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2007年10月18日 (木)

貧乏論(3)

前回書いた、「貧乏とは何か」についての内田樹の見識は、貧乏についての明快な理解は与えてくれるものの、結局のところ、おのれの「貧乏コンシャスネス」とどのように付き合っていけばよいのかという実際的な指針は与えてはくれなかった。
われわれが求めているのは、実際に貧乏と上手に付き合って生きていくための現実的な処方箋である。
そのためには、内田樹を超える論理が必要になる。

「正しい」論理は必要ではない。
必要なのは、自分を幸福にしてくれる論理だ。
常々、内田樹は、現在において自分をもっとも幸福にしてくれる論客の一人であると思っているのだけれども、その内田樹をしても、貧乏問題についてははっきりとした道筋を示してはくれない。
ここはひとつ、”内田”つながりということで、大正~昭和に渡る貧乏のプロフェッショナル、借金王にして「錬金術」の達人とうたわれた内田百閒先生のお言葉から啓示を得るしかあるまい。

まずは代表作『百鬼園随筆』所収「百鬼苑新装」より。

百鬼園先生思へらく、金は物質ではなくて、現象である。物の本体ではなく、ただ吾人の主観に映る相(すがた)に過ぎない。或は、更に考へて行くと、金は単なる観念である。決して実在する物でなく、従つて吾人がこれを所有すると云ふ事は、一種の空想であり、観念上の錯誤である。
 実際に就いて考へるに、吾人は決して金を持つてゐない。少くとも自分は、金を持たない。金とは、常に、受取る前か、又はつかつた後かの観念である。受取る前には、まだ受取つてゐないから持つてゐない。しかし、金に対する憧憬がある。費(つか)つた後には、つかつてしまつたから、もう持つてゐない。後に残つてゐるものは悔恨である。さうして、この悔恨は、直接に憧憬から続いてゐるのが普通である。それは丁度、時の認識と相似する。過去は直接に未来につながり、現在と云ふものは存在しない。一瞬の間に、その前は過去となりその次ぎは未来である。その一瞬にも、時の長さはなくて、過去と未来はすぐに続いてゐる。幾何学の線のやうな、幅のない一筋を想像して、それが現在だと思つてゐる。Time is money. 金は時の現在の如きものである。そんなものは世の中に存在しない。吾人は所有しない。所有する事は不可能である。

ご覧のとおり、百閒先生の貨幣観は、マルクスのそれに近いと思うのだがどうか。
曰く、金とは観念であり、所有することは不可能である。それは一連の憧憬と悔恨に過ぎない。
百閒読みの間では余りに有名なこの一節のみにおいても、すでに十分な啓示を与えられた気がするが、結論を急ぐことはない。更にいましばらく百閒先生のお言葉に耳を傾けよう。
同じく『百鬼園随筆』の「無恒債者無恒心」より。

抑(そもそ)も、貧乏とは何ぞやと小生は思索する。貧乏とは、お金の足りない状態である。単にそれ丈に過ぎない。何を人人は珍しがるのだらう。世間の人を大別して、二種とする。第一種はお金の足りない人人である。第二種はお金の有り余つてゐる人人である。その外には決して何物も存在しない。第三種、過不足なき人人なんか云ふものは、想像上にも存在し得ないのである。自分でそんな事を云ひたがる連中は、すべて第一種に編入しておけばいいので、又実際に彼等は第一種の末流に過ぎないのである。
 ……(中略)……お金が余れば、お金の値打がなくなり、足りなければ、有難くなり、もつと足りなければ借金するし、借金も出来なければ、性分によつては泥棒になる。泥棒が成功すれば第二種に編入せられ、お金が余り過ぎて、値打がなくなると、澤山つかはなければ納得出来ないから、費(つか)ひ過ぎて足りなくなつて、第一種に返る。あつても無くつても、おんなじ事であり、無ければ無くてすみ、又ない方が普通の状態であるから、従つて穏やかである。多数をたのむ貧乏が、格別横暴にもならないのは、貧乏と云ふ状態の本質が平和なものだからなのである。

金はあってもなくても同じ。無ければ無くてすむのなら、無い方が穏やかであって、貧乏という状態の本質は平和なものである……。
非常によくわかるような気がする一方で、さっぱりわからないような気もする。
もう少し研究が必要なようだ。
続いて『随筆億劫帳』所収「百閒座談」より。

