書籍・雑誌

2012年2月10日 (金)

山田風太郎『戦中派不戦日記』を読む(3)

それで吉本隆明は、政治学や経済学から哲学に至るまで、それこそアダム・スミスやカント、ヘーゲルといった古典からスタートして、独学で徹底した勉強を始める。

それは何よりも、「生きていく」ために必要な作業だった。
時間的にも空間的にも、どのような歴史的経緯を経て、どのような位置に今の自分がなぜ存在するのか、なぜこのような目に合わなければならなかったのか、白紙からひとつひとつ見なおして、そこに納得のいく理由を見つけなければ、もはや自分が生きていく意味が見当たらないからだ。

実際、戦中派の人たちは、自分だけが生き残ったことを「恥」と考え、死んでいった戦友たちに「申し訳ない」と感じ、その後の人生を余禄のような、おまけのようなものに感じると語る人も多い。
それは、正直に考え詰めてしまえば、もう「生きていかれない」という結論にしかなりえないからだと思う。
そこから人生をもう一度立て直すには、吉本のようにゼロからもう一度世界を組立て直すしかないからだ。
そして、そんなことが誰にでもできるわけではないのはもちろんのことである。

吉本の思想が「強い」のは、そういう抜き差しならない状況から、強固な土台の上に形成された思想だからではないかと思う。

若いころの吉本はやたらと攻撃的で論争も多く、今でも当時のそうした姿勢に対しての批判は多い。
ここしばらくはすっかり好々爺のようだけれども、元気な頃の吉本は、確かに激しい。

しかしそれは、強い自負の裏返しであると思う。
吉本が、柄谷行人、浅田彰、蓮實重彦をまとめて「知の3馬鹿」と揶揄したことがあった。
お前らのやっていることは他者としての「大衆」を内包しないただの知的ゲームにすぎない、といったようなニュアンスだ。
吉本自身は、まさに「生きるための思想」として自身の思想をつくり上げてきた。
言い方は手が込んでいるが、簡単に言ってしまえば、お前らといっしょにしてくれるなというような気持ちがあったのではないかと思う。
戦争を知らない世代からすれば、それを言われてもなあ……ということかもしれない。
柄谷行人は吉本に対して、論争のために具体的戦死者を直接代弁するな、といった趣旨の批判をしたことがあるが、それも要するに、「おじさんの時代はそりゃ大変だったんだろうけど……」というのと同じようにも思える。

吉本は、本人が言うとおり、まさに「考え詰めてきた」人だと思う。
引きこもって、徹底的に、考えられるところまで考えた。
そこは認めなければならないと思う。
戦中派の宿命を一手に引受け、ゼロから全てを積み上げ直した。
しかもその作業を相当徹底的にやってきた。
だからこそ強靭だし、すくなくともそこに関しては信頼すべきだと思う。

80年代のポストモダンやニューアカデミズムを吉本が相手にしなかったのも、そう考えてみると当然のような気もする。
人間の基本的な部分は1000年前でも2000年前でもそう変わるものではない、と吉本はよく言う。
それは、結論としては凡庸だけれども、実際にその基本的な部分まで、本当に「いったん戻ってみた」のは吉本だけかもしれないとも思うからだ。

だから、おじいちゃんが多少無茶や無理を言うことがあっても、そこは大目に見といていいじゃないかと思うのだ。
おじいちゃんはそれだけの苦労をしてきた。

柄谷行人が、小熊英二が、宮台真司が、吉本の思想はもう古い、あのやり方はまずい、というようなことを言ったとしても、それはなんとなく、孫がおじいちゃんに向かって「時代が違うんだから……」と言うのとそれほど遠くない気がする。
そして、おじいちゃんしか見ていないもの、おじいちゃんにしか見えなかったものというのは、確実にあるはずなのだ。

いちばん最初に戻ると、そのおじいちゃんの苦労の断片を、この山田風太郎の日記でも読んで知っておくのは、とても意味のあることだと思った。

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2012年2月 6日 (月)

山田風太郎『戦中派不戦日記』を読む(2)

