アニメ・コミック

2009年2月 9日 (月)

平田弘史『血だるま剣法』を読む

平田弘史の貸本時代の傑作に、『血だるま剣法』という被差別部落出身の武芸者を主人公にした40年以上前のマンガがあって、そのあまりに過激な内容ゆえ、発表後すぐに絶版の憂き目にあった……
というようなことは、なんとなく知識として知ってはいたのだけれども、その作品が4年ほど前に、呉智英の監修で奇跡的に復刊されていたということは知らなかった。

早速入手して読む。

うーん、確かに『血だるま剣法』、すげえ。
まず、こんなに古いマンガなのに、読んでて普通におもしろい。
エンターテイメント作品として、単純におもしろく読める。
呉智英の解説もきっちりと実にいい仕事。

ついでに、比較的最近の作品も何冊か購入して、現在、次々と読破中。
もともと歴史モノが好きなのもあるけれども、どれもめちゃくちゃおもしろい。
時代考証なども(たぶん)ものすごくしっかりしているのだと思うけれども、基本はすべてエンターテイメントに徹しているのが偉い。あまりに正しい。
そして、やはり絵が異様に上手い。
さすがは大友克洋も師と仰ぐ細密表現のパイオニア。
歴史的意義は「血だるま」かもしれないけれども、やっぱ最近の作品の方が、そりゃ読むにはさらにおもしろい。
しばらく平田弘史のマイブームはおさまりそうにない。

しかし、それよりも何よりも、もっとも興味深いのは、ネットであれこれ検索していくうちにわかってきた、平田弘史本人の人となりであった。

竹熊健太郎のブログにある平田弘史訪問記がすんごくおもしろいので、超おすすめ。

この人、これだけの技術を持ちながらもなお、劇画はあくまでもカネのためにやむなく描いているのであって、経済上の必要さえなければ、マンガなんか「誰が描くか」、と(笑)。
自宅には、「趣味の仕事場」があり、旋盤やドリルをはじめ、ちょっとした町工場並みの設備がある。
ネジも自分で切るし、カセットデッキのキャプスタンベルトも自作する。
そう、これぞ正に我が理想とすべき生活スタイル。人生の師だ。

ちなみに、誰が見てもマンガ家のホームページだとはわからない平田弘史のサイトは、本人のこだわりのあまり、Mac の、しかも少し古い環境でないとまともに見られない。

これだけは何とか考え直してもらいたい。

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2007年12月12日 (水)

『勝又進作品集 赤い雪』を読む

勝又進が今月初めに悪性黒色腫で亡くなっていたということをネットのニュースで知った。
ちょうど『赤い雪-勝又進作品集』を読み終えたところだったので、ちょっとしたシンクロニシティに驚いた。
巻末の年表の最後には、直腸の悪性腫瘍で闘病中とある。
悪性黒色腫というのは、調べてみたら、要するに皮膚ガンのようなものらしいから、直腸の方とはまた別だったのだろうか。

勝又進は、60年代に『ガロ』で漫画家デビューし、最盛期の『ガロ』でずっと4コマなどを連載していたとのことだけれども、全然知らなくて、この『赤い雪』で初めて読んだ。

無理に言うなら、つげ義春と宮本常一を足して2で割って水木しげるをちょっとブレンドした感じ、か。
或いは、昭和初期頃(?)の雰囲気の農村の生活を描いた民俗マンガ、とでも言えばいいのだろうか。
勝又進は、昭和18年生まれの宮城県出身だそうだけれども、その年代の東北には、まだこんなに濃い生活が残っていたのだろう。

うちの場合、こういう農村の世界は、もちろん自分自身は知らないし、農村生まれのうちの親や伯父母の世代でも知らないと思うけれども、じいさん・ばあさんの世代なら知っていたと思う。
かつての農村の有りようは、親の田舎の雰囲気あたりから、何となく実感的に想像できることもあって、このマンガはめちゃくちゃおもしろかった。

