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2008年6月

2008年6月30日 (月)

今月の自転車通勤

走行距離約250km。
雨の日もレインコートで頑張って、仕事でどうしても必要なとき以外は車を一切使わなかった。
年間3000kmペース、か。

最高速度は、45.5kmをマーク。
これだけ出すと、さすがにちょっと怖い。
子どもが飛び出してきたら……などと考えると、本当に危ない。
ヘルメットもかぶってないし。

後輪のブレーキが全く効かなくなってきたので、調整を試みた。
ちょっとした匙加減で、効きが激変する。
あんまり効きすぎるのも危ない。
急にグイッと握ると、簡単に横滑りする。
タイヤが細めだし、雨の日なんかはすぐにドリフト状態になって、何度も転びそうになった。
前輪ブレーキを調整しすぎると、つんのめって前に飛んでっちゃうらしい。
その辺を、ああでもないこうでもないといぢっているのも楽しい。

ギヤのポジションも、日に日にトップ寄りになってきている。
乗り始めた頃は、前の3段は常時ミドルに入れっぱなしで、後ろの8段も滅多にトップに入れることはなかった。
それが今では、前はアウターギアに固定で、それでも後ろを頻繁にトップに入れる。
下り坂だと、もっと速いギアがあればいいのにとさえ感じる。(だからついついスピードも出る)
痩せないけれど、脚力は確実についてきているらしい。

日本の競輪選手なんかは恐ろしくぶっとい太腿をしてるから、あんなふうにはなりたくないと思うけれども、英語では、引き締まった筋肉のついた美しい脚を bike leg という。
あんまり重いギアばかり使ってスピードに執着していると、競輪選手の方になりそうだから、そういう意味でもやっぱり飛ばしすぎに注意しようと思う。

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2008年6月22日 (日)

橋下知事

大阪府の橋下知事について、「人件費削減巡り組合と交渉11時間、決裂」というニュースをネットで読む。
府職員の給与引き下げについて、知事はどうもまだまだ諦める気はなさそうな雰囲気だ。

橋下徹という人は、知事になる前からテレビで見る度にイケ好かないヤツだと思っていたけれども、知事になってからはますますイケ好かない。
内田樹がしばらく前のブログで、「金の話しかしない」人だとばっさり切り捨てていたが、なるほど知事としてのダメさ加減はその一言に尽きるのかもしれない。

公務員っていうのは、ものすごく頑張って仕事しても大して褒めてもらえなかったりするし、ましてやそれが昇給や昇進や報奨金などに直接つながったりすることはほとんどないかわりに、逆にひとたび失敗すればえらいこと叩かれてしまったりする職業である。
そういう環境に置かれると、人は、実質よりも体裁を整えることに心血を注ぎ、周到なエクスキューズを準備することに長けるようになる。
熟練した公務員の、表向きの建て前を一分の隙もないように整える技術、や、自分に余計な仕事が降りかかるのを避ける技術、といったようなものは実に大したもので、まったくもって知性の無駄遣いと言うほかない。
もちろん、公僕としての崇高な使命感を持つ誇り高き公務員だっているにはいるに違いない。
しかし、そうした立派な公務員のモチベーションを、「公に対する使命感」とか、「府民のみなさまの血税を預かる責任感」とかいったものだけで支えさせようというのは、もはや到底無理な話ではないかと思う。

真の府政改革というのは結局、そういったお役所体質からいかに脱却するかという、その一点に尽きるのではないか。
府職員の職務に対する志気をいかに高めるか。
それこそが、最も重要で最も難しい問題ではないのか。

橋下知事のように民間からぽんと知事になると、自身の意識としては、府政を立て直すために府民の代表として「腐った府庁」に乗り込んで改革するのが使命だと思っているのではないかと思う。
だから、府民の皆様の貴重な税金を無駄遣いはさせない、いらないものは全部ばっさり切る、と、まずはそういう発想になっていく。
もちろんそのような期待を受けて選出されているのだから、そういう意識も大切ではある。
しかし、当たり前だけれども、知事というのは、同時に行政府の長であり、府職員を統率して府庁全体のパフォーマンスを向上させるのがその第一義の職責であって、悪い府職員をこらしめるだけが仕事ではない。
橋下知事という人は、その辺に根本的な勘違いがあるのではないかと思う。

