音楽

2009年9月27日 (日)

松田聖子 Blu-spec CD を買う

世間はビートルズのリマスターで賑わっているようだけれども、それとほぼ時を同じくして、松田聖子の旧作の Blu-spec CD化も進行中である。
ビートルズの方はほとぼりが冷めてから徐々に入手することにして、まずは松田聖子の最高傑作(と自分は思っている)『パイナップル』を購入した。

なんせ松田聖子の旧作CDは、これまで、まだまだデジタルのマスタリング技術が未成熟であったずっと昔にCD化された廉価盤しかない状態がずーっと続いており、デジタルリマスターは誰もが待ち望んでいたはずだ。
初期の松田聖子は、アナログオーディオの技術が最高レベルに達した80年代前半に、当時のCBSソニーが贅沢なスタッフを注ぎ込んで全力を挙げて製作した音源であって、本来、オーディオ的にも非常に満足のいくものである。
それが極めてお粗末なCD化技術(まあ当時はしょうがなかった)で、実に貧相なサウンドとなってしまっており、しかもその状態が20年くらい続いていたのではないかと思う。

満を持しての、ついに、いよいよの、リマスタリングである。
ビートルズ同様、大物はそうおろそかに手をつけられない、というのが、遅れた理由だろうか。

でも、1枚3000円は高い。
ビートルズより高い。
何枚か欲しいけど、1枚だけにした。
1枚だけならやっぱりこれ、『パイナップル』。
という話はずいぶん前にも書いたように思うので、『パイナップル』がどういいかについては省略します。

音はもうこれで申し分ない。
太くなった。
前が、ほんと情けないくらいペラッペラだったから、感慨無量。

おまけのDVDは、しょぼい内容です。
こんなおまけいらないから、値段下げて欲しい。
ブックレットは、たぶんアナログ盤のものが忠実に再現されています。
実家においてあるアナログ盤の中味と比べてみてはないけど。たぶん。

初期の代表曲だけでもこのリマスタリングされた音で聞きたいので、ちょうどよいベスト盤でもあればいいのだけれども、30日に発売のベスト盤『Diamond Bible』は4枚組で6300円。重すぎ。
そこまで松田聖子にこだわりません。
Disc 1 だけ売ってほしい。

昔、というのは80年代だけども、当時は『SEIKO INDEX』という初期のベスト盤があって、これが非常に素晴らしい選曲だった。
が、このアルバムは、ぼくの知る限り、1度も再発されていない。
これのリマスター盤があれば、1枚で事足りるのだけれども……。

なかなか商売上手のようである。

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2009年6月13日 (土)

高校生とPerfume演奏(2)

もう1曲。 こっちの方が出来はいいと思います。 ギターアレンジ、ちょっと努力しました。

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高校生とPerfume演奏

LIVE & フリーマーケットというイベントに誘われたので、先週末、高校生2人につき合わせて参加しました。 選曲は完全に自分の趣味です。Perfume。やりたい放題。 高校生とスケジュール合わせるのはなかなか難しく、2回しか練習できなかったので、ツメはあまいですが、ボーカルの女の子は逸材です。

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2008年11月29日 (土)

Yole Yole『Live YoLeYoLe KaNeYoLe』を聴く

Yole Yole というのは、既に活動休止してしまったインディーズのバンド。らしい。
女ボーカルにアコギ、マンドリンという3人編成。
You Tube でなにかの拍子に「星降る橋」という曲のライブ映像を見て一目惚れ。即この2枚組ライブを購入しました。

歌は、クセが強いので好き嫌いがあるかもしれないけれども、上手でグー。
ギターとマンドリンは、技術的には特にどうってことないけど、よく心得た演奏で、これもまたよし。
何より、ライブの会場が「かねよ食堂」なるところであって、アットホームな空気感が心地よい。

カバー曲が多くて、選曲もいいのだけれども、概してこのバンドはオリジナルの方がいいと思う。
ちなみにカバー曲は、「o-o-h child」(この曲、ジャケットには作詩・作曲Bruce Ruffin と書いてあるのだけれども、間違いでは? Bruce Ruffin もカバーしてるだけですよ)、「蘇州夜曲」、ニューオリンズ・スタンダードの「IKO IKO」、細野晴臣「冬越え」、フェアグラウンド・アトラクション「Hallelujah」、高田渡「生活の柄」。
「冬越え」と「生活の柄」がよい出来。

白眉は、Disc2 の1曲目「冬越え」から2曲目の「星降る橋」(これは名曲!)であろう。
詞もいい。

就寝前になごめます。
これ(↓)見て気に入ったらぜひ。
http://jp.youtube.com/watch?v=zBFXtlW1yjU

なかなかいい買い物でした。

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2008年11月18日 (火)

You Tube ジャンキー(3)

ちょっと間が空いてしまいましたが、まずはフィンガー5から。
74年の傑作「恋のアメリカンフットボール」をどうぞ。
http://jp.youtube.com/watch?v=F_S9u1DODW0

この曲がフィンガー5の最高傑作だと思うのだけれども、そう思うようになったのはもっと大人になってからであって、当時どう思っていたのかはよく覚えていない。
当時の印象として強烈なのはやっぱり「恋のダイヤル6700」だった。
ともあれ、フィンガー5の当時の映像は、どれも素晴らしい。
アキラは身のこなしもいい。
あまりのハードスケジュールゆえに何度も過労で倒れているのは今ではよく知られた話だけれども、この華奢な体つきで懸命に歌う姿を見ていると、自分の幼児期の記憶やら何やらまでもごちゃごちゃになって、胸が熱くなるのを止められない。

続いて桜田淳子と山口百恵。
この2人は、個人的には最初期限定であって、具体的には昭和49年まで。
50年以降になると、あまりぐっとくるものがない。
やはりその頃の歌謡曲体験がよほど強烈だったものと思われる。
http://jp.youtube.com/watch?v=QL8TBy8oXX8

このあたりの映像を見ていると、何か思い出してはいけないものを思い出しそうな、やたらと複雑な気持ちになる。
特に桜田淳子で気になるのは、「三色すみれ」
http://jp.youtube.com/watch?v=x61CZBmInrE
それと「黄色いリボン」
http://jp.youtube.com/watch?v=Yfd1-WdC7l0
さらに「花物語」
http://jp.youtube.com/watch?v=8ch_gCIzBgM

この頃からどうもぼくはどちらかと言うとクール&ドライよりも、熱くウェットなものが趣味だったのかもしれない。
郷ひろみじゃなくて秀樹だったし。
または、こういう熱くてウェットな時代に歌謡曲の洗礼を受けたがために、それが後々まで刷り込みとして影響したのか。

それにしても、当時の桜田淳子は中3とか高1とかであって、今見るととんでもないな。
なんちゅうか、まさに作られたアイドルって感じで、一個人としての生身のパーソナリティなど全く見えないお人形さん的な振る舞いなのに、エネルギー感と熱さだけがやたらと発散されている。
この独特の滑舌が歌手としてもやっぱり魅力的だ。

とまあ、見ていて得体の知れない熱く濃い感情に突き動かされるのはこのくらいまでなんだけれども、この時代のものであれば、もしかして他の歌手でもぐっと来るものがあるのかもしれない。

ついでに、流れで見つけた岩崎宏美「二重唱(デュエット)」もどうぞ。
http://jp.youtube.com/watch?v=YtBct0IRXPk

岩崎宏美はまったりした曲が多くてつまんないんだけども、これはシンコペーションの効いたメロディで、いちばん好きな曲。
やたらと歌が上手いのは言うまでもない。

その後見つけたキャンディーズ「Shake Your Booty」。
この曲、キャンディーズはともかく、バックバンドのミュージック・メイツ・プレイヤーズがめちゃくちゃかっこいい。
後のスペクトラムの母体になったバンドです。
http://jp.youtube.com/watch?v=7x92PLuiZ6o

きりがないのでこのへんで。

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2008年11月13日 (木)

You Tube ジャンキー(2)

70年代歌謡の映像を見ていると、何だか泣き出したくなるような、得体の知れない強い感情が自分の中にあふれ出てくるのを抑えることが出来ない。
歓喜のような、それでいて思い出したくもない哀しい記憶のような、プラスともマイナスともはっきりしない、ただただとにかく濃くて深い情動だ。
これはまるで精神の胎内回帰ではないのか、とまで言ったらまあ大げさ、か。

もちろん、70年代の歌謡曲なら何でもいいというわけでは、全然ない。
今回 You Tube 漬けになっているうちに気がついたのだけれども、自分の感情を激しく動揺させるのは、全て、1973~1975年、昭和で言うと48年~50年の頃の映像ばかりだ。
これは、自分が幼稚園~小学校2年生の頃にあたる。
どうやらぼくが歌謡番組を見るようになったのは、6歳、幼稚園の頃かららしい。

もともと記憶力は人よりかなり悪いらしいのだけれども、そういえば、この6歳~8歳頃については、ほとんど何も覚えていないと言っていいくらい、記憶が薄い。
もしかして、無意識のうちに潜在意識下に封印した、何か深く重い体験があって、当時の70年代歌謡がその禁断の鍵を揺さぶるのだろうか(笑)。

とまあ、そんなことまで考えてしまうくらい、この時期の歌謡曲が、自分の中に深くインプリントされているらしい。

具体的に言うと、まずは何をおいてもとにかく秀樹。
そして、どういうわけか、キャンディーズ。
さらには、フィンガー5や、最初期の桜田淳子と山口百恵。
自分の感情の奥底でなにかが激しく反応するのは、これらのアイドルたちである。

もちろん、こういったアイドルのCDはとっくの昔に入手しているのであって、正直、You Tube で映像を見るまでは、今さらそんなに自分が動揺するとは思っていなかった。
しかし、音だけで聴くのと、映像で見るのとでは、やはり全く違うのだ。
しかも、You Tube はもともと画像も音も不鮮明である上、これら30年以上前の映像となると、なおさら質が悪い。
が、逆にそれが、どうもクるらしい。
このローファイな映像と音が、必要以上にノスタルジーを倍加させ、余計にぼくを落ち着かない気分にさせているような気がする。
案外、デジタルリマスタリングされたクリアな映像とかでこれらを見たら、別にどうってことなかったのかもしれない。

ともあれ、実際に、ぼくの琴線にビンビンくる映像の数々を見ていただければと思います(笑)。
まずはキャンディーズから。
素晴らしい映像がたくさんアップされているのだけれども、今日は全キャリアをいっぺんに見られる「シングルメドレー」をどうぞ。
http://jp.youtube.com/watch?v=th3SlC3pEDY

不覚にも、最初にこれを見たときは落涙しそうになった。
とにかく、一人一人が発散するエネルギー量が半端ではない。熱い。
80年代以降のアイドルとは、ひたむきさ、気合いの入り方がまるで違う。
しょぼい演奏を、歌の勢いだけでぐいぐい引っ張っている。
これはアイドル・ソウルと呼びたい。
正に奇跡のガールズ・グループと言っていい。

キャンディーズに熱狂したのは、世代的にはぼくよりも5つくらい上の人々であって、自分自身、当時それほど好きだったという記憶はない。(そもそも小学校低学年とかだし)
でも、今こうやって改めて見ると、やたらと胸に迫るものがあるのは何故か。
特に「危ない土曜日」と「年下の男の子」に動揺する。
やはり74年の映像だ。
冷静にレビューするなら、「危ない土曜日」は、恐らく当時のブラス・ロックを模倣したと思われる、管のアレンジが秀逸。
「年下の男の子」はキャンディーズを一気にトップの座に押し上げた大ヒット曲だけれども、このイントロのブラスのブルージーなハーモニーだけで、涙が溢れそうになる。
当時は小学1年生。
「8時だよ全員集合」出演時のものと思われるこの映像も、リアルタイムで、正にテレビにかじりついて見ていたはずだ。

当時は、主にランちゃんとスーちゃんが大きく人気を二分していたと記憶しているのだけれども、現在の目で見てみると、どう見てもかわいいのはミキちゃんですな。
それと、ぼくは Perfume だと「のっち」が好きなんだけれども、それは、あのパフォーマンスでの、他の2人とは違う気合いの入り方、いつもほんのかすかに苛立っているような感じに、キャンディーズの幻影を見るからではないのか、と今思いつきました(笑)。

続いて本命、秀樹。
とにかく秀樹。
何はなくとも秀樹、秀樹、秀樹であった。
郷ひろみや野口五郎などには、目もくれなかった。
寝ても覚めても、ひたすら秀樹。
まずはやっぱりこれ。「激しい恋」からどうぞ。
http://jp.youtube.com/watch?v=0TIotxfc3qU&feature=related

感涙。
素晴らしいとしか言いようがない。
見よ、この熱さ。
画面が焼け付きそうな、ハードディスクがオーバーヒートしそうなこの熱気。
これぞ狂熱のライブ。
ルックスも、髪型も、アクションも、衣装も、歌唱も、今見ても普通にかっこいいじゃないか。
この姿にどれだけ憧れたことか。
小学1年生のぼくにとって、秀樹はまさしく神だった。
「ワイルドな17歳」というキャッチコピーでデビューして、ずーっと後に2才くらいサバ読んでたのが発覚したようだけど、それでも当時二十歳そこそこのはず。
それでこのパフォーマンス。
昔の人はすごい。

続いて「ちぎれた愛」
http://jp.youtube.com/watch?v=7DioOQ6GYUk&NR=1

パフォーマンスはこっちの映像の方が上だ。
このアクションのキレと圧倒的な歌唱力に刮目せよ。
当時歌が上手いと言えば、それはみな演歌歌手のことであって、大人は一様にアイドル歌手を「なんじゃこの下手くそは」とくさした。
それで、子供としては、そんなもんかと思っていたけれども、完全にだまされていた。
えらく上手いじゃねえか。
素晴らしくプロフェッショナルだ。
今でもマジでかっこいいと思う。

