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2007年6月 6日 (水)

松田聖子と椎名林檎は同じである(3)

で、いよいよ本題の椎名林檎、と思っていたのだけれども、よく考えたら、松田聖子と椎名林檎は同じであるという趣旨なんだから、松田聖子について書きたいこと書いたら、椎名林檎についての私見もほぼ書き終えたも同然なのであった。

一応改めて整理すると、要するにこの2人というのは、単に自分のパブリックイメージに対して無自覚なまま歌いたいように歌った結果、そこに天性のナチュラルな魅力があった、というようなタイプのシンガーでは全くない、ということだ。
たまたま歌が好きで上手くて、他人にはないような持って生まれたチャームも備わっていた、というような天然のタイプではない(ポップ・ミュージックの歌い手はこのようなタイプが圧倒的に多い。と思う)。
もちろん歌は上手かったし、天性のチャームも持ってはいた。
しかし、その上に更に、自分が持っている技術はどのような種類のものか、その技術ひとつひとつがリスナーに対してどのように作用するかといったことに自覚的で、結果、自身が聴き手の目(耳)にどのように映るかというところまでをコントロールしている。
そこが10年に1人、20年に1人のレベルの才能であると思う。

松田聖子は、自分がどのように歌えば「80年代のアイドルとして相応しいイメージ」を創り出せるかを熟知していた。
椎名林檎が自身に与えたイメージは、それとは全く別ベクトルの、オルタナティブ・ロック風っちゅうか、デカダンっちゅうか、隠微っちゅうか、売女的・SM的・扇情的っちゅうか、まあああいう線なわけだけれども、そのシンガーとしての資質と方法は非常によく似ていると思う。

椎名林檎がすごいのは、単にシンガーとしてのみならず、ソングライターとしても超一級の才能を持っているところであって、ソングライティングからトータルに自分をプロデュースすることができるのが強みだろう。
与えられた楽曲の中で見事に役割をこなしていく松田聖子の凄味、というのもあるのだけれども、文学的なセンスも音楽的なセンスも全て持ち合わせた上で、自身を巧みに作品化していく椎名林檎もやっぱり偉い。

具体的な技も鑑賞してみましょう。

まず、発声のパターンもいろんなバリエーションを使い分ける。
ナチュラルな発声。喉をひしゃげたような、押しつぶしたような発声。喉を絞めて鼻から抜くような発声、等々。
いずれもアバズレ感と言うか、ズベ公感っちゅうか、そういうイメージを喚起する方向に作用してます。
扇情的な雰囲気も、例えば倖田來未みたいな健全なエロ、あからさまなエロではなく、湿度があって生々しい。
十分に挑発的なんだけれども、それが下世話になる一歩手前、デカダンな文学性みたいなものを感じさせるギリギリのところでストップしてる。
その匙加減が巧妙なんですな。

例えばヒットシングル「本能」の冒頭、♪やーくーそーくはーいらーないわー っていうところ。
激しく乱高下するアクロバティックなメロディ・ラインを絶妙なタイム感で歌いこなしながら、「ら」でお馴染みの巻き舌をばっちり決めて、最後の「わー」はなまめかしい声色で煽る。
このワンフレーズでもう持っていかれます、私は。
なんちゅうか、運動神経って言うのか、反射神経って言うのか、松田聖子でもそうだけど、決めるべきところで絶妙に間違いなくビタッと決めてくる、そういう反応のよさがいかにも床上手って言うか、何言ってるのかよくわからないけども(笑)、こういうところがとにかくやり手的なイメージを強化するんだと思います。

例えば「ギプス」。(これが目下のところ椎名林檎の最高傑作か?)
♪だって写真になっちゃえばー のところで、
だっ(v)て写真になっ(v)ちゃえばー
と、必要以上に小刻みにブレスを入れるあたりがいかにもテクニカル。
でまたそのひきつったようなブレス音が挑発的でいやらしい。
サビにおける、ドスのきいた、押しつぶしたようなスクリームと対照をなして、見事な布石となっております。
こういう細かい技を積み重ね、連続技として次々に繰り出してくる、その過剰な感じがまたいいんだよな。
興奮してばっかりだけど(笑)。

詞は、まだまだ未成熟な言葉遣いも多いけれども、それでも、

♪女に成ったあたしが売るのは自分だけで
 同情を欲したときに全てを失うだろう
(「歌舞伎町の女王」)

といったような硬質な言葉や(昔の泉谷しげるみたいだ)、

♪そしたらベンジー あたしをグレッチでぶって
(「丸の内サディスティック」)

なんちゅう挑発的な言葉を持ち出してくるセンスは見事。
そうそう、知的でエッチっていうのもポイントの1つか。

要はそんな大仰な話ではなくて、自分がこういったタイプに弱いだけというような気もしてきたけれども、松田聖子にしても椎名林檎にしても、コアなファンは同性だと思うわけで、やはり同性のリスナーは、この2人が巧みに自分のパブリックイメージを創出していく、そのアーティストとしての有りように共鳴しているのではないかと思う。

以上、尻すぼみですんません。
とりあえず満足しました。

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コメント

椎名林檎、いいね。
こないだ何人かで久しぶりに朝までカラオケにいったんだけど、(なんとなく流れで、アフターで付き合ってくれた!)新地のクラブの女の子が本能を歌ったとき、やっぱり興奮しました。男性にはもちろんだけど、女性にも人気があるみたいよ、やっぱり。m-riki、新地、行こ!

投稿: torrissey | 2007年6月 7日 (木) 21時51分

新地のおねいさんとアフターでカラオケっすか。お楽しみですな(笑)。とりあえず明日もよろしくー。「3」もOKだそうです。

投稿: riki | 2007年6月 7日 (木) 22時09分

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