横山源之助『日本の下層社会』を読む
たまにはこういう名著・名作の類も読んでみようということで、出張続きだった8月、移動中の時間つぶし用に購入。
日清戦争後の明治32年刊、当時の最下層労働者のルポであり、社会学の古典。
都市の貧民、職人、手工業者、工場労働者、小作農などの実態が、実に綿密に描写されている。
ものすごく面白い。
最後まで読み通せるか自信なかったんだけども、難なく読めた。時間かかったけど。
何より、当時の庶民の生活実態を実感的に概観できるのが素晴らしい。
おかげで、「明治」をかなり具体的にイメージできるようになった気がする。
また、富国強兵とか殖産興業とかはもちろんのこと、幕藩体制の瓦解、維新というのが、一般庶民レベルではどういうことであったのかということについても、リアリティを持って感じ取ることができた。
勉強になりましたです、はい。
文章も、明治人の気骨を感じずにはいられない、ビシッと背筋の一本通った、凛とした文体で、読んでいて実に気持ちがいい。
正直、最初はたいへん手こず(づ?)った。
例えばこういうの。
幼時は極めて跌蕩疎放、人のために覊束せらるることを好まず、却りてまま人を凌辱することありて多く世人の弾指を蒙る。されば朝夕一に嬉戯に耽りて未だかつて書を読みたることなく、優々として日月を酣酔の裡に過せり。しかも今日を観るに真率和平些かも曩日の痕影なし。
いや、これは特に読みづらい部分を抜きましたし、岩波文庫にはルビも振ってあるけれども、基本的にこういう調子。
跌蕩疎放は「てつとうそほう」、覊束は「きそく」、酣酔は「かんすい」と読みます。
家で読んでるときは、横に大辞林を置いて、片っ端から辞書を引き引き読んだ。(だから時間がかかってしょうがない)
すると、最初は辛かったのが、読み進むにつれて慣れてきて、だんだんこの文体が気持ちよくなってきた。
無駄や曖昧さがない潔さが魅力。
こういう漢文調の文章というのは、作文の形式として実に優れているのではないかと改めて思う。
結局、漢字をよく知ってるんだよな、この時代の人は。
戦後の漢字制限以降は、音だけに頼った意味の通らない漢字使用が目立つけれども、この時代の人は、漢字一字一字が持つ意味に自覚的だ。
まだまだ食い足りないので、この勢いで明治モノをもっと読んでみようかと思います。
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コメント
おお。えらいもんを読んでるなあ! あれ、たしかに漢字が難しくて読みにくいんねん。しかし、100年も遡るともう読めないというのは、国語として問題ある気がしないでもないね。。。
学生さんを連れて釜ヶ崎に社会見学に行ってきました。「格差」などと利いた風な言葉の吹っ飛ぶリアリティ。暑かったですけども。
投稿: ushiro | 2007年9月22日 (土) 00時31分
夏休み中に社会見学? 最近は大学も大変ですな。
でも、ナイスな企画だと思います(笑)。最近は新世界とかも小綺麗になって、あいりん地区も整備が進んでいるとかいうのをテレビで見た気がするけど、そうでもない? 次は六本木ヒルズとかにIT成金や不動産成金なんかを訪問して格差を実感っていうの、どう?
投稿: riki | 2007年9月22日 (土) 22時24分
再開発は……進んでないと思うなあ。ドヤがアパートとかホテルに建て替えられているぐらいか。日雇いの仕事も減り、高齢化も進んでいるので、労働者の街というよりは生活保護の街という方向に変化しつつあるですよ。山谷はすでに生活保護の街らしいけど。
富裕層の町というのも行くべきやね。たしかに。マジで検討します。
投稿: ushiro | 2007年9月22日 (土) 23時53分