吉本隆明の体験も、おそらく青年山田風太郎のそれに近い。

山田の2つ年下で、当然のごとく軍国青年でありながら、同様に理系の学生であったために徴兵を逃れた吉本隆明も、昭和20年8月15日の敗戦には納得しなかった。
終戦後すぐに日本にやってくるであろうアメリカの進駐軍が、“少しでもおかしなことをしやがったらただではおかない”と、刺し違えることも辞さない覚悟を決めて米軍のふるまいを注視する。

山田風太郎の日記にもあるが、当時の日本人は、戦争に負けて進駐軍がやってきたら、女は皆犯され、男はすべて強制労働させられると思い込んでいた。
山田青年も、そこまでではないにせよ、とにかく耐え難い恥辱を味わわされることになるに違いないと考えている。

しかし、現実はそうではなかった。
米進駐軍は、日本人が見たこともないような重機を持ち込んで見事な手際で焼け跡の復興を進め、子供にチョコレートを、大人にタバコをばらまいて行く。
アメリカ兵達の「余裕」ぶりに日本人は誰もが驚嘆し、改めてその国力の圧倒的な差を痛感する。
仮に日本がアメリカを占領していたとして、このような振る舞いは日本人には到底出来なかったはずだ、と。
結局アメリカは、ハナから日本など歯牙にもかけていなかった。
吉本隆明も、その様子を「見事だった」と振り返っている。

しかし、だからと言って、負けてよかった、そもそも無理だったのだ、結局これでひと安心ではないかとさっぱり割り切れるのは、戦前の暮らしを知っている「大人」だけであって、戦中派にとっては話はそう簡単ではない。
米軍の振る舞いの見事さは、逆に青年山田風太郎、青年吉本隆明らに重くのしかかる。
むしろ自身のアイデンティティの保全を図るためには、暴虐の限りを尽くしてくれたほうが楽なのだ。

自身が物心ついた頃から叩き込まれ、もはや「骨の髄まで」染み込んでいる信念、信条が、一夜の後に突然全否定され、米軍の見事な占領政策によって、自分は間違っていたのだという事実がもはや動かし難い事実として目の前で厳然と証明されていく。
8月15日までの自分は一体何だったのか。
死ぬ覚悟で守ろうとしてきたものは一体何だったのか。
実際そのために死んでいった数多の同胞は一体何のために死んだのか。
自分のこれまでの半生は一体何だったのか。
生き残って何をしろというのか……。
これほどまで唐突に、自身の世界そのものが瓦解していく体験をした世代はないのではないかと思う。

吉本は、その時の体験を振り返り、「このままでは生きていかれないと思った」という言い方をしている。
上陸してきた米兵たちが鬼畜のような振る舞いをしたのであれば、しばらくは日本人は地獄のような体験をしなければならないだろうが、自身の生き方としては何ら揺らぐことはない。
日本は決してこのままでは終わらない、10年後、20年後の再興をと望みをかけ、歯を食いしばって耐え忍ぶ覚悟など、山田や吉本ら戦中派にはとうの昔にできている。

物心ついた時から教え込まれ、寸分の疑いもなく信頼し、迷うことなくそれに命を賭す覚悟までできていた。
それがある日を境に、何の説明もないまま、間違いでした、ウソでした、と帳消しにされるどころか、悪者扱いすらされる。
それは吉本ら戦中派にとって、未知の異空間に放り出されたのと同じ、世界の終わりと同じ体験だったはずだ。
自身の生き方に誠実であった者ほど、「このままでは生きていかれない」という状態になるのが正常な反応だろうと思う。

それで軍国青年吉本はどういう行動に出たかというと。
引きこもりにならざるを得なくなった。

今までの自分の世界観が全て間違いであったと言うのなら、世界はどのようにできているのか。
アメリカ人は、ヨーロッパ人は、アジア人は、過去の人々は、実際のところ世界をどのように捉え、どのように解釈し、どのようなことを考えて生きてきたのか。
そうしたことをゼロから勉強しなおして、もう一度白紙の状態から自身の世界を組み立て直さなければ、もはや「生きていかれない」というほどまでに、日本の敗戦は、(と言うよりも、その後の米進駐軍の振る舞いは)、青年吉本にとって衝撃だった。

