以前、「編集長」に聞いた話。
こっちへ帰省してきたとき、仕事の関係もあって、郊外にできているヤ○ダ電機に足を運び、とある家電の新製品について、店員に説明を求めた(「編集長」はデジタル家電等が商売のタネなのです)。
すると、考えられないようなド素人の対応しか得られず、開いた口がふさがらなかったとのこと。
曰く「東京のヤ○ダ電機では考えられない」、と。

確かに、東京の電気店は、客の突込みが鋭いからなのだろう、どこも店員がよく仕込まれていて、誰もがちゃんと商品についてきっちり説明できる。(もちろん、どこまでがセールストークで、どこまでが本音なのか、その辺を判別する嗅覚は客の側にも必要だけれども)
て言うか、それが当たり前だろう。仕事なんだから。

ところが、この辺のような地方都市だと、たとえ大手のヤ○ダ電機でも、電気製品について何の知識もない兄ちゃんが店員としてぼやーっと突っ立っていたりする。

少し前、うちのミノルタの小型デジカメが壊れた。
だんだんモニターの画像に横線が入ってシマシマになってきて、ついには縞模様しか映らなくなった。

それをヤ○ダ電機に持っていって、デジカメ売り場の兄ちゃんに見せたところ、「これはもうダメじゃないでしょうか」と言う。
おまけに、「コニカミノルタはソニーになっちゃってますから、修理も出せないんですよ」、と。
じゃあもう新しいの買っちゃったほうが早い?と訊くと、「そうですねえ」などと言っている。

言っているのだけれども、いかにも自信なさ気な言いっぷりだし、そもそも言ってることがおかしいんじゃねえかという気がしてならない。
「編集長」の言葉を思い出し、やっぱりモチはモチ屋ということで、今度は「カメラのキ○ムラ」へ持って行ってみる。
すると……

「ああ、CCDの故障ですね。典型的なパターンです。だいたいデジカメはここから悪くなるんですよ。CCDは通常無料で交換してもらえますよー」
「え? そうなの? ミノルタの修理ってまだ大丈夫なわけ?」
「ええ、もちろん。ソニーが引き継いでますから。たぶん無料でやってくるれと思うんですけど、もし有料だったらお電話します。」

いい加減にしろよ、ヤ○ダ電機ー。
CCDの故障という、(よくわからんが)「典型的な」故障が判別できない、というところまではまあ許す。
「ミノルタ製品の修理はもうできない」って、そこ、いい加減なこと言い過ぎだろっ!

ネットの発達と郊外型大規模店の進出で、都市部と地方における買い物の利便性の格差は急速に小さくなっているけれども、まだまだ地方では難儀なことも多いようです。

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発熱しました

一昨日夜に悪寒が始まって、昨日は1日中38度前後の熱。
たまたま午前中は休みが取ってあったのだけれども、午後も休むことに。
今日はかなり快方に向かっている感じだけれども、もう1日休みました。
咳や鼻水はないけど、ノドがひどく痛い。
うーむ、ここ数年、やたらとよく熱が出るな……。

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2007年2月20日 (火)

日の菜、自然薯

「これがあったらご飯3杯は軽くいける」、という食材を、日本人なら誰もが持っているはずだ。
ぼくもあります。
いろいろありますけども、あれこれ考えて、やっぱりこれしかないなと思うのは、日の菜の漬け物。

Photo_4 近畿~東海圏辺りにしかないというような話を聞いたことがあって、確かに東京では見たことがない気がするけども、どうなんでしょう。
今ネットでざっと見たところ、滋賀県の日野が発祥の地とのこと。
なるほど、日野菜、か。
うちのあたりではスーパーでも普通に売ってます。

日の菜は漬け物以外に使い途がないけれども、それだけに漬け物としては定番であって、子どもの頃からなじみが深い。
和える作法にも一家言あるつもりだ。

うちの親父は、昔から日の菜を和える際に醤油をかけすぎる。
それが始終いさかいの種になった。
おまけに味の素もどっさり入れる。
それも気に入らない。
だから、親父が味付けする前に自分の分をとりわけ、気に入ったように和えるようにしていた。

日の菜はまず細かく刻んで、スリゴマをこれでもかと言うくらいにかけます。
日の菜本体が見えなくなるくらい。
そして、唐辛子もどっさりいきます。
ぼくが好きな唐辛子は、善光寺の前で売ってる、信州土産によくあるあれ。
七味でも十分に辛いし、辛いだけでなくて風味もある。
あとは醤油をかけて混ぜるだけだけれども、醤油はほんの気持ち程度にするのが大事。
日の菜自体の漬かり具合にもよるだろうけど(スーパーで売ってるのはえてして漬かり過ぎが多い)、醤油は匂い付けくらいの気持ちでかける。

