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2012年2月 6日 (月)

山田風太郎『戦中派不戦日記』を読む(2)

吉本隆明の体験も、おそらく青年山田風太郎のそれに近い。

山田の2つ年下で、当然のごとく軍国青年でありながら、同様に理系の学生であったために徴兵を逃れた吉本隆明も、昭和20年8月15日の敗戦には納得しなかった。
終戦後すぐに日本にやってくるであろうアメリカの進駐軍が、“少しでもおかしなことをしやがったらただではおかない”と、刺し違えることも辞さない覚悟を決めて米軍のふるまいを注視する。

山田風太郎の日記にもあるが、当時の日本人は、戦争に負けて進駐軍がやってきたら、女は皆犯され、男はすべて強制労働させられると思い込んでいた。
山田青年も、そこまでではないにせよ、とにかく耐え難い恥辱を味わわされることになるに違いないと考えている。

しかし、現実はそうではなかった。
米進駐軍は、日本人が見たこともないような重機を持ち込んで見事な手際で焼け跡の復興を進め、子供にチョコレートを、大人にタバコをばらまいて行く。
アメリカ兵達の「余裕」ぶりに日本人は誰もが驚嘆し、改めてその国力の圧倒的な差を痛感する。
仮に日本がアメリカを占領していたとして、このような振る舞いは日本人には到底出来なかったはずだ、と。
結局アメリカは、ハナから日本など歯牙にもかけていなかった。
吉本隆明も、その様子を「見事だった」と振り返っている。

しかし、だからと言って、負けてよかった、そもそも無理だったのだ、結局これでひと安心ではないかとさっぱり割り切れるのは、戦前の暮らしを知っている「大人」だけであって、戦中派にとっては話はそう簡単ではない。
米軍の振る舞いの見事さは、逆に青年山田風太郎、青年吉本隆明らに重くのしかかる。
むしろ自身のアイデンティティの保全を図るためには、暴虐の限りを尽くしてくれたほうが楽なのだ。

自身が物心ついた頃から叩き込まれ、もはや「骨の髄まで」染み込んでいる信念、信条が、一夜の後に突然全否定され、米軍の見事な占領政策によって、自分は間違っていたのだという事実がもはや動かし難い事実として目の前で厳然と証明されていく。
8月15日までの自分は一体何だったのか。
死ぬ覚悟で守ろうとしてきたものは一体何だったのか。
実際そのために死んでいった数多の同胞は一体何のために死んだのか。
自分のこれまでの半生は一体何だったのか。
生き残って何をしろというのか……。
これほどまで唐突に、自身の世界そのものが瓦解していく体験をした世代はないのではないかと思う。

吉本は、その時の体験を振り返り、「このままでは生きていかれないと思った」という言い方をしている。
上陸してきた米兵たちが鬼畜のような振る舞いをしたのであれば、しばらくは日本人は地獄のような体験をしなければならないだろうが、自身の生き方としては何ら揺らぐことはない。
日本は決してこのままでは終わらない、10年後、20年後の再興をと望みをかけ、歯を食いしばって耐え忍ぶ覚悟など、山田や吉本ら戦中派にはとうの昔にできている。

物心ついた時から教え込まれ、寸分の疑いもなく信頼し、迷うことなくそれに命を賭す覚悟までできていた。
それがある日を境に、何の説明もないまま、間違いでした、ウソでした、と帳消しにされるどころか、悪者扱いすらされる。
それは吉本ら戦中派にとって、未知の異空間に放り出されたのと同じ、世界の終わりと同じ体験だったはずだ。
自身の生き方に誠実であった者ほど、「このままでは生きていかれない」という状態になるのが正常な反応だろうと思う。

それで軍国青年吉本はどういう行動に出たかというと。
引きこもりにならざるを得なくなった。

今までの自分の世界観が全て間違いであったと言うのなら、世界はどのようにできているのか。
アメリカ人は、ヨーロッパ人は、アジア人は、過去の人々は、実際のところ世界をどのように捉え、どのように解釈し、どのようなことを考えて生きてきたのか。
そうしたことをゼロから勉強しなおして、もう一度白紙の状態から自身の世界を組み立て直さなければ、もはや「生きていかれない」というほどまでに、日本の敗戦は、(と言うよりも、その後の米進駐軍の振る舞いは)、青年吉本にとって衝撃だった。

(つづく)

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