もう1曲、「薔薇の鎖」
http://jp.youtube.com/watch?v=dfXOZfIq5B8&feature=related

これを見て、失われていた記憶の一部が一気に蘇った。
このスタンド・マイクのアクションを、当時の子供たちがいかにかっこいいと思ったことか。
これをテレビで見ていたときの感触や、その頃の気分までが瞬時にフラッシュバックして、胸が熱くなった。
結局のところ、やはりこの時代のムードが、自分の中で、色んな意味で原点になってるような気がしてしょうがない。
三つ子の魂百まで。
三つじゃなくて、もう七つだったけども、大げさでなく、その後の生き方にも関わる体験になっているように思う。
スポ根の時代は、アイドルもとにかく熱かったのだ。

とりあえず今日はこのへんで。

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2008年11月12日 (水)

You Tube ジャンキー(1)

You Tube が宝の山だということはわかっている。
だからこそ普段は敢えて近づかないようにしている。
こんなものを見始めたらキリがないに決まっている。

しかし、やるべきことが他にたくさんあるときに限って、ついついのぞきたくなってしまうのは何故だろう。
このクソ忙しいのに、先週末から、毎夜毎夜の You Tube サーチが止まらない。

最初はなんとなくダラダラ見てるだけだった。
Char とか、奥田民生の弾き語りシリーズとか、そういう、まあ普通のものをあれこれ適当に探して、「ほほう」とか「うーむ」とかいう感じで見ていたはずだった。

気がついたら、70年代歌謡曲に辿り着いていた。
そこで溺れた。
止まらなくなった。
ここは正に宝の山だ。

70年代の歌謡曲は、何故にこうまでぼくを切ない気分にさせるのか。
この、泣きたいような、嬉しいような、郷愁のような、新たな感動のような、自分の中で整理の出来ない強い情動が溢れ出しそうになるのは、いったい何故なんだろう。

気がつけば今日ももうずいぶん遅くなった。
5時間後にはもう起きなければいけない。

続きはまた明日。

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2008年7月12日 (土)

Perfume と娘

今日のミュージックステーションに Perfume が出るというので、娘(5)といっしょに見る。
歌の前のタモさんとのトーク場面のときに、娘がふとこっちを向いて、
「この人たちって、ほんとにいるの?」
と言う。
一瞬質問の意図を理解しかねたが、それが、「この人たちは実在するのか」という意味であることはすぐにわかった。

なんとなくそんな予感もしていたのだけれども、どうやら娘は、Perfume のことを、やっぱりラブ&ベリーみたいな、バーチャルのキャラクターだと思っていたらしい。
息子がやってるゲームのリアルな映像や、CG満載の最近のテレビ番組にどっぷり浸かっているのも、やはり考えものかもしれない。
ま、テレビに映ってるのは全部ニセモノ、っていう認識自体は、悪くもないとは思うけれども。

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2008年7月 9日 (水)

Perfume!

去年から、教祖やchinsanにすすめられていた Perfume。
しかし最近はテレビもほとんど全く見ないし、ラジオも聴かないから、全然知らないままだった。
NHKの「トップランナー」に出演した際の映像がよい、再放送があるから見よ、との指示を先日chinsanに再びいただき、ハードディスクレコーダーに録画しておいて、この度やっと見た。

なるほどぉぉ。これは素晴らしい。
何を隠そう、ぼくが洋楽に目覚めた1980年は、いわゆるテクノポップの黎明期であり、当時は完全なテクノ少年だった。
このPerfumeのサウンドプロダクションには、強力なシンパシーをおぼえる。

振り付けもいい。
振りに、8分や16分の食い、シンコペーションが小刻みに入っているのが気持ちいいんだと思う。
やはり映像込みで鑑賞するのが正解のようだ。

早速、「トップランナー」は、トーク部分を全て削除して、歌だけの10分強に編集した。
これを流していると、娘(5)が食い入るように見入ってピクリとも動かなくなる。
幼少期の音楽原体験としては、なかなか悪くないかもしれないと思う。

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2008年6月17日 (火)

キンクスとビートルズ

5/29のつづき。
キンクスがビートルズに比べてどのように地味なのか、いいサンプルを思いついた。
66年、両者がイギリスの税金の高さを皮肉った曲をそれぞれ発表している。
まずはビートルズの「Taxman」。ジョージの曲だ。

Let me tell you how it will be,
There's one for you, nineteen for me,
'Cos I'm the Taxman,
Yeah, I'm the Taxman.
Should five per cent appear too small,
Be thankful I don't take it all.
'Cos I'm the Taxman,
Yeah yeah, I'm the Taxman.

(If you drive a car car), I'll tax the street,
(If you try to sit sit), I'll tax your seat,
(If you get too cold cold), I'll tax the heat,
(If you take a walk walk), I'll tax your feet.
Taxman.

'Cos I'm the Taxman,
Yeah, I'm the Taxman.
Don't ask me what I want it for
(Ah Ah! Mister Wilson!)
If you don't want to pay some more
(Ah Ah! Mister Heath!),
'Cos I'm the Taxman,
Yeeeah, I'm the Taxman.

Now my advice for those who die, (Taxman!)
Declare the pennies on your eyes, (Taxman!)
'Cos I'm the Taxman,
Yeah, I'm the Taxman.
And you're working for no-one but me,

どういうことになるのか説明しよう
君の取り分が1とすると、私が19だ
だって私は税金取りなのだから
5%じゃ少なすぎると思えるのなら
全部持っていかれないだけでも感謝しろよ
だって私は税金取りなのだから

車に乗るのなら、道路に課税する
座りたいなら、イスに課税する
寒いのならば、暖房に課税する
歩くのならば、足に課税する

そう、私は税金取り
これ以上取られたくなければ
(おお、ミスター・ウィルソン!)
何のために使うかなんて聞くな
(おお、ミスター・ヒース!)
そう、私は税金取りなのだから

死にゆく人々にもアドバイスしておこう
目の上にのせられた小銭の申告もお忘れなく
私は税金取り
そう、税金取りなのだから
君たちは他ならぬ私のために働いているのだ

「Taxman」は、ビートルズにおけるジョージの代表曲の1つと言ってよい、よくできた曲だと思う。
曲調はストレートなロックンロールだけれども、詞はシニカルで気が利いている。
ジョンは言うまでもなく、ジョージもイギリス人らしい皮肉がたいへん上手い。
しかも、ここが重要なのだけれども、ビートルズは言葉が非常に簡潔で、シニックも直接的。実にわかりやすい。
これが若々しく力強いジョンのボーカルの天性の魅力と相まって、たいへんな訴求力を持つ。
勢いがあって、なおかつ気が利いている。
ポップソングとして非の打ち所がない。

ちなみに、ウィルソン、ヒースというのは当時のイギリス労働党と保守党の党首。税率95%というのは、冗談かと思ったらほんとだったらしい。(ウィキ参照

同じテーマをレイ・デイビスが歌うと次のようになる。
「Taxman」と同じ66年のアルバム『Face to Face』より、名曲「Sunny Afternoon」。

The tax man's taken all my dough,
And left me in my stately home,
Lazing on a sunny afternoon.
And I can't sail my yacht,
He's taken everything I've got,
All I've got's this sunny afternoon.
Save me, save me, save me from this squeeze.
I got a big fat mama trying to break me.
And I love to live so pleasantly,
Live this life of luxury,
Lazing on a sunny afternoon.
In the summertime

My girlfriend's run off with my car,
And gone back to her ma and pa,
Telling tales of drunkenness and cruelty.
Now I'm sitting here,
Sipping at my ice cold beer,
Lazing on a sunny afternoon.
Help me, help me, help me sail away,
Well give me two good reasons why I oughta stay.
'Cause I love to live so pleasantly,
Live this life of luxury,
Lazing on a sunny afternoon.
In the summertime

税金取りは金を残らず持って行ってしまった
この荘厳な家に1人残され
ぼくは晴れた午後をだらだらと過ごす
もはやヨット遊びもできない
ヤツが何もかも持ち去ってしまった
ぼくに残されたのは この晴れた午後のひとときだけ

この搾取からぼくを救ってくれ
イカサマ女がぼくを破滅させようとしている
ぼくは楽しく暮らすのが好きなんだ
ぜいたくに暮らしたいんだ
夏の日の晴れた午後をだらだら過ごしながら

ガールフレンドはぼくの車で
親のところへ逃げ帰った
どうせ酒や暴力の話を訴えているんだろう
ぼくはここに座って
冷えたビールをすすりながら
晴れた午後をだらだら過ごしている

助けてくれ ぼくを船で逃げさせてくれ
ここにとどまるべき理由を教えてくれ
だってぼくは楽しく暮らすのが好きなんだ
ぜいたくに暮らしたいんだ
夏の日の晴れた午後をだらだら過ごしながら

レイ・デイビスは、よほど貴族階級に恨みがあるらしい。
イギリスの税金の高さだけでなく、同時にアッパークラスをも皮肉る、ちょっとしたストーリー仕立てになっている。
そして、その分だけ手が込んでて、複雑で、結果的に地味になっている。
タイトルからして、ビートルズが「Taxman」とそんまんまであるのに対し、キンクスの「Sunny Afternoon」というのは、貴族階級の零落を暗喩する象徴表現となっている。
この辺がキンクスの「わかりにくさ」になっていると思うのだけれども、わかってしまえば、キンクスはこういうところこそがかわいいのだ。

「Sunny Afternoon」は、たいへんメロディのよい曲で、66年当時にこのような変な曲作りをしていたロックバンドはなかなか見あたらない。
前回にも書いたとおり、演奏と歌のまずさは、彼らの場合かえって味わい深さを増す。
数は少なくとも熱心なファンがいまだにいるのは、この何とも抗しがたい遠慮がちな魅力ゆえだと思うけれども、同時に、アメリカ人にウケないのも当たり前だわなとも思う。

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2008年5月29日 (木)

キンクスを聴き直す

キンクスのCDは、20年くらい前に買った『Something else by the Kinks』と『The Village Green Preservation Society』の2枚だけを持っていて、その2枚はたいへん好きで、20年くらい前はよく聴いていたのだけれども、それ以後は基本的に疎遠だった。
それより前、中学生か高校生の頃には、『Schoolboys in Disgrace』とかを友達にダビングさせてもらったカセットテープで持っていたはずなんだけれども、あまり印象に残っていない。

ご存じのとおりキンクスは、ビートルズやストーンズやフーと同期の、本国では超VIPなわけであるけれども、日本ではたいそう地味で、一般的にはせいぜいデビューアルバムの「You Really Got Me」くらいのイメージではないかと思う。
「You Really Got Me」は、ハードロックの始原として言及されることが多いし、実際、確かにあのようなリフ主体の曲(て言うか、リフだけで出来た曲)というのはそれ以前には見当たらず、当時においては革命的な発想だったのかもしれない。
が、あのような曲は、基本的にあれだけであって、本来のキンクスの持ち味は、全く別のところにある。
正直、キンクスの魅力は、日本人には非常にわかりづらい。

まず、演奏の下手なのが、どうしても気になる。
ライブが下手なのは仕方ないにしても、スタジオ盤でも気になるくらいに、演奏力が低い。
加えて、レイ・デイビスの歌も決して上手くない。て言うか、はっきりと下手だ。
聴いてるとどうも「曲はいいのになあ……」という気になってくる。

……とまあ、キンクスに対する個人的な認識は、おおよそ以上のようなままでずっと経緯していた。

それが、しばらく前になんとなくまた『Something else by the Kinks』を聴いていて、なんとなく歌詞カードを手にとって読み始めたら、なんだかどんどん印象が変わってきた。

やはり、レイ・デイビスは、歌も演奏もダメだけれども、ソングライターとしては超一級だ。
そもそも、ビートルズやストーンズがまだ黒人音楽のコピーばっかりやってた最初期から、キンクスだけは既にオリジナル曲をどんどん作っている。
そして、レイ・デイビスの書く曲は、極めてイギリス的なウィットとシニックに満ちたものであって、その辺が我々日本人には実にわかりにくい。
しかし、その雰囲気をひとたび理解すれば、そこには何とも言えない味わい深い世界が待っていたのだ。
そのことに今頃気がついた。
曲がいいのは十分わかっていた。
でも、やはりキンクスは、歌詞も併せて理解しなければいけなかったのだ。
そうすれば、あの下手くそなレイ・デイビスの歌さえもが、また何とも言えない魅力をたたえたものに聞こえてくる。

例えばポール・ウェラーがカバー(て言うかほとんどコピー)した「David Watts」はこんな詞だ。

I am a dull and simple lad
Can not tell water from champagne
And I have never met the queen
And I wish I could have all that he has got
I wish I could be like David Watts

He is the head boy at the school
He is the captain of the team
He is so gay and fancy free
And I wish all his money belonged to me
I wish I could be like David Watts

And all the girls in the neighborhood
Try to go out with David Watts
They try their best but can't succeed
For he is of pure and noble breed

Wish I could be like David Watts

僕はさえない単純な男
水とシャンペンの違いもわからない
女王陛下になんっか会ったこともない
ヤツが持ってるものを全て手に入れられたらいいのに
デビッド・ワッツのようになれたらいいのに

彼は学校の代表で
チームのキャプテン
快活なタイプで恋になんて興味がない
ヤツの金が全部僕のものになればいいのに
デビッド・ワッツみたいになれたらいいのに

近所の女の子はみんな
デビッド・ワッツを誘い出そうと必死だけど
うまくはいかない
ヤツは純粋で高貴な信念の持ち主なんだ

デビッド・ワッツのようになれたらな……

これは要するにイギリス貴族の優等生のおぼっちゃまを皮肉った曲だということに、恥ずかしながら、今まで気づいてなかった。
て言うか、サビの、♪Wish I could be like David Watts っていうところしか耳に入ってなかった。
単純に、デビッド・ワッツみたいになりたいって歌ってるのかと思ってた。