(つづく)

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2012年2月 4日 (土)

山田風太郎『戦中派不戦日記』を読む(1)

たいへんためになった。
もっと早く読んでおけばよかった。

いわゆる戦中派、戦争当時10~20代だった人たちが、昭和20年8月15日をどのように過ごした(または過ごせなかった)のか、この本を読んで多少は実感的にイメージできるようになった気がする。

文中に「軍国主義を骨の髄まで叩きこまれた世代」という表現が繰り返し出てくるように、戦中派は天皇制以外の社会体制を知らない。
日本人の優越性を疑うことを知らず、疑う方法すらわからない。

山田風太郎は昭和20年当時23歳だから、戦中派の中でも比較的年長の部類と言ってもいいと思うが、それを差し引いても、この世代の中では図抜けて客観的かつ冷静に戦局や国内の状況を見つめていることに、まずは驚く。(巻末の解説で橋本治が鋭くも指摘しているとおり、それは幼い頃に両親をなくした山田風太郎の特異な境遇とも関係あるだろう)
日米間の圧倒的な国力の差や、大本営の場当たり的な対応など、戦争の渦中にありながら、青年山田風太郎は極めて的確に分析している。
それは、この世代における最高の知性の1つといってよいのではないかと思えるほどだ。

しかし、その知性を持ってしても、やはり天皇制を疑うことはない。
8月15日の無条件降伏をすぐに受け入れることはない。(12月頃の日記になってやと内面が大きく動揺し始めるのがわかる)

最後の一兵卒まで戦い抜くべきだったと繰り返し記述し、戦犯として逮捕された東条英機の潔くない態度に慨嘆し、8月15日以降、何の説明もないまま手のひらを返したようにアメリカに媚び始める政府や周囲の「大人」たちに疑義を呈する。

自分がそれまで1ミリの疑いも持たずに全幅の信頼をおいてきたもの、全身全霊を注ぎ死の瀬戸際に追い込まれながらも守ろうとしてきたものが、ある日突然完全に否定されてしまうという体験。
それが一体どういうものなのか、どれほど過酷な体験なのかということは、頭ではわかったつもりになっても、なかなか実感的にイメージするのは難しい。
それがこの本を読んでいると、少しはイメージできるような気がしてくる。

戦地のドキュメントというのはそれなりにいろいろあるし、映像なども比較的豊富だが、終戦間際の庶民の生活ぶりがこれほど詳細に記録されているものは初めて読んだように思う。
医学生として学徒出陣を逃れた青年山田風太郎のこの冷静な記述の中でもいちばん印象的なのは、思っていた以上に庶民の人心が荒廃していることだ。
終戦の直前直後には、もはや誰にも周囲を気遣う余裕などなくなっていることがよくわかる。

誰もが、日本が負けるはずがないと信じている。
しかし同時に、連日連夜大規模な本土への空襲が続く中で、圧倒的な国力の差、物量の差を痛感してもいる。
大本営の発表などもはや誰も鵜呑みにはしていない。
実はもう日本はダメなんじゃないかと皆が予感しながらも、それを口に出すことをはばかり、表面的には、負けるはずがない、最後の1人まで戦い抜くのだと強気に振る舞う。

戦中派で当時14~15だったうちの叔母などは、終戦間際になっても日本が負けるなど夢にも思っていなかったそうだが、青年山田風太郎はその欺瞞を看破している。
日本国民全員が芝居をしているようだ、と記述する。

なのに、そこまで客観的であり得ていながらも、同時になお「神州日本」の優等を信じて疑うことはない。
この知性と盲信の両立に、戦中派の悲哀を強く感じる。

(つづく)

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2010年12月26日 (日)

講談社 RATIO スペシャル・イシュー『思想としての音楽』を読む

chinsan が送ってくれました。
とりあえずは読めとご指示いただいた巻頭の「菊地成孔vs片山杜秀」対談と、巻末の「許光俊vs片山杜秀」対談を読む。

めちゃくちゃ面白い。
特に巻末の許光俊と片山杜秀の対談「最高の演奏を求めて」は、読み始めたら止まらなくなるほど面白かった。
2人ともクラシックの批評家であって、したがって自分などはまるで門外漢であるにもかかわらず、だ。