短編集だけれども、1つ1つが深くて濃いので、一度にたくさんは読めない。
1日1編ずつ、時間をかけて丁寧に読んだ。

かつての田舎の農村では性的抑圧からかなり自由であった(夜這いとか、そういうの)、というのは、異論もあるようだけれども、ある程度はそのとおりだと思う。
そうすると、うちの田舎のばあちゃんくらいの世代だと、若い頃にはそういう世界でそういうゆるーい倫理観(?)のもとに暮らしていながら、戦争を経て、いつの間にやら身の周りが性的に極めてストイックになっていた、という経験をしているはずで、自身の中でその辺の折り合いをどうつけていたんだろうか、などということがちょっと気になってくる。
うちのばあちゃんはもうとっくに死んでしまったから確認できないけど。
て言うか、生きててもその質問は無理だけど(笑)。

もうずいぶん前、うちの親父の叔母(ぼくのばあちゃんの妹)の若い頃の、男がらみのなかなかスリリングな話が出たときに、今はもう70を越える伯父は、「あの人、若い頃はそんな発展家だったのか」と驚いていた。(もう死語だな、「発展家」って)
そのときは横で、ふーんと思って聞いてたのだけれども、今考えるに、ばあちゃんの妹が発展家だったと言うよりも、その世代の若い頃はみんなそうだったんではないかと思う。
うちの田舎あたりだと、今の70代くらいではもうかつての農村の暗部(?)を知らないけれども、今生きていれば100歳くらいのばあちゃんの世代だと、よく知っていたんだろうと思う。

父方のばあちゃんは、ぼくが学生で東京にいる頃に心臓でぽっくり死んだのだけれども、その直前に帰省して会ったときは、まだぴんぴんしていた。
結果的にそのときに言葉を交わしたのが最後になったのだけれども、そのときばあちゃんがぼくに言った言葉は、「東京でええ女はできたか?」だった。
そんときは、この婆はニヤニヤしながら唐突に何を言い出しやがるかと思ったのだけれども、今にしてみれば、ばあちゃんの若い頃はどうだった?とか聞き返してやればよかったと思う。

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2007年10月29日 (月)

何者? 笠辺哲『バニーズ』『フライングガール』を読む

マンガです。
左欄のリストを参照。

調査したところによると、1975年生まれらしいので、やや遅咲きデビューではあるけれども、しょっぱなからこの完成度の高さと落ち着いた作風は何だ?
絵は、水木しげるの弟子筋風と言うか何と言うか、確信犯的な昭和レトロ風。絵柄だけなら後期の高野文子のようなニュアンスもあると思う。
星新一的と言うか、藤子不二雄的というか、ああいう牧歌的で、レトロフューチャーなSF設定にのせて、大人のウィットとユーモアを混ぜ込み、淡々と、のんびりとした小品を描く。
デビューまでの経歴はどうなっているのか。
この肩の力の抜けた軽やかさや、既に達観しているかのような枯れた味わい、手慣れた構成力は何だ?

特にネームのセンスが絶品。
押しつけがましさはまるでないし、人の人生に大きな影響を与えるようなイデオロギーもない。あくまでも絵の雰囲気とネームのよさと気の利いたウィットだけで読ませるマンガだと思うけれども、その軽やかさが気持ちよくて、いつまでも読んでいたくなる。

短編集『バニーズ』、『フライングガール』の①及び②と、現時点で発行されている3冊全部を一気に読んだ。
キャラ作りのセンスも大好き。
『フライングガール』の磯貝さん、とってもキュートだ。トッド博士の突っ込み芸も絶妙。
2巻で完結してしまったのはもったいない。
もっと読みたい。

何者!? 笠辺哲!