モリッシーのような、強烈な毒のあるシニシズムではない。
もっとイギリスの伝統的な、落ち着いた、品のあるシニックだ。
だから、我々日本人は、注意深くちゃんと読まないと気付かない。
そして、気付くと、そのすっとぼけたような妙味が楽しくなってくる。
その曲の良さと、詞の妙味と、レイ・デイビスの歌の下手さ加減が、実に按配のよいバランスであるということがわかってくる。
そう、キンクスは、あまりにもイギリス的なバンドだったのだ。

だんだん面白くなってきたので、調子にのって、『アーサー、もしくは大英帝国の衰退ならびに滅亡』『ローラ対パワーマン、マネーゴーラウンド組第一回戦』『マスウェル・ヒルビリーズ』と、次々に買いそろえた。
もとよりキンクスは、どのアルバムにも「ハズレがない」バンドとしても名高い。
どれを買ってもみなそれぞれによい。
でも、やっぱり聴き慣れているせいなのか、『サムシング・エルス』がいちばん好きだ。

中でも、1曲だけ選べと言われたら、「ウォータールー・サンセット」を選ぶ

Waterloo Sunset

Dirty old river, must you keep rolling
Flowing into the night
People so busy, makes me feel dizzy
Taxi light shines so bright
But I don't need no friends
As long as I gaze on waterloo sunset
I am in paradise
   
Every day I look at the world from my window
But chilly, chilly is the evening time
Waterloo sunsets fine
   
Terry meets julie, waterloo station
Every friday night
But I am so lazy, don't want to wander
I stay at home at night
But I don't feel afraid
As long as I gaze on waterloo sunset
I am in paradise

Millions of people swarming like flies round waterloo underground
But terry and julie cross over the river
Where they feel safe and sound
And they don't need no friends
As long as they gaze on waterloo sunset
They are in paradise

汚れ淀んだ川よ
お前は夜の闇へと
まだ流れ続けなければならないのか
慌ただしく行き交う人々は
ぼくをクラクラさせる
タクシーのライトが眩しく光る

でもぼくは友達なんかいらない
ウォータールーの夕焼けを眺めていれば
ぼくは幸せ

毎日ぼくは窓から世界を眺めている
でも夕暮れ時は冷えるね
ウォータールーの夕焼けは素晴らしい

テリーとジュリーはウォータールー駅で
毎週金曜の夜に待ち合わせ
でもぼくは外をぶらつくのも面倒だから
夜は家で過ごす

だけど不安には感じない
ウォータールーの夕焼けを眺めていれば
ぼくは幸せ

たくさんの人々がハエのように群がる
ウォータールー駅の地下鉄
でもテリーとジュリーは川を渡って
ほっとできる場所へと向かう
彼らには友達なんていらない
ウォータールーの夕焼けを眺めていれば
彼らは幸せなんだ

これは元祖引きこもりの歌ではないか。
窓から外を眺めてぼんやりしているのび太くんのようでもある。
そして、(日本語にしてしまうとちょっと身も蓋もない感じもするけど)、詩として非常によくできていると思う。
慌ただしい外の世界と、その慌ただしい世界を輝かしく包む夕焼けを窓から眺め、隠居した老人のように過ごす「ぼく」が、2番の詞では、窓から見える景色の中の「テリーとジュリー」というカップルに自己を投影していく。
窓から世界を眺めるだけの「ぼく」が、「テリーとジュリー」を介してその世界の中に入り込み、そしてまた慌ただしさから逃げていく。
慌ただしい世界と美しい夕陽の対比も、実に絵画的と言うか、ビジュアルなイメージを喚起する。

こういう世界が、極上のメロディーと、低レベルな歌唱力で歌われている。
こういうナイーブな世界だからこそ、声量のある上手な歌声であっては、味がない。
レイ・デイビスの歌の下手さには、ちゃんと意味があるのであった。

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2008年3月 7日 (金)

『The Pearl』Harold Budd/Brian Eno を聴く

これまでの人生、いわゆる環境音楽というようなものを日常的に聴くことは全くなかったのだけれども、40を過ぎたからなのか、近頃はアンビエントな気分になることが多くなった。

うちにあるアンビエントのCDは、ブライアン・イーノの「Music for Airports」1枚のみであって、さすがにこればっかり聴いてたら飽きてきた。
いくらアンビエントでもやっぱり繰り返し聴けば飽きるらしい。

何かもう1枚くらいと思うのだけれども、もとよりこのジャンルには暗い。
でたらめにネットを検索しながら記憶を辿っていたら、そう言えば、アンビエントなのかどうかはっきりしないけれども、昔、イーノとロバート・フリップのアルバムがあったのを思い出した。
これはなんとなく面白そうだ。聴いてみたい。
調べたら簡単に見つかって、フリップ&イーノという名義で「Evening Star」というアルバムを75年に出している。
が、どうやら廃盤らしく、アマゾンのマーケットプレイスでは最安でも8000円とかの値がついている。
ヤフオクでたまたま通常の値段の出物を見つけたのでチェックしていたのだけれども、やっぱり最終的には同じくらいの値がついた。
うーん。

前フリが長かったですけども、そういうわけで、結局買ったのは、ハロルド・バッドとブライアン・イーノの「The Pearl」。
たいへん耽美なアンビエントで、疲れているときに聴くとすぐ寝てしまいます。
「Music for Airports」と比べてどっちがどうなんだとか言われても、別にどっちでも似たようなもんだとしか言いようがない気もするけども、やはり気分に与える影響は微妙に違う。
ただ、M⑥のようなマイナーキーの曲は耽美に過ぎるので、やめてもらいたい。

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2008年2月15日 (金)

東京ドームでポリスを観た!

ポリスはぼくの中学生の頃の洋楽原体験の重要な一部である。
そのポリスが再結成ツアーをやるというニュースを聞いたのはもう1年くらい前か。
いよいよツアーが日本に来るとなって、何とかして行きたい、でもそもそも名古屋には来ないし、この時期は仕事も忙しい。
チケットも高すぎる。大阪や東京へ行くには旅費もかかる。
今冬、うちは無理して北海道なんか行ったために、家計の逼迫が危機的レベルに達している(これを我が家では「北海道ショック」と名付け、今後への戒めとしている)。
冷静な判断として、これは行けまい。

と思って諦めていたところに、今や新進作家となった先輩の磯崎(兄)さんから突然の電話。
なんと、印税でポリスをおごってやるから上京しろ、との由。
もちろん旅費はチケット代よりも高いし、東京となると泊も必要となる。しかし、このような有り難い話を断れるはずもない。
何とか仕事の調整つけてみます、と返事していったん電話は切ったが、切る頃には内心もう行くと決めていた。

そういうわけで。
2月13日、東京ドームで磯崎兄妹といっしょにポリスを観てきました。

6時半頃会場着。
アリーナの真ん中よりやや後ろの、ステージに向かって右の方。
席に辿り着いたと同時に、前座のフィクション・プレインが始まった。
少し遅れて磯崎(兄)着。更に少し遅れて磯崎(妹)とその職場の皆さん着。
磯崎(妹)は音楽業界の人であって、今回のチケットは彼女が準備してくれた。

フィクション・プレインはスティングの息子のバンドで、ポリスと同じく3ピースの編成。
息子は親父と同じように、ベースを弾きながら歌う。
顔も声も親父そっくり。
バンドも上手。
でも、かっちりまとまり過ぎてて、破綻がなくて、正直、面白みに欠ける。
お父さんが君くらいの頃は、もっと下手だったけど、もっと勢いあったぞ。
先入観もあるかもしれないけれども、良くも悪くもお坊っちゃんバンド、との印象を拭いきれない。無難なメンバー揃えすぎじゃない? とか。
いや、決して嫌いな感じでもないんだけど。
前日に息子本人にインタビューした磯崎(妹)によると、人柄もよく、やたらと日本好きで、日本語も妙にうまいとのこと。
通訳が訳す前に日本語で答えちゃったりするらしい。
演奏時間は40分くらいか。

しばしのインターバルを経て、7時半過ぎ、ほぼ定刻に、いよいよポリス登場。
以下、まずは大まかな感想。

一言で言うと、感動した。たいへんいいものを見せてもらいました。
正直、幻滅するようなライブだったらどうしようかという不安もかなりあったのだけれども、杞憂だった。
中坊の頃の血が騒いだ。
さすがにスティングのやることにはソツがない。
オープニングは「メッセージ・イン・ア・ボトル」で、最後は「ネクスト・トゥ・ユー」。
つまり、セットリストは、そのような、誰もが求めるベストヒット集であって、余計なサポートメンバーなどもいないし、アレンジも昔とほとんど何も変わっていない。
オーディエンスが今回のツアーに何を求めているか、50を越えた自分たちに求められているものは何か、といったようなことを、スティングは的確に理解している。
それに、ああいう性格だから、決して恥をかくようなことはしないのであって、きっちりやれるという根拠があったからこそのワールドツアーなのだろう。
30年前と同じ3ピースのポリスが、30年前と同じアレンジで、ファンなら誰もが聴きたいと思っている曲を次から次へと演奏する。
それ以上に望むことがあるだろうか。いやない。
ライブ中、中坊の頃のわくわく感が甦った瞬間が、何度もあった。
実にありがたいものを見せてもらいました。

以下、各論。

●スティング
ぼくにとってのポリスはアンディ・サマーズであって、実はスティングはあまり好きではない。
いや、て言うか、その音楽は認めるのだけれども、どうも人間的にイケすかないところがある。
しかし、今回のスティングは、さすがだった。
やはりメディアに露出し続けているからなのか、他の2人と比べて明らかに加齢臭がない。(臭いは嗅いでないけど)
真面目な話、ちょっと毛が増えてたし、太ってないし、何よりもすごいと思ったのは、声がしっかり出ている。
こういう年齢なのだから、終盤息切れしたり、サビのいちばん高いところへ来るとオクターブ下げて歌ったり、といったことは通常致し方ない。が、それがほとんどない。
もちろん辛そうな部分もあったし、オクターブ下げもごく一部あるにはあったけども、とにかく若い。昔と変わらない。全くもってソツがない。
スティングはプライドが(たぶん相当に)高い。だから、決してかっこわるい真似は最初からしないし、自分がちゃんとやれると思ったからこそツアーをやってるんだと思う。
性格はイケすかないし、お高くとまってる感じは確かに気に入らないんだけれども、それだけのことが実際にやれてしまうのがスティングの偉いところ。
セットリストの選曲も、後でじっくり眺めてみると実にクレバーだ。
今の自分たちにできることとオーディエンスが求めていることの間で、これ以上ないというくらい巧みにバランスを取っているように思う。
ドームの巨大スクリーンに映し出されるスティングの顔が若く、声も往時のまんまに甲高い。
これだけで、オーディエンスの印象は90%はOKになるはずだ。

●アンディ・サマーズ
まずルックスが衝撃的。
スティングの若さとは一転、二重アゴが気になる。
衣装もヘンだ。日曜日のお父さんみたい。
磯崎兄妹とも、「アニマルズからやってんだから、60は越えてるよな」などと話しながら観ていたのだけれども、帰ってウィキで調べてみたら、なんと1942年生まれ! 今年66歳かよ! 四捨五入で70かよ!
お父さんどころか、もうおじいさんだったんだ……。

赤いストラトを持っている。
そう、例のテレキャスター・カスタムではない。
細かいことを言うようで申し訳ないけれども、それがまず引っ掛かる。
やはりアンディ・サマーズのギターは、あのテレキャスの音で、クリアに、カツーンとかシャリーンとか鳴ってほしい。
ストラトのサウンドは、ちょっと現代的過ぎるし、やや太すぎるし、歪みすぎる。
そこに微妙な違和を感じる。
だから、中盤の数曲で、あのポリス時代のテレキャスに持ち替えたときは、鳥肌が立った。
持ち替えた途端に、あの30年前のサウンドが出た。
その瞬間、血がたぎった。
ポリスの1枚目と2枚目は、ほぼ全曲、中坊の頃にギターでコピーした(弾けなかったけど)。
個人的には、あのテレキャスの数曲が、今回のライブの、いちばんの感動ポイントだった。
でも、考えてみればあれも30年前のギターなわけであって、おそらくコンディション的にきついんだろう。
終盤はまた赤のストラトに戻ってしまった。

肝心のプレイの方は、さすがの安定感。
ひょうひょうと、顔色一つ変えずにきっちり決めていく往年のイメージは失われていない。
ただし、さすがにところどころ衰えを感じさせる部分も。
本編ラストの「ソー・ロンリー」でのソロなんかはかなりあぶなっかしくて、弾き損じるアンディ・サマーズ、ちょっと必死な感じになってるアンディ・サマーズを見るのは少し悲しかった。

……アンディ・サマーズについて語り出すと止まりません。
また日を改めて書きます。

●スチュワート・コープランド
アンディのついでに調べてみると、1952年生まれ。今年56歳。(ちなみにスティングは1951年生)
メガネかけてる。
アンディ・サマーズに劣らず、ルックスの衰えは衝撃的。
そして、何よりプレイにもスピード感がなくなってる。

もとよりスチュワート・コープランドはスピードの人である。
せわしないシンバルワークとタムまわしで、なおかつ盛んにスティックくるくる回したりしながら、テンポもどんどん走っていく。
ちょっと落ち着けよ、と言いたくなるような、多動児のようなスタイルが往年の持ち味であった。
そのスピードが、(年齢を考えると当たり前だけれども)出ない。
相変わらずタムの数は多いし、ちっちゃいシンバルもたくさん並べてある。
でも、手数の多さが感じられない。
第一、ドラムソロが1回もなかった!
サウンド的には、このスチュワート・コープランドの衰えがいちばん気になる要素だったと思う。(てか、そういう観点では、ドラムはいちばん体力的に不利なポジションであって、責めるのはかわいそうではある、もちろん。そもそもポリスは50過ぎてやるバンドじゃないし……)