あまりに面白くて、書いてみたいネタが満載なのだけれども、長大になりそうなので、今日はまず手始めに、巻頭の方の菊地成孔と片山杜秀の対談「ポップと退屈-退行の時代の批評」について感想を少し……。

そもそも菊地成孔という人は、ぼくは前からなんとなく虫が好かなくて、もともとあまりよいイメージを持っていない。
もっとも著作は1冊も読んでいないので無責任には違いないけれども、逆に言うと、ネットやら雑誌やらでちょこちょこ発言を拾い読みしただけでも、「なんとなく虫が好かない人だ」と思ってしまうからこそ読む気になれないとも言える。

今回の対談を読んだ感想も、「やっぱりなんとなく虫が好かない」、だった。

例えば菊地は、自分はロックとフォークに関しては不感症だ、みたいなことをよく言っているけれども、この対談の冒頭でもやはりその話から始まっていて、「ロックに対しては『差異化』の耳が働かない」というような言い方をしている。
(「差異化の耳が働かない」というのは、要するに、みんなほとんど同じに聞こえちゃう、というくらいの意味。)

曰く、
「……結局、中心が掴めないんだと思います。中心がなくては差異化もへったくれもないない訳ですよね。ビートルズは音楽的にもの凄すぎて、ロックなんだかなんだかわかりませんし、ロカビリーやエルビスは大好きですが、あれはジャズやR&Bの白人型変種にしか聴こえないから安心して大好きなんです。……」
「……その点モダンジャズははっきりしていて、チャーリー・パーカーがモダンジャズの中枢にあって、あとはその展開でというような近代史観がすごいはっきりしているんです。……」

これは、自分のような“ロック側”の人間からしてみれば奇妙な物言いで、そっくりそのまま逆だって言えそうな気がする。
つまり、
「チャーリー・パーカーは音楽的にもの凄すぎてジャズなんだかなんだかわかならいし、マイルスやハービー・ハンコックは大好きだけど、あれはソウルやファンクの亜種にしか聴こえないから安心して大好き。その点ロックなんかははっきりしていて、ビートルズがロックの中枢にあって、あとはその展開でというような近代史観がすごいはっきりしている……」
で何も問題ない気がするのだけれどもどうか。

まあ、確かに菊地は「ロック」という言葉をかなり狭義に使っているようではある。
ロックはダメだけど、ポップスは好きだ、と。
ストーンズでもニルヴァーナでも、1位になったものはポップスって言えるんだっていう方便は使う、と。

だから、言わんとしている感じはよくわかるのであって、特に、90年代あたりからは差異化の喜びが完全になくなった、なんていうくだりには、共感さえ覚える。

が、だとしたら、菊地が言わんとしていることは、ほとんど語る必要もないような些末なことであって、結果的にあまり意味がないとしか思えない。
て言うか、菊地は、「ロックを聴く醍醐味が掴めていない」とか「生理に合わないんだと思う」とかいうような、一見謙虚な言い方をしてはいるのだけれども、結果的に伝わってくるのは、“自分はもっと音楽的にレベルが上のものにしか反応しませんよ”的な、権威主義の匂いだけなのだ。
それならハナからわざわざロックやフォークの話なんかしなけりゃいいじゃないか、と言いたくなる。

そんじゃあこの対談の何が面白かったかと言うと、確かに菊地成孔はやっぱり虫が好かないんだけれども、それでもやはり問題提起としては、興味深い話題がたくさんでているからだ。
その「差異化の耳」の話から始まって、聴く側の音楽に対する「リテラシー」の問題、「音楽に解説は必要か」の問題、「ポップ・アナリーゼの可能性」(アナリーゼというのは、技術分析のこと。だと思います)について等々……。
なんだかんだ言って、ロックの批評は、こうしたクラシックやジャズの批評とは比較にもならないようなお粗末なものがほとんどであって、こうした問題に正面から向き合おうという姿勢自体は、それだけでも感心してしまう。