これを温かいご飯で食べます。
際限なく食べられます。
いつもこれで食べ過ぎます。

あとは、ご飯を無限に食わせるメニューと言えば、とろろ汁でしょうか。
もちろん、イモは自然薯でなければいけないので、これは滅多にお目にかかれない御馳走だ。

とろろ汁のレシピも、うちの田舎の流儀は少し変わっている。らしい。(名称についても、我が家では単に「いも汁」と呼ぶ)
普通はだし汁で溶くようだけれども、うちは味噌汁で溶きます。
もちろん具はなしで、「いも汁」用に特別に濃く作った味噌汁。
だしも濃ければ味噌も濃い。
これを、2人1組でとろろ汁にする。
1人は擂り鉢でひたすら自然薯を擂ります。
その擂り鉢に、もう1人が按配を加減しながら味噌汁を少しずつ注ぎ込む。
味噌汁は一度にたくさん入れてはうまくイモと混ざらないので、ちょろちょろ根気よく注ぐのが大事。
かようにして、うちのとろろ汁は、味噌汁で溶いてあるために、白ではなく味噌汁色で、非常に見栄えが悪いです。
はっきり言って汚らしい。
何でもかんでも味噌で味付けするのは名古屋の流儀なので、もしかすると名古屋から来た文化でしょうか。

さて、出来上がったとろろ汁。
本当の自然薯で上手に作ったとろろ汁は、粘りが強く、「汁」なんてものではなくて、スライム状になる。
おたまですくってご飯にかけるのだけれども、スライム状だから切れなくて、すくい取るのが難しい。
これを熱いご飯にかけて、いただきます。
薬味は好みがいろいろあるだろうけれども、ぼくはスリゴマと刻みネギ。
このどちらも欠かせません。
どちらもたっぷりかける。
刻み海苔を好む身内もいるけれども、解せません。

とろろ汁だと、3杯と言わず、5杯でも6杯でもいけるけれども、イモは消化酵素をたくさん含むので意外ともたれない。
でも、入手が難しいから、常食ではないな、これは。
反則技です。

みなさんのご飯の友は何でしょうか。

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2007年2月 8日 (木)

アフィリエイト

字の大きさ、戻しました。
私信にて「小さすぎる」とのご意見もいただきましたし、また、自分ちのデスクトップPCで見ている分には小さい方がいいかなと思ってたんだけども、ラップトップで見たら豆粒のようだったので、これはあんまりだ、と。
その中間ぐらいに設定できるといいんだけど、融通が利かない。
ちなみに……

これが最大
これが大
これで普通で
これが小
で、これが最小

最小、あり得ないだろ。

それと、左欄の「CDのリスト」「本のリスト」ですが、数日前からアマゾンのアフィリエイトになってます。
これは、ココログでジャケ写や表紙のサムネイルを表示しようと思ったら、アマゾンのアフィリエイト・プログラムに加入しなければならないシステムになったからであって、別にこんなことで小銭を稼ごうなぞという狭い料簡ではありませんので、念のため。
はてなだったら簡単だったのにな、サムネイル表示。

ネット上には、何とかマイルとか何とかポイントとか、他にもいろんな小遣い稼ぎサイトがあるようで、DMに誘われるがまま加入してみたこともあるけれども、どれもこれもえらいことちまちましてますな、ああいうの。
なんか、一般消費者、なめられてんなあって感じが強力にします。
それと、関係ないけど、楽天で買い物するたびに異常な量でDMが増えていくの、あれ、何とかならんかね。

ところで、なんではてなからココログに引っ越したのかと言いますと、それはうちのプロバイダをニフティに変えたからです。
ココログはニフティのサービスで、ユーザーは、カウンター等、はてなだと有料のオプションが無料で使えるし、最初は機能的にもココログの方がよさげに見えたのよねえ。

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2007年1月30日 (火)

節約の妙

百鬼園先生曰く
節約の大切な事は必要なものを買はない事であつて、これが根本義です。不必要な物まで買ふなと云う必要はありません。

出典は、昭和13年8月、大戦前夜の「百閒座談」。
内田百閒にはこの手の名言が腐るほどあるけれども、これも至言と言えよう。
敢えて言うなら、何を言っているのか意味がよくわからないところが問題と言えば問題だ。
しかし、恐らく実際には意味などなく、単に面白がって言ってるだけのことだとも思われるので、こちらとしては下衆の勘繰りなどせず、何も考えずに有難くお説拝聴して実践してみるのがよいと思われる。

うちは一馬力の四人家族で、生活にゆとりがないのは今に始まった事ではないけれども、またちょっと大きな買い物がしたくなった。
勤め人であるからして、仕事をがんばってもがんばらなくても、入ってくるお金は良くも悪くもほぼ一定だから、お金を貯めるには、別の方策を講じる必要がある。