自分なりに誠実に府民の暮らしを考えて長年こつこつと努力を続けてきた、という生真面目な職員だって、大阪府庁にはたくさんいるはずだ。
いや、もともと生真面目なタイプの多い職種であるからして、そのような人は、外部の人間が想像しているよりも意外と多いかもしれない。
そのような人も、そうでない人も、一律に給与をカットされる、とする。
そうか、まだまだ俺は努力が足りなかったんだな、これを機にもう一度これまでの自分をじっくり反省して、心機一転、明日からまた府民の皆様のために頑張ろう! とか思う職員は果たして何人いるのか。

平成大不況と言われ始め、リストラが横行していた頃、吉本隆明は、「もし傾いてきた企業の経営者だったら、自分の会社を建て直すために何をするか」と聞かれて、「まず社員の給料を上げます」と答えていた。
当たり前だけれども、組織は1人1人の人で動く。
組織のパフォーマンスをアップさせようと思ったら、1人1人の志気を高めることが基本だろう。
人件費の削減で一時的に収支のバランスを整えても、それは結局、5年後、10年後に更に悪い結果をもたらすのではないかと思う。
事実、今年度の府職員の採用試験は、志願者が激減したとかいうニュースも見た。

「その頃にはもう自分の任期は終わってるから」という確信犯であるとしたら、それこそまさに見事なお役所仕事であると言うほかないけれども。

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2008年6月17日 (火)

キンクスとビートルズ

5/29のつづき。
キンクスがビートルズに比べてどのように地味なのか、いいサンプルを思いついた。
66年、両者がイギリスの税金の高さを皮肉った曲をそれぞれ発表している。
まずはビートルズの「Taxman」。ジョージの曲だ。

Let me tell you how it will be,
There's one for you, nineteen for me,
'Cos I'm the Taxman,
Yeah, I'm the Taxman.
Should five per cent appear too small,
Be thankful I don't take it all.
'Cos I'm the Taxman,
Yeah yeah, I'm the Taxman.

(If you drive a car car), I'll tax the street,
(If you try to sit sit), I'll tax your seat,
(If you get too cold cold), I'll tax the heat,
(If you take a walk walk), I'll tax your feet.
Taxman.

'Cos I'm the Taxman,
Yeah, I'm the Taxman.
Don't ask me what I want it for
(Ah Ah! Mister Wilson!)
If you don't want to pay some more
(Ah Ah! Mister Heath!),
'Cos I'm the Taxman,
Yeeeah, I'm the Taxman.

Now my advice for those who die, (Taxman!)
Declare the pennies on your eyes, (Taxman!)
'Cos I'm the Taxman,
Yeah, I'm the Taxman.
And you're working for no-one but me,

どういうことになるのか説明しよう
君の取り分が1とすると、私が19だ
だって私は税金取りなのだから
5%じゃ少なすぎると思えるのなら
全部持っていかれないだけでも感謝しろよ
だって私は税金取りなのだから

車に乗るのなら、道路に課税する
座りたいなら、イスに課税する
寒いのならば、暖房に課税する
歩くのならば、足に課税する

そう、私は税金取り
これ以上取られたくなければ
(おお、ミスター・ウィルソン!)
何のために使うかなんて聞くな
(おお、ミスター・ヒース!)
そう、私は税金取りなのだから

死にゆく人々にもアドバイスしておこう
目の上にのせられた小銭の申告もお忘れなく
私は税金取り
そう、税金取りなのだから
君たちは他ならぬ私のために働いているのだ

「Taxman」は、ビートルズにおけるジョージの代表曲の1つと言ってよい、よくできた曲だと思う。
曲調はストレートなロックンロールだけれども、詞はシニカルで気が利いている。
ジョンは言うまでもなく、ジョージもイギリス人らしい皮肉がたいへん上手い。
しかも、ここが重要なのだけれども、ビートルズは言葉が非常に簡潔で、シニックも直接的。実にわかりやすい。
これが若々しく力強いジョンのボーカルの天性の魅力と相まって、たいへんな訴求力を持つ。
勢いがあって、なおかつ気が利いている。
ポップソングとして非の打ち所がない。