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2007年9月19日 (水)

浦沢直樹がダメな理由

前回のエントリーで浦沢直樹のことを少し書いてたら思い出したこと。

マイ・モスト・フェイバリット漫画家は、迷うことなく高野文子なのだけれども、2002年のユリイカの高野文子特集号における大友克洋との対談で、天才・高野が以下のように語っている。

高野 私は『ヒカルの碁』と浦沢直樹さんのマンガが読めないんですよ。みんな「面白い」って言うのに何故私は駄目なんでしょう? 特異体質でしょうか?
大友 そんなこと俺に訊かれても(笑)。
高野 うちのダンナが好きなので家の中にいつもあるんですよ。どれどれと開くんだけどね。
大友 俺最近全然マンガ読んでないんだもん。でも、なんで読めないの?
高野 絵だと思います。
大友 どっちもそれなりにいい絵じゃない?
高野 上手ですよねえ。でも、息苦しくなるんですよ。よそ見をさせてくれない。次から次へと記号の問題が出てきて、それをひたすら解きながら進むみたいな感じ。のんびり読むこともできないし、読むスピードも決められている。

ごらんのとおり、高野文子は、「何故駄目なんでしょう?」と大友に訊きながらも、ちゃんと自分で答えを出している。
「息苦しい」「よそ見をさせてくれない」「記号の連続」「読むスピードも決められている」、と、浦沢直樹のハリウッド的な作品の本質を、これでもかというくらいに的確にずばりずばりと見事なまでに言葉で表現している。

確かに『YAWARA』も、『Happy!』も、『MONSTER』も、どれもみなよくできていて、どれもみな面白い。
ただ、それは誰が読んでも同じおもしろさであって、誰もが同じ場面でハラハラし、誰もが同じ場面でカタルシスを得る、極めて単一的なおもしろさである。
言い換えると、浦沢作品は、結局、ひとつの読み方しか許容しない。
読者は、浦沢直樹の意図どおりにストーリーを理解し、浦沢直樹の策略どおりに読まされていく。
それに乗っからなければ、楽しむことができないようになっている。
絵は、誤解を許さない正確さで描かれていて、脇見をしたり、しばし立ち止まって考えたりするスキを残さない。
これは、作者本人の全く意図しないところでコアでカルト的な信者を生み出していくいましろたかしのようなマンガ家とは対極にあるスタイルだ。
別の言い方をするならば、浦沢作品には、作品世界そのものしかなく、行間(コマ間?)を読むことを許さない。
ナマの、素の、浦沢直樹が、コマとコマの間にふっと立ち現れる、といったようなことは決して起こらない。

ハリウッド映画は、観ている間はやたらとハラハラさせられたりして、見終わるとどっと疲れるのだけれども、後には何も残らない。
一方、地味で退屈なフランス映画には、一生忘れられないようなシーンやセリフがあったりする。

ハリウッドを全面的に否定するものでは決してないのだけれども、浦沢マンガを「息苦しい」と評する高野文子の感性が好きだ。
そういうことを意識するようになっていたせいか、『20世紀少年』は、連載開始からずっと読んでいたけれども、最後の最後まで面白いと思えなかった。

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2007年9月15日 (土)

いましろたかし『デメキング』を読む

いましろたかし未完の怪作「デメキング」が、2頁書き足されて「完結版」となって復刻。
最初に単行本化されたときのKKベストセラーズ版には、ヤフオクやアマゾンの中古市場でも1万円以上の値が付いていて、さすがに手が出なかったので、遅れてきたいましろマニアにとってはありがたいことよと早速購入。一気に読了。

なるほど、これがいましろたかしの最高傑作とは全く思わないけれども、決して期待を裏切らない佳作だと思う。

巻末にいましろたかし本人へのロングインタビューが掲載されていて、それがめちゃくちゃ面白い。

「デメキング」は、連載しているうちに完全に収拾がつかなくなってきて、編集部にもダメ出しされて、人気もなくって、結局打ちきりになった作品らしいのだけれども、本人にとっても全くの失敗作だったという認識らしく、いかにこの作品がダメであったかを、うだうだうだうだと延々語っている。
本人的には、売れない、金がない、だからストーリーマンガで一発当ててやろうというような意気込みを持って臨んだ意欲作だったらしいことがわかる。
そして、やっぱりそれができなかった、売れなかった、オレはダメだ、というようなことを愚痴っている(笑)。