堅実な方法としては、節約することだけれども、何をどう節約するかというのが難しいところで、下手な節約は生活を堕落させる。
ビールを発泡酒にしたり、肉を外国産にしたりするのは、最も下手な節約であって、そういう中途半端なのがいちばんいけない。
衣類をユニクロや無印で買うのも同様につまらない節約だけれども、慣れというのは恐ろしいもので、これについてはもう近年そのように躾けられてしまったので、それほど抵抗がなくなってしまった。

百鬼園先生のお説に従って節約を実践しようと思うけれども、「必要なものを買はない事」というのがなかなか難しい。
でも、「不必要な物を買ふ」というのは比較的容易であるので、とりあえずはそちらから取りかかることにした。

例えば新年が明けてからは、こまめに宝くじを買っている。
ロト6も含め、発売されるものは、少しずつだけれども全部買う。
毎週なにがしか抽選があるので、楽しみが増えたようで、早くも気分的に少し豊かになった気がする。

宝くじというのは、テラ銭が50%という、ヤクザどころではない、ほとんどインチキまがいのギャンブルであって、確率論的にはこれほど無駄な金の使い方はない。
年末ジャンボを3千円分買っても、買った瞬間に1500円は国に召し上げられているのだ。

これほど不必要な買い物はそうそうないから、節約計画の滑り出しは上々であろうと自負している。

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舌のやり場に困る

あと出しじゃんけんだけども、「あるある」だとか、「本当は怖い家庭の医学(だっけ? たけしのやつ)」とか、ああいう類の番組は、かねてから実にタチの悪い極悪番組だと思っていた。
今回のような「捏造」は論外だけれども、そうでなくても、人に無用の不安を与えたり、無闇に煽動したりする。
納豆で本当に痩せようが痩せまいが、メディアの詐欺師的な体質を象徴的に体現しているタイプの番組だと思う。
また見たら見たですぐその気にさせられてしまうタチなので、余計に気にくわない。

そういうわけで、あの手のものは基本的に見ないんだけれども、家の者にまで見るなと強要しているわけではない。

少し前、別室で、その「本当は怖い……」だか何だかを見ていた愚妻と息子が、番組終了後にやって来て、舌を見せろと言う。
素直に出して見せたところ、「うわっ、でけっ」とか言って、指をさして笑っている。
なんでも舌というのは、その番組によると、食欲が旺盛だと肥大化するとのことらしい。
その他にも、裏側の血管の色がどうだとか、周縁部に歯の跡がついているとこうだとか、いろいろ言っていたけど忘れた。

そんなことを言うので、改めて鏡に向かって自分の舌を眺めてみると、なるほど、確かにでかい。
そう言われれば、かつてはこんなにでかくなかった気がする。
もともと舌は短い方で、その長さは変わってないと思うんだけれども、とにかく幅がやたらと広い。面積がでかい。
べーっと出してみると、口の端から端まで全部舌でふさがる。
他人の舌をまじまじと眺める機会はないので相対的な評価はできかねるけれども、それでもこういう舌はあまりないのではないかという気がしてくる。
実際、愚妻と息子は、「どんだけ食いしん坊じゃい」というような次第でこの舌を笑ったのだ。

他にも思い当たるフシがある。

とにかく舌の横幅がやたらと広いので、口の中で収まりがつかない。
気がつくと横の端を左右の奥歯で甘噛みしていることがよくあり、それ故、舌の横側には歯の跡がついていることも多い。
特に寝ているときに顕著で、夜中ずーっと甘噛みしっぱなしなのか、朝起きると、舌の周縁にくっきり歯型がついていることもある。

そのことに気づいたのはもうしばらく前で、家族に舌の大きさを指摘されるよりずっと前のことだ。
そのときは、自分の舌が他人から見て大きいというようなことは夢にも思っていなかったので、純粋に、みんな寝るとき舌はどこに置いているのだろうかと疑問に感じていた。
しかし、他人に、「寝るとき、舌、どうしてる?」などと聞くわけにもいかない。

これは、意識し始めると実に難しい問題で、特に寝ようとしているときに意識してしまうと、舌のポジショニングに気を取られて眠れなくなる。
舌という器官はかなり収縮するようにできているので、歯をかみ合わせて口を閉じた状態でも、収めようと思えばもちろん収まる。
しかし、収縮させた状態というのは一定の緊張状態であって、眠るには相応しくない。
眠気が近づくにつれ、舌は次第に弛緩状態へと移行し、それと同時に面積を拡大し始める。
いつの間にか、横側方向(通常は左右のどちらか一方)へはみ出し、奥歯での甘噛み状態になっている。
そのことを意識し始めると、舌をどこへ持っていっていいのやら、気になって眠れなくなってくる。

そのようなことが一時あったのを思い出した。

いつの間にか忘れていたのだけれども、家族に舌がでかいと言われて、また思い出した。
食欲を抑えれば、舌もまた小さくなっていくんだろうか。

いずれにせよ、やっぱり迷惑な番組だと思う。

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2007年1月26日 (金)

