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2007年4月

2007年4月24日 (火)

今年もピアノ発表会

昨日は子ども達のピアノの発表会。
今年は息子と共演することに。
年賀状の一部に子ども達がベースとギターをそれぞれ抱えて写っている写真を使ったら、それをピアノの先生がめざとく見つけて、レッスンのときに、「この楽器は誰の? お父さんのなの? 発表会、出てもらって!」、ということになったらしい。
ぼくもそう言われるとまんざらでもないので、承諾。
息子のピアノと、ぼくのベース、それとギターの先生も加わって、トリオで「カントリー・ロード」(♪country road, take me home~ ってやつ)を演奏する。
選曲したのは先生です。
ポピュラー寄りの音楽教室なので、ピアノ以外にも、サックスやドラムやブルース・ハープやフルートや、いろんな先生がいる。
ドラムも入れようかという検討もなされたらしいが、見送りになったらしい。正しい判断だ。
リハは1回のみ。それも10分くらいで3回合わせただけだけれども、要は息子さえちゃんと弾ければそれでよいのだから、特に問題なし。
原曲はごく単純だけれども、多少ひねったコード進行にアレンジしてあって、弾いててもそれほど退屈じゃない。

そういうわけで、昼前に会場へ行って、簡単に音合わせ。
午後イチで発表会スタート。

まずは、プログラムの2番目で、4歳の娘が今回、発表会デビュー。
……のはずが、名前を呼ばれても舞台そでから全く出てこない。
もしや、と思って冷や汗が流れたその瞬間、「お母さん、舞台そでまで来てください」とのアナウンス。
案の定、そでで泣いている。
後で聞いたら、「おじぎするのが恥ずかしかった」とのこと。
やはりそででの待ち時間、ずっと1人にしておいたのがいけなかったか。

とりあえず娘の順番を飛ばしてもらって、プログラムが進行する間に、延々愚妻がなだめて説得を試みるも、泣きやまず。

そうこうしているうちに、プログラム27番、息子とぼくの出番に。
娘はやたらとセンシティブなんだけれども、逆に息子は、もう3回目ということもあってか、緊張感あまりになさすぎ。
出番直前までずーっと「ドラゴンボール」読みっぱなし。
そでに行く時間になって、「おいっ」と声をかけても「ん?」とか言っている。
そういう風なので、固くなることもまるでなく、テンポもばっちり、ミスタッチもゼロで、実に無難に演奏終了。
お気楽なのも、こういうときだけはうまく作用する。

次の難関は、プログラム34番、息子と娘の連弾「月夜」。
もちろん娘はまだ泣いている。
「どーでもいーや」って風の息子に愚妻が懸命に働きかけ、娘の説得を手伝わせる。
息子、あろうことか、成功報酬を要求。
しかし、こういうときはさすが子ども同士と言うべきか、兄の懐柔に、娘、すんなり応じる。

けろっとして、2人で舞台へ。
間違えることなく、落ち着いた弾きっぷりで無事演奏終了。

友だちに花束ももらって、娘、すっかりご機嫌に。
結局、いったん飛ばしてもらった娘のソロは、後半のトップに持っていくことになったのだけれども、待っている間、「わたしの順番、まだなの? 早く弾きたい」などと言っている。
「わたし、さっき上手に弾いたでしょ?」とも。
うーむ。
小学校5年生の出順に混ぜてもらって、無事出演。
ミスなし。最後のリタルダンドもきれいにキメた。
しかし、自分と愚妻はバタバタしっぱなしで、落ち着いて鑑賞する余裕なし。

全般的な印象としては、総じて昨年よりレベルが高かったような気がした。
下手な子がどんどんやめているのか、それとも全体がぐんぐん伸びているのか。

毎年注目している天才肌の兄妹がいて、今年も楽しみにしていたのだけれども、妹の方がいなくなっていた。
やめちゃったのか、それとももっとすごい先生に弟子入りしたのか。
兄が今年5年生で、妹は2年生ぐらいだったと思う。
去年は妹の早熟ぶりがすごくて、きっといつか兄を超えるだろうと思っていただけに、見れなくて残念。