対談のサブタイトルでもある「退行の時代の批評」というのは、要するに、聴き手が経験や勉強を積み重ねることでどんどんリテラシーを高めていく……ということが起こりにくくなっている「退行」の時代において批評はどうあるべきか、といったような意味合いであると思う。
だとしたら、そうした問題提起をしている菊地自身が、同時に、その発言の端々から匂わせる権威主義の(ほんとは“スノビズムの”とも言いたい)香りによって、自ら反面教師になってしまってはいまいか。

文学や美術と同様、やはり音楽にも鑑賞者側のリテラシーの問題はつきまとう。
結局のところ、そこがいちばん難しいとさえ言える気がする。
ジャズやクラシックは、誰にでも「わかる」というものではない。
水嶋ヒロの小説を喜んで読んでいるおねえちゃんに、ドストエフスキーの研究者が何を語れるのか。
おねえちゃん、あんたわかってないよ、と言うことにどれほど意味があるのか。
いや、そもそも、「わかっている」専門家は、本当に「わかっていない」おねえちゃんよりも「正しい」のか。

……こうした問題も含め、音楽批評の困難な問題を、爽快なほどに次から次へとバッサバッサと片付けていくのが、巻末の許光俊という人。

次回はそっちについて、気力が出れば書きたいと思います。

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2009年9月 7日 (月)

磯崎憲一郎『終の住処』

ずいぶん前に読了していたのだけれども、「あれぼくの先輩なんですよ!」みたいな話を周辺の人々にしまくる日々で(笑)、なんとなくここでは触れずに過ごしてきてしまいました。
時機を逸してしまったので、ごく簡単に感想を。

個人的には、前の『世紀の発見』で既に賞は獲っているべきものだったと思っているので、現実に獲ってしまった今となっては、まあ当然だろう、と。
後出しじゃんけんで。

一読した感想は、とにかく、これまでの作品に比べて更に読みやすくなったな、ということだった。
兄さんの小説の作法みたいなのは、基本的にデビュー作の『肝心の子供』から変わっていないと言えば変わっていないのだけれども、客観的にも、そして恐らく兄さん自身にとっても、あ、これだな、的に完成を見たのが3作目の『世紀の発見』だったのではないかと思う。
1,2作目の時点から既にあったものが、3作目でかなりはっきりした形になって、たぶんあの時点で兄さん的には、この書き方でいくらでも書けるな、というような感触が得られたんじゃないかと想像する。(ご本人に直接否定される可能性も想定しながら書いてますけど(笑)。スリリングだわ、このブログは)
そうしたご本人のすっきり感が作品にもそのまま反映されて、『世紀の発見』は、発表当時にもそう書いた気がするけど、前2作と比べて格段に読みやすくなったと思った。
読みやすくなった上に、更に深みも増した。だから、あれは本当に傑作だと思って、もうこれで芥川賞でいいじゃないか、と思った。

『世紀の発見』にはそういう愛着のようなものがあるし、ああいう「少年」もの(?)にもともと弱いというのもあるので、兄さんの作品でいちばん好きなのは?と聞かれれば、あれを答えると思う。

が、受賞作『終の住処』は、その『世紀の発見』よりも更に読みやすい作品だった。
それは結局、兄さんが兄さん自身の小説作法にさらに熟達してきたということであって、さらに洗練されてきたということに他ならないのだろうと思う。
おそらく兄さんは、しばらくはこのレベルの作品を連発できる、この書き方で当面どんどんいけるのではないか。

兄さん本人は、よく、「最初の一文だけ書き始めることができれば、あとはグルーヴで書く」といったような言い方をしておられるし、実際そうなんだろうけれども、グルーヴで書くって言っても、そこには当然ストラテジーもあれば作法もあるはずで、全くノリだけで書いてるわけではないはずだ。
要するに、そのグルーヴの方向づけって言うか、ノリをコントロールする術は絶対に必要で、そのグルーヴの作り方みたいなもの、ノリの持っていき方みたいなものを、兄さんはかなり意識的に、はっきりつかんだのだと思う。
それが完成したのが『世紀の発見』で、『終の住処』はそれが洗練されたものである、と。
そう思っておりますよ、兄さん(笑)。