いちファンの立場から言わせてもらうと、このマンガの魅力は、いましろたかし本人の意図とは全く別のところにあるのであって、誰もいましろマンガにドキドキハラハラのストーリー展開を期待しているわけではない(と思う)。
この不可解で不条理な作品世界だけで十分にチャーミングなのだ。
結局、少なくともこの作品に関しては、いましろたかし本人は、自身の才能をまるで把握しておらず、ダメだ、イヤだ、売れない、金がない、一部のマニアにほめてもらってもしょうがない……、などと愚痴をばかりぼしている。
そのうだうだした煮え切らない物言いが、あまりにもいましろたかしらしくて面白い。
本人は大変なんだろうけど。

読み始めてすぐに思ったのは、この「デメキング」と、浦沢直樹の大ヒット作「20世紀少年」との類似性だ。
結果的には180度違うベクトルのマンガになっているけれども、ストーリーの設定には相通じるものがある。

その当の浦沢直樹が、巻末に2頁ほどの解説を書いている。
いましろと浦沢は同い年らしい。
そして、その同い年の2人が「かたや高知に生まれると『デメキング』、東京に生まれると『20世紀少年』」を描いたというのがおもしろい、と、偶然の一致に感嘆している。
が、個人的にはこれは怪しいのではないかと思う。
全くの邪推だから、勝手気ままなこういうブログでなければ書けないけれども、やっぱり浦沢直樹はこの『デメキング』を元ネタにして『20世紀少年』を発想したのではないかという気がする。

言うまでもなく、ぼくはこの2作品なら、圧倒的に『デメキング』を支持する。
もちろん、いましろ本人にとっては、「……いくら作品を褒められたって、8年たって単行本になって6千部とかって世界ですよ。まあ、名誉はあるのかもしれないけど、それで俺がいくらの金をもらうわけ、とかさ。やっぱり生活が成り立たないですよ。……」ってことなのかもしれないけれど(笑)。

いましろたかし本人にしてみれば、まさにこの浦沢直樹のようなタイプのマンガ家に対して巨大なコンプレックスを感じているのであって、その浦沢がいましろファンを名乗って解説まで書いているのは実に皮肉な構造だ。
しかし、逆に、浦沢の方は浦沢の方で、(おそらく)いましろたかしに対して引け目のようなものを感じているに違いない。

世の中、得てしてそんなもんだよな。

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2007年9月14日 (金)

三宅乱丈『大漁!まちこ船』を読む

三宅乱丈のマンガを初めて読んだのは、ビッグコミックスピリッツで連載していた『ペット』だった。
この作品がかなり好きで、毎週楽しみにしていたのだけれども、いかんせん設定が複雑すぎたのか、ストーリーがややこしかったのか、世間では次第に人気がなくなったようで、掲載頁もだんだん巻末の方になって、最後は、いよいよこれから面白くなるだろうにっていうところで、無理矢理話をまとめるような感じで突然連載終了してしまった。
恐らく打ち切りになったのではないかと思う。

もう詳しいストーリーとかは忘れてしまったけれども、『ペット』の何がいちばん印象に残っているかと言うと、物語の最初からずーっと典型的な悪役だった「桂木(っていう名前だったと思う、確か)」というキャラクターが、終盤になって、実はかわいそうな、案外いい奴だったということがわかる。
そこでぐっと来た。
こういう設定は、ありそうで意外にないのであって、マンガなんかでは特に、いい奴はいい奴、悪者は悪者と白黒はっきり分けられているのが普通だ。
もちろん、ストーリーが長くなるにつれ、最初悪役として登場したピッコロやベジータが悟空の仲間になっていく、というようなパターンは多い。
そういうのではなくて、「悪者っつっても、どこをどう切っても100%悪いわけではなくて、いい面もあるよな」といったような、リアルな表現が『ペット』にはあった。

当たり前だけれども、世間には、「いい人」と「悪い人」の2種類がいるわけではなくて、どんな人間にも「いい面」と「悪い面」の両方がある。
会社ではひどく嫌な奴も、家ではいい父親だったりするかもしれない。
近所ではいい人で通っていた人がいきなり殺人犯になったりもする。
同じ人間でも、見る角度が違えば見え方も違う。

そうやって、悪役を単純な悪役のままで終わらせないところがいたく気に入って、おお、これは急に面白くなってきたぞ、と思ったら、その後すぐに連載が終わってしまった。
何故か週刊誌って、おれの気に入ってるマンガから順に連載切っていくんだよな……。

