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2009年8月 5日 (水)

『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』内山節 を読む

我々が歴史を記述しようとするとき、現在の価値基準に左右されることなく、史実に対して真に客観的であることはほぼ不可能である。
特に近代の歴史学は、政治史や制度史が中心であり、中央の歴史学であって、従ってそれは必然的に発達史となる。
現在の価値基準に包まれている我々から見れば、例えば江戸時代は、経済的にも、科学・技術的にも、人権意識においても、現代よりも「遅れた」「未開の」時代であったには違いない。
しかしそれは、現代の価値にからめ取られた我々に固有の、ごく一面的な判断でしかない。
実際のところ、江戸時代の村民が、どのような意識で、どのような精神世界を持って生きていたのか、本当のところは結局わからない。
少なくとも、「電気もガスも水道もないから不便だなあ」などとは思っていなかったことは確かだろう。
もしかすると、江戸時代に生まれた方が、精神的にはずっと豊かで幸せだったかもしれない。

1965年を境に、キツネにばかされるという話が日本中から消える。
キツネにばかされるはずがない、昔の人はそんな迷妄の中に生きていたのだ、というのは、現在の価値基準に束縛された、偏狭な見方でしかない。
むしろ、我々の方が、キツネにだまされるという意識の在り方、キツネにだまされることもあるという自然観や世界観を喪失してしまっている、という見方もあってしかるべきだ。

キツネにだまされなくなった、という事実は、確かに「発達」でもあるのかもしれないが、同時に「後退」でもある。
いや、歴史というのは現実には複合的なものであって、そもそも発達も後退も何もないのだろう。
アメリカ合衆国の建国と発展も、ネイティブ・アメリカンにとってみれば破滅の歴史でしかない筈だ。

では、現代の我々には理解不能になってしまった、かつてキツネにだまされていた人々を包んでいた世界というのは、いったいどのような世界だったのか。
そうした問題を捉えてみようとするのが、歴史学ではなくて、歴史哲学である。


……とまあ、ごくごく大雑把に言うとだいたいそのようなことが書かれている。
とてもいい本だった。
色んな本を読む前の、基本的な教養書として、若いうちに読んでおくのがいいと思う。

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コメント

同感。アメリカに来てみて「歴史」ってその国からみて大事なことだけ学んでるって実感できたし、今から見て大事な歴史だけ学んでる気がする。でも、必要だから過去を知ろうとする姿勢は好きかも。

投稿: ショーエ | 2009年8月21日 (金) 08時23分

普段あんまり意識しないけど、アメリカみたいな新しい国と、日本のような国では、「歴史」っていう概念そのものが、たぶん相当に違ってるんでしょうな。

投稿: riki | 2009年8月21日 (金) 20時30分

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