しかし、いくら読みやすくなったと言っても、昨今の世間一般の小説の中では、圧倒的に読みにくい作品のはずだ。
それが、もはや13万部という、純文学においては例外中の例外的な、驚異的な売り上げだという。

兄さん、どこまで行くんすか。
今度サイン本送って下さい(笑)。

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2009年8月 5日 (水)

『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』内山節 を読む

我々が歴史を記述しようとするとき、現在の価値基準に左右されることなく、史実に対して真に客観的であることはほぼ不可能である。
特に近代の歴史学は、政治史や制度史が中心であり、中央の歴史学であって、従ってそれは必然的に発達史となる。
現在の価値基準に包まれている我々から見れば、例えば江戸時代は、経済的にも、科学・技術的にも、人権意識においても、現代よりも「遅れた」「未開の」時代であったには違いない。
しかしそれは、現代の価値にからめ取られた我々に固有の、ごく一面的な判断でしかない。
実際のところ、江戸時代の村民が、どのような意識で、どのような精神世界を持って生きていたのか、本当のところは結局わからない。
少なくとも、「電気もガスも水道もないから不便だなあ」などとは思っていなかったことは確かだろう。
もしかすると、江戸時代に生まれた方が、精神的にはずっと豊かで幸せだったかもしれない。

1965年を境に、キツネにばかされるという話が日本中から消える。
キツネにばかされるはずがない、昔の人はそんな迷妄の中に生きていたのだ、というのは、現在の価値基準に束縛された、偏狭な見方でしかない。
むしろ、我々の方が、キツネにだまされるという意識の在り方、キツネにだまされることもあるという自然観や世界観を喪失してしまっている、という見方もあってしかるべきだ。

キツネにだまされなくなった、という事実は、確かに「発達」でもあるのかもしれないが、同時に「後退」でもある。
いや、歴史というのは現実には複合的なものであって、そもそも発達も後退も何もないのだろう。
アメリカ合衆国の建国と発展も、ネイティブ・アメリカンにとってみれば破滅の歴史でしかない筈だ。

では、現代の我々には理解不能になってしまった、かつてキツネにだまされていた人々を包んでいた世界というのは、いったいどのような世界だったのか。
そうした問題を捉えてみようとするのが、歴史学ではなくて、歴史哲学である。


……とまあ、ごくごく大雑把に言うとだいたいそのようなことが書かれている。
とてもいい本だった。
色んな本を読む前の、基本的な教養書として、若いうちに読んでおくのがいいと思う。

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2009年7月15日 (水)

芥川賞!

磯崎兄さん、ついに受賞!
絶対とるだろうと思ってたけど、やっぱり。
すげえ!

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2009年2月 3日 (火)

たくきよしみつ『デジカメに1000万画素はいらない』を読む

図書館でふと手にとって、最初は正直それほど期待せずに読み始めたのだけれども、2、3ページ読んだだけで「うーむなるほど」の連続。
(自分にしては)あっと言う間ににおしまいまで読んで、結果的には実に参考になった。
マニア向けではなく、あくまでも一般の初心者向けに書かれているけれども、ポスターサイズにプリントして写真展に出品する、とでもいうのでなければ、実際にはこの本に書かれているレベルの内容が最も役に立つと思う。

そう、以前から疑問には思っていたのだ。
うちの母親はカメラを趣味にしていて、デジタルも、ソニーのαなんとかっていう一眼レフを持っている。
もちろん1000万画素。
子供の運動会だの発表会だのの撮影はもっぱら任せているので、うちの子供たちのデジタルの写真は、母親が撮ったものが多い。
画素数がでかいから、ファイルも重くて、1枚が3MBを超える。
たくさん撮ってくれるのはありがたいが、うちの貧弱なPC環境では、だんだんつらいものがある。
そして何より気になるのは、ファイルがでかい割にはさほど美しくないということなのだ。
いや、もっと言うと、うちのデジカメで撮った写真の方がむしろきれいな気がする。

