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2007年7月

2007年7月21日 (土)

今日の1曲--- Panic / The Smiths

10代の頃は、自分のテーマソングみたいにしてる曲がその時期その時期によっていろいろあって、たいていは腹が立ったときや気がふさいだときなんかに、鼻歌で歌ったり頭の中で鳴らしたりして自己慰安にした。
そういう曲が、思い出してみるに、いくつもある。
スミスの「パニック」もその1つで、これは何となく高校の頃かと思ってたけど、調べたら1986年だから、もう大学に入学している。

80年代というのは、今考えても実に嫌な時代で、自分のような者にはたいへん居心地が悪かった。
DCブランドだのカフェバーだのの全盛期で、みんなポロシャツの襟を立てて腰にトレーナー巻いてアディダスのテニスシューズはいて、ディスコではユーロビートで踊るんである。
そういうものを基本的に一切拒否していたので、かなり生きづらかった。
音楽の流行りも、90年代以降と比べると、実にくだらないものが多かったように思う。

そう。当時のポップチャートを賑わせたくだらないヒット曲の代表格こそ、80年代ディスコの定番ユーロビートだ。
70年代のディスコはファンキーだが、80年代のディスコは腰抜けだ(行かなかったからよく知らないけど、たぶん)。
当時、巷間に流れるヒット曲は、そうした当時の居心地の悪さを増強するようなものが多かった。

そういうわけで、スミス「パニック」。
詞に込められた悪意は明快。
当時のくだらないヒットチャートを揶揄する内容だ。
ユーロビートで盛り上がる世間を見るにつけ、ぼくはこの曲を反芻して溜飲を下げました。

CDについている小林政美という人の訳がなかなか個性的でおもしろいので、それをほぼそのまま載せておきます。(ほんの少し修正・加筆しました)

          Panic

   Panic on the streets of London
  Panic on the streets of Birmingham
       I wonder to myself
    Could life ever be sane again ?
The Leeds side-streets that you slip down
       I wonder to myself
   Hopes may rise on the Grasmere
  But Honey Pie, you're not safe here
       So you run down
    To the safety of the town
But there's Panic on the streets of Carlisle
    Dublin, Dundee, Humberside
       I wonder to myself

      Burn down the disco
      Hang the blessed DJ
Because the music that they constantly play
IT SAYS NOTHING TO ME ABOUT MY LIFE
      Hang the blessed DJ
 Because the music they constantly play

On the Leeds side-streets that you slip down
    Provincial towns you jog 'round
  Hang the DJ, Hang the DJ, Hang the DJ
  Hang the DJ, Hang the DJ, Hang the DJ
HANG THE DJ, HANG THE DJ, HANG THE DJ
    HANG THE DJ, HANG THE DJ
    HANG THE DJ, HANG THE DJ
  Hang the DJ, Hang the DJ, Hang the DJ
    HANG THE DJ, HANG THE DJ
    HANG THE DJ, HANG THE DJ
  Hang the DJ, Hang the DJ, Hang the DJ
    HANG THE DJ, HANG THE DJ
    HANG THE DJ, HANG THE DJ
  Hang the DJ, Hang the DJ, Hang the DJ
         HANG THE DJ

     ロンドンのそこここでパニック
   バーミンガムのあちこちでパニック
        どうしたことやら
  一体まともな日々は戻ってくるのかな
君が通りかかるリーズの横丁でもパニック
        どうしたことやら
グラスミアあたりじゃ希望の芽もいぶくかも
         しれないけど
        ねえ可愛い君
   ここだって安全とは言えないよ
     だから走って逃げるんだ
       街の安全地帯まで
        そうは言っても
    カーライルのそこここでパニック
     ダブリンでもダンディーでも
     ハンバーサイドでもパニック
        どうしたことやら

       ディスコを焼き払え
   おありがだいDJ様を吊し上げろ
  いつもかけて下さる音楽のお礼に
 ぼくの人生の足しになるようなことを
   一言も歌っていない曲のお礼に
 さあ 忌ま忌ましいDJを吊し上げよう
  いつもかけて下さる音楽のお礼に

  君が通りかかったリーズの横丁で
   君が走り回る地方都市でも
     さあ DJを吊し上げろ
       DJを吊し上げろ
       DJを吊し上げろ

つまり……、どこに行っても街では耐え難いような曲ばっかり耳に入ってきてパニックになってしまう、ディスコを燃やせ、DJを吊し上げろ……、と歌っています。
「DJを吊し上げろ」という日本語だと単に「糾弾せよ」といったニュアンスにも聞こえるから、これでもまだ穏当な和訳なのであって、本当は「絞首刑にしろ」と歌っている。
本国では放送禁止になったんだかならなかったんだか、とにかく問題にはなったんだったと思う。

