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2007年11月23日 (金)

池田清彦『やぶにらみ科学論』を読む

一時期あんなに騒がれていた「環境ホルモン」が全くニュースにならなくなって久しい。
どこやらの湖にすむワニの生殖器が退化しているだの、日本人男性も精子が減っていて子供が生まれにくいだのと、数年前までは毎日のようにテレビでも新聞でも話題になっていた。
それがある時期を境にぱったりとなくなったのは、ウィキペディアによると、いわゆる環境ホルモンの「検証実験事実が蓄積されるに従い、ほとんどの物質は哺乳動物に対する有意の作用を示さないことが報告され」たからとのこと。つまり、「環境ホルモン」はシロだったということだ。

基本的に、メディアが大きくとりあげるのは、「ニュース性の高いもの」であって、その確度についての責任の所在が外部である限り、必ずしも正確なものとは限らない。
また、一度火がつくと、際限なくエスカレートする。
そしてそれが「間違い」だったとわかったら、何事もなかったかのように別のネタへ乗り換えていくだけだ。

この本によると、「地球温暖化」もどうもあやしいらしい。
いや、温暖化は確かにしてるんだろうけれども、それが二酸化炭素の排出云々による人為的温暖化であるとするのは、かなりあやしいらしい。
明日の天気を予報すんのも難しいのに地球温暖化なんてそんな簡単にわかるもんか、っていうのはシンプルな実感としてそのとおりだと思うし、温暖化で海水面が上昇するというより低下すると考えたほうが合理的だ、というのも納得できる(おれが納得しても説得力ないけど)。

今年の冬は寒冬(っていうらしい、気象用語で)になるそうだけれども、暖冬のときだけ温暖化だ温暖化だと盛んに言われて、寒いときには地球温暖化の話がパタッとやむのも怪しいと思う。
ノーベル平和賞のゴアも、最近は月々の電気代が実は16万の贅沢暮らしだとかで叩かれてるし、そもそもゴアの主張には専門家からはかなり疑問視されてる部分があると聞く。
ゴアは70年代から地球温暖化に関心を持っていたとのことだけれども、この池田本によると、70年代や80年代に学者やマスコミが喧伝していたのは、温暖化ではなく、地球の寒冷化だったとのこと。
そう言えば子供の頃、またそう遠くない将来に大氷河期が来るのだというような話を聞いたような気がする。

この本では、その他にも、ブラックバス等の外来種の侵入ぐらい別にいいじゃねえか、とか、定期検診は体に悪い、とか、クローン人間くらい作ってもしょうがない、とか、自然保護って論理の底が抜けてるだろ、とか、構内全面禁煙は悪しき原理主義だ、とか、牛食ってる奴らにクジラ食うなとか言われたくねえよ、とかいったようなことが、痛快な理路で次々と語られている。
もちろん著者は科学者であるのであって、単に舌鋒鋭いだけではなくて、世間一般で言われていることよりも、こちらの方がよほど説得力がある。

もともと根がひねくれているのか、世間があまりに騒ぐと逆らってみたくなる。
タバコをやめろやめろとあんまり言われると、吸いたくなくても吸ってやろうという気になる。
「まだ使えるものを棄てるのはもったいない」と考えることに関しては、自分でもかなりレベルの高いケチだと思っているけれども、それでも他人に真顔で環境がどうの温暖化がどうのと言われるとムッとしてしまう(モノを粗末にする人を見てもムッとするけど)。

そういう「正しいこと」を言う人々に抵抗するには、それなりの覚悟と理論武装が必要だ。
何せ相手は「正しいこと」しか言わないんだから、手強い。
温暖化ってほんとに人間のせい?とか、リサイクルってほんとに地球にやさしいのか?とかいったようなことは、不用意に口に出すとえらいことになる。
だからたいていの場合は逆らわずにへらへら笑って済ませておくしかない。

この本は、笑って済ませられないくらい腹が立ったときのための(そんなこと滅多にないけど)理論武装にたいへん役立った。
池田清彦を読むのはこれが初めてだったのだけれども、今まで知らなくて損した。
毒舌だけれども、読むと幸せな気分になる。
こういう読後感を与えてくれる著者はそう多くないので、これはたいへんいい人を見つけたと思う。

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