知識人の顔

人は見た目でだいたいわかります。
いや、実際には、わかった気になってるだけだろうけども。

知識人なんかでも、見た目の印象というのは割と大事で、いいこと言うなあと思えるような人は、たいてい顔も好きだ。
気に入らないこと言う奴は、だいたい顔も気に入らない。

例えば、宮台真司とかが言うことには、概ね感心しつつも、なんかいつも心の底から納得するわけにはいかないような違和感が残る。
その違和感は、宮台真司の顔つきに対する違和感とも絶妙にリンクしているような気がする。

個人的に顔つきが好きな知識人は、例えば藤原帰一とか。
Photo_1 この、ちょっと余裕ありげでクールな男前っぷりがなんとなくいいと思う。
ものの言い方も、割と対象に距離をとって、ラジカルになっても冷静さを失わない。
理想としてはこういう大人になりたかった気がするんだけれども、真逆の方向へ向かってるな、なんか。
育ちが違うのかね、やっぱり。

今いちばん気に入っている内田樹も、なかなかいいと思う。
Photo_2 こちらはもっと顔つきにエモーショナルなものを感じる。
いかにも酒好きそうで、まったく普通のおっさんのようでもあり、また同時に武道家らしい芯の一本通った頑固さも感じさせる。
実際の内田樹の思想は、フェミニンな繊細さと知的洞察力が特徴だと思うのだけれども、一見そういうところを匂わせないのがまたいいと思う。
そうやって改めてみると、なかなか深みのある顔に見えてくる。

ベストはやっぱり吉本隆明だ。
Photo_3 近年のこのすっとぼけたような顔つきは、ほんとにいいと思う。
現代思想の巨人とも言われる人が、最終的にこういう何考えてんだかわからんような顔つきに辿り着いたというところが何とも言えずいい。
若い頃の写真を見るとやっぱりもっとずっとギラついてるわけで、常人の何倍も何十倍も考え続けた挙げ句にこの境地に至ったというのが感動的ですらある。
単に目が悪くなったせいでぼんやりして見えるだけかもしれんが、少なくとも、威厳というものがまるで感じられない。
作家なんかでも、年をとると、ちょっと近づきがたいようなオーラを出すタイプが多いけれども、ああいうのはいただけない。
自分ももうすっかりおっさんになってきたけれども、高校生の頃からずっと、いまだに「偉そうなおっさん」が嫌いだ。
偉くなっても偉くならなくても、こういうふうに飄々と年を取りたいと思う。

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2007年1月19日 (金)

蕎麦の味

しばらく前、職場の近くに信州そばの店ができた。
日常、弁当を作ってもらえる日(娘の幼稚園がお弁当の日だけはついでに作ってもらえる)以外は、昼ご飯は外食しているのだけれども、この蕎麦屋が出来てからは、毎日蕎麦を喰うようになった。

うどん文化圏に生まれ育ったので、大学に入って上京するまでは、美味い蕎麦を喰う機会がほとんどなかったのだけれども、もとよりの蕎麦好きだ。
東京は、どこにでもやたらと蕎麦屋があり、しかもどこに入っても美味いと思った。
蕎麦湯や蕎麦がきも東京へ行くまで知らなかった。

近くに出来た信州蕎麦の店は、自家製の手打ち蕎麦ではなくて、信州から蕎麦を仕入れているだけの、まるで本格的ではない店だけれども、値段も安いし敷居も低いので、かえって常用には好都合だ。

晩年の内田百閒がやはり昼食は蕎麦と決めていて、毎日おなじ店からざるを1枚持ってこさせていたというような記述が著作にいくつもある。
なんとなくそれを真似しているようなところもある。
百閒は、その蕎麦の昼食以降、夕食までは、水1滴たりとも何も口にしない。
全ては晩酌を美味しくいただくためだ。
その気持ちが実によくわかる、ということは以前にも書いた。

最初は蕎麦だけでは夕食まで腹持ちしないだろうと思ったけれども、意外とそうでもない。
ちょうど夕食時にはいい按配に腹が減る。

とは言え、やはりざる1枚では少ない。
ぼくは毎日「大せいろ」を注文する。
ざる2枚分がせいろにのせられて出てくる。
蕎麦湯も必ずもらって、もらった分は全部飲む。
それでちょうどいい。

蕎麦が好きと言っても、思えばこれまではただ闇雲に好きだっただけで、蕎麦の味というものがそれほどわかっていたわけではない。
厳密に言うと、蕎麦の味がわかっていないということもよくわかっていなかった。
それが、毎日蕎麦を喰っているうちに、微妙な蕎麦の味わいというものがわかるようになってきた。