ちなみに、ウィルソン、ヒースというのは当時のイギリス労働党と保守党の党首。税率95%というのは、冗談かと思ったらほんとだったらしい。(ウィキ参照

同じテーマをレイ・デイビスが歌うと次のようになる。
「Taxman」と同じ66年のアルバム『Face to Face』より、名曲「Sunny Afternoon」。

The tax man's taken all my dough,
And left me in my stately home,
Lazing on a sunny afternoon.
And I can't sail my yacht,
He's taken everything I've got,
All I've got's this sunny afternoon.
Save me, save me, save me from this squeeze.
I got a big fat mama trying to break me.
And I love to live so pleasantly,
Live this life of luxury,
Lazing on a sunny afternoon.
In the summertime

My girlfriend's run off with my car,
And gone back to her ma and pa,
Telling tales of drunkenness and cruelty.
Now I'm sitting here,
Sipping at my ice cold beer,
Lazing on a sunny afternoon.
Help me, help me, help me sail away,
Well give me two good reasons why I oughta stay.
'Cause I love to live so pleasantly,
Live this life of luxury,
Lazing on a sunny afternoon.
In the summertime

税金取りは金を残らず持って行ってしまった
この荘厳な家に1人残され
ぼくは晴れた午後をだらだらと過ごす
もはやヨット遊びもできない
ヤツが何もかも持ち去ってしまった
ぼくに残されたのは この晴れた午後のひとときだけ

この搾取からぼくを救ってくれ
イカサマ女がぼくを破滅させようとしている
ぼくは楽しく暮らすのが好きなんだ
ぜいたくに暮らしたいんだ
夏の日の晴れた午後をだらだら過ごしながら

ガールフレンドはぼくの車で
親のところへ逃げ帰った
どうせ酒や暴力の話を訴えているんだろう
ぼくはここに座って
冷えたビールをすすりながら
晴れた午後をだらだら過ごしている

助けてくれ ぼくを船で逃げさせてくれ
ここにとどまるべき理由を教えてくれ
だってぼくは楽しく暮らすのが好きなんだ
ぜいたくに暮らしたいんだ
夏の日の晴れた午後をだらだら過ごしながら

レイ・デイビスは、よほど貴族階級に恨みがあるらしい。
イギリスの税金の高さだけでなく、同時にアッパークラスをも皮肉る、ちょっとしたストーリー仕立てになっている。
そして、その分だけ手が込んでて、複雑で、結果的に地味になっている。
タイトルからして、ビートルズが「Taxman」とそんまんまであるのに対し、キンクスの「Sunny Afternoon」というのは、貴族階級の零落を暗喩する象徴表現となっている。
この辺がキンクスの「わかりにくさ」になっていると思うのだけれども、わかってしまえば、キンクスはこういうところこそがかわいいのだ。

「Sunny Afternoon」は、たいへんメロディのよい曲で、66年当時にこのような変な曲作りをしていたロックバンドはなかなか見あたらない。
前回にも書いたとおり、演奏と歌のまずさは、彼らの場合かえって味わい深さを増す。
数は少なくとも熱心なファンがいまだにいるのは、この何とも抗しがたい遠慮がちな魅力ゆえだと思うけれども、同時に、アメリカ人にウケないのも当たり前だわなとも思う。

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2008年6月 4日 (水)

磯﨑憲一郎『眼と太陽』を読む

磯﨑さんの文藝賞受賞第1作『眼と太陽』が「文藝」に掲載されたので、遅まきながらやっと入手して読了。
何故か近所の本屋には「文藝」だけ置いてなくて手間取った。

文藝賞受賞作の『肝心の子供』は、ブッダを材に取った偽史小説であったわけだけれども、今回は一転、時代モノではなくて、アメリカのミシガン州に赴任している日本人が主人公。
おそらくは磯﨑さん自身の体験も随所に反映されているであろうと思われます。

読み始めたときは、前作に比べてずいぶん作風を変えてきたなと思ったけれども、読み終えてみると、スルスルととらえどころのない奇妙な読後感はしっかりと前作に通底している。
2千年以上も前のインドを舞台にした3人称の歴史モノ(?)である1作目と、現代のアメリカを舞台に1人称で書かれたこの2作目は、結局は姉妹作と言ってよいくらいにどこかとてもよく似ている。
細部には「意味」らしきものがたくさん撒き散らしてあるのに、全体としてその「意味」を追いかけようとすると、場面が変わるごとに肩透かしを喰らって、「意味」はスルスルとこぼれ落ちていってしまう。
意匠を全く異にしながらも、この2作は基本的に同じ書き方で書かれた小説であるという印象を受けた。