そういうわけで、久しぶりに三宅乱丈の他の作品を何か、と思い、適当にネットで注文して取り寄せてみたのが『大漁!まちこ船』。
漁師モノかと思ったら、シュールなお笑いモノでした。
一言で言えば、なんじゃこりゃ。
絵がたいへんいいので、損したとも思わないけど、決して得もしてないな。

とにかくこのマンガ家には、かなり特異な才能があると思うので、また『ペット』のような壮大なアイデアの作品にじっくり取り組んでもらいたいと思います。

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2007年6月20日 (水)

子供の頃に読んでたマンガは……

自分が小学生の頃は、果たしてどんなマンガを読んでいたのか。
かすかな記憶を辿って思い出してみる。

4年生頃までは、とにかく専ら野球マンガだったような気がする。
そもそも野球に興味を持ったのは何歳頃だったか。

1年生になったら、既に野球をかじっていたように思う。
もしかすると幼稚園、か。
最初に野球について教えてくれた友だちのことも覚えているのだけれども、それが幼稚園なのか1年生なのかがわからない。
ワンアウト、ツーアウト、ではなく、ワンダン、ツーダン、と教わった。

もう少し後になると、記憶はややはっきりする。
1、2年生のときと、3、4年生のときとでは、付き合っていた友だちががらっと変わっているので、誰とどんなことをして遊んでいたかというのが記憶を辿る際のヒントになる。

ともあれ、一番最初に熱中したマンガは、ちばあきおの『キャプテン』だった。
1年生か2年生の頃には既に間違いなく夢中になっていた。
持っていた単行本を、近所の年上の悪ガキに脅し取られそうになったことも覚えている。
谷口くんではなくていがらしが好きだった。
それだからか、『プレイボール』の方は、それほど読まなかった。
今思い出しても、いいマンガだったと思うな、『キャプテン』。
また読みたいな。

学校でも、友だちとの話題は1、2年生の頃から野球が多かったように思う。
プロ野球観戦に連れて行ってもらった友だちの話がうらやましく、「○○球場には行ったことがある」などとウソをついて張り合っていたような記憶もある。
最初は親父の影響で中日を応援していたけれども、次第に広島ファンになった。
当時からひねくれていたのか、周りの友だちが誰も贔屓にしていない球団を応援しようと思ったのだ。
周囲に広島ファンは自分以外に誰一人いなかった。
でも、傘は阪神で、帽子は阪急だった。
ロッテをかぶってたこともあったな、そう言えば。
広島は、赤ヘルに変わってまだ間もない頃だったと思う。(その前は黒だっけか?)
あの赤い帽子をかぶる大胆さはなかったのだろう。
それでも、以来30年以上に渡って広島を応援しているのだから、思いこみというのは恐ろしい。

いや、マンガの話だ。

『キャプテン』の後には、かの『アストロ球団』にずっぱまった。
それが何歳頃なのかわからない。
かなり込み入ったストーリーなので、低学年では読めないのではないかと思うのだけれども、少なくとも3年生の頃には間違いなく読んでいた。
そう思うと、やはり当時の子供は、今の子どもに比べてマンガリテラシーがずいぶん高かったのかもしれない。
『アストロ球団』に移行すると、『キャプテン』の方はもうすっかりどうでもよくなって、そればっかりになった。
極端から極端っちゅうか、あの淡泊な絵柄から、どろどろに濃厚な世界へと、子供の適応力はすごいな、しかし。

『アストロ球団』と同時か、それとも少し後か、最終的には『ドカベン』に至る。
単行本でも読んだし、当時は週刊チャンピオンでも連載中だった。
小学校4年生の頃には、完全に『ドカベン』に釘付けになっていたのだけれども、読み始めたのがいつ頃なのかはまるで思い出せない。
やはり『アストロ球団』に比べれば、『ドカベン』は、数倍もリアリティがある(笑)。
子ども会のソフトボールチームには4年生から入るのが基本なのだけれども、ぼくは3年生から入れてもらっていた。
実践に活かせるのは、やはり『アストロ』よりも『ドカベン』だったのだろう。