80年頃のポリスのライブ盤を聴くと、冷静なのはアンディ・サマーズだけであって、スティングとスチュワート・コープランドは、突っ込みまくりの走りまくりで、えらい騒ぎである。
はっきり言って、アンディ・サマーズがいなかったら成立していないだろう。
しかし、逆にそれがバンドとしては実にチャーミングな演奏になっている。
50年代生まれのスティングとスチュワートがどんどんヒートアップして暴走する、それが40年代のアンディのおかげでどうにかまとまっている。
そのスリルとバランスが、往年のポリスのかっこよさである。

今回はむしろ逆だった。
スティングは、今でもやはりどちらかと言うと前のめりだ。
アンディ・サマーズは常に正確である。
だからスチュワート・コープランドはガンガン行っても構わないんだけれども、行かない、行けない。
本編のラス前、「キャント・スタンド・ルージング・ユー」で、一瞬、アンディが突っ込んだと思った瞬間があった。
しかし、実際には違う。
スチュワートが遅れているのだ。

磯崎(兄)は、開演前から、「トゥルース・ヒッツ・エブリバディ」を聴きたいとおっしゃっていたが、結局、演奏されずじまいだった。
そう、ああいう曲はおそらくスチュワート的に無理ゆえ、回避されているのだと思う。
実際に、出来がいいのは、「ウォーキング・オン・ザ・ムーン」とか「ドリヴン・トゥ・ティアーズ」とか「ホール・イン・マイ・ライフ」とかいったタイプの曲だった。
最後の最後に「ネクスト・トゥ・ユー」をやる、それが限界なのだろう。
て言うか、もうおじいちゃんなんだから、考えてみれば当たり前か。

……そういうわけで、細かいことを言い出すと、アラもたくさんあるわけだけれども、総論としては、とにかく感動しました。
そもそも東京ドームだからして、なんだかんだ言ってもサウンドはちゃんと聞こえない。
特にスティングのベースなんて、たぶんピックでかなりゴリゴリ弾いてるんだと思うんだけど、もわんもわんして何やってんのかほとんどわからない。
ドームのコンサートはお祭りだ。
ポリスが3人で、あの曲もあの曲もやっている、それを生で聴いている、その臨場感だけで十分幸せではないか。

しかし、くり返すけれども、アンディ・サマーズの66歳には驚いた。
行く前に調べておけば、もっと全然別種の感動を得られたかもしれないと思う。
がんばれーとか言いながら、もしかすると泣いてしまったかもしれんな。

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2008年1月12日 (土)

『Endless Road』Tommy Emmanuel を聴く

かなりよろしいです、これ。
オーストラリアのギタリスト。
曲がシンプルなので、あんまり聴きすぎると飽きそうな気もするけど。
もうちょっとジャズ風の和声の曲とかもあっていいのに。
これだけ緻密で正確な超絶プレイなのに、基本的なところがあまりに大らかなオーストラリア人、ってところか。

とは言え、録音もいいし、なんつっても気楽に聴けてたいへんなごみます。
破綻が無く、毒もないので、そこが最終的にはおもしろみに欠けるのかもしれないけど、逆に普段かけっぱなしにしておくのには最適。
これまたSTAXの得意なソース。かと思いきや、常用のソニーCD3000でもばっちりでした。
いずれにせよ、ヘッドフォンが気持ちいいです。

最後の歌モノ2曲は、個人的には不要。
ぼくが買ったアメリカ盤にはその後さらにボーナストラックとしてライブが2曲入ってるのだけれども、これの出来がよいので、お買い求めの際にはアメリカ盤をお薦めします。

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2007年12月 5日 (水)

『In Montreal』Charlie Haden & Egberto Gismonti を聴く

こぉーれは久しぶりの大ヒット。
秋の夜長のECM、今年の新アイテムとして購入。
届いてから毎日聴いてます。

ジスモンチのギター&ピアノは、ブラジリアン・ルーツの暖かみを感じさせながらも、無国籍風なジャズ。
曲によってギターとピアノを弾き分けるのだけれども、どっちもいい。
完璧。

主役はジスモンチで、チャーリー・ヘイデンは全般的に地味だけれども、自作の2曲等、歌うべきところは見事に歌う。
やっぱいいわー、好きだわー、チャーリー・ヘイデン。

なんつっても、録音が抜群。
モントリオール・ジャズ・フェスのライブで、客の反応もいいから、現場はもっと熱い感じだったのかもしれないけれども、完璧なECMサウンドで、凛とした静謐なムードと緊張感に溢れる。
常用ヘッドフォンはソニーのCD3000なのだけれども、これは久々にSTAXの独壇場。
こういうソースをSTAXで聴くと、しびれるほど気持ちいいんです。
いわゆる脳内定位になってしまうのは致し方ないのだけれども、それだけにギターなんかは、サウンドホール(ギターのボディーにあけてある穴のことです)の中に頭突っ込んで聴いてるみたいな感じ。
1音1音が精密に伝わってきます。
もちろんスピーカーで聴いてもばっちり。
ピアノのアタック音も気持ちいいことこの上なし。

しばらくジスモンチにハマりそうな予感であります。

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2007年11月28日 (水)

今日の1枚 『ベスト・オブ・憂歌団・ライブ』

今までライブでいちばんたくさん観ているバンドは、おそらく憂歌団だと思う。
初めて観たのが1986年頃で、それ以降は、観るチャンスがあるときは必ず観た。
もしも今はもう観ることができないバンドをもう1回だけ観せてやると言われたら、迷わず憂歌団を選ぶ。

憂歌団のライブ盤は、3枚ある。76年の『生聞59分』、85年の『Best of Ukadan Live』、 89年の『UKADAN LIVE ‘89』。(あと、限定版で81年の久保講堂のライブも出ていたけれども、これは聴いていない)

どれもいいんだけれども、自分がライブに通っていた時期に近いせいもあってか、個人的には『Best of Ukadan Live』がダントツによい。
客が沸く度に、木村の表情が、勘太郎のパフォーマンスが、逐一目に浮かぶ。
「ここで木村の声が聞こえなくなるのは椅子から立ち上がってオフマイクになってるからだ」とか、「勘太郎はここで右手を振り上げてピックを投げてるはずだ」とか、いちいち思い出す。

『生聞』は、憂歌団のあのスタイルこそ既に完成しているものの、やはりまだ若い。
『‘89』になると、もう巧すぎるっちゅうか、まあ巧いのはいいんだけども、ちょっと雰囲気が違ってて、あの独特のゆったり感がうまく録れていない。それに、このアルバムは半分がエレキのセットだ。やっぱりエレキセットは楽しくない。
驚くべきことに憂歌団の主要なレパートリーは、『生聞』から『‘89』までの13年間でも大して変わっていないのだけれども、それだけに、その13年の間に、芸としての完成度はすさまじいレベルに達している。
憂歌団は、この間ずっと年間100本以上のライブを延々続けていたのだ。

憂歌団と言うと、どうしても木村のボーカルと内田勘太郎のギターにばかり注目が集まるけれども、他のメンバーのプレイも見逃してはいけない。
例えば島田のドラムは、地味だけれども、他の3人、とりわけフロント2人があのようにフリーキーであるだけに、あの几帳面で沈着冷静なドラミングは、憂歌団にとっては非常に重要である。
逆に言うと、島田のドラムがあれだけ几帳面でかっちりしているからこそ、フロント2人がフリーキーに行きまくってもOKなのだ。
島田さんは、グラサンに角刈り、アロハ着用と、ぱっと見はそこいらのチンピラのようだけども、ファンなら誰もが知るとおり、グラサンはずせば優しい目つきで温厚そのもの、典型的なA型タイプで、ドラミング同様にたいへん几帳面な人である(ほんとにA型かどうかは知りません)。
憂歌団は、その実力に人気が伴っていないと常に言われ続けた、欲のないバンドであったけれども、島田さんはその中でも特に「欲のない人」であった。
毎朝家の周りの道路を、レレレのおじさんみたいに掃除しているような人である。
暴走する木村を、菩薩のような寛容性で後ろから見守る島田のプレイは、憂歌団の本質の25%を確実に担っている。

花岡のベースも、ほとんど話題にされないが、非常に技巧的だ。
フェンダーのプレシジョンはフレッテッドだけれども、張っているのはフラット弦で、ヤマハのアンプを使っているというのもプロでは珍しいと思った。
しかし、その構成が実に渋いサウンドを生み出す。
フレージングも、そのへんのブルースのプレイヤーに比べると遙かに多彩で、ジャズをはじめ他ジャンルの音楽を巧みに消化している。
タイム的には、たぶんもともと、ぐいぐい前へ行こうとするタイプだと思うのだけれども、テンポの速い曲なんかだと、恐らくは更に意図的に前のめりに攻める。
島田のドラムが安定しているから、花岡はかなり自由にぐいぐい行けるのである。
いつも足を組んで座って余裕ありげに弾いているが、出てくる音は実にスウィンギー。
『‘89』の「おそうじオバチャン」におけるプレイを聴いてみてほしい。
勘太郎のギターソロの裏でフリーキーにぶいぶい歌いまくるラインは強烈で、『生聞』の同曲と比べると、「13年でこうなったか」と感慨深いものがある。

木村の歌と勘太郎のギターが国宝級に貴重なのはもはや言わずもがなであって、今日は敢えて書きません。
その代わりに、通常あまり語られることのない木村のギターについて少々。
実際のライブでは、ほとんどフロントに音が出ていないことも多く、木村のサイドギターは、あってもなくてもいいようにすら思える(た)。
しかし、CDで聴くとよくわかるのだけれども、リズムギタリストとしての木村は、実に優秀である。
特に4ビートのカッティングが上手で、ひきずるような独特のタイム感がたいへん心地よい。
こういう粘っこいリズムを出すギタリストは、日本人には少ない。
勘太郎が木村のギターをほめているのを何かの雑誌で読んだことがあるけれども、勘太郎にしても、木村のリズムは乗っかりやすいんだろうと思う。
『Best of Ukadan Live』では、右チャンネルの木村のギターにも注目してください。

憂歌団は、解散じゃなくて、「活動休止」だったと思うのだけれども、雰囲気的に「再開」はまずないと思う。
誰か何とかメンバーの仲介してくれないだろうか。

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2007年11月26日 (月)

秋の夜長のECM

毎年夏が終わって涼しくなると、よく眠れるようになるのと夏の疲れが出るのとで、家では寝てばっかりいる時期がしばらく続く。
10時間も12時間でも寝る。
しばらくの期間たっぷり寝続けて、そういう時期を越えると、やっと秋の夜長を楽しめるようになり、今度は逆にあまり眠らなくなる。
普段はほとんど飲まないコーヒーなどを毎晩いれるようになったりもする。

今年はどういうわけか眠い時期が非常に長くて、1ヶ月以上に渡って、実によく寝た。
9時とか10時とかに子供を寝かしつけていたら一緒に寝てしまって、そのまま朝までずっと寝っぱなしというような日が週に2日や3日はかならずあって、しかも週末は更に寝る。

その惰眠の季節が、先々週くらいにやっと明けたらしく、ここしばらくは毎晩夜更かししている。
秋の夜長、と言うよりは、もう冬になってしまった感じだけど。

そうと決めているわけでは決してないのだけれども、秋の夜更かしの時期になると、ECM系のジャズなどがヘビーローテーションになる。
いかにもって感じで恥ずかしいけど。
夜が静かになるからああいうのが気持ちよく聴けるのだと思う。

キース・ジャレットはあの過剰な感じが好きではないけれども、『The Meldy at Night with You』は愛聴盤。
チャールズ・ロイドなんかも、暑い季節には決して聴かないのに、秋の夜になると思い出して聴く。
パット・メセニーは、ECM時代よりも最近のものの出番が多くて、この季節には『One Quiet Night』とかチャーリー・ヘイデンとの『beyond the Missouri Sky』がローテーション入り。

あとは昔のジャズならビル・エバンスとかジム・ホールとか。
ペンギン・カフェ・オーケストラやライヒ、ヤン富田なんかのミニマル系、実験系に、環境音楽はブライアン・イーノも。
とにかくやたらとスノッブな感じになりがちなこの季節。
読書も、カタめのものに対応できるようになります。

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2007年11月14日 (水)

Zepp Nagoya で岡村靖幸を見損ねる

今日は靖幸の「告白」ツアーのファイナル。
仕事は午後から休みを取り、万全の体勢で Zepp Nagoya へ。
Zepp Nagoyaはオール・スタンディング。
開場の6時に少し遅れて到着。
こんな小さなハコで靖幸を見られるとはありがたいことよとビール片手に真ん中当たりのポジションをキープして7時の開演を待つことしばし。
そして……

7時半近くなった頃、ステージに現れたのは、靖幸ではなく、マイクを持ったプロモーター。
なんと靖幸、昨日の大阪公演で負傷。ふくらはぎの筋肉断裂で全治2ヶ月。
説明によると、今日、名古屋入りしてからも医者の診断を受け、検討した結果、公演延期という結論に達したとのこと……。うーむ。

たぶんギリギリまで決められなかったんだろう。
しかし、客も満杯入って、開演時間も過ぎてからのアナウンスっちゅうのは異例だ。
「札幌から来てんだぞ!」と怒鳴っている客もいる(そりゃ怒るわな)。

さすがにイベンターの説明だけではおさまらないと判断したのか、その後、靖幸本人が登場。
いつもならアンコール時の定番となっている、キーボードの即興弾き語りによる「筋肉が断裂しちゃったよ今日は本当にごめんなさい車イスじゃかっこわるいからこういう結論になりました必ずこの埋め合わせはします」の歌を披露(笑)。

延期の日程等は、1週間以内にホームページで告知されるとのこと。
まあしょうがないか。

それにしても靖幸、しっかりリバウンドしてました。

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2007年11月11日 (日)