貧乏と云ふ事はただ一つの状態にすぎないね。
私は電車賃のない事は始終で、電車賃がない為に毎日人力車で学校へ出勤した。それで、貴方は田舎に金があるからそんな贅澤が出来るんだと、羨ましさうに云はれた。何、その頃はもう田舎も金もありやしない。目白臺から士官学校に通つた時代です。
それよりもつと以前は、何しろ坊ちやん育ちなのでね、家にお金もまだ少しは残つてゐたから、学費やお小遣は友達よりずつと澤山貰つてゐた。しかし、私が一番貧乏してゐましたよ。貧乏と云ふ事はお金がないと云ふ事ではありませんね。薄給の人で豊かな明け暮れを過ごしてゐる人も随分ありますからね。
 清貧と云ふのはどう云ふのですかね。嘘でせうね。人の眼にさう映るだけの話であつて、俺は清貧に甘んずるなんて云ふ君子はゐない筈だ。

もはや何を言っておられるのかよくわからない。
しかし、ここは慎重に行間を読まなくてはいけない。
言外の意図をすくい取らなければならない。
きっと百閒先生のことであるからして、そうそう一筋縄ではいかないだけである。

先生は清貧を否定している。
借金を重ねる身でありながらも、電車を使わず、借りた金で人力車や自動車を呼んだりして周囲に非難されるエピソードは、著作に繰り返し出てくる。
それは、単に坊ちゃん育ちで贅沢が抜けないだけではない。
その裏には、揺るぎない論理(或いは非論理か)がある。

 借金で一番いけないのは恩借と云ふ奴ですね。利子の附く金はいいが、証文のない借金、それが困る。金高の少いのは一番困る。自分の境遇が変はつてお金があつても、返す事が相手に失礼になつて返せない。つまり、結局有り難く頂戴してその恩を着る。こいつは全く貧乏の産物です。僕の話ではありませんよ。

 貧乏人とは附き合ふものではない。僕は金が出来たら絶交しようと思ふ。格言に、「金を友に貸せば、金を失ひ友を失ふ」と云ふのがある。お金を貸した為に失ふ位の友ならば、先に捨てた方が早手廻しである。……(中略)……
 先づ友達にお金を借りて見る事ですね。さうすれば、相手の人の気持がよく分かります。尤もこちらの気持もお金に対してすなほでなければいけない。僕は此間、貯金の話をした。貯金をしてゐると大概は人に隠す。打ち明ける様な事を云つても実は自分の溜めてゐる額より少く話す。或はありもしないのに澤山溜めてゐる様な事を云ふ。先づそのどつちかですね。ありもしない貯金をある様に云ふのは勿論腹に一物あるからだ。相当溜めてゐる癖に、俺は貯金してゐない、そんな身分ぢゃないなんて云ふ手合ひは、心事の陋劣唾棄すべし。隠し事はいけませんね。

 お金のある貧乏人はつらい。随分古い話ですが、僕には年収六千円以上の時代があつた。三つの学校の俸給を合はせるとその額になつたので、三十歳を出たばかりの当時です。その間ぢゆう苦しかつた。三十四五からはもう貧乏期に這入り掛けた。お金が這入ると人間は貧乏しますね。

……ますますもってよくわからない。
しかし、少なくともどうやらおれは間違っていたようだ。

年収300万でも、「もうこれくらいでいいや」と思えれば勝ちではないか。前々回に書いたとおり、最初はそう考えた。
しかし、百閒先生は、どうもそうではないとおっしゃる。
清貧なんて嘘だ。お金は足りないか有り余っているかのいずれかでしかなく、過不足無いというのはあり得ない、と。
憧憬と悔恨の間には、幅のない1本の線しかないのだ。

百閒先生は、気まぐれでその都度適当に書いていて、それぞれの文章が平気で矛盾している……かのようにも見える。一見そのようにも思える。
単に訳の分からないことを言って面白がったり、対談相手を煙に巻いたりしているだけのようにも見える。
が、恐らくそうではない。
百閒に常に一貫しているのは、結局、「お金なんか大したことではない」という思想である。
お金がほしいという欲望も否定しないし、手にすれば使いたくなるのも当たり前、浪費してしまった後には当然悔恨が残る。しかし、そうしたことに拘泥することがない。また、そんなことではダメだと戒めたり説教したりすることも決してない。
そりゃあ誰だってなければ欲しいし、あれば使いたい。使ってしまった後は惜しくなる。けれども、金は、決して人の一生を賭すほどの何者かではない。百閒先生はそのように曰っておられるのではないか。
「これくらいで十分じゃないか」などという達観を目指すわけでもなく、清貧なんてのは嘘だと切り捨てながら、同時に、「これくらいで十分」という達観や清貧の聖者に等しいほどの心の平穏を、「貧乏」そのもの、「貧乏コンシャスネス」そのものの中に見いだす。
ある時はあるし、ない時はない。
それだけであって、それ以上でも以下でもない。