しかし、兄ちゃんの方が、やっぱりすごかった。
去年はちょっと弾かされてる感じが出てきちゃってたんだけれども、今年は違った。
子ども、すげえ。
1年見ないと、えらいこと成長する。

指が速くまわるだけの子ならたくさんいるんだけれども、この兄ちゃんが別格なのは、この年齢にして曲想の理解がちゃんとできていることと、音楽を演奏する心構えみたいなものが既にしっかりとわかっているところだ。
なぜここでクレッシェンドなのか、なぜここでテンポを上げるのか、子どもは普通、指示されているからそのように弾いているだけであって、楽曲の中での必然性をちゃんと理解していない。
だから、曲が自分のモノにならない。
才能のある子は、そこのところが全然違う。
曲の意図をちゃんとわかっている。

兄ちゃんの今年の曲は「バウムクーヘン」。
ぼくはよく知らない曲だけれども、やはり難曲であった。
そでから出てきて、おじぎして、イスに座っても、この子だけはすぐに演奏を始めない。
時間をかけてイスの高さを調節し、何度も座り直して位置をじっくり定める。
鍵盤に手を置いてからも、すぐには始めない。
コンセントレーションを高めているのがわかる。
不機嫌そうな、気難しそうな表情も、なんかかっこいい。
グレン・グールドみたい。
うーむ、どうやったらこんな子に育つんだ。

聞けば、この兄ちゃん、ピアノだけでなく、勉強もスポーツも、何でもすごーくできるらしい。
むむむ。
そこまで行くともう悔しくもないです。

この兄ちゃんが演奏している頃、うちの息子は、すっかり発表会にも飽きて、会場の外で嬌声をあげながら、娘を従え、右手にロールケーキ、左手にピーナッツサンドを持って走り回っていたのである。

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2007年4月21日 (土)

少年法

14、15歳の子どもも刑事裁判にまわすことが可能になる「厳罰化」を骨子とした少年法改正案が衆院を通過した。
少年犯罪が「凶悪化」してきたから、「厳罰化」することによって対応すべきだ、ということらしい。

この厳罰化の法案が持ち上がってきた頃、吉本隆明は、それは逆だと言っていた。
少年犯罪が凶悪化しているとするならば、逆に、少年法の保護主義を更に拡大しなければならない、と。

内田樹も、昨日のブログでほぼ同じ事を書いている。
http://blog.tatsuru.com/2007/04/20_0936.php
たいへんわかりやすい。

少し考えれば誰でもわかることだと思う。
厳罰化で少年の「凶悪犯罪」が抑止されるわけがない。

話は変わるけれども、昨日の教育再生特別委員会での、安倍首相の「ゆとり教育」見直しについての発言。
「子どもの自主性を尊重するあまり、結果として学ぶ意欲の低下につながっている」

つまり、翻訳すると、「子どもに好き放題させてたら勉強なんかするわけねえんだから、もっとびしびし管理しろ」、と。
それも逆です。
今の子どもは、昔の子どもに比べて、明らかに「かまわれ過ぎ」なんである。
昔の子どもなんて、もっとずっとほったらかしだったでしょうに。
ゆとり教育を見直すこと自体はともかくとして、こんな認識で「見直し」てるんだとしたら、ろくなことにはならんだろうなあ……

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2007年4月16日 (月)

地震顛末記

昨日の地震、うちの辺りは震度5弱。
発生時、ぼくは子ども2人を乗せて車を運転中だったのだけれども、地震だということはわからなかった。
ただ、車が左側に沈み込むように、「ぐにゃっ」っていう感じでハンドルを取られたので、一瞬ひやっとした。
最初は道路が陥没していたのか等と思ったけれどもそのような様子もないので、パンクしたか何か、車の方の異常だと思った。

その足でスーパーマーケットへ。
店内は乱れた様子もないので最初はわからなかったけれども、たまたま耳に入ってきた店員同士の会話でどうやら地震があったらしいことがわかり、その時点で初めて、さっきの「ぐにゃっ」が地震であったことを悟る。

スーパーから出て、駐車してあった車の方へ歩いていくと、見知らぬおばさんが近づいてきて、「すみません、ぶつけちゃいました」、と。
よく見るとうちの車の前のバンパーが歪んでいる。
うーむ。

とりあえず警察に電話してくれと命ずるも、地震直後とあって、携帯はなかなかつながらない。
なんとかつながって、おばちゃんと近くの警察署へ。
警察署のおまわりは皆既に地震対応の初動に入っており、事故処理どころじゃない様子だけれども、まあテキパキと事故届けの処理完了。

帰宅すると、職場から非常参集の電話が入ったとのこと。
そうだった、県内で震度5強以上の地震が発生したときは、とにかく職場に行かなければならないのであった。
ちなみに拙宅での被害は、壁面にこしらえた棚からキューピー人形が3体と、洗面台から愚妻の化粧品1個が落ちたのみ。
以前、震度4のときはもっとずっと色んなモノが落ちたので、今回のはモノが落ちにくい揺れ方だったのかもしれない。

電車は当然止まっているので、出勤しようにもできない場合はやむを得ないのだけれども、そこは自転車で10分で行けてしまう立場上、大したことはないだろうと思いつつも、行かないわけにはいかない。
結局、うちのセクションは、たまたま休日出勤だった2人を除けば、「参集」したのは自分1人。
某国大使館からの問い合わせの電話を1件受けたのみで、2時間ほど待機して、参集解除。

夜は、家族と実家の祖父母で回転寿司へ。
混んでいたので、待っている間、近くの大型電気店で時間をつぶしていたところ、大きな余震発生。
この地域にはブラジル人がたくさん住んでいるのだけれども、たまたまこのときには店内にブラジル人が大勢来ていた。
ブラジル人、慌てる慌てる。
みんな一目散に店外へダッシュ。
それは余計あぶないよ。

その昔、Tレックスが初来日したときに比較的大きな地震があって、地震のない国イギリスから来たマーク・ボランは、「地面が割れる」とかよくわからないことを言ってショックで寝込んでしまい、コンサートが1日キャンセルになったそうだけれども、その話を思い出しました。

いやあ、やっぱり地震は怖いです。

ちなみに、前日からうちに遊びに来ていた「3」は、昼前に拙宅を出て、近辺を散策中に被災。
もはや引き返すにも中途半端な距離で、かと言って電車は全てストップ。
帰るに帰れず、ものすごい距離を踏破して何故か温泉に入る等、意味不明の紆余曲折を経た後、結局親に電話して車で迎えに来てもらうまで、実に10時間近く難民化していたそうです。

震災豆知識。
地震でガスが止まったマクドナルドでは、ドリンクしかオーダーできません。

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2007年4月 9日 (月)

マラカトゥ、春眠不覚暁

昨日は、職場の人に誘われて、ブラジルの民族音楽を演奏するグループに初参加。
打楽器ばっかりのアンサンブルで、一度演奏を見たことはあったのだけれども、楽しそうだったのでよくわからないまま誘われるがままに参加させてもらったら、「マラカトゥ」と呼ばれる、ブラジル北東部の音楽であるとのこと。
家に帰ってからネット等で調べてみると、元はアフリカのルーツで、ニューオーリンズのマルディグラみたく、集団で仮装してパレードしながら演奏するものらしい。が、資料が少なく、詳細不明。
CDも見当たらない。

とりあえず初めてなので、まずは覚えることに集中したのだけれども、同じパターンの繰り返しなので、個々のパートはさほど難しくはない。
16ビートのポリリズムなので、ハマってくると気持ちよく、延々同じことを繰り返すので、もっと上手くいくと、おそらくはトランス的な快楽がもたらされるタイプの音楽だろうと思う。
月イチペースで練習するとのことなので、今後も参加させてもらおうと思う。

その練習で疲れたわけでもないと思うのだけれども、夕食後、子どもを寝かしつけていたらそのまま寝ちゃって、結局朝まで13時間睡眠。
ここ数日はこのパターンが多かったのだけれども、さすがに13時間は今季最長記録。
春眠暁を覚えず。って、この時期になると毎年書いてる気がするな。
春~夏になると、髪や髭もよく伸びるようになる気がする。
体が単純にできているのかもしれない。

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2007年4月 6日 (金)

KIRIN THE GOLD

キリンの新しいビールがいい感じ。
これまで常用はサントリーのモルツだったのだけれども、乗り換えも視野入り。

キャッチコピーは、『100年目の、これが新ビールだ。』
確かにちょっとこれまでにないタイプで、苦みが新鮮。

さらに、『「隠し苦み」が、次の一杯もうまくする。』とも。
「隠し苦み」っちゅうか、かなりあからさまな苦みだと思うし、個人的には他のビールだって「次の一杯も」うまいけれども、これまでになかった個性的な特徴があるのは確かだ。

ビールがおいしい季節になってきました。
毎日1本ずつ買って帰るようにしないといけない。
ケースで買い置きしておくと、風呂上がりや寝る前にもついつい飲んでしまいます。

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2007年4月 5日 (木)

Sometimes It Snows in April

やけに冷えると思っていたら、東京では雪が降ったそうで。
4月の降雪は19年ぶりとのこと。

19年前の1988年は東京に住んでいて、4月に雪が降ったときのことは覚えている。
Prince の名作『Parade』のB面ラストに「Sometimes It Snows in April」というバラードがあって、「おお、歌の文句のとおりだ」と思った。

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教育改革

傾いてきた会社を立て直すにはどうすべきか?という問いに対して、吉本隆明は、「まず従業員の給料を上げます」というようなことを言っていた。気がする。
そして、仕事選びで大切なのは、まずその職場の環境であって、それは例えば日当たりがいいとか雰囲気が明るいとか机が広々としていてきれいであるとか、そういうことをとにかく重視すべきだ、とも言っていた。気がする。
働く環境や人間関係がよければ、仕事内容が多少きつかったり退屈だったりしても、続けられるものだ、と。言ってた、たぶん。

そうやって考えてみると、安倍内閣がやろうとしている教育改革は、正にそれとは真逆の方向に進んでいると言える。

問題を起こす教師が多い、教員の質を高める必要がある、というのは、まあ百歩譲って認めるとしてみる。
いや、ほんとはそう簡単に認めていいのかどうか、疑問です、もちろん。
全国に教員が何十万人いるのか知らないけれども、例えばそのうちの1人が「いじめに加担していた」というので、教員全体が著しく倫理感に欠けたけしからん奴らだとでもいうようなムードがあっという間に醸成されて、まずは教師をしっかり管理・監督しろといった方向に世論も誘導されていく。
そもそも、その「いじめに加担していた」というのも、現場の空気はもっと微妙だったかもしれないわけで、もしかするとそんな一言で言い切ってしまえるような単純な状況ではなかったのではないかという推測の余地はいくらでもある。
いじめというのは、通常、子ども同士であっても、被害者と加害者の境界が微妙であるケースが多々あるからだ。
でもまあいいですよ、はい。百歩譲って認めてみましょう。不的確教員、多いのも事実でしょう、ええ。ぼくもたくさん実例を知ってます。教員の質を高める必要はあります。
少なくとも低くする必要はないですから、高めましょう。

さて、教員の質を高めるにはどうすべきか。
もっとも確実で手っ取り早くて効果的なのは、おそらく、
①教員の給料を上げる。
②個々の教員の自由裁量をぐぐっと広げる。
この2点に尽きる。

安倍内閣は、まさにこの真逆をやろうとしている。
そうでなくとも、この10年ほどで、教員をめぐる環境は、おそろしく息苦しくなった。
今回の教育改革は、それにダメを押そうとしている。
教員免許を10年ごとに更新?
これだけ教員の時間的余裕がない中で、毎年、単純計算で教員の10人に1人が、「研修」のために、職場を離れることになるのだろう。
どんな「研修」をやってくれるのか知らないが、それが、ただでさえ人手の足りない現場にいかに負荷を与えるかは、想像に難くない。

いや、そもそも、こんなに教員免許を乱発行(そんな言葉あるのか知らないけど)してるのは一体誰だというのか。
大学でちょこちょこっと必要な単位を取ってたった2週間の実習さえこなせば、卒業と同時に免許がもらえる。
どう考えても、そっちを見直すのが順序として先だろうし、経費的にも軽いんじゃないだろうか。

そう言えば、教員免許を持っている文科省の若手職員を教員として公立学校に派遣して研修させる、なんちゅうプランも浮上しているらしい。
確かに、官僚に現場を直接体験してもらうのは実にいいことだ。
でも、そうやって誰でも彼でも簡単に教壇に立たせることの方が問題多いんじゃないの?
その前に、頼むから教育再生会議のメンバーに、1人でいいから現場の人間を入れてくれ。

今年の大学入試では、教員養成系の志願者が目に見えて減少している。
当たり前だ。
ただでさえ、「今どきの子どもたち」を相手にするのがたいへんにややこしい仕事であることは、誰もが気付いている。
その上に終身雇用も保証されず、待遇も悪くなる一方となれば、誰もなりたがらないわ、そりゃ。

免許更新制を実際にやってるのはアメリカだけだそうだけれども、それは、先進国の中でもアメリカの学校教師はとりわけ質が低いからだ。
生徒が解ける問題を解けないような教員がざらにいるような状況だからこそ、更新制が必要とされている。
同じ方法を日本に導入して、いったいどんな効果を狙っているのか。仮に真意が、「不適格教員の排除」以外の別のところにあるとしても、まるで理解できない。

そんなことより、教員の給料を、今の1.5倍にしてみてはどうでしょう。
すぐに優秀な人材が集まりますよ、それはもう。
いや、実際、70年代に田中角栄が教員の給料を上げたわけだけれども、その時期に採用された人々は、実感としても、優秀な人、多い気がします。ほんとに。

教員を締めつけても、その質が上がることは決してない。
そこは自信ある。
変な自信だけど。
別に教員に限らないでしょ、そんなこと。
当たり前だ。
締めつけて質が上がるなら、いかなる組織も恐怖政治をしくのがいちばんなはずだ。

例が適切でないかもしれないけれども、例えばグレた高校生を更生させるには、どんな方法がよいか?
校則をめちゃくちゃに厳しくし、自由を奪い、徹底的に管理する。
それでグレた高校生が真面目になるとお思いか。
仮になったとしても、それは、不本意なままで外面的な体裁を整えるだけだ。
恐怖政治は、「真面目なフリ」を横行させるだけで、ひとりひとりに、心の底から、「やっぱ真面目にやんなきゃな」と思わせるようなことはない。

教員も同じだ。
いや、大人は高校生よりも世知に長けている分、もっと狡猾だろう。
管理体制の強化は、悪を潜行させるだけで、決して淘汰しない。

ワルガキばかりで荒れまくった高校を更生するには、その高校を、誰もが入学したいと思うような魅力的な場に変えて、競争率を上げるのがいちばん手っ取り早い方法だ。

脅すわけではないですけども、教員ひとりひとりの気分というのは、ダイレクトに学校現場のムードに影響を与える。
生徒になったつもりで想像してみて下さい。
「けっ、こんな待遇で仕事なんかやってられっか」って顔していつも不機嫌な感じの教師と、「この仕事、最高っ。たのしー」ってノリの教師。どっちに教室に来てほしいでしょうか。
どっちも嫌な感じしますけど(笑)、少なくとも前者よりは後者のがましなはず。
多忙なのも問題だ。
もしも教師の仕事が授業だけなら、それだけで授業の質は飛躍的に向上するはずだ。

公立学校の教育の質が恐るべきスピードで低下しているのに対し、私立学校が経営努力によって実績をあげている……。一般はそのようなイメージで語られることが多いように思う。
だから公立学校は努力が足りないのだ、教員は何をやっているのだ、と。
しかし、それは違う。

私立学校は、この20年、特に何もしなかった。
だからこそ生き残れたのだ。
「ゆとり」だの「個の尊重」だのと、めまぐるしく学習指導要領やカリキュラムをいぢくりまわし、動き続けたのは、公立学校の方だ。
その結果、日本の子どもの学力は、激しく低下した。
それを指導したのは、もちろん文部科学省である。
教育委員会や学校現場を問題視する前に、まずやらなければならないのは、文部科学省にこの数十年の失政を認めさせることだ。
私立が伸びたのではない。
公立が勝手に沈んだだけだ。

公立学校は努力や工夫が足りない、という。
そういう面もあることはあるだろう。
しかし、個人的な実感で一般論を言えば、公立学校も、できる範囲内での努力は試みてきたと思う。
それがまるで努力してるように見えないのは、努力したくてもさせてもらえないからに他ならない。

学校現場で、ここをああすれば、こうすれば、といったようなアイデアなど、腐るほどある。
しかし、そのほとんどは、「認められない」。
カリキュラムも教科書も、文部科学省の定めた学習指導要領によってがんじがらめに制限されている以上、努力や工夫の余地は、そもそもごくごくマイナーなレベルでしか与えられていない。

よく、「公立学校でもここまでやれるんです」的な、ごく一部の成功例の報道も目にするけれども、フタをあけてみれば、そういうところには予算がどぼどぼ投入されていたりするらしい。
そりゃ人や金を要求どおりによこしてくれりゃ、努力も工夫もできますって。

過日大問題になった、高校での必履修科目の未履修問題。
あれは、「ズル」、「抜け駆け」という意味では、確かにとても誉められたもんではないけれども、見方を変えれば、「涙ぐましい努力」という一面もあるのではないか。
個々の学校は、独自の経営努力を許してもらえない状況で、「ズル」するしかなかったのではないか。
文科省は、まるで、自分たちが作ったカリキュラムには何も問題はなく、それをきっちり守って正確に運用しない現場と、その現場の「ズル」を看過してきた教育委員会に全ての問題があると言わんばかりだが、果たしてそうか。

公教育の未来は暗い。

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2007年4月 1日 (日)

籾まき

今日は籾まきの手伝いで、朝から田舎へ。
体調を崩した愚妻を家に残して、子ども2人を連れて行く。
昨年までは、子どもはかえって足手まといになるので連れていかなかったのだけれども、そろそろやらせるべきだと判断した。
家に置いておいてもどうせゲームやってるだけだし。
下の娘は従順なので基本的に指示どおりに動くけれども、問題は上の息子だ。
案の定、乗り気でなさそうなので、やむなく小遣いで釣る。
時給50円で契約成立。

今年は減反がなく作業量が多いので、1日仕事になると思っていたのだけれども、今日の天気を心配して田舎の伯父伯母が昨日のうちに苗床への土入れ作業を終えておいてくれたおかげで、昼過ぎには終わった。
娘は予定どおり指示どおりに動いたし、小遣いに釣られた息子も想像以上にしっかり働いた。
こうやってときどきは手伝って、稲が生育するプロセスをなんとなくでも理解させられればと思うのだけれども、まあそこまでは望むまい。

昼は、汗を流した後の美味いビールをたらふく飲んでごろごろ。
午後遅くに起き上がって、田んぼで息子とキャッチボール。
その間に、娘がばあさんと田んぼの畦に生えたツクシを山ほど採集していた。

夕刻、帰宅。
1日寝ていた愚妻は、娘が誇らしげに持ち帰った大量のツクシを捨てるわけにもいかず、仕方なく調理することに。
家族全員で1本ずつちまちまとハカマを取る。
頭の胞子の部分も、きっと不味いに違いないので取り払った。
佃煮にしても不味いのはわかりきっているので、今回は炒めることにする。
アクがあるのでまずはさっと湯がいてから、モヤシ炒めの要領で、中華味で濃いめに味付けて炒めた。
アタマも取ってあるので、パッと見はまさにモヤシのよう。
食べてみると、ほんのり苦みがあって、意外に美味かった。
しかし、子どもは1口2口、珍しげに食べてみただけで放置。

疲れたけれども、肉体労働の疲れは爽快感があって気持ちがいいです、やっぱり。

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