『侍ジャイアンツ』は、単行本でも読んだけれども、基本はテレビだった。
『巨人の星』もテレビだけ。
『男どアホウ甲子園』とかは、高学年になってからさかのぼって読んだ。
あ、『野球狂の詩』も読んでたな。あれは古いな。映画になったのがいつ頃だ? 
3年生か4年生の頃には読んでたんだろうか。
うーむ。

野球マンガ以外はほとんど印象にないのだけれども、全くないわけでもない。

5年生になるときにぼくは引っ越しして転校しているのだけれども、4年生まで住んでいた家では、母親が賄い付きの下宿屋をやっていた。
間借り人は大学生や若いサラリーマンで、風呂は貸さないけれども、トイレは共用で、1つ屋根の下に4~5人を間借りさせていた。
その下宿部屋の方へ通じる廊下の隅に、間借り人が読み終えた新聞や週刊誌が積んである。
そこに時折、週刊ジャンプが置いてあることがあって、それをこっそり拝借して読んでいた。

印象に残っているのは、『トイレット博士』や、『サーキットの狼』。
『ど根性ガエル』もやってたと思う。
『アストロ球団』がまだ連載中だった記憶もあるので、もしかするときっかけはそれ、か。
『プレイボール』も、そうやって読んだジャンプで断片的に読んだ記憶がある。

週刊チャンピオンを友だちと回し読みしていたのは、いつ頃だったのだろうか。
『がきデカ』が連載していた頃も知っている。
目当てはなんと言っても『ドカベン』だったけれども、『マカロニほうれん荘』も極めて重要で、単行本も全て持っていた。
あとは、『ブラックジャック』、『750ライダー』とか、鳩がレースするやつとか、なんかいろいろあったな、そう言えば。

6年生の頃には、また週刊ジャンプに移行していたのだけれども、その変わり目もよくわからない。
『リングにかけろ』、『すすめパイレーツ』や本宮ひろしのマンガなんかが印象深い。
『こち亀』は当時からあったな、そう言えば。すげえな。
『東大一直線』もこの頃か?

えー、マンガ話は尽きませんが、時代考証がおかしい等、記憶違いがあればご指摘願います。
皆様の70年代マンガ体験はいかがなもんでしょうか。

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2007年6月17日 (日)

満田拓也『MAJOR』を買い与える

小3の息子がマンガばっかり読んでいる。
朝起きるとまずマンガを読む。
実家においてあったドラゴンボール四十数巻をどさっと持ってきてから、もう1年くらい経つだろうか。

ゲームやってるよりはマンガの方がずっといいように思えるので放置してあるのだけれども、いつまでもドラゴンボールばっかり繰り返し繰り返し読んでいるのがどうも気に入らない。
こいつくらいの年齢のとき自分が何を読んでいたか、と考えると、専ら野球マンガばっかりだった。
それで、野球ばっかりしてた。
うん、そうだ、ドラゴンボールよりは野球マンガの方がずっと好ましい気がする。
スーパーサイヤ人がどうのとか、ベジータがこうのとか、そんな話ばかり聞かされるのにももううんざりだ。
よし、一度、野球マンガを与えてみよう。

そう言えば教祖が、「『メジャー』がおもしろい。マンガ喫茶で読みまくった」というようなことを言っていた。
教育テレビでやってるアニメを息子はときどき見ているので、取っつきやすいかもしれない。
試しに1~5巻を買って与えてみよう。

うまくいった(笑)。
見事にはまった。
その日以来、ドラゴンボールはぱたっと読まなくなり、『メジャー』を繰り返し繰り返し読んでいる。
しかも、すっかりその気になって、休みの日になるとやたらとキャッチボールをやりたがる。

驚いたのは、『メジャー』前と、『メジャー』後で、息子のキャッチボール能力がずいぶんと向上したことだ。

うちの息子は、運動センスがない。
今月初めに子ども会のソフトボール大会があって、その全体のレベルの低さにも驚いた(と言うか、できる子とできない子の格差が極端に激しい。ここでもやはり2極化が進んでいる)のだけれども、うちの子はその中でも相当に下手だ。
それが、『メジャー』後に、少しはまともになってきた。
バットを持たせても、構えがだいぶまともになっている。