この本によると、その理屈は、おおよそ以下のようなことらしい。

デジカメでは、銀塩フィルムの代わりにCCDという撮像素子で画像を細かい光の点(画素)として記録する。
従って、画素数は、確かに多ければ多いほど解像度が上がるが、CCDの面積にはそもそも限りがある。
小さいCCDにたくさんの画素を詰め込めば、結果的に1画素あたりの面積が小さくなり、受け取れる光量が減少する。
だから、よほど細部をクローズアップすれば、1000万画素が500万画素よりも解像度が高いのはもちろんだけれども、写真を全体として見た場合、むしろ500万画素以下のモデルの方が、色の階調が豊かに見える。
そもそも1000万画素デジカメの画像は、200dpi でプリントしてもA3サイズを超えるという途方もない大きさであって、日常の実用には適さない……

うーむ、なるほど!

これは正に自分が普段から感じていた印象そのままだったので、実に目からウロコであった。
そう、母親のデジ一で撮る写真は、色調が地味なのだ。

対する自分の常用機は、ニコンのcoolpix5000。
2001年発売の、当時の coolpix シリーズのフラッグシップ機だと思うのだけれども、定価は15万。それを何年か経ってから中古で2~3万で入手した。
2/3型という、最近のモデルと比較すれば「巨大」なCCDを搭載し、画素数は500万。
正に本書の著者が理想的と考えるようなモデルではないかと思う。
やたらと操作が複雑で、ボタンも小さくていぢりにくいのが大きな大きな欠点だとは思うが、明らかに母親のαよりも色調の美しい写真が撮れる。

ちなみにこいつの前に使っていたのは、オリンパスのCAMEDIA C2040ZOOM というモデルで、こっちの方は、この著者も「名機」として紹介している。
F1.8という、後にも先にもない明るいレンズを搭載したカメラで、そのレンズの明るさに惹かれて買ったのだった。
そう、そもそもどうもこの人とは馬が合いそうなのだ。

前からなんとなく感じていたことが、本書によって論理的に裏付けられて、自分のcoolpix5000がよりいっそう愛おしくなった。
このようなタイプのデジカメは、もはや絶滅危惧種らしいのだ。

もちろん、一眼レフではないので、人物などを撮るときにボケ味が出せないのは確かに痛い。
その点では母親のαと比べるべくもない。
そういう写真を撮りたいときは、致し方ない、いつでも銀塩に戻って、長年の愛機、ニコンF3に頑張ってもらえばよい。

ともあれ、本書を読んで、俄然、デジタル撮影にやる気が出た。
これまでは、所詮デジタル、俺は最後までフィルムカメラと心中するぞというくらいの気分でいたのだけれども、デジタルの利便性の高さにはやはり抗しがたい魅力があるのも事実。
撮影上のヒントも本書からたくさん得た。
デジタル一眼レフの古くなったモデルを中古で買おうかと考えたこともあるけど、(例えばニコンのD1とか、定価60万とかだったのが今や2万とか……)、やっぱデジタルはこの coolpix5000 にいましばらく働いてもらおう。

あと、巻末に紹介されていた画像処理のフリーソフト「Irfan View」も素晴らしい。
著者が書いているとおり、フォトショップは重たくて頻繁に起動する気にはとてもなれない。
その点、Irfan View の機動力の高さは画期的だ。
こういうソフトがあると、なおさらデジタルの魅力は倍増する。

うーん、しかし、ますますF3の出番が減るなあ……。

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2008年11月27日 (木)

磯崎憲一郎『世紀の発見』を読む

文藝冬号掲載の磯崎兄さんの3作目、やっと読了。
前2作同様に短い小説だけれども、時間をかけて、じっくり読みました。

『肝心の子供』、『眼と太陽』に比べると、ずいぶんと読みやすく、わかりやすい。
だからというわけでもないのだけれども、これは前2作よりもちょっと別のステージに行った傑作だと思う。
今回のを読んで、兄さんのモチーフが、かなりはっきりと見えてきた気がする。

