山田風太郎『戦中派不戦日記』を読む(3)
それで吉本隆明は、政治学や経済学から哲学に至るまで、それこそアダム・スミスやカント、ヘーゲルといった古典からスタートして、独学で徹底した勉強を始める。
それは何よりも、「生きていく」ために必要な作業だった。
時間的にも空間的にも、どのような歴史的経緯を経て、どのような位置に今の自分がなぜ存在するのか、なぜこのような目に合わなければならなかったのか、白紙からひとつひとつ見なおして、そこに納得のいく理由を見つけなければ、もはや自分が生きていく意味が見当たらないからだ。
実際、戦中派の人たちは、自分だけが生き残ったことを「恥」と考え、死んでいった戦友たちに「申し訳ない」と感じ、その後の人生を余禄のような、おまけのようなものに感じると語る人も多い。
それは、正直に考え詰めてしまえば、もう「生きていかれない」という結論にしかなりえないからだと思う。
そこから人生をもう一度立て直すには、吉本のようにゼロからもう一度世界を組立て直すしかないからだ。
そして、そんなことが誰にでもできるわけではないのはもちろんのことである。
吉本の思想が「強い」のは、そういう抜き差しならない状況から、強固な土台の上に形成された思想だからではないかと思う。
若いころの吉本はやたらと攻撃的で論争も多く、今でも当時のそうした姿勢に対しての批判は多い。
ここしばらくはすっかり好々爺のようだけれども、元気な頃の吉本は、確かに激しい。
しかしそれは、強い自負の裏返しであると思う。
吉本が、柄谷行人、浅田彰、蓮實重彦をまとめて「知の3馬鹿」と揶揄したことがあった。
お前らのやっていることは他者としての「大衆」を内包しないただの知的ゲームにすぎない、といったようなニュアンスだ。
吉本自身は、まさに「生きるための思想」として自身の思想をつくり上げてきた。
言い方は手が込んでいるが、簡単に言ってしまえば、お前らといっしょにしてくれるなというような気持ちがあったのではないかと思う。
戦争を知らない世代からすれば、それを言われてもなあ……ということかもしれない。
柄谷行人は吉本に対して、論争のために具体的戦死者を直接代弁するな、といった趣旨の批判をしたことがあるが、それも要するに、「おじさんの時代はそりゃ大変だったんだろうけど……」というのと同じようにも思える。
吉本は、本人が言うとおり、まさに「考え詰めてきた」人だと思う。
引きこもって、徹底的に、考えられるところまで考えた。
そこは認めなければならないと思う。
戦中派の宿命を一手に引受け、ゼロから全てを積み上げ直した。
しかもその作業を相当徹底的にやってきた。
だからこそ強靭だし、すくなくともそこに関しては信頼すべきだと思う。
80年代のポストモダンやニューアカデミズムを吉本が相手にしなかったのも、そう考えてみると当然のような気もする。
人間の基本的な部分は1000年前でも2000年前でもそう変わるものではない、と吉本はよく言う。
それは、結論としては凡庸だけれども、実際にその基本的な部分まで、本当に「いったん戻ってみた」のは吉本だけかもしれないとも思うからだ。
だから、おじいちゃんが多少無茶や無理を言うことがあっても、そこは大目に見といていいじゃないかと思うのだ。
おじいちゃんはそれだけの苦労をしてきた。
柄谷行人が、小熊英二が、宮台真司が、吉本の思想はもう古い、あのやり方はまずい、というようなことを言ったとしても、それはなんとなく、孫がおじいちゃんに向かって「時代が違うんだから……」と言うのとそれほど遠くない気がする。
そして、おじいちゃんしか見ていないもの、おじいちゃんにしか見えなかったものというのは、確実にあるはずなのだ。
いちばん最初に戻ると、そのおじいちゃんの苦労の断片を、この山田風太郎の日記でも読んで知っておくのは、とても意味のあることだと思った。
| 固定リンク
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 山田風太郎『戦中派不戦日記』を読む(3)(2012.02.10)
- 山田風太郎『戦中派不戦日記』を読む(2)(2012.02.06)
- 山田風太郎『戦中派不戦日記』を読む(1)(2012.02.04)
- 講談社 RATIO スペシャル・イシュー『思想としての音楽』を読む(2010.12.26)
- 磯崎憲一郎『終の住処』(2009.09.07)
コメント