やはり、たとえマンガでも、イメージモデルみたいなものが必要だったのかもしれない。
よく考えてみれば、ぼくは野球中継もほとんど見ないので、息子は、「野球の様子」そのものを知らなかったのだろう。
いまだにルールもちゃんとわかってないし。
野球にかっこよさを感じていなければ、そりゃ上達もしないわ。
いや、もう少し早く気づくべきだったか。

それで、自分が小学生の頃、どういうマンガを読んでいたのか、ということを書こうと思ったのだけれども、それはまた次回にします。

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2007年6月11日 (月)

井上雄彦『バガボンド』を読む

5年くらい前に10巻まで読んで止まってて、もう完全に忘れてたので、また1から読み直して、20巻まで一気読み。
うーむ、感動した。

井上雄彦のマンガにはエンターテイメント以上のものを期待してなくて、そのつもりで読み始めた。
往年の『スラムダンク』も、当時、教え子に借りて全巻一気読みしたけど、単に面白いだけだと思った。
絵の上手さやキャラ設定の巧みさ等にはたいへん感心したけれども、やはり極上のエンターテイメントというだけであって、それ以上の深みは感じなかった。

実際、この『バガボンド』も、前に読んだ10巻くらいまでは、やはりただひたすら「よくできた娯楽作品」という印象に変わりはなかった。
絵がかなりとんでもないレベルにまで来てるなあ、とか、おつうのキャラがいいなあ、とか、思うところはいろいろあったけども、何年かすれば忘れてしまうような作品だろうと思った。

それが今回、10巻を過ぎた頃から、だんだん様子が変わってきた。
武蔵の剣が成熟し、人間的に深みを増していくに連れ、作品にもどんどん深みが出てくる。

そして……小次郎編に突入。

泣きました、私は。
小次郎編、最高。
鐘巻自斎と小次郎の関係が特に泣ける。
とにかく絵がいい。
小次郎の顔がいい。
武蔵編は忘れても、小次郎編は忘れられないと思う。

小次郎編、どうも20巻でいったんおしまいらしい。
だから読むのもいったんストップ。
今、何巻まで出てんの?
25くらい?

この先はもうしばらく楽しみにとっておきます。

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2007年3月 3日 (土)

吾妻ひでお「うつうつひでお日記」を読む

結局、火水木と休んで、今日は3日ぶりに出勤。
まだ完治ではなく、喉の腫れ・痛みは残っているけれども、もうだいたい何でも食べられるようになった。
主観的には8割方治った感じなのだけれども、水曜に病院に行ったら、「まだ全然ダメ」と言われ、抗生剤も5日分渡されて、「絶対に飲むように」と釘を刺される。
タバコも控えていますですよ、さすがに。

でも、いい休養にはなった。
これだけ休むと、仕事もやる気出ます。

3日間は、寝ては読書、寝ては読書の繰り返し。
カタい本は頭に入らないので、吾妻ひでおの「うつうつひでお日記」などを読んだ。

失踪して、アル中で入院して、家に戻された、それ以降で、「失踪日記」がバカ売れする以前。
その間の、心身共に調子悪く、仕事も少なくて貧乏している、ひたすらだらだらしていた時期の日記マンガだ。
ちょっと仕事したら嫌になって散歩して、図書館で本借りて読んだりテレビ観たりしては昼寝して、酒は飲めないから毎日アイス食って、調子悪くなると抗うつ剤飲んで、眠れないから睡眠薬飲んで寝る。全編ひたすらその繰り返し。

いっしょにしては悪いけれども、病気でただひたすらだらだらしている自分となんとなくシンクロするような気がして、こういうコンディションで読むには最高のチョイスであると思いました。

この本によると、吾妻ひでおって、膨大な量の読書をしているのに驚くのだけれども、その読書の趣味が自分とはことごとく合わない(笑)。
そもそも、吾妻ひでお的なロリコンマンガ(?)自体がぼくには皆目わからないのであって、本来かなり違う人種なのだろうと思う。

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