もったいないなどとケチケチしてお金を後生大事に抱え込み、したいことも我慢しているような生き方は、百閒先生にとっては、誠に愚かなことになる。
十円の金を調達するため、高価な人力車を仕立てて借りに行ったというのもよく知られるエピソードだ。車代に三十円かかっても、それは四週間後の月末払いだから、その時またあらためて考える。

百閒は実際に、借金取りから逃れるために身を潜めて暮らすほどの貧乏な時期も過ごしているし、大切にしてきた品々(師匠夏目漱石からの授かり物さえも)を借金の方に差し押さえられ、家には家財道具が何もないというような状況も経験している。
明日の朝飯どころか、今夕の食事を子ども達に食べさせるにも事欠いたような時代もある。
先の引用のように高給取りの時代もあったし、随筆ブームを巻き起こし人気作家となった晩年には印税収入もかなりあっただろうが、それでも借金との縁は切れなかったらしい。
「お金が這入ると人間は貧乏しますね」というのは、百閒先生の場合、逆説でも何でもない。

必要と感ずれば使いたいだけ使い、なければ借りてまで使い、その結果悔恨にさいなまれ、身の細るような思いもし……と、外から見ると百閒先生は、達観どころか、まるごと一生金に翻弄されているようにも見える。
しかし、それを屁理屈でもって楽々と(でもないだろうけど)かわしている。

他人に清貧や質素倹約を強いるような物言いをされるのは、何となく不愉快だ。
稼ぎが少ないのは努力が足りないからだ、頑張って働け、などと叱咤激励されるのも鬱陶しい。
百閒の言葉には、そのような抑圧が一切ない。
読むと救われた気分にさせられる。幸せになる。
そして驚くべきことに、百閒の方法ならば、内田樹の言う近代市民社会や市場経済の原理にも反することがない。

百閒先生は、現代の親鸞だったのではないか。

「金は時の現在の如きものである。そんなものは世の中に存在しない。吾人は所有しない。所有する事は不可能である。」

けだし至言。
歌の文句のようにリズムもよい。
座右の銘にしたい。

なければ欲しいと思う。どうしても足りなければ借金する。あれば使いたくなる。使ってしまうと惜しくなる。
それは、未来が、現在という幅のない線を通過して過去になっていくのと同じである。
金とは現象であって、それを所有しようというのは観念上の錯誤なのである、と。

最後に、百閒自身の言葉ではなく、弟子の中村武志による客観的な証言も引いておきます。
福武文庫『新・大貧帳』の巻末解説「百鬼園先生の錬金術」より。

昭和八年「百鬼園随筆」が売れに売れて、洛陽の紙価を貴からしめたのであった。印税の一部六百円が年末近くにはいった。その直後、京都の友人甘木さんが五百円を借りに来た時、先生は百円上乗せして、手許の六百円を全部貸して、ご自分は正月のおせち料理もなしに、元旦の祝盃をあげた。その六百円は、敗戦後の昭和二十二年に返済された。昭和八年の六百円と戦後では大変な貨幣価値のちがいがある。千分の一か数千分の一か知らないが、戦前では家一軒が建ち、戦後では日本酒一本が買えるくらいであっただろう。このことは、たまたまそれを目撃した人から直接聞いたのだが、先生はかつてそれを一度も話されたことはない。

 今にして思うが、百鬼園先生は、どんなに貧乏していても、露骨に悲しんだり、嘆いたり、グチをこぼしたことはなかった。淡々として借金の計画をし、自分のために、いくらを現象化し、その残りを多くの小債鬼にいかに配分して返済するか、と細心に配慮した。
 貧乏話には感傷的なところもない。人ごとのように書いておられるから、そういっては申訳ないが、読んでいて自然に笑いがこみあげて来る。
 昭和四十六年四月二十日夕、百鬼園先生が静かに息を引き取られた時、電話機の下に、千円札が四枚と硬貨が数枚あるだけで、借金はほとんど残されていなかった。

……こりゃあやっぱり私ごときが真似すんのは無理だな。

(おしまい)

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