今日の1枚 The Rose of England/Nick Lowe & His Cowboy Outfit

ちょっと気になることがあるのでニック・ロウの『Labour of Lust』を聴きたいのだけれども、あいにくアナログ盤でしか持っていないので、すぐに聴くことができない。
ネットでCDを調べてみたところ、どうもいまだに廃盤らしい。
て言うか、何でもかんでも再発になるこのご時世において、信じがたいことに、ニック・ロウの過去の作品はほぼ全滅状態で、20世紀の作品を聴こうと思ったら『Basher』というオールタイム・ベストを買う以外にない。
が、全くダメなのだ、こんなベスト盤だけでは。

もしかすると、本人の意向も関係あるんだろうか。
ニック・ロウは、その昔、映画「ボディガード」のサントラに、「Peace, Love & Understanding」のカバーが収録されたおかげで巨額の印税収入を得たとのことだけれども、考えてみれば、その頃から活動が隠居ジジイみたいな感じになった気がする。
もう昔の作品などどうでもいいのだろうか。

白人による、いわゆる狭義のロックンロールというジャンルにおいて、ニック・ロウの業績は唯一で孤高である。
この単純な音楽形式を深く理解しつつ、白人ならではのサムシングを付加したスタイルは、簡単なようで決して真似できない。

その技術がピークに達したのは、ずばり『Nick Lowe and his cowboy outfit ('84)』と『The Rose of England ('85)』の2枚。
これ以降は徐々に、円熟しすぎと言うか、渋すぎる方向へ進む。
熟度とポピュラリティのバランスが最良なのがこの2枚だと思う。
個人的にもリアルタイムで聴いたので、余計に思い入れが深い。
幸いこの2枚だけはCDでも持っているのだけれども、今はアマゾンのマーケットプレイスでどちらも1万円以上の値がついている。
ひどい話だ。

この2枚、曲もいいけれども、演奏もいい。
全員が、「ロックンロール」の何たるかを熟知している。
ポール・キャラックが参加して、非常にいい仕事をしている。
また、何者かわからないんだけれども、Bobby Irwin というドラマーがまた非常にいい。
たぶんこの種の音楽しか叩けないタイプだと思うけれども、この種の音楽には正に最適のドラマーだと思う。
このバンド以外でのキャリアはネットを検索してもわからないが、もしかすると、同時期のトレイシー・ウルマンの楽曲のいくつかはこいつが叩いているんではないかとふんでいる。
クレジットはないんだけれども、スティッフつながりだし、何曲かよく似た印象のドラムがある。

そういうわけで、久しぶりに聴いたら、やっぱりよくて泣けてきました、『The Rose of England』。
ヒューイ・ルイス参加の大ヒット曲「I Knew the Bride」もこのアルバム収録です。
現状、入手不能ですが……。

The_rose_of_england

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2007年11月 2日 (金)

日曜大工

何を隠そう、実は日曜大工が趣味の1つです。
ここんとこ仕事がヒマなので、昨日は休みを取って、1日中作業。
久しぶりの大作。
自分の部屋が完全に家族の物置になってしまっていて、ずっとモノに埋もれて寝起きしていたので、収納力を倍増するために大型の棚をつくる。
来客には決して見せることのない部屋なんだけれども、たまに息子の友だちとかにのぞかれたりすると、「うわ、ぐちゃぐちゃ!」などと言われていた。
これで解決なるか。

前の日曜に半日がかりでカットした合板を、午前中いっぱいかかって全部ペーパーがけ。
午後に組み上げて完成(↓)

1

 

 

 

 

材料はメルクシパイン集成材。高さ1820mm × 幅1820mm × 奥行き300mm。
塗装はめんどくさいのでなし。材料費は約1万8千円。
ほんとは上にある造り付けの棚とぴったりの高さに合わせたかったのだけれども、ホームセンターでは1820mm以上の木材は売っていないので、やむなくこのようにしました。

ついでに、この1年くらいの間に手がけた他の作品もご紹介。

4  

 

これ(↑)は、リビングの壁面に作った棚。
うちのリビングの西側壁面は、ヘソくらいの高さのところで幅10cmの段になっている。
かねてから蔵書の整理に行き詰まり、chinsan宅の造り付けの書棚を羨ましく思っていたので何とかならないものかと思案していたところ、この10cmの幅を利用してこの上の壁面全体を棚にしてしまうというプランを思いついた。
効果のほどが想像しかねたので、愚妻に相談しつつ、躊躇しながらも実行。
ファルカタ(ファルタカ? ファカルタ?)材。ほんとはダークブラウンに塗装したかったのだけれども、愚妻が白木がよいと言ったのと、そもそもこれだけを塗装するのは大変な手間がかかるので、結局無塗装に。材料費は1万円程度。
奥行きが10cmしかないので、本は文庫と新書と少年マンガしか入らない。
あとは子ども達がどんどんワケのわからない物を置き始めて、ご覧の有り様に。
もとは真っ白だった壁面がえらくごちゃごちゃしてしまい、よかったんだか悪かったんだか。
でもお客さんは皆ほめてくれます。
とりあえず収納力は高いし。
ビデオ、DVDも全部収めてます。

次。

6  

 

 

 

 

下に見える焦げ茶の棚が作品です。
リビングからキッチンへの通路には、先の西側壁面の10cm幅の段のつづきで、狭いカウンターのようなものが突き出ていて、その下はデッドスペースになっていた。
カウンターの上には、極めて日常の整理の悪い愚妻が、息子の学校のプリントやら娘の幼稚園の書類、ハガキ類、チラシなどをでたらめに積み上げているのが常であったので、愚妻の要請を受けて作成。
見よ、このぴったりサイズ(笑)。
これぞ日曜大工の醍醐味。
ファルカタ(ファルタカ? ファカルタ?)材をニスで塗装。
塗装は3度塗り。手間がかかる上に難しい。
材料費は忘れました。数千円でしょう。

もう1つおまけ。

2  

 

 

これは、100円均一で売ってた木(ボール紙を固めた物か?)を組んだだけなので、日曜大工とは言えません。
1枚100円のを8枚使ってるから、800円。
しかし、私の塗装技術によって、ちょっとしたアンティークのような質感を出すことに成功し、めでたく玄関の下駄箱の上に採用。
これは塗装に2週間以上かかってます。

モノ作ってるときは幸せだ。

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2007年9月25日 (火)

岡村靖幸『はっきりもっと勇敢になって』を聴く

このジャケ写は、現在の姿なのだろうか??(左のリストを参照して下さい)
留置生活でダイエットに成功??

いずれにせよ、復活を素直に喜びたい。
曲の出来も、個人的には95点。
何より往年の素直なポップ路線であることが泣ける。
天才・靖幸がちょっとその気になれば、このくらいのクオリティの楽曲はすぐに出来るのだ。

原点に戻って、というような意識が本人にあったのかどうかはわからない。
とにかく、この方針はあまりに正しい。

どうか売れますように。
そして、このセンでフルアルバム1枚、作ってくれますように。
切に祈っております。

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2007年7月21日 (土)

今日の1曲--- Panic / The Smiths

10代の頃は、自分のテーマソングみたいにしてる曲がその時期その時期によっていろいろあって、たいていは腹が立ったときや気がふさいだときなんかに、鼻歌で歌ったり頭の中で鳴らしたりして自己慰安にした。
そういう曲が、思い出してみるに、いくつもある。
スミスの「パニック」もその1つで、これは何となく高校の頃かと思ってたけど、調べたら1986年だから、もう大学に入学している。

80年代というのは、今考えても実に嫌な時代で、自分のような者にはたいへん居心地が悪かった。
DCブランドだのカフェバーだのの全盛期で、みんなポロシャツの襟を立てて腰にトレーナー巻いてアディダスのテニスシューズはいて、ディスコではユーロビートで踊るんである。
そういうものを基本的に一切拒否していたので、かなり生きづらかった。
音楽の流行りも、90年代以降と比べると、実にくだらないものが多かったように思う。

そう。当時のポップチャートを賑わせたくだらないヒット曲の代表格こそ、80年代ディスコの定番ユーロビートだ。
70年代のディスコはファンキーだが、80年代のディスコは腰抜けだ(行かなかったからよく知らないけど、たぶん)。
当時、巷間に流れるヒット曲は、そうした当時の居心地の悪さを増強するようなものが多かった。

そういうわけで、スミス「パニック」。
詞に込められた悪意は明快。
当時のくだらないヒットチャートを揶揄する内容だ。
ユーロビートで盛り上がる世間を見るにつけ、ぼくはこの曲を反芻して溜飲を下げました。

CDについている小林政美という人の訳がなかなか個性的でおもしろいので、それをほぼそのまま載せておきます。(ほんの少し修正・加筆しました)

          Panic

   Panic on the streets of London
  Panic on the streets of Birmingham
       I wonder to myself
    Could life ever be sane again ?
The Leeds side-streets that you slip down
       I wonder to myself
   Hopes may rise on the Grasmere
  But Honey Pie, you're not safe here
       So you run down
    To the safety of the town
But there's Panic on the streets of Carlisle
    Dublin, Dundee, Humberside
       I wonder to myself

      Burn down the disco
      Hang the blessed DJ
Because the music that they constantly play
IT SAYS NOTHING TO ME ABOUT MY LIFE
      Hang the blessed DJ
 Because the music they constantly play

On the Leeds side-streets that you slip down
    Provincial towns you jog 'round
  Hang the DJ, Hang the DJ, Hang the DJ
  Hang the DJ, Hang the DJ, Hang the DJ
HANG THE DJ, HANG THE DJ, HANG THE DJ
    HANG THE DJ, HANG THE DJ
    HANG THE DJ, HANG THE DJ
  Hang the DJ, Hang the DJ, Hang the DJ
    HANG THE DJ, HANG THE DJ
    HANG THE DJ, HANG THE DJ
  Hang the DJ, Hang the DJ, Hang the DJ
    HANG THE DJ, HANG THE DJ
    HANG THE DJ, HANG THE DJ
  Hang the DJ, Hang the DJ, Hang the DJ
         HANG THE DJ

     ロンドンのそこここでパニック
   バーミンガムのあちこちでパニック
        どうしたことやら
  一体まともな日々は戻ってくるのかな
君が通りかかるリーズの横丁でもパニック
        どうしたことやら
グラスミアあたりじゃ希望の芽もいぶくかも
         しれないけど
        ねえ可愛い君
   ここだって安全とは言えないよ
     だから走って逃げるんだ
       街の安全地帯まで
        そうは言っても
    カーライルのそこここでパニック
     ダブリンでもダンディーでも
     ハンバーサイドでもパニック
        どうしたことやら

       ディスコを焼き払え
   おありがだいDJ様を吊し上げろ
  いつもかけて下さる音楽のお礼に
 ぼくの人生の足しになるようなことを
   一言も歌っていない曲のお礼に
 さあ 忌ま忌ましいDJを吊し上げよう
  いつもかけて下さる音楽のお礼に

  君が通りかかったリーズの横丁で
   君が走り回る地方都市でも
     さあ DJを吊し上げろ
       DJを吊し上げろ
       DJを吊し上げろ

つまり……、どこに行っても街では耐え難いような曲ばっかり耳に入ってきてパニックになってしまう、ディスコを燃やせ、DJを吊し上げろ……、と歌っています。
「DJを吊し上げろ」という日本語だと単に「糾弾せよ」といったニュアンスにも聞こえるから、これでもまだ穏当な和訳なのであって、本当は「絞首刑にしろ」と歌っている。
本国では放送禁止になったんだかならなかったんだか、とにかく問題にはなったんだったと思う。

曲調は、スミスなりのTレックスへのオマージュとでも言うか、珍しくポップでちょっとグラマラス。
スミスはリズムセクションがあまりに下手なので、正直言って今聴くと音楽的にはきついけれども、モリシーの毒は今でも痛快だ。
久しぶりに聴き直してもやっぱり溜飲が下がる気分になったので、この毒はまだまだよく効く毒だと思いました。

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2007年6月 6日 (水)

松田聖子と椎名林檎は同じである(3)

で、いよいよ本題の椎名林檎、と思っていたのだけれども、よく考えたら、松田聖子と椎名林檎は同じであるという趣旨なんだから、松田聖子について書きたいこと書いたら、椎名林檎についての私見もほぼ書き終えたも同然なのであった。

一応改めて整理すると、要するにこの2人というのは、単に自分のパブリックイメージに対して無自覚なまま歌いたいように歌った結果、そこに天性のナチュラルな魅力があった、というようなタイプのシンガーでは全くない、ということだ。
たまたま歌が好きで上手くて、他人にはないような持って生まれたチャームも備わっていた、というような天然のタイプではない(ポップ・ミュージックの歌い手はこのようなタイプが圧倒的に多い。と思う)。
もちろん歌は上手かったし、天性のチャームも持ってはいた。
しかし、その上に更に、自分が持っている技術はどのような種類のものか、その技術ひとつひとつがリスナーに対してどのように作用するかといったことに自覚的で、結果、自身が聴き手の目(耳)にどのように映るかというところまでをコントロールしている。
そこが10年に1人、20年に1人のレベルの才能であると思う。

松田聖子は、自分がどのように歌えば「80年代のアイドルとして相応しいイメージ」を創り出せるかを熟知していた。
椎名林檎が自身に与えたイメージは、それとは全く別ベクトルの、オルタナティブ・ロック風っちゅうか、デカダンっちゅうか、隠微っちゅうか、売女的・SM的・扇情的っちゅうか、まあああいう線なわけだけれども、そのシンガーとしての資質と方法は非常によく似ていると思う。

椎名林檎がすごいのは、単にシンガーとしてのみならず、ソングライターとしても超一級の才能を持っているところであって、ソングライティングからトータルに自分をプロデュースすることができるのが強みだろう。
与えられた楽曲の中で見事に役割をこなしていく松田聖子の凄味、というのもあるのだけれども、文学的なセンスも音楽的なセンスも全て持ち合わせた上で、自身を巧みに作品化していく椎名林檎もやっぱり偉い。