ものの味がわかるようになるためのいちばんよい方法は、とにかく毎日それを食べることだろうと思う。
ワインの味が、(もちろん自分なりにそれなりの好みはあるけども)、なんとなく好きとか嫌いとかいう以上のレベルで判別できないのは、それほど頻繁にワインを飲まないからだろう。
逆にビールについては、香りがどうのキレがどうのコクがどうのと、ある程度きいたふうなことを言えるけれども、それは1年のうち300日以上はビールを飲んでいるからである。

内田百閒も、毎日同じ店の蕎麦を喰っていると、「味が決まってくる」というような言い方をしている。
この「味が決まってくる」というのはなかなかに含蓄のある言葉であって、どのような境地に言及しているものか、自分のような若輩には全てを理解しかねるけれども、なんとなくわかるような気もする。

毎日毎日同じ店の蕎麦を喰っていて、しかもぼくの通っている店は、信州から既成の蕎麦を取り寄せているので、品質もかなり安定しているはずだ。
カウンターの中を覗いていると、茹で時間も機械で制御されているようで、決まった時間が経過すると、ざるが自動的に湯からぽんと飛び出す。
それを冷水でしめてせいろにあげて出すだけだから、基本的に味にバラツキは発生し得ないように思われる。

ところが、毎日喰っていると、その日その日でごく微妙に味が違うことがわかってくる。
特に冷水でしめるのは手作業であるせいか、蕎麦のコシの具合は、日によってかなり違う。
やはりよくしめてある方が美味い。
蕎麦自体の品質にも、多少の変化があるようで、何がいけないのか、ごくまれには、実に不味い日がある。
蕎麦の香りが多少は感じられる日もあるけれども、まるで素っ気ない日もある。
蕎麦つゆの濃度も、日によって少しふらつくようだ。

そうやって、毎日、同じ店の、ほぼ同じ味の蕎麦における微細な味の移ろいを、意識するともなしに意識しながら食していると、たまに他店で蕎麦を喰ったときに、大きなドラマを味わうことになる。
とにかく味がいつもと劇的に違う。
そうなって初めて、自分が毎日喰っている蕎麦と比べて、味はどうだ、香りはどうだ、コシはどうだというようなことが、わかる。
自分の中に馴染みのスタンダードがあるので、それを基に、もはや全ての蕎麦を評価できるような気がする。
このようにして、ぼくは蕎麦の味がわかったような気になった。

さて、それとは別の話で、昨年末、信州の某有名店で蕎麦打ちの修行中であるハンドルネーム「見習い」が、休暇で地元に帰ってきた。
「見習い」とぼくは、親同士もわりと懇意であって、うちの親父が一度信州に旅行したときに現地で彼と会い、今度帰省したときには蕎麦を打ってやるとの約束をしたらしい。
そういうわけで、12月某日、うちの親の家に「見習い」が蕎麦打ちセットを持ってやって来て、うちの家族のために蕎麦を打つという、よくわからないイベントが実現した。

「見習い」とは言え、もはや「ひととおりのことは全部教えた」と師匠からもお墨付きを得た身。
修行前にも一度、独学で覚えた蕎麦打ちを披露してもらったことがあるのだけれども、そのときとはまるで手際が違う。
見ているだけでおもしろい。
さすがに道具は本格的なものを持ち込んでもらうわけにはいかなかったけれども、蕎麦粉や打ち粉は修業先の某有名店のものをお裾分けしてもらった一級品だ。

店で喰ったら3口すすればなくなるような量で1枚800円のざる蕎麦を、次から次へとたらふく喰える至福を味わう。
「見習い」は、「店で喰ったらこんなもんじゃない」と言うけれども、その香りと味の素晴らしさは、自分が平生喰っている蕎麦とは比べるべくもない。
蕎麦とはかくも優雅な香りを発するものであったか。

蕎麦屋が自店のオリジナリティを作るのは、主に蕎麦のブレンドによるらしいけれども、この濃厚な味わいはそれだけではあるまい。
やはり手打ちであるということ、しかも打ちたてであるということが、何とも言えぬ豊潤な蕎麦の風味を出すには重要であると思われる。
何千円分喰ったかわからないけれども、極めて有意義なイベントであったと言うほかあるまい。

しかし、このイベントは、ぼくの日常に決定的なダメージをもたらしもした。
翌日から、いつも喰っている店の蕎麦が味気なく感じられて仕方なくなっただけでなく、以前は好んで喰っていたスーパーやコンビニの蕎麦など、見るのも嫌になってしまった。

かようにして人は贅沢になっていくのだろう。
「見習い」は、なんとまあ迷惑なことをしてくれたことかとつくづく思
う。
これだけ迷惑をかけているのだから、今後は定期的にうちに蕎麦を打ちに来る義務があるはずだろうと思っている。

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2006年12月28日 (木)

幸福の技術

内田樹が今年の元旦のブログでたいへんいいことを書いていて、いたく感動したので、それについて書こう書こうと思っていたのだけれども、ちょっとややこしい話で、文章にするには手間がかかる気がする。
そうやって億劫に思っているうちに、ほとんど1年経ってしまった。
早くしないと次の元旦が来てしまうので、頑張って書いてみます。

