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2007年9月19日 (水)

浦沢直樹がダメな理由

前回のエントリーで浦沢直樹のことを少し書いてたら思い出したこと。

マイ・モスト・フェイバリット漫画家は、迷うことなく高野文子なのだけれども、2002年のユリイカの高野文子特集号における大友克洋との対談で、天才・高野が以下のように語っている。

高野 私は『ヒカルの碁』と浦沢直樹さんのマンガが読めないんですよ。みんな「面白い」って言うのに何故私は駄目なんでしょう? 特異体質でしょうか?
大友 そんなこと俺に訊かれても(笑)。
高野 うちのダンナが好きなので家の中にいつもあるんですよ。どれどれと開くんだけどね。
大友 俺最近全然マンガ読んでないんだもん。でも、なんで読めないの?
高野 絵だと思います。
大友 どっちもそれなりにいい絵じゃない?
高野 上手ですよねえ。でも、息苦しくなるんですよ。よそ見をさせてくれない。次から次へと記号の問題が出てきて、それをひたすら解きながら進むみたいな感じ。のんびり読むこともできないし、読むスピードも決められている。

ごらんのとおり、高野文子は、「何故駄目なんでしょう?」と大友に訊きながらも、ちゃんと自分で答えを出している。
「息苦しい」「よそ見をさせてくれない」「記号の連続」「読むスピードも決められている」、と、浦沢直樹のハリウッド的な作品の本質を、これでもかというくらいに的確にずばりずばりと見事なまでに言葉で表現している。

確かに『YAWARA』も、『Happy!』も、『MONSTER』も、どれもみなよくできていて、どれもみな面白い。
ただ、それは誰が読んでも同じおもしろさであって、誰もが同じ場面でハラハラし、誰もが同じ場面でカタルシスを得る、極めて単一的なおもしろさである。
言い換えると、浦沢作品は、結局、ひとつの読み方しか許容しない。
読者は、浦沢直樹の意図どおりにストーリーを理解し、浦沢直樹の策略どおりに読まされていく。
それに乗っからなければ、楽しむことができないようになっている。
絵は、誤解を許さない正確さで描かれていて、脇見をしたり、しばし立ち止まって考えたりするスキを残さない。
これは、作者本人の全く意図しないところでコアでカルト的な信者を生み出していくいましろたかしのようなマンガ家とは対極にあるスタイルだ。
別の言い方をするならば、浦沢作品には、作品世界そのものしかなく、行間(コマ間?)を読むことを許さない。
ナマの、素の、浦沢直樹が、コマとコマの間にふっと立ち現れる、といったようなことは決して起こらない。

ハリウッド映画は、観ている間はやたらとハラハラさせられたりして、見終わるとどっと疲れるのだけれども、後には何も残らない。
一方、地味で退屈なフランス映画には、一生忘れられないようなシーンやセリフがあったりする。

ハリウッドを全面的に否定するものでは決してないのだけれども、浦沢マンガを「息苦しい」と評する高野文子の感性が好きだ。
そういうことを意識するようになっていたせいか、『20世紀少年』は、連載開始からずっと読んでいたけれども、最後の最後まで面白いと思えなかった。

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コメント

「息苦しい」というのはわかるな~。「退屈」ともいえる。マンガにもそういうのあるのか。私は東野圭吾とか真保ゆういちとかにそのようなものを感じ、人気があるし、読み出したらとまらないけど、つまらないと思ってます。でも人気があるから、つまらない、と声に出すと、他人の気分を害するかもしれないと思って、だいたい黙ってます。

投稿: きょうたん | 2007年9月24日 (月) 06時20分

浦沢直樹の作品がハリウッド的ってのは違うんじゃないかと。
ハリウッドはキャラが立ってるし、話に引き込まれる。
浦沢は全体にのっぺりしていて退屈。

投稿: | 2016年8月 7日 (日) 10時46分

人物の反応が単調なんだよな。
みんな個性がない。
誰もかれもが辛く苦しい思いを表情に出し、顔ゴマが半分を占める。
自分はそこまで悲壮感を持たない状況なのに
とにかく悲壮感を、これでもかと演出しようとする。

投稿: 村瀬次郎 | 2020年9月20日 (日) 17時52分

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