曲調は、スミスなりのTレックスへのオマージュとでも言うか、珍しくポップでちょっとグラマラス。
スミスはリズムセクションがあまりに下手なので、正直言って今聴くと音楽的にはきついけれども、モリシーの毒は今でも痛快だ。
久しぶりに聴き直してもやっぱり溜飲が下がる気分になったので、この毒はまだまだよく効く毒だと思いました。

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2007年7月16日 (月)

吉本隆明『家族のゆくえ』を読む

去年出た本で、わりとすぐに買ったのだけれども、今まで読まずに積んであった。

ここ数年の吉本隆明は、それなりの数の本を出してはいるけれども、そのほとんどはいわゆる「語り下ろし」というやつで、自分で原稿を書いているわけではない。(そのおかげでどれもみな読みやすいけど)
たぶん目が相当に悪くなっているのだと思う。
が、この本は「書き下ろし」である。
帯にも、「渾身の書下ろし!」、とある。
まだこれだけのボリュームの原稿を書けるというのがそもそも意外だったのだけれども……。

正に「渾身」。残る力を振り絞って、かなりの無理をして書いたのではないかと思われるような本だった。
ちょっと書かせた編集者は残酷なのではないかとすら思える。

内容的に、目新しいことはもうほとんどない。
吉本隆明は、意図的に、自分の人生をまとめにかかっていると思う。
これまで自分が考え続けてきたことを、わかりやすく語り直そうとしている様子が、ここ数年の活動からはうかがえる。
それは非常にありがたい。
このまま死なれると、あと数十年もしたら、吉本隆明の文章を解読できる人間は1人もいなくなるかもしれない。

この本も、これまで何度も吉本が言ってきたことを、家族論という視座に絞って平易にまとめてある。
このような仕事を(恐らくは相当に無理をして)引き受けたのは、現在の問題として「家族」という論点にアクチュアリティがあると吉本が判断しているからだろうと思う。

人の一生を、【乳幼児期】、【少年少女期】、【前思春期・思春期】、【成人期】、【老年期】に分けて順に論じてある。
正直、おいおいおい、と思う箇所がいくつもある。
大丈夫なのか?と心配になるような記述もある。
それでも改めて示唆に富むと思われる部分がたくさんあった。

老年期のところが突出している。
ちょっと鬼気迫る感じすらある。
100m程度の散歩すらままならず、尿洩れで紙おむつなしには寝られない自身の苦悩までもが赤裸々に記されている。
現在、吉本自身にとって切実なのは、要するにこの老いの問題に他ならないのだということが痛いほどわかる。
そして、その老年期における発見こそが、唯一、近年の吉本隆明の新境地ではないかと思う。
……いや、このような老人観をこそ吉本は否定しているのだけれども。

本の最後には、かの名著『共同幻想論』から、「対幻想論」が転載されている。
紙数不足を補うためか……というのは下衆の勘繰りであろう。
結果的には、この「対幻想論」がいちばんスリリングだった。
この本は60年代に既に「家族」の問題についてここまで考え詰めていた人が、半世紀近く経ってから書いた本なんだぞ、というような編集者の主張が聞こえるような気がした。
「対幻想論」、やっぱすげえ。

いや、正直言うと、今回読んで、この「対幻想論」、初めて全部理解できました!
それが嬉しかった(笑)。
で、それが、単に個人的にスリリングだっただけかもしれないです。

『共同幻想論』を初めて読んだのは、高校3年生のときだった。
季節のいい頃に、学校をさぼって公園でひなたぼっこしながら1日中読んでたのをよく覚えている。
もちろん、当時も(かなりわかりやすくなったとされている)改訂新版で読んだのだけれども、それでも何一つ理解できなかった。
にもかかわらず一応最後までひととおり読んだのだから、高校生の無駄な体力には我が事ながら恐れ入る。

次にトライしたのは、20代前半くらいだったかと思う。
依然よくわからなかったけれども、共同幻想、対幻想、自己幻想という区分くらいは何となくわかったような気になって、そのような語が他の著作で引用されても、それなりに大丈夫な気持ちになった。

以後、十余年……。
いやはや、ぼくの頭も少しは成長していたのか、40目前にして、やっとまともに理解できるようになってました。
主観的には、むしろハードな文章の読解力が落ちているような気がしていたので、ひと安心(笑)。
この勢いで、もう1回読み直してみるか、『共同幻想論』。
いやいや、3部作、全部行ってみるか。
『言語にとって美とはなにか』と『心的現象論序説』は、最後まで通読できたことがないし……。

そうそう、「SIGHT」で連載してる「自著を語る」シリーズは、たいへん助かります、そう言えば。
あれ読んだだけでおおよその内容がわかることも多い。
ともあれ、もうしばらくは、吉本隆明本人にもがんばって語り続けてもらいたいと、切に願います。

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