内田樹はこのエントリーで、「未来の他者性」ということについて、おおよそ以下のようなことを書いている。

未来」というのは、定義上、「何が起こるかわからない」ものである。
そのことは理屈ではわかっていても、人は、すでに起こったこと、すでに知っていること、すでに経験したことを量的に延長することでしか「未来」を考想することができない。
「現在」に腰を据えていると、「できることなら、我が身には可能な限り『わけのわかったこと』だけが選択的に起こってほしいものだ」という無意識の欲望の浸潤は防ぐことができない。
しかし、「未来」とは、決して「現在の延長」ではない。
かようなことをレヴィナスの言葉で語ると、「未来とは、捉えられないもの、われわれに不意に襲いかかり、われわれを捉えるものなのである。未来とは他者なのだ。」ということになる。

つまり、我々は、無意識的に現在の延長としての未来ばかりを想定しがちだけれども、本来、未来というのは、まさか起こるとは思わなかったような『あんなこと』や『こんなこと』による不意打ちの連続なんだ、未来は全く見ず知らずの「他者」なんだ、と。
それが「未来の他者性」。

内田樹は、この「未来の他者性」を現在に繰り込むための方策として、「カウントダウン」方式を採用している、と言う。
これは簡単なことで、要するに、「他者のふりをして、現在の私を見つめる」ために、5年後とか10年後とかの「想像的に先取りされた未来の自分」の視座を設定し、そこから現在の自分を見つめる、という方法である。
つまり、内田樹は、例えば5年後に60歳を迎えてリタイヤする自分を仮想的に設定し、そこから「想像的に回顧された過去」として「現在」を見ている、と言っている。
60歳になった自分の仮の視点で、「思い起こせば、2006年のお正月のブログ日記に、そういえばあんな気楽なことを書きつけていていたな……ははは」とかいった具合に、想像的な語法で「今」を思い出す、と。
とは言え、これは自分自身が演じる想像的な未来の自分という仮想の「他者」なのであるから、当然、真正の「他者」ではない。

要約が面倒になってきたので、以下、一部を直接引用。

いわば「ひとり二人羽織」のようなものである。
あるいは「自分の『ものまね』芸のものまねをするものまね芸人」のようなものである。
不思議な芸であるが、その芸を見ているのは当の自分なのであるから、それでよいのである。
そのような芸がどのような効果をもたらすか、想像すればわかる。
「オレって、いったい誰なんだ・・・」という深甚なるアイデンティティ・クライシスに襲われる、ということである。
そのときに、さらに内省的な精神は「『オレって、いったい誰なんだ・・・』という問いを発しているこの『オレ』って、いったい誰なんだ・・・」という問いに取り憑かれる(以下同文)。
『ちびくろサンボ』の虎たちのように、自分のしっぽを追いかけ始めた虎たちは、やがて「バター」になってしまう。
「虎がバターになる」というのが、この「『オレ』って誰?」という終わりなき問いの手柄である。
この種の内省は、ある閾値を超えると、「虎」が「バター」になるように、質的転換を果たす。
「ま、そんなこと考えても埒があかないから、もういいや、ラーメンでも食おう」
という日常的なリアリティへの帰還の必然的であることを導出するために、ここまで手間ひまをかけて哲学的内省はなされてきたのである。

回りくどい話だけれども、結論は明快で幸せだ。

「ははは、2006年の正月にはずいぶん気楽なことを考えていたものじゃ」という「想像的に先取りされた60歳のウチダ」の視座は「未来の他者性」をなんとか現在に繰り込むための「方便」であるが、それがもたらす現実的効果はたいへんリアルなものである。
それは、「ああ、お正月って、いいなあ。外は静かだし、暖かいし、朝酒のんでも、誰からも文句言われないし。さて、年賀状でも取りに行くか・・・」というこの「判で押したような正月風景」の「かけがえのなさ」が痛切に、涙がでるほどありがたく身に沁みるということなのである。

予測不能の他者としての未来を、想像的な未来の自分という形で自身の中に取り込むことによって、「現在」の自分を照射する。
それが最終的には、「考えてもしょうがねえな」「今こうやってられるのはありがたいな」という結論へと導かれる。
この幸せな理路に、いたく感動した。

実は、この「カウントダウン」方式というのは、常々自分でも実践してきたことである。
特に子供が生まれてからはよく「想像的な未来の自分の視点で現在の自分を見つめる」ということをやる。
自分でもよくやってることだからこそ、感動したのかもしれない。