具体的な技も鑑賞してみましょう。

まず、発声のパターンもいろんなバリエーションを使い分ける。
ナチュラルな発声。喉をひしゃげたような、押しつぶしたような発声。喉を絞めて鼻から抜くような発声、等々。
いずれもアバズレ感と言うか、ズベ公感っちゅうか、そういうイメージを喚起する方向に作用してます。
扇情的な雰囲気も、例えば倖田來未みたいな健全なエロ、あからさまなエロではなく、湿度があって生々しい。
十分に挑発的なんだけれども、それが下世話になる一歩手前、デカダンな文学性みたいなものを感じさせるギリギリのところでストップしてる。
その匙加減が巧妙なんですな。

例えばヒットシングル「本能」の冒頭、♪やーくーそーくはーいらーないわー っていうところ。
激しく乱高下するアクロバティックなメロディ・ラインを絶妙なタイム感で歌いこなしながら、「ら」でお馴染みの巻き舌をばっちり決めて、最後の「わー」はなまめかしい声色で煽る。
このワンフレーズでもう持っていかれます、私は。
なんちゅうか、運動神経って言うのか、反射神経って言うのか、松田聖子でもそうだけど、決めるべきところで絶妙に間違いなくビタッと決めてくる、そういう反応のよさがいかにも床上手って言うか、何言ってるのかよくわからないけども(笑)、こういうところがとにかくやり手的なイメージを強化するんだと思います。

例えば「ギプス」。(これが目下のところ椎名林檎の最高傑作か?)
♪だって写真になっちゃえばー のところで、
だっ(v)て写真になっ(v)ちゃえばー
と、必要以上に小刻みにブレスを入れるあたりがいかにもテクニカル。
でまたそのひきつったようなブレス音が挑発的でいやらしい。
サビにおける、ドスのきいた、押しつぶしたようなスクリームと対照をなして、見事な布石となっております。
こういう細かい技を積み重ね、連続技として次々に繰り出してくる、その過剰な感じがまたいいんだよな。
興奮してばっかりだけど(笑)。

詞は、まだまだ未成熟な言葉遣いも多いけれども、それでも、

♪女に成ったあたしが売るのは自分だけで
 同情を欲したときに全てを失うだろう
(「歌舞伎町の女王」)

といったような硬質な言葉や(昔の泉谷しげるみたいだ)、

♪そしたらベンジー あたしをグレッチでぶって
(「丸の内サディスティック」)

なんちゅう挑発的な言葉を持ち出してくるセンスは見事。
そうそう、知的でエッチっていうのもポイントの1つか。

要はそんな大仰な話ではなくて、自分がこういったタイプに弱いだけというような気もしてきたけれども、松田聖子にしても椎名林檎にしても、コアなファンは同性だと思うわけで、やはり同性のリスナーは、この2人が巧みに自分のパブリックイメージを創出していく、そのアーティストとしての有りように共鳴しているのではないかと思う。

以上、尻すぼみですんません。
とりあえず満足しました。

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2007年5月31日 (木)

松田聖子と椎名林檎は同じである(2)

マーク・ネヴィンの書くあまりにロマンチックで情緒過多な詞も、エディ・リーダーが歌うと思わずその気にさせられてしまう…………というようなことを、ずっと以前、フェアグラウンド・アトラクションについてのエントリーで書いた。
それが「歌」の力である、と。

歌詞にもいろいろある。
言葉だけ取り出してもそのまま現代詩として成立するようなよくできた歌詞がある一方、歌詞カードだけ読んでいたらどうしようもなく頭悪そうなくだらない詞も世間にあはふれかえっている。
しかし、当然ながら、歌詞は文学ではない。
歌詞が文学的である必要は、必ずしもない。
ボブ・ディランやブルース・スプリングスティーンの書く詞のように、そこに高度な文学性が発生する余地はもちろんあるし、それが悪いことであるはずもないけれども、一方でまるで文学的でない、質の低い言葉が、「歌」になった途端にとてつもないチャームを生み出す、というようなこともいくらでもある。
同じ「I love you」と歌っても、ジョン・レノンが歌うのと尾崎豊が歌うのとでは、(比べるのも失礼だけれども)、説得力がまるで別モノだ、ということが起こる。

陳腐な言葉でも、歌の力でその気にさせられてしまう、ということはある。
I love you という陳腐な言葉が、歌の力によって、これまで聴いたことのないような新しい「I loove you」になる。
「歌」には、そのように言葉を再生させる力、言葉を別の次元に持っていくマジックがある。
使い古され、陳腐化した言葉が、メロディやリズムや歌い手の声そのものや歌の技術によって、甦ることがある。

アイドル時代の松田聖子の詞は、そのほとんどを松本隆が手がけている。
松本隆は、プロとして、きっちりと「アイドルのための」仕事をしている。
それはもちろん決して質の低いものとは思わないけれども、なんつっても当時のアイドル向けに作られた詞である。
そもそも松本隆は、内容よりも、響きのよさやムードで言葉を選ぶ作詞家だ。
そこに描かれているのは、結局は、中2女子の恋愛観っちゅうか、B級少女マンガの世界っちゅうか、まあそのようなものなわけである。

しかし。
そのような、もうとっくの昔に陳腐化していたはずの世界が、松田聖子の歌によって見事に再生する。
くだらないこと歌ってるなあと思いながらも、半ばその気にさせられていく。
詞の情景がありありと眼前に浮かぶ。
あきらかにだまされていると知りながらも、だまされているのが快く思われてくる。

松田聖子は、テレビでは、万人が突っ込まずにはいられない「ぶりっこ」ぶりを披露していたわけだけれども、歌の中では、与えられたキャラを完璧に演じきり、聴く者全てを100%その気にさせることができた。
前回のショーエのコメントにあるように、「テディベアを抱いて滑り台を滑りながら舞台に登場したりする」シーンには誰もがずっこけても、歌の中では、テディベアを抱いている松田聖子が全然OKになる。
松田聖子のリスナーは、生身の松田聖子が発する女としてのフェロモンに反応していたわけではない。と思う。
敢えて言うなら、「歌の中の松田聖子」に惚れていたのであり、それはすなわち、歌の中で細部まで完璧に作り上げられたリアルなつくりものの世界とその肌ざわりに心酔していたのである。
だからこそ女性のファンが多いのだ。
生身の松田聖子に自分を重ね合わせることはできずとも、歌の中の松田聖子にシンクロするのはいともたやすい。
いや、松田聖子は、その歌の力で嫌が応にもリスナーを歌の中に引き込む。

では、具体的なワザを少し見てみます。

松田聖子の歌唱力のピークは、ずばり82~83年頃だと思っている。
デビュー当初から全然上手いし、最初期は最初期で溌剌とした若さがあっていいのだけれども、押す一方で、巧みな「引き」のテクニック、緩急の妙がまだ身に付いていない。
逆に、90年代になってくると、ちょっと上手すぎると言うか、技に溺れると言うか、あざとさが見えると言うか、そういう感じが出てくるし、何より声が老いてくる。
ベストの1枚としては、82年の『パイナップル』を推します。
これはぼくが当時(レンタルじゃなく)自分で金を出して買った唯一の松田聖子のアルバムなので、個人的な思い入れが強いだけだと言われても仕方がないけれども、その前後の「キャンディ」「ユートピア」あたりを含めて、やはりこの辺が歌い手としての最盛期だと思う。

ぼくが気付いた具体的な松田聖子の技の数々。

・基本はウィスパー系の発声から一転張りのある明るい声へというコンビネーション。
・タ行をもたつき気味に、たどたどしい感じで発音。
・ラ行は、舌っ足らずな感じで、英語のL音に近い。
・ナ行も甘ったるくN音を強調。「ね」は「んねー」的に。
・「う」「す」「つ」等、ウ段の音は、必要以上に口をすぼめてかわいらしく。
・濁音は注意深くそーっと発音し、清音との中間のような発声。例えば「じ」は「し」に近い音で、等。
・この前書いたキョンキョンの「スターダストメモリー」の「メモー」の例のように、マ行を幼い感じでまったりと発音する。とくに「モ」がかわいい。
・ブレスの切れ目やロングトーンの終わりで跳ね上げる。今では誰もがよくやる技術だけれども、最初に確立したのは松田聖子か。
・ブレス音は敢えて大仰に。「息が切れてる感」により、セクシュアリティやけなげさを演出か。(さらにそのブレス音が強調されるようなイコライジングが施されている。技術的なことはよくわからないけれども、中高域あたりのどこかをぐいっと上げてやるんだったと思う。これはサ行をも強調する。松田聖子に限らず、ウィスパー系、ハスキー系のシンガーにはよく使われる処理だ。)

……いや、こういうの列挙しても意味ないな。
要は、こうした細かい技を随所随所で的確に駆使しながら全体の緩急を組み立てていく構成力、コンビネーションの妙。そこがすごい。
作詞家の意図を120%活かして、要所要所で的確にそれぞれの言葉のツボにはまった技を展開する反応のよさたるや恐るべし。
自分をアイドルらしく、かわいく見せる術を完璧に把握していて、それを抜群の反射神経で次々に繰り出しながら、全体を巧妙に組み立てていく技術がすごいのだ。
そしてその高い技術ゆえ、歌の中では、決してそれがテディベアで滑り台的な「やりすぎ」感を与えない。
注意深く聴いていると明らかに演出過多なんだけれども、全体としてそれが嫌味でない。

どこまでが意識的でどこまでが本能的な技術なのかはわからない。
しかし、少なくとも松田聖子を聴いていると、こいつにはリスナーにとって何が快いか、自分のひとつひとつの技によってリスナーがどのような印象を抱くか、といったようなことの全てが極めてクリアに見えているのではないかと思えてくる。
緻密な計算とそれを裏付ける確かな技術によって、自分のイメージとリスナーの心理を完璧にコントロールしているような印象を受ける。
やっている音楽もシンガーとしてのタイプもまるで違うけれども、そうしたところが、椎名林檎と非常に近い気がするのだ。
「男が何を考えているのかを全て察知する」タイプに見えるのは、こうした印象によるものと思われる。

敢えて技術的な弱点を言うならば、リズムだろうか。
やはり松田聖子は、椎名林檎のようにロックの人ではないので、ところどころリズムの甘さが見られる。
しかし、そういう音楽を歌っているわけではないのだし、全体の完璧さから見れば相対的に甘いという程度でしかない。

『パイナップル』には、ヒットシングル「渚のバルコニー」や「赤いスイートピー」も収録されていて、それらももちろんいいのだけれど、シンガーとしての魅力を堪能するには、M③「ひまわりの丘」をまず推します。
M①「PRESENT」と共に来生たかおの作曲なんだけれども、この人は松田聖子の歌の魅力を実によく理解した曲作りをしているように思う。
松田聖子で1曲だけ選べと言われたら、「風立ちぬ」等、大瀧詠一の手による一連の作品も捨てがたいけれども、個人的にはこの「ひまわりの丘」をまず思い浮かべるかもしれない。
それくらい歌がいいです。

長くなってきたのでそろそろ結論。
松田聖子は天才歌手である。
それは、80年代のアイドルとして、中2女子の恋愛観、少女マンガの恋愛観のような世界のキャラクターとして自分を表現することにおいて、天才的なシンガーであるという意味だ。
自分が演ずるべき役割を100%理解していて、しかもそれを完璧な技術で完璧に演じきることができる。
ただ歌えるだけではない、そうした頭の良さと鋭敏な感覚、瞬間瞬間にツボを突き、細部表現に次々と反応していく反射神経、そしてそれらを躊躇なくやってのける図太さ。その全てを持ち合わせている点において、天才だと思う。

まだまだ椎名林檎編につづきます。

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2007年5月28日 (月)

松田聖子と椎名林檎は同じである

前回エントリーに対してchinsanからいただきましたコメントで、松田聖子について書こうと思っていたことを思い出した。
いや、正確には、松田聖子との比較の上で、椎名林檎について書こうと思っていた。
いつのことだっけか、もう何年も前に書こうと思っていたネタだ。
歌詞論からはややずれるけれども、この機会に書きます。

結論から先に言うと、松田聖子と椎名林檎は歌い手としての資質がだいたい同じである、という暴論です。
さて、どこがどんなふうに同じ、か。

単に歌が上手いだけのシンガーならいくらでもいる。
しかし、この2人のカリスマ人気は突出しているし、それはやはりそれだけの特別な才能に裏付けられたものであるはずだ。
音楽的に単に上手いというだけではなく、そこにプラスアルファのサムシングがないと、ああいうレベルには達しない。

なんちゅうか、その、しなをつくるのが天才的に上手い女の人っていますよね。
自分のどのような仕草や行いや言葉が男に対してどのように作用するかというのを完全に把握していて、それをきっちりコントロールして実行に移せる、って言うか。
ごく簡単に言ってしまえば、松田聖子と椎名林檎というのは、タイプは全然違うけれども、「歌」の中で、そういうことをほぼ完璧にやってしまえる歌い手だと思うわけです。
いや、実生活は知りません、もちろん。「歌」の中でやってるっていう意味。

ただ、椎名林檎は、某音楽誌のインタビューで実際に、「男が何を考えているか察知するのが得意」みたいなことをしゃべっていた。
あ、こいつ今、こういうことを言われたがってるな/されたがってるな、っちゅうのを鋭敏に察知して、それを利用することで相手を手玉に取る。そのようなことがいかにも上手い、繊細さと大胆さを兼ね備えたタイプのように思える。
そういう人は水商売に抜群に向いているのだろうけれども、実際、椎名林檎はアマチュア時代に執拗にその道の人々から誘われたとのエピソードも語っていた。
確かに、キャバクラとかに椎名林檎がいたりしたら、100%術中にはまってしまう自信があります、ぼくは。

松田聖子も、全然勝手な想像だけども、たぶんそんな感じなんじゃないかという気がする。
反射神経がいいっちゅうか、相手の反応を見ながら常に瞬時の判断で最善の一手を繰り出す技術がある、みたいな、そういうタイプのように思える。