別の言い方をすれば、この『眼と太陽』を読んで、磯﨑さんが1作目で意図していたことがようやく見えてきたような気がする。
磯﨑さんの小説のテーマは、この語り方にあるのであって、その素材は2千年前のブッダであろうが、現代の商社マンであろうが、特に問題ではないのではないか。

読み方、間違ってますかね?
磯﨑さん、次作も心待ちにしております。

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2008年6月 3日 (火)

自転車通勤続報

自転車通勤を始めて2ヶ月、サイクルメーターを取り付けてからも約1ヶ月が経過した。
体重は、最初の2~3週間で1kgくらい落ちて、そのまんま。
暴飲暴食は相変わらずなので、自転車だけで痩せるのはせいぜい1kgが限界ということか。

計算では、1日約10km×約20日で、1ヶ月で少なくとも200kmくらいは走ると思っていたのだけれども、この1ヶ月は170kmくらい。
やはりあまりにひどい雨の日や、出張で遠くに出なければ行けない日は車を使うし、5月は休日も多かったから、20日も乗らなかったのだろう。
ちなみに平均速度は時速20kmくらい。最高速度は時速約40km。
まあこの辺は計測の精度が甘いと思うけど。

最初は、上りのきつい往路には15分以上かかっていたのだけれども、近頃は、経路の工夫と速度のアップにより、12分くらいで着くこともある。
大汗をかくのは相変わらずだけれども、徐々に体力もついてきているのかもしれない。

今日はお昼くらいから降り始めて、帰る頃にはひどい風雨になっていたけれども、やむを得ず自転車で帰宅。
昨日1時間かけてチェーンやギアまで全部洗ったのに……。

職場には置き合羽があって、まずはそれを着る。
もちろんフードもかぶる。
以前は対応できていなかった足元には、自転車乗りの為のシューズカバーなるものを購入した。
メッセンジャーバッグには、登山用のリュックのカバーがぴったりだったので装着する。
顔と手はむき出しだけれども、今の季節は問題ない。(冬場どうするかは課題が残る)
これだけの装備を装着するのがまず一つの儀式と言っていいくらいに時間がかかる。

自転車は、軽量化を優先しているし、見栄えの問題もあるので、もちろん泥よけなどはついていない。
今日くらいのひどい雨だと、前輪からも後輪からも、いったい何事かというくらいに水しぶきが真上にまで上がる。
口元にビシビシ水滴が飛んでくるのは、上から降ってくる雨なのか、前輪が跳ね上げた路面の水なのか、走っていると区別がつかない。
昨日、リムもきれいに掃除したので、ブレーキの効きがかなりよくなっている。
ちゃんとメンテしているとブレーキはおどろくほどよく効いて、車体が軽いので急にギュッと握ると浮き上がりそうになったり、横滑りしたりしそうになる。
雨なので、余計に滑る。
ただでさえタイヤが細めなので、転びやすい。
スピードを出すとマジで危ない。
暗くなっているので、前にも後ろにもライトをピカピカ点滅させながら、なるべく慎重に走る。

横を通過していく車の中では、きっと「何やってんだこいつは」などという会話がなされ、不審がられていることだろう。
職場の同僚にも、この雨の中を自転車で帰るのかと、驚きのような、憐憫のような、何とも言えない顔をされる。
いや、口にこそ出さないが、みな「何故にそこまでして……」と言いたいのだ。
さすがに今日は愚妻からも、大丈夫なのかとメールが来た。
もちろんそこで、迎えに来てくれと要請することは可能だけれども、今日はそれをやってはいけない気がした。
実際、合羽着たりする準備は面倒なのだけれども、いざ走り出せばそれほど苦痛ではなくて、むしろ、何かちょっと異常な行動を取っている自分を楽しんでいるふうでもある。

やはり雨に負けていてはいけないと今日は再確認した。
原油も高いことだし、今月こそは200km走りたいと思う。

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