うちの子供は、上が7歳、下が4歳で、旬は過ぎたかもしれないけれども、まだまだかわいい盛りだと思っている。
でも、これまでの子育ての7年間が、まさにあっという間に過ぎたのと同様、これからもきっとあっという間に時間が過ぎて、こんな時期がすぐに終わってしまうことも知っている。
うちの子たちも、ぼんやりしてるとすぐに中学生、高校生になって、そのうち親を疎ましく思うようになり、露骨に反抗してみせたり、ろくに口もきかなくなったりするだろうことを知っている。
父親と母親の遺伝子を50%引き継いでいる以上、そうなる蓋然性はかなり高い。
周囲の人々の話を聞くにつけ、そもそも「中学生の親」というのは、実にしんどい仕事らしい。

ぼくが日常よく設定する「想像的な未来の自分」は、「中学生、高校生の親になった自分」である。
息子は成績が振るわず、進学は大変心配な状況かもしれない(既にそのような予兆が感じられる)。
娘は携帯にかじりついていて、親の話になど一切耳をかさないかもしれない。
私の服をお父さんのパンツといっしょに洗うな、とか言うに違いない。
いじめたり、いじめられたりしているかもしれないし、家にひきこもっていたりするかもしれない。
家庭内暴力が発生していないとも限らない。
うーむ、これは困った。

困ったことばかりの「未来の自分」の目から見れば、現在の自分は、なんとまあお気楽なことか。

確かに、折角の休日、やりたいことはいくらでもあるのに、朝起きるなり息子にまとわりつかれ、なんとか振り切ったと思ったら今度は娘に食らいつかれ、新聞すら頭の上に子らが乗っかった状態でしか読めないことにストレスを感じることも、そりゃあ頻繁にある。
この7~8年、やりたいことをやりたいようにできたためしがない。
でも、こんなふうに子らがすぐに膝や肩の上に乗っかりに来る状況を、「未来の自分」が、それはそれは羨ましく思っている。
子どもたちとこんなにくっついていられるのは、長い長い子育ての、ほんの限られた時期だけだ、お前は、今その貴重な時間を過ごしている、と羨ましがっている。
それ以上、何を望むことがあるのか、とたしなめている。
そのようにして、「未来の自分」は、「現在」の日常のかけがえのなさを、しみじみと実感させてくれる。
理屈では誰もが分かっていることでも、こんな風に切実な実感を伴って教えてくれるのは、「未来の自分」しかいない。

「未来の自分が困った状況に置かれていることを知っている」という状態は、「現在の状態が今後も続いていくのだろうとなんとなく思っている」という状態よりも、少しだけ幸福である。
それは、「他者としての未来」に不意をつかれることに対して、ほんのわずかでも心の準備が出来ているという点においても、また、「現在」の日常のありがたさを実感できるという意味でも

正確な「未来の自分」像なんて、追求しようとしても、当然、正解はない。
5年後、10年後、うちの子どもはどうなっているのだろう?と思いを巡らせても、結論にはたどり着かない。
まあいいや、とりあえず今は子らがまだこうやって膝に肩に乗っかりに来る。公園へ連れて行けと手を引きに来る。
子らの将来を案じても、結局は埒があかないのだから、「まあいいや、とりあえず……」になる。
そして、自分は今なんと恵まれた時間を過ごしていることかと、つくづくありがたく思う。

それがぼくの幸福の技術である。

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2006年12月19日 (火)

薬と酒量と睡眠の質

やっと風邪がどうにかおさまってきて、まだ空咳が残っているけれども、何より今週は体がだるくない。
家の者も、息子はやはりまだ空咳と鼻水が残っているけど、だいたいみな治った。

体がだるくないので、油断して酒量が増える。
薬を真面目に飲んでいる間は、やはりアルコールと薬は同時に摂取してはいけないのではないかというようなことを気にするので、酒も控えめになる(でも、ちょっとは飲む)。
薬を飲みきって、何の気兼ねもなしにアルコールを摂取できるようになると、晩ごはんが急に楽しくなった。

そういうわけで油断して、昨夜は少しばかり酒量が普段よりも多くなったせいか、9時頃に子どもを寝かしつけていたら、そのままいっしょに寝てしまった。
いったん起き上がったけれども、自分の部屋に戻ってそのまままたすぐ寝てしまい、次に目が覚めると、深夜1時過ぎになっている。
もう起きて活動する気はない。
このまま朝まで眠り続けたい。

こういうときは、慎重に行動しないといけない。
間違っても歯を磨いたり、顔を洗ったりしてはいけない。
そんなことをしたら、確実にぱっちり目が覚めてしまって、眠れなくなる。

それでも最低限、つけっぱなしの電灯は消さねばならぬし、起ち上がりっぱなしのパソコンも電源をおとさねばならん、着替えねばならん、用足しにも行きたい。
現在の快い眠気の流れを断ち切らぬよう、細心の注意を払いながらも、人として寝る前にしなければならない最低限の行動だけは取らねばならない。
眠気を維持すべく、極力ゆっくりと動作し、覚醒につながるような行動は注意深く避けたつもりだった。