いや、実生活はどうでもいいんだ、実生活は。
あくまでも、歌い手としての技術の問題を語ろうとしております。
そんなに幸福そうじゃないし、実生活。2人とも。
それと、この2人のシンガーが撒き散らす女性ホルモンに男はみなやられているのだ、とか、そんなことが言いたいわけでもありませんですよ、念のため。
実際、この2人を支えているコアなファンは、おそらく同性の人々であろうと思う。
そう、同性に認められなきゃ本物じゃないです、やっぱり。

断っておくけれども、ぼくはアイドルとしての、女としての松田聖子には、これまで一度も興味を持ったことはない。
松田聖子のアイドルとしての全盛期は、ちょうどぼくの中学~高校の時期に当たるけれども、松田聖子をかわいいと思ったことなど一度もなかった。
ぼくが好きだったのは石野真子です。
今でもわりと好きです。

しかし。
にもかかわらず、当時、自分で金を出して買った唯一のアイドルのレコードは、松田聖子だった。
レンタルレコードで借りたのも、松田聖子だけだった。
その頃、松田聖子のシンガーとしての技量をどれほど認識していたかは記憶がないけれども、少なくとも、「聴きたい」と思うアイドルは松田聖子だったのだ。
カセットにダビングした初期のベスト盤『SEIKO INDEX』を何度繰り返し聴いたことか。

結局、ぼくだけじゃなくて、多かれ少なかれみんなそうだったんじゃないかとも思う。
松田聖子は、アイドルとしてそのルックスや振る舞いが優れていたという面ももちろんあるのだろうけれども、結局はみんな、意識しようがしまいが、あの歌声にやられていたのではないかという気がする。

テレビで見る当時の松田聖子は、いわゆる「ぶりっこ」の始祖であって、中高生の目にも、「それはちょっとないだろ」と思えた。
とてもかわいいとは思えなかった。
しかし、そのぶりっこキャラが、歌の中では完璧に生きるのである。
歌の中でのキャラ作りは、明らかに天才のそれなのである。

眠いので次回に続きます。

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2007年5月26日 (土)

歌詞における意味と音

内田樹のブログは毎日おもしろいけれども、5月17日のエントリーはとりわけおもしろかった。
ほんとは読んでもらうといちばんいいのだけれども、要するに要点は、

『私どもはポップスの歌詞を意味レベルで評価する傾向があるけれど、人間の声が「楽器」である以上、歌詞における音韻の選択には必ずや歌手ごとに「偏り」があってしかるべきなのである。』

ということです。
でも、後半の各論がとてもおもいしろいので、是非読んで下さい。

また、遠くさかのぼりまして、2005年8月23日のエントリーでも、よく似たことが語られている。
ほんとは読んでもらうといちばんいいのだけれども、なかなかそうもいかないだろうから、重要なところを抜粋します。

『音声を意味で聴くひとは、音声そのもの持っているフィジカルな現実変成の力を軽んじるが、音声の力を侮ってはいけない。
古代中国には「嘯」という発声法があった。
「うそぶく」と訓じるが、もともとは口笛を吹くような鋭い音だったのではないかといわれている。
これは「破邪顕正」の呪法のひとつである。
「笑い」もそれに同じく、破邪の呪法である。
だから、鞍馬天狗や月光仮面や七色仮面や桃太郎侍や水戸黄門は登場するときには「はははははは」と哄笑したのである。
あれは何かおかしいことがあって笑っているのではない。
その場に漂う邪気を祓うために呪を行っているのである。』

『音楽の分析において和音進行や歌詞についての研究は無数にあるが、音声・音韻の持つフィジカルな力に着目したものは少ない。
私はひさしくポップスの魅力の本質は「音声」そのものにあると考えてきた。
それは和音や歌詞はローカルな文化に属するけれど、音韻がもつ現実変成力はある意味で「超歴史的・超空間的」に同一であるような気がするからである。
私が50年代末にはじめてエルヴィス・プレスリーをラジオで聴いたとき、私は英語の歌詞をもちろん一語とて理解できなかったけれど、その「声」はダイレクトに身体にしみこんだ。
エルヴィスの発する音声はほかのどの歌手の出す音とも違っていた。
それは微妙に震動し、動物的な「ぬめり」があった。
私が聴いていたのは、歌詞でもないし、サウンドでもないし、リズムでもなく、「声」そのものだった。』

『90年の歴史をもつハリウッド映画には興行収入や観客動員数や文化的影響において華々しい記録をもつ無数の映画が存在するが、五大陸のすべてでヒットした映画はひとつしか存在しない。
ニューヨークでも北京でも、ナイロビでもホノルルでも、東京でもイスタンブールでも客が押し寄せた唯一の映画。
人種、宗教、言語、風俗を超えて圧倒的な支持を得た唯一のハリウッド映画、それは『燃えよドラゴン』である。
世界どこでも、映画館を出た若者たちは、そのまま空中に躍り上がって「アッチョー」と絶叫したのである。
ブルース・リーが発したこの「怪鳥音」と呼ばれた音声はあるいは中国古来の呪法の流れを汲むものではないかと私は想像している。
その「音」は観客をおそらくは分子レベルで震撼させたのである。
音は意味よりも深く遠い。』

ほとんど全部抜粋してしまいましたが。

そう、正に、私どもはポップスの歌詞を意味レベルで評価する傾向がある。
一般の音楽誌等で、音楽評論をその都度的に読み物として成立させようと思ったら、どうしても意味レベルで歌詞を評価するのが手っ取り早い。
しかし、実際には、「音は意味よりも深く遠い」のだと内田樹は言う。
その通りだと思う。

古い話で申し訳ないけれども、学生の頃、自分も関わっていた某音楽誌に、おおよそ次のようなことを書いたライターがいた。
曰く、『小泉今日子の「スターダスト・メモリー」は、「♪スターダストメモーリー」って歌う、その「メモー」のところがかわいい』、と。
最初は笑って読んでいたのだけれども、よくよく反芻してみると、なるほど確かに「メモー」のところがかわいいし、それは実はこの決して歌のうまくないアイドルをチャーミングに見せる上で、かなり重要な働きをしてるような気がしてきた。
「メ」と「モ」はどちらもマ行だけれども、これは「口唇音」と言って、唇を閉じた状態から発声する音である。
その連続がある種のたどたどしさとけなげさを醸し出すのだと思う。
理屈はともかく、こういうことは大事なんじゃないか。歌詞は意味も大事だけれども音韻の選択も重要なのではないか、と、それ以降、意識して考えるようになった。

歌詞というのは、実に語るのがやっかいなテーマだ。
そこには、多様なファクターが複合的に作用するからだ。

内田樹は、かねてから歌詞における音韻の選択についてよく言及する。
また、音声そのもの、人の声が持つ「現実変成力」というのも、実に示唆に富む指摘だ。
しかし、かと言って、やはりそれは言葉なのだから、そこには「意味」も発生する。
音は意味よりも深く遠いけれども、じゃあ意味はどうでもいいかというと、決してそうとは言えない。
いくら音韻の選択が耳に快くとも、意味が否応なしにそれなりの文脈を生み出してしまう。

また、例えば、音韻が巧みに選択された歌詞があるとする。
しかし、それは、誰が歌っても同じように作用するわけではない。
このシンガーがこの声でこういう音韻を歌うと気持ちいいけれども、あのシンガーではまるでダメ。ということはいくらでもある。
また、この人がこの声でこういう「意味」を歌うとかっこいいけれども、あの人では気持ち悪い。ということもいくらでもある。
大瀧詠一は鼻濁音が上手だったり、キョンキョンはマ行がかわいかったりする。
同じ歌をうたっても、他のシンガーではそうはいかないかもしれない。

人が歌をうたうとき、その歌詞の、「意味」と「音韻」と「声」は、常に複合的に作用するのであって、本当はどれか1つを切り離して論じても意味がない。
あるシンガーが、その声で、そのような音韻で構成されたそんな意味内容を持つ歌をうたったときに、全体としてどのような結果が生じるか、というのが「歌」の価値になる。
もちろん、歌詞がどのようなメロディに乗っているか、どんなリズムでどのような符割りになっているのか、というようなことも、また別の位相で決定的な重要性を持つ。
もっと言うと、歌っているときのシチュエーションや着ている服、その人のキャラクターやイメージも無関係ではないのだけれども、そこまで行くともうたぶん収拾がつかなくなります。

……という話を書き始めると、1ヶ月くらいは連載できるのではないかと思っていて、ずっとあたためているネタなんだけれども、話が膨大すぎて、どこから手を着けていいのかわかりません。
そのうちやる気が出たら、「音楽と言葉」とか「歌にとって歌詞とは何か」とか、背骨が反り返るくらいの大上段のテーマで書き始めるかもしれませんが、可能性は低いと思うので安心して下さい。

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2007年5月17日 (木)

今日の1枚 『Relaxin' with The Miles Davis Quintet』

酒量が確実に増えている。
この日曜に缶ビールを10本と缶酎ハイを6本買ったはずなのだけれども、それがもう今日全てなくなった。
うーむ。

毎日毎日ここに書こうと思っていることが山ほどあって、それが家に帰ってきてビール飲んだらすっかりどうでもよくなって、だらだら過ごしてしまう。
内田樹が今日のブログでまた面白いことを書いているので、これについて是非追求したいのだけれども、ややこしいこと書く体力がない。
文章を書くどころか、読むのも面倒で、せいぜい音楽を聴くぐらい。
ずーっと欠かさず晩酌をしてた人がぴたりとお酒をやめて、「とにかく夜が長い」と言っていたけれども、正にそうだろうなあと思う。
でも、有意義な時間も増えるだろうけど、ストレスも増えるだろうしなあ……。

ジャズは基本的にアナログ盤で買うことにしていたので、アナログの再生環境を撤去してしまった今、持っていたものがほとんど聴けない。
特に気に入っていたものを、ぼちぼちCDで買い直しております。
ユニバーサルが今やってるJAZZ THE BEST という廉価シリーズは、ジャズの超有名盤が1枚1100円。

マイルスは、これがいちばん好きかなあ。
70年代以降の、あんまりややこしいジャズはよくわからないし。
これはわかりやすくて、なおかつ味わい深いし、どんな気分のときでも聴く気になれる。
とっつきやすいのに決して軽くないところが名盤たる所以であろうかと思う。

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2007年2月27日 (火)

未だ快癒せず

まだ伏せっております。
これまでの流れ。

21日(水)。深夜、悪寒。ノドにも少し違和感あり。暑寒い嫌な感じでよく眠れず。

22日(木)。朝起きると、38度の発熱。たまたま午前中は休みが取ってあったが、午後も仕事休む。

23日(金)。朝、37.5度。幸い今週中にどうしてもやらなければならない仕事はみな終えてあるので、もう1日休むことに。夕方には熱が下がり、体はずいぶん楽になった。咳、鼻水等はないが、ノドが少し腫れている感じ。

24日(土)。熱なく元気だが、ノドの痛みが強くなる。左側、上顎に近い入り口の辺り。その他の症状は何もなく、体もだるくない。午後は、仕事の動員で、とある集会に出席。座って講演を聴いているだけだが、会場が寒く、辛かった。ほとんど居眠りしてしまい、それもよくなかったかもしれない。

25日(日)。ノドの痛み、更に強くなる。食べ物どころか、水を飲むだけで痛い。が、体は元気なので、午後は半日、野外で日曜大工に励む。これがいけなかった。夕食時には、ノド痛が激化。
就寝前、気の迷いで、ビールをロング缶1本、喉の痛みに苦労しながら飲む。これがさらにいけなかった。ノドの痛みと違和感で、夜眠れず。

26日(月)。通常どおり出勤するも、ノドの痛みがえらいことになっている。もはや水を飲むこともかなわず、口を動かすだけで痛い。声帯は平気なのか、話すのは大丈夫だけれども、大きな口の動きは患部を刺激するのでぼそぼそしゃべるしかない。ツバも飲み込めない。
腹は減るので、昼食はざるそばに挑戦するが、ひと口ひと口を死ぬ思いで燕下せねばならない。
もはや何もしてなくても辛い状態になってきたので、どうしてもしなければならない仕事だけどうにか済ませ、1時間早く帰宅。病院へ。
病院で熱を測ると、また37.5度。医者がノドをのぞいた途端、「うわっ」と言って、おぞましいモノを見たような顔になる。「これはひどい」「扁桃腺がぐちゃぐちゃにただれてます」……やっぱりな。
すぐに点滴。パッチテストして抗生物質も注射。
生まれて初めてだ、点滴。
ウイルス感染であろうとのこと。薬が飲み込めない場合は、明日も点滴をしにくるように言われる。
帰宅後、泣きそうになりながらスープを数口すすり、死ぬ思いで処方された薬を飲み込む。
横になると、ただれた扁桃腺がどこかを塞ぐのか、呼吸がしづらくなって、うまく眠れない。

27日(火)。昨日から、もはや発話にも支障が出てきた。
もつれる舌に往生しながら、職場に電話して休み取る。
スープのみの朝食で薬を飲み、再び眠ると、昼にはノドの状態がいくぶん改善され、昼に薬を飲むと、夕方にはかなり改善された。
抗生物質が効いてきたらしい。
でもまだ何かを飲み込むときには顔が引きつります。
その抗生剤のせいなのか、いっしょに飲んでる鎮痛剤のせいなのか、服用後はやたらと眠くなり、今日は1日中寝て過ごした。

ちなみに、ぼくは別に普段から扁桃腺が弱いタイプではありませんし、扁桃腺の熱なぞ、子どもの頃以来だしたことはありません。
これは前厄の一端なのでしょうか。
厄払い、行ってきたんだけどな。

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2007年2月 8日 (木)