前半では、子供として生きることの不条理が、美しいエピソードの積み重ねで丁寧に描いてある。
子供というのは論理的に整合が取れていないので、時間的にも空間的にも、曖昧で混沌とした世界に生きている。
大人にはあり得ないことが子供には起こるし、見えないものも見える。
この小説に書かれているエピソードは、もちろんどれも初めて読む話なのだけれども、同時に、どれも自分がどこかで体験したような、どこか懐かしいようなものばかりだ。
この小説を読み進めているときに、たまたま You Tube で自分が子供の頃に見た歌謡曲を集中的に鑑賞していて、それがまた妙にシンクロしたのもタイミングがよかった。
ぼくが70年代前半頃の歌謡曲を見ていると思い出しそうになる何か得体の知れない不思議な感触と、磯崎兄さんがこの小説の前半で描いている何かは、(一緒にしては申し訳ないけれども)、そう遠くはないものだと思っている。

後半、「彼」はいきなり大人になって、ナイジェリアに赴任している。
そして、数行で十年が経過したかと思うと、今度はもう日本に帰ってきて、妻子と暮らしている。
そうして、両親の子供であり、娘の父親である、その両方の間を往き来しながら、小説は終わる。

親が子を産み、子がまたその子を産む。そうやって連綿と続いていく人間の歴史の中の、ほんの一部として一生を生きることの不思議と不条理。その歓喜と悲哀。
ずばり兄さんのモチーフは、これではないか。
雄大な時間の中のほんの一部ではあっても、そこには確かな現実と具体性があって、始まりと終わりがあり、ひとつの完結した生がある。
しかしそれはまた同時に、巨大な全体の一構成要素でもある。
我々は、どのようにそのことと向き合って生きていけばよいのか。
前作などでも顕著なように、兄さんの小説が、その短い一編の中でも、時間的なパースペクティブをめまぐるしく伸縮させるのは、おそらくそういうことなのではないか。
そうやって考えると、今回の『世紀の発見』のラストが「古墳公園」であるというのも、極めて象徴的だ。

ひとりの主体として、我々はかくも自由だ。
と同時に、大きな全体の一部として、生かされているだけの存在でもある。
そのような、時間的存在としての人間の不条理。
どうですか、磯崎兄さん。
ずばり、これじゃないですか?(笑)

こんな壮大なテーマに真正面から取り組んでいる作家は、いまどきどこにもいないと思う。
次の芥川賞こそ、もうこれってことでいいんじゃないでしょうか(笑)。

前作『眼と太陽』もいつの間にか単行本化していたんですね。
みなさん、左欄のブックリストから、是非アマゾンへどうぞ。

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2008年6月 4日 (水)

磯﨑憲一郎『眼と太陽』を読む

磯﨑さんの文藝賞受賞第1作『眼と太陽』が「文藝」に掲載されたので、遅まきながらやっと入手して読了。
何故か近所の本屋には「文藝」だけ置いてなくて手間取った。

文藝賞受賞作の『肝心の子供』は、ブッダを材に取った偽史小説であったわけだけれども、今回は一転、時代モノではなくて、アメリカのミシガン州に赴任している日本人が主人公。
おそらくは磯﨑さん自身の体験も随所に反映されているであろうと思われます。

読み始めたときは、前作に比べてずいぶん作風を変えてきたなと思ったけれども、読み終えてみると、スルスルととらえどころのない奇妙な読後感はしっかりと前作に通底している。
2千年以上も前のインドを舞台にした3人称の歴史モノ(?)である1作目と、現代のアメリカを舞台に1人称で書かれたこの2作目は、結局は姉妹作と言ってよいくらいにどこかとてもよく似ている。
細部には「意味」らしきものがたくさん撒き散らしてあるのに、全体としてその「意味」を追いかけようとすると、場面が変わるごとに肩透かしを喰らって、「意味」はスルスルとこぼれ落ちていってしまう。
意匠を全く異にしながらも、この2作は基本的に同じ書き方で書かれた小説であるという印象を受けた。

別の言い方をすれば、この『眼と太陽』を読んで、磯﨑さんが1作目で意図していたことがようやく見えてきたような気がする。
磯﨑さんの小説のテーマは、この語り方にあるのであって、その素材は2千年前のブッダであろうが、現代の商社マンであろうが、特に問題ではないのではないか。

読み方、間違ってますかね?
磯﨑さん、次作も心待ちにしております。

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