しかし。
あまりに慎重になりすぎた。
自分の眠気を失わぬように行動しようという意識は、逆に頭を冷静かつクリアにさせてしまう。
そもそもそのような客観的な行動は、真に眠い人間のそれではない。

ぼくは本来、このような状況での二度寝が得意だ。
浅い眠りをだらだら眠る、正に「惰眠をむさぼる」のサンプルのようなスタイルが持ち味である。
でも、昨夜はダメだった。
何かを間違えた。

そうこうしているうちに、咳まで出始める。
もうこれはいけない。
潔く諦めた方がいい。
2時頃までねばった挙げ句に諦め、電気をつけて、ベッドに座ったまま読書することにする。

咳が止まらないので、水を飲みに行ったり、のど飴を舐めてみたり。
本も、小難しいのを読めば眠くなるのではないかと思ってみたり、でもやっぱり頭は少しぼんやりしてるので、難しすぎるとそもそも読む気にならなかったり。

4時になって、咳もかなりおさまってきたので、まだ眠くならないけれども、電気を消して横になることにした。
起床時間は7時だ。
経験的に、たとえ眠れなくても、3時間ほど半眠半覚でごろごろしておけば、意外と1日つらくない。
眠った時間よりも、起きるときの起き方のほうが問題であって、深く眠っているところを急に無理に起き上がったりすると、何時間寝ていてもその日1日だるくなる。
あまり寝てなくても、すっきり起きられればOKだ。

最悪なのは、4時に横になり、眠ってるような眠ってないような状態がしばらく続いた後、例えば6時とか6時半とかに本格的に眠りに落ちて、ようやく深い眠りについたところで7時の目覚ましに叩き起こされる、というパターン。

…………そうなりました。
おかげで今日は1日やる気が出ず。
咳もまたやや悪化した。
睡眠の質は体調に直結する。
気のせいか、またノドもイガイガする気がする。

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2006年12月13日 (水)

一家全滅

発熱から3週間と1日。
薬を真面目に飲んでいるからか、やっと咳もほとんどおさまり、あとはノドのイガイガ感くらいにまでなった。
何より体がだるくない。

その代わりに、家の者がバタバタとダウンし始めた。

もともとこの風邪は息子からもらったと思っていたのだけれども、先週末、その息子が再び発熱。
38~39度の熱が4日ほど続いた。
まだときどき咳をしている。

息子がやっと回復したと思ったら、昨日、愚妻と娘が同時に発熱。
特に娘の方は、今日、40度までいった。

病院は連れて行かなくていいだろ、という判断だったんだけれども、さすがにこれはということになって、仕事が終わってからかかりつけの小児科へ。
調べてもらったら、「アデノウィルス」とのこと。
「抗生剤も効かないから、ひたすら耐えてください。熱は1週間くらい続くかもしれません」、だそうです。
うーむ。
「大人に感染するのは珍しい」そうだけれども、愚妻も同じ症状なので、その珍しい例らしい。

とすると、ぼくのこの風邪とはまた別?
おれ、またこの娘の風邪ももらうんだろうか。

て言うか、アデノウィルスって何ですか? →まりさん

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2006年12月 8日 (金)

風邪

風邪が治りません。

発熱したのが先々週の月曜だから、もうやがて3週間になる。
東京出張中に熱が出たのだけれども、なるべく医者にはかからない方針なので、しばらくは我慢して、土曜日になってもまだ熱が下がらないので、近所のK医院に行って漢方薬を処方してもらう。
漢方の風邪薬は、まあ気休めの様なものだとは思ってるけれども、まる3日飲んでもまるで変化なし。
その後もまるで治る気配がないので、先週、発病後10日経過した時点で、別のT内科にかかって、今度は西洋の薬を出してもらう。
これを5日間、律儀に飲み続けたが、効果なし。

さすがに熱はほとんどなくなったけれども、だんだん咳がひどくなってきて、夜眠れないほど咳き込むことがある。
ゲロ吐きそうなくらい咳き込む。
ノドもずっとイガイガしてる。
眠れないままに仕事に行くので、余計に調子が悪くなる。

咳がほんとにひどいので、喘息持ちの愚妻が以前、K医院で処方してもらった漢方薬の残りを飲むことにした。
漢方だけれども、愚妻が飲んだときは、咳がぴたりと止まったという即効性のある薬。
「おくすり110番」という便利なサイトがあって、ここで一応調べてみたら、飲んでもよさそうだったので、昨夜から。
そしたら、昨夜はわりとよく効いて、ぐっすり眠れたけれども、起きてみると、やはり完全にはおさまらない。

今日はもともと休みが取ってあったので、1日中家でごろごろして過ごした。
だらだらしてると余計に気がゆるんでよくないのか、次第に調子悪くなってきて、夕方にはまた微熱と咳。

こうも長いとさすがに余病とか心配になってきた。
明日はまた病院に行くべきかどうか、思案中。
うーむ。

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