子連れドライヴのBGM

今週末は、子連れで信州の方へ出かけることに。
長時間のドライヴになるのでBGMが大事だけれども、放っておくと、子どもが延々と KAT-TUN かアニメソング集(しかも古いやつ。仮面ライダーとかそう いうの。ぼくが与えてしまいました)を流し続けるので、今回は対策を考えることにした。

車で使うにはCDのオリジナルを持ち込むと損傷の恐れがあるので、CD-Rのコピーが最適だ。
それで以前はよくドライブ用に編集したCD-Rなども作っていたのだけれども、いかんせん作っても作っても、子どもがすぐに傷だらけにして再生不能にしてしまう。
運転中だと、子どもがCDをいぢくり始めても制止することができず、放っておくしかない。
しかし、さすがに愚息も小2になり、そろそろCDの扱いも心得てきたし、4歳の娘はもともと無茶をしない。
もはや車に乗る度にジャニーズばかり聴かされる苦痛に甘んじる必要はあるまい。

ちなみに、通常、うちの車は、エンジンをかけると自動的に「Best of KAT-TUN」がプレイされる状態になっていて、ひたすらそれをリピートして聴かされる。
あまりに何度も何度も聴いているので、うちの子ども達はこのアルバムのほとんど全てを記憶してしまった。
KAT-TUNって、ラッパーみたいなのが1人いるじゃないですか。
それでラップ風の曲もあるんだけども、その一言一句を、意味も分からないままに全部記憶していっしょに歌っているので、まあ笑えると言えば笑えます。

さて、そういうわけで、週末用のCD-R作成開始。
案を巡らし、今回は洋楽を避け、邦楽のみでいくことにした。
経験的に、洋楽だとうちの子どもは余程特徴のある曲にしか食いつかないが、歌が日本語ならそれなりに聴いてみようという気になるのではないかとの思惑だ。
長時間のドライヴは、自分が退屈しないことも重要だが、子どもをいかに退屈させないかということが更に深刻な課題だからだ。
少なくとも歌が日本語であれば、かわりばんこに好みのCDをかけるという交渉も成立するだろう。

早速作成開始。
自分が楽しめて、なおかつ子どもにも受けそうなネタを物色する。
が、そもそもうちは邦楽のCDが手薄な上、どんなものが子どもの琴線に触れるのか、さっぱり予想がつかない。
また、CD-Rの編集は、やり始めるとどうしても凝ったものにしようとしてしまっていけない。
今回はなるべく時間をかけず、いろいろ準備しておきたい。

現時点で作成したのは以下の3枚。

1.ローザ・ルクセンブルグの「Ⅱ」と「STAY BUT EAT」の2in1CD
2.岡村靖幸、私的ベスト
3.原田真二、ゴダイゴ、Char の「70年代歌謡ロック」編集盤。(ゴダイゴとCharは一部英語だけど)

引き続き、80年代ニューウェイヴのコンピレーションも検討中。

あ、ここまで書いて気付いたけど、今どきはみんな iPod とかをカーステにつないだりして、こんな作業はもっとずっと簡単に効率よくやれるんでしょうか。
うちにはデジタル・オーディオはひとつもありません。

さて、7歳児と4歳児が一体何に食いつくのか。
実験結果は後日報告します。

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2007年1月21日 (日)

『o / damien rice』を聴く

チンさんちで聴かせてもらって、非常によさそうだったのですぐ購入。
スガシカオが「無人島レコード」で選んでいたアルバムとのこと。

なるほど、このちょっと乾いたリリシズムは、確かにスガシカオとの共通点、か。
いずれにせよ、やはりたいへんよい作品でした。
これは確実に我が家のヘビーローテーション入り。

音楽性の高いミュージシャンというのは、得てして音楽の持つ文学性(変な表現だな)には無自覚で、歌詞なんかにも無頓着な人が多い。
逆に文学的なミュージシャンは、音楽がおもしろくないパターンが多い。

スガシカオは例外的にどっちもイケる人だ。
最初は、詞なんかどうでもよくて、適当に書いてるタイプだと思っていたのだけれども、ラジオのインタビューか何かで詞の世界について質問されてえらく熱く語っているのを聞いて、意外な感じがした。
個人的には、スガシカオの詞にはさほど食指が動かなくて、むしろ興味があるのは専ら音楽性の方だからだ。

「無人島レコード」としてこういう作品を選ぶくらいだから、やっぱりスガシカオは根っこの部分ではすごく文学的なモチベーションを持った人なのだろうと思った。

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2007年1月17日 (水)

マイケル・ブレッカーを悼む

年末年始はずっと酔っぱらっていたりいなかったり、年明けすぐに東京出張があったりなかったり、諸々の他事に熱中していたりいなかったり、ココログのメンテナンスがあったりなかったりして、すっかり1月も半ばを過ぎてしまいまして、ようやく今年最初のエントリーとなりました。
しばらくほっといたら、さすがにすっかりアクセス数も激減しているようですが。

やっぱりココログの画面、まだなじめないな。
はてなに戻るかな。
デザイン変えてみました。

さて、年末のJBに続いて、年始はマイケル・ブレッカーの訃報。
このジャンルを聴くようになったのは大人になってからなので、正直JBほど強い思い入れはないですけど。

ブレッカー・ブラザーズ、「Heavy Metal Be Bop」は持ってたな。
テリー・ボジオなんだよな、これ。
そっちにばっかり耳がいきます。

マイケル・ブレッカーの代表作、って言うと、一体何になるのかよくわかりませんけれども、個人的に印象深いのは、ジャコ・パストリアスとの共演、かな、やっぱ。
今確認しましたら、「Word of Mouth」のオーケストラにも参加しているけれども、それよりもやっぱ「Birthday Concert」での演奏。
もうぶりぶりに吹きまくってて、これには感銘を受けましたです。

今日から、右欄に「CDのリスト」も作成しました。
言及したCDは、基本的にそっちに掲載していきます。

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2006年12月25日 (月)

JBを悼む

夕方、車に乗ってカーラジオをつけたら、いきなり「セックス・マシーン」が流れてきた。
交通情報とかやってるはずのこの時間帯に、なんとまあ素っ頓狂な選曲かと思っていたら、ジェームズ・ブラウンの訃報であった。

不覚であった。
殺しても死ななそうなキャラだから、油断していた。
JBが死ぬ、という事態が、現実に起こりうるものだとは想定していなかった。
一度でいいからナマで観たかった。

Photo 追悼の意味も込めて、今夜は必殺DVD『ファンキー・グッド・タイムズ~伝説のJBライブ1983』を観ることにしよう。

オープニングアクトにBBキング、マイケル・ジャクソンの飛び入りもある。もちろんマントショウもあるし、ホーンにはフレッド・ウェズリーもいる。御年50歳の決定版。

合掌。

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2006年12月10日 (日)

音楽連想ゲーム

聴き直しシリーズの一環として、Prefab Sprout 「From Langley Park to Memphis」をCDで買い直し。

Prefabそもそもプリファブ作品にはハズレというものがないけれども、敢えて言うなら4作目(?)の「ヨルダン:ザ・カムバック」が最高傑作だと思ってた。
が、いや、しかし。久しぶりに聴いたら、やっぱりこの3作目もいいわ……。
完全に「ロマンチックが止まらない」状態の近年の作品に比べ、このアルバムは、ポップだし、ロマンとニヒルの配分も良好で、実にリスナーへの配慮が行き届いている。
素晴らしい作品だ。

さて、そういうわけで、久方ぶりにライナーなどを眺めながら聴いていたら、5曲目「Nightingales」に、スティービー・ワンダーがハーモニカで客演していることを発見。
そうだっけ?と思いつつ、早速注意して5曲目を聴いてみると……。

うーん、ハーモニカ・ソロ、いまいち。
折角なのに勿体ない。
さすがのスティービーも、パディ・マクアルーンが作る曲のこの奇想天外なコード進行に合わせるには苦労したと見える。
こざかしいエフェクト処理も逆効果だ。

スティービー・ワンダーのハープの客演はそれこそ星の数ほどあるだろうけれども、個人的にまず思い出すのは、ユーリズミックスの「There must be an angel(ってタイトルだっけ?)」。
まず曲自体が大変な名曲だけれども、あの曲は、間奏のハーモニカソロのところで、神が降りる。
あれ以上に完璧なハーモニカソロというのを、ぼくは知らない。
いつもあのソロで鳥肌が立つ。

スティービー・ワンダーは、そもそも存在自体が神懸かっているし、鍵盤を弾いても歌を歌っても、何をやっても神懸かりだけれども、いち演奏者としてスティービーのソウルが最もむき出しになるのは、歌でもピアノでもなく、ハーモニカではないかと思っている。
もともとリトル・スティービーの名で天才ハーモニカ少年としてデビューしたわけだから、本人としても、最も操りやすい楽器なのかもしれない。
もはや人間業とは思えないほどの完璧なピッチコントロールとタイム感。眩しいくらいに伸びやかで神々しい音色。
とても同じ人類の演奏とは思えない。

そういうわけで、「There must be an angel」が無性に聴きたくなったのだけれども、あいにくこれは持っていない。
でも、プリファブでの中途半端なハープソロが納得いかないので、口直しをしたい。
スティービー本人のアルバムでハーモニカをぶいぶい吹いてるやつを探すことにする。
選んだのは、アルバム「Songs In The Key of Life」。

Stevie アナログ盤で言うところのC面1曲目、超名曲「Isn't She Lovely」では間奏、後奏でハーモニカを吹きまくっているはずだ。
久しぶりに聴く。
うーん、やっぱり素晴らしい。
こうでなくては。

そうやって聴いていると、ハーモニカソロには満足したのだけれども、また違うところに耳が行く。

ご存じの通り、スティービー・ワンダーは、ほぼ全ての楽器を自分で演奏している。
そして、確かにどの楽器も非常に達者だ。
他人に指示するよりも、自分でやった方が満足な結果が得られるとの判断だろうと思う。

しかし、この曲、改めて聴くと、どうもドラムがもっさりしているのが気に入らない気がする。
勿論、スティービー自身のこの独特のドラムも、ぼくは嫌いではない。
でも、当然ながら、もっと凄腕のドラマーは、当時だっていくらでもいる。
スティービー・ワンダーが呼べば大喜びで叩きに来たはずだ。
そういう超一流どころが叩いていたら、この曲はさらにとんでもないことになっていたのではないか……などということを考える。

いや、しかし。とも思う。
この濃密な音空間は、1人で演っているからこそのものじゃないか、とも思う。

スティービー同様、全ての楽器を自分でこなす人間は、他にもたくさんいる。
コンピュータ技術が恐ろしく発達した昨今では勿論当たり前だけれども、そうではなかった70年代、80年代にも、そういう人々は結構いた。

そういう人たちの作る音に共通して言えるのは、音の濃密さだ。
自分で書いた曲を自分でアレンジして自分で全部演奏する。
そうすると、どうしてもできあがる音は、避けようがなく密室的で濃密なものになる。
その人間の体質も体臭もぎっしり詰まってそこに全部出る。
プリンス然り、岡村靖幸(笑)然り……。
それは、何人かのプレーヤーが集まって作る音楽とは全く別の、根本的なところで何かが異なるサウンドである。

スティービー・ワンダーは、敢えてそれを選択したはずだ。
客観的に、技術的に自分より“上手い”ドラマーがいくらでもいることなど勿論知っている。
それでも敢えて自分で演奏することを選ぶのは、それなりの理由があってのことだろう。

……いつの間にか、そんなことを考えながら聴く。

他の人はどうだったんだろう。

今のように録音技術が発達していなかったこの時代、他にこんなことやってた人と言えば……。

……まず思い浮かんだのが、トッド・ラングレン。
この人の場合は、性格的に問題があるから、単に他人を信用しなかっただけかもしれない(笑)。
勿論、スティービー・ワンダーと比べると、比べるまでもなくプレイヤビリティも低い(笑)。
こやつの1人バンドはいかなるものか。

……そういうわけで、トッド・ラングレンが聴きたくなった。
選んだのは、2枚組全38曲収録のシングル集「Singles」。
トッドを聴くのも久しぶりだなあ……。

Todd ディスク1のアタマ3曲、「We Got to Get You a Woman」「Baby Let's Swing/The Last Thing You Said/Don't Tie My Hands」「Be Nice to Me」ですっかりやられる。
うーん、やっぱり素晴らしい(笑)。

トッド・ラングレンは、そのあまりに偏執的な音作りや奇矯な言動から、奇人のようなイメージが強いけれども、単純に曲がよくて、歌が上手い。
それだけで十分だ。

70年代には、全部一人で演奏するっつったって、同期の技術も何もないわけだから、おそらくはまず一人でドラムを演奏するところから始めている。
そのドラム自体のテンポが既にヨレヨレになっている。
そのヨレたリズムに無理矢理合わせて他のパートを重ねていくんだから、やってることにもともと無理があるんだけれども、なんだかんだで、ちゃんと帳尻が合わせてある。
キメの部分など、かなり無理を感じるけれども、まあこれでいいかって感じでまとめてある。
「I Saw The Light」とか「Couldn't I Just Tell You」とか「Wolfman Jack」とか、相当に無理がある(笑)。

でも、それがダメかと言うと、決してそうではない。
逆に、これをスタジオ・ミュージシャンでかっちり仕上げてたら、却って味わいがなくなってるかもしれないという気がする。
この親密な、愛着を感じずにいられないサウンドは、1人でやっているからこそだと思う。
こうやってシングルをまとめて聴くと、この人はほんとに珠玉の名曲を山のように作っていて、普通にやってたらもっともっと売れただろうにと思うけれども、逆に、普通にやってたらこんなに熱狂的な信者はつかなかっただろう。

……というようなことを考えながら聴く。

さて、他に一人で全部やってると言えば、ロイ・ウッド……。

いやいや、トッド・ラングレンに似たタイプのブルー・アイド・ソウル・シンガーと言えば…………。

……かようにして、私の夜はどんどん更けてゆくのであります。

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