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2007年1月19日 (金)

蕎麦の味

しばらく前、職場の近くに信州そばの店ができた。
日常、弁当を作ってもらえる日(娘の幼稚園がお弁当の日だけはついでに作ってもらえる)以外は、昼ご飯は外食しているのだけれども、この蕎麦屋が出来てからは、毎日蕎麦を喰うようになった。

うどん文化圏に生まれ育ったので、大学に入って上京するまでは、美味い蕎麦を喰う機会がほとんどなかったのだけれども、もとよりの蕎麦好きだ。
東京は、どこにでもやたらと蕎麦屋があり、しかもどこに入っても美味いと思った。
蕎麦湯や蕎麦がきも東京へ行くまで知らなかった。

近くに出来た信州蕎麦の店は、自家製の手打ち蕎麦ではなくて、信州から蕎麦を仕入れているだけの、まるで本格的ではない店だけれども、値段も安いし敷居も低いので、かえって常用には好都合だ。

晩年の内田百閒がやはり昼食は蕎麦と決めていて、毎日おなじ店からざるを1枚持ってこさせていたというような記述が著作にいくつもある。
なんとなくそれを真似しているようなところもある。
百閒は、その蕎麦の昼食以降、夕食までは、水1滴たりとも何も口にしない。
全ては晩酌を美味しくいただくためだ。
その気持ちが実によくわかる、ということは以前にも書いた。

最初は蕎麦だけでは夕食まで腹持ちしないだろうと思ったけれども、意外とそうでもない。
ちょうど夕食時にはいい按配に腹が減る。

とは言え、やはりざる1枚では少ない。
ぼくは毎日「大せいろ」を注文する。
ざる2枚分がせいろにのせられて出てくる。
蕎麦湯も必ずもらって、もらった分は全部飲む。
それでちょうどいい。

蕎麦が好きと言っても、思えばこれまではただ闇雲に好きだっただけで、蕎麦の味というものがそれほどわかっていたわけではない。
厳密に言うと、蕎麦の味がわかっていないということもよくわかっていなかった。
それが、毎日蕎麦を喰っているうちに、微妙な蕎麦の味わいというものがわかるようになってきた。

ものの味がわかるようになるためのいちばんよい方法は、とにかく毎日それを食べることだろうと思う。
ワインの味が、(もちろん自分なりにそれなりの好みはあるけども)、なんとなく好きとか嫌いとかいう以上のレベルで判別できないのは、それほど頻繁にワインを飲まないからだろう。
逆にビールについては、香りがどうのキレがどうのコクがどうのと、ある程度きいたふうなことを言えるけれども、それは1年のうち300日以上はビールを飲んでいるからである。

内田百閒も、毎日同じ店の蕎麦を喰っていると、「味が決まってくる」というような言い方をしている。
この「味が決まってくる」というのはなかなかに含蓄のある言葉であって、どのような境地に言及しているものか、自分のような若輩には全てを理解しかねるけれども、なんとなくわかるような気もする。

毎日毎日同じ店の蕎麦を喰っていて、しかもぼくの通っている店は、信州から既成の蕎麦を取り寄せているので、品質もかなり安定しているはずだ。
カウンターの中を覗いていると、茹で時間も機械で制御されているようで、決まった時間が経過すると、ざるが自動的に湯からぽんと飛び出す。
それを冷水でしめてせいろにあげて出すだけだから、基本的に味にバラツキは発生し得ないように思われる。

ところが、毎日喰っていると、その日その日でごく微妙に味が違うことがわかってくる。
特に冷水でしめるのは手作業であるせいか、蕎麦のコシの具合は、日によってかなり違う。
やはりよくしめてある方が美味い。
蕎麦自体の品質にも、多少の変化があるようで、何がいけないのか、ごくまれには、実に不味い日がある。
蕎麦の香りが多少は感じられる日もあるけれども、まるで素っ気ない日もある。
蕎麦つゆの濃度も、日によって少しふらつくようだ。

そうやって、毎日、同じ店の、ほぼ同じ味の蕎麦における微細な味の移ろいを、意識するともなしに意識しながら食していると、たまに他店で蕎麦を喰ったときに、大きなドラマを味わうことになる。
とにかく味がいつもと劇的に違う。
そうなって初めて、自分が毎日喰っている蕎麦と比べて、味はどうだ、香りはどうだ、コシはどうだというようなことが、わかる。
自分の中に馴染みのスタンダードがあるので、それを基に、もはや全ての蕎麦を評価できるような気がする。
このようにして、ぼくは蕎麦の味がわかったような気になった。

さて、それとは別の話で、昨年末、信州の某有名店で蕎麦打ちの修行中であるハンドルネーム「見習い」が、休暇で地元に帰ってきた。
「見習い」とぼくは、親同士もわりと懇意であって、うちの親父が一度信州に旅行したときに現地で彼と会い、今度帰省したときには蕎麦を打ってやるとの約束をしたらしい。
そういうわけで、12月某日、うちの親の家に「見習い」が蕎麦打ちセットを持ってやって来て、うちの家族のために蕎麦を打つという、よくわからないイベントが実現した。

「見習い」とは言え、もはや「ひととおりのことは全部教えた」と師匠からもお墨付きを得た身。
修行前にも一度、独学で覚えた蕎麦打ちを披露してもらったことがあるのだけれども、そのときとはまるで手際が違う。
見ているだけでおもしろい。
さすがに道具は本格的なものを持ち込んでもらうわけにはいかなかったけれども、蕎麦粉や打ち粉は修業先の某有名店のものをお裾分けしてもらった一級品だ。

店で喰ったら3口すすればなくなるような量で1枚800円のざる蕎麦を、次から次へとたらふく喰える至福を味わう。
「見習い」は、「店で喰ったらこんなもんじゃない」と言うけれども、その香りと味の素晴らしさは、自分が平生喰っている蕎麦とは比べるべくもない。
蕎麦とはかくも優雅な香りを発するものであったか。

蕎麦屋が自店のオリジナリティを作るのは、主に蕎麦のブレンドによるらしいけれども、この濃厚な味わいはそれだけではあるまい。
やはり手打ちであるということ、しかも打ちたてであるということが、何とも言えぬ豊潤な蕎麦の風味を出すには重要であると思われる。
何千円分喰ったかわからないけれども、極めて有意義なイベントであったと言うほかあるまい。

しかし、このイベントは、ぼくの日常に決定的なダメージをもたらしもした。
翌日から、いつも喰っている店の蕎麦が味気なく感じられて仕方なくなっただけでなく、以前は好んで喰っていたスーパーやコンビニの蕎麦など、見るのも嫌になってしまった。

かようにして人は贅沢になっていくのだろう。
「見習い」は、なんとまあ迷惑なことをしてくれたことかとつくづく思
う。
これだけ迷惑をかけているのだから、今後は定期的にうちに蕎麦を打ちに来る義務があるはずだろうと思っている。

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コメント

蕎麦うちの出前かー。うらやましいな!ところでね、冷凍のうどんって意外とおいしいでしょ?あれ、タピオカが入ってるんだって。知ってた?

投稿: ショーエ | 2007年1月19日 (金) 03時31分

うちはうどんは、カトキチの冷凍のやつを常用してます。讃岐うどん風に食べるんだけど、ヘタに店で喰うより美味しい! カトキチもタピオカ?

投稿: riki | 2007年1月20日 (土) 22時02分

そうそうタピオカ。海外にいるとあの冷凍うどんを超えるうどんを食べられないんだよね。

投稿: ショーエ | 2007年1月